2016.10.25 Tuesday

クリスチャン・ボルタンスキーとChim↑ Pomを同じ日に観る面白さについて

先日、目黒庭園美術館で「アニミタスーざわめく亡霊たち』を観て、その後に新宿歌舞伎町でChim↑ Pomの個展「また明日も観てくれるかな?」を観た。
旧朝香宮邸で、休日の庭園を楽しむ家族を横目に、銀色のエマージェンシー・ブランケットで覆われたナチスの没収品の山(中身が本当に古着の山であるかどうかは見えないのだが)をみつめる、巨大にプリントされた眼差しを観る。干し草が敷き詰められたフロアーにある大きなパネルには、はじめは海の景色かと思った、世界で最も乾燥した砂漠と、香川県の夏らしい森林が映し出され、鉄器で作られた風鈴が揺れている。
見えないものが見えてくる時、ボルタンスキーのインスタレーションは、立ち止まる時間と作品と対話する静寂さを誘う。
過去と対話する時間は、重苦しく、それでも心地よい。その対話が現在との通路になっている気がする。

歌舞伎町の喧騒のなか、何度か通ったはずの街の一角の古びたビルにその入口はあった。学生時代にはライブ会場として通ったアシベ会館の直ぐそば。
取り壊される古いビルは、歌舞伎町の幾つもの記憶を丸抱えしていたかのような外観を見せる。どれだけ変わったのかわからない各店舗の看板。周囲は高層化して、すぐ裏はゴジラがいる「TOHOシネマズ」のビルだ。かつて「コマ劇場」だったころ、ここではどんな音が聞こえたのだろうか? どんな人が、この3階の雀荘に通ったのだろうか? Chim↑ Pomが見せつけるどこを掘っても「現在」が出てきそうな空間は面白い。しかし、どこまでも現在。更新し続けるただの「現在」は、こうして見せつけられることで、かろうじて「現在」を演じきって葬られるように思う。そうでなければ、あっさりと「過去」になってしまうような、一過性の現在の連続が、束になってそこに積み重ねられていた。
http://www.cinra.net/interview/201610-chimpom

2014.09.11 Thursday

日向寺太郎さんと飲んだのは、とても面白かったのだけど、、、

 昨日は日向寺太郎さんと二人で酒を飲んだ。正確にはホッピーだったけど。ここ数年は、日向寺さんの同期の映画監督谷口正晃さんと波多野哲朗先生を交えて、年に一度か二度4人で会っていた。二人で飲むのは、もしかすると初めてか、十数年ぶりかもしれない。日向寺さんと飲む時はいつも、かなりディープな映画の話をすることになる。そのくらい、彼の映画にたする姿勢は一貫していて、力強い。先日、彼の新作ドキュメンタリー『魂のリアリズム 画家 野田広志』を見たばかりだったので、その映画について、いろいろと教えてもらった。僕自身も映画を見た直後に、その感想を読んでもらっていた。

池袋の飲み屋は、有楽町の「日の基」を思わせる昭和臭があふれる店だった。こういう店は、ひとりで来る常連と会社帰りのオヤジ二人組が多くて、なかなかいい。僕らも十分にオヤジ2人組だった。長いカウンター席の頼りない丸イスに座ると「これ、佐藤さんに渡そうと思って、、」と、『魂〜』の試写会の時に配ったプレスリリースをくれた。日向寺さん本人の文章と、加藤典洋さんのコメントが載っていた。老眼用の眼鏡を鞄にしまっていたので、さっと見ただけで、「あとで、ゆっくり読みます」と言って鞄にしまった。今、それを読んでいた。僕は日向寺さんに送った文章の中で、「映画を見ながら『マルメロの陽光』を思い出していた。」と書き、その映画についても少し書いていた。すると日向寺さんが、実はこの映画は『マルメロの陽光』を見たのがきっかけだったんです」という。僕は思わず、「えっ、本当?」と言ってしまった。僕は、本当に『マルメロの陽光』みたいな、静かで美しい映画だと思って、そういうふうに書いたのだった。その偶然は面白いと思ったし、彼が「自分なりの『マルメロ〜』を撮りたい」と思って作った映画だと言うことがうれしかった。その後、話は、ビクトル・エリセやアレクサンドル・ソクーロフやら、水俣やら、三里塚やら山形やらの話に発展して、とても面白かった。ところが、今朝、プレスリリースを読んでみたら、日向寺さんの文章で、『マルメロの陽光』を見たことが制作のきっかけだったと、その経緯がとても細かく書いてあった。なんだかものすごく恥ずかしくなった。監督が『マルメロの陽光』を観たことが制作の動機だった、と言っているのに、それを見て、後から「『マルメロの陽光』を思わせる」などと書いたら、馬鹿みたいだ。あ〜恥ずかしい。監督のコメントはHPなどできちんとチェックするべきですね。反省しきりです。
2012.09.17 Monday

廃校と古民家〜再生というよりは延命かもしれないけれども〜

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ 2012

2012910日〜12

収穫間近の稲田の黄色が一層美しく、緑によく映えている。同時にそれは、直近に迫った苦役を想像させる。狭く高低差のある小さな区画は、手刈りの苦労を余儀なくされるのだろう。道路脇には、稲の刈り遅れのないように注意を促す看板が、あちこちに見られた。収穫の時期が少しでも遅れると、米が乾いて割れるなど、品質に大きく影響するそうだ。地元のテレビニュースでも、時期を逃さないように注意深く伝えていた。短い期間で集中的にこれらを刈り取るのはどんなに骨の折れる作業だろうと、美しい稲田を眺めて思った。そして、過ごしやすい季節のすぐ後には、厳しい冬が待っている。

2011.07.24 Sunday

原発事故を写す鏡「水俣」

 福島原発事故から原田正純さんの著書、編著を読み返している。『水俣学講義』は4集まで持っていて、2集以降は講義のタイトルを見て拾い読みしていた。読み返してみて、あらためて原発事故を写す鏡としての「水俣」を考えてしまう。

 第2集の25頁〜「過去を置き去りにしない」という原田さんの項で以下のような記述があった。「いま、(2005年当時)環境再生という言葉は全国的に流行っています。「環境」を頭につけた研究者は6000人くらいいるそうです。岐阜大学の学長の宮本憲一さんによると、環境関連の事業は、全国で20億円くらいの規模で展開しているそうです。(中略)それなのにそれなのになぜ環境は良くならないのだろうか〜」この前段には「熊大医学部で水俣病の医学論文で博士号をとった人は100人くらいいます。(中略)たくさんの研究者が水俣病のことを研究したのですけれども、それを現地に、あるいは被害者にどう返していったか。」と記されている。水俣がなぜ50年以上たっても解決していないのかは、こうした研究者の責任も大きい。もちろん、研究者だけの問題ではないから、解決が遅れたという言い分もあるだろう。水俣では家族・集落という最小の地域と、政治と経済を含めた国の問題が様々な形で現れ立ちはだかった。そうした困難は沖縄とも似ているかもしれない。しかし、医学が弱者・被害者救済という立場では機能せず、もっぱら「どこまでを水俣病と認めるか」といった政治的解決のための基準作りの手段として機能したとき、既に純粋な医学としての使命を失った。おそらく環境の研究者も然りであろう。

 今後福島で起こることは、間違い無く救済差別である。水俣病患者が苦しんだのは、チッソや行政の対応だけではなかった。「チッソよりも隣人が怖かった」と述懐する患者の言葉に、地域コミュニティーが崩壊した真実がある。補償金をもらった人、そうでない人、その金額の差、あるいは今後現れるであろう、放射能による健康被害とその因果関係、医療保障、地域を引き裂く妬みや嫉みが必ず引き起こるし、既に義援金の支給額でもめている。

 「水俣で起こったことを繰り返さない」とは環境に重大な影響を与える事故を起こさないということだけではない。現在、テレビや各種メディアに登場する原発推進派の学者・研究者たちを見ていると、6000人の意味がわかってくる。

 『水俣学講義』第2集 原田正純 編著

2011.07.09 Saturday

愚行はいつまで続くのだろうか?

『宝子たち 胎児性水俣病に学んだ50年』 原田正純 著

 福島原発の事故以来、水俣で起こったことと、これから起こるであろうことが比較されることがある。この本は2009年の発行でありながら、読み続けていくうちに、福島の原発をめぐる今後が見えてくる。
 事故発生からこれまでの東電と政府の対応や、事故に関する事実やデータの隠蔽、今後必ず現れる補償問題と、その認定制度の制定、その結果、将来にわたって続くであろう補償金の差別は、まさに水俣病の経験を繰り返すことになりそうだ。『百年の愚行』(2002年)という本があるが、世界中で繰り返された人類の愚行が100枚の写真で紹介されている。戦争以外で日本が紹介されているのは「水俣」だけだ。しかし、今ならば、チェルノブイリとスリーマイルと併せて「フクシマ」が載ることだろう。

 原田正純さんとは一度だけお会いして、ほんの少しだけご挨拶をした。チッソ水俣工場の第一組合が自主的に解散式を行った日だった。第一組合最後の書記長だった叔父が司会を務めた式だった。原田さんの柔和な笑顔はいくつもの記録映像で観るそれと少しも違わなかった。

 『宝子たち』では水俣での出来事を中心に、カネミ油症、ベトナムの枯葉剤、ジャカルタの環境汚染、原爆の体内被曝など、人類が出会った環境汚染と人体への被害が、原田さんのフィールドワークでつながっていく。「現場を歩く医療」を50年にわたって実践した医者の現場報告でもある。
 第六章「水俣学と環境倫理」の項は、今、フクシマを経験している我々への提言として読める。「毒は薄めれば、毒でなくなる」という考えは自然界の機能の一面を強調している。自然界には「濃縮と希釈」という二つの機能が存在する。「人類は己に都合のいい機能だけを自らの都合のいいように利用してきたのです。」と原田さんは言う。福島で続く「水」の汚染は、まさにこうした驕りである。
 「胎児性水俣病」は毒が胎盤を通過したという、人類史上初の事例である。だからこそ原田さんは「従来の倫理学は現在時点が主な対象であったと考えられました。しかし、胎児性水俣病の確認は自然(環境)に対する配慮が未来世代に対しても必要なことを示した初の事例でした。すなわち、新たに世代間倫理(未来倫理)とでも言うべき問題が表面化してきた重要な事件でした。」という。そして2004年の水俣病関西訴訟の最高裁判決では「未来に対する危機の感覚を持つことは政治家、技術者、私たちの義務、他者の存在に対する配慮義務である」という倫理観が判決に盛り込まれた。
 しかし、考えて見れば、水俣病の公式発見から55年になろうとしている日本で、一度もこのような倫理観が守られなかったのは何故だろうか? 水俣病の発生した後に、新潟の第二水俣病が起こり、教訓は活かされず、その後もアマゾンの水俣病や、世界の環境汚染に対して、原田さんや水俣経験者の働きかけや直接行動にもかかわらず、愚行は繰り返され続けた。
 
 2002年から熊本学園大学で展開されている「水俣学」については「まず、弱者の立場の視点に立つ学問でありたいと思っています。公害は決して平等には起こりませんでした。」とある。環境学をベースにして、学者や研究者だけでなく、患者、医者、漁民、映画作家、ジャーナリストなどが、それぞれの立場から「水俣」という「大きな物語」を語っている。「水俣」は「病」に特化すれば事実が矮小化してしまう。このことは水俣の経緯を知る人ならば理解できると思う。この水俣学の講義録は既に第4集まで刊行されている。

2011.03.29 Tuesday

情報を回そう!

 中沢です。

まずは、このたびの震災で被害に遭われた方々、またそのご家族ご友人の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
そして以来続く原発事故の状況も大変気がかりです。

私たち海外在住の日本人には2つのルートから情報が入ってきます。
一つは現在住地の報道、そしてもう一つはインターネットを主に日本から発信される情報源や報道です。

既に日本でも少し報道されているようですのでお気づきの方も多いと思いますが、日本の報道とこちら、例えばドイツの報道はかなり差があるように思います。
差がある、というのは、報道の仕方の温度差とでも言えばよいでしょうか。
もちろん中にはきちんと取材してないだろ!的な報道もあるようですし、ドイツにおけるいわゆる民間放送の番組などでは誇張やドラマティックな表現のものもあるようです。
私が主に見聞きしているのは日本で言うところのNHKにあたるような公的放送とラジオがほとんどですので、幸い感情を逆なでされるようなものは目にしていません。

基本的にはドイツで報道される情報源も日本の報道と同じです。
東電や政府の発表、またそれを報道した日本の報道の翻訳などが入ってくるわけですが、その情報に対して例えば日本では「避難する必要はない、健康にただちに害はない」とコメントがつきます。
ドイツの報道はそのコメントも含めて、日本の政府はこう言っている、と流すわけですが、ドイツのメディア及び評論家、専門家などの見方がそこへ入ってきますので、その捉え方は違ってきます。
その捉え方の違いは、東京以北からドイツを始めとした外国人が退去したことにも出ています。

さて、これをどちらが正しいかどうか、ということは簡単には言えないと思いますが、しかしながらこの差は何なのだろうと疑問に思います。
事故が起きている当地の日本では、そうした報道や情報の違いがあることに気がついた人々が不安になるのも当然です。

ちなみに、外国と同じような対処や見方を提言する専門家やジャーナリストも日本には多くいるわけですが、それは主な報道メディアには出てきません。
これもなぜだろう?

パニックを引き起こさないため?不安を煽らないため?

しかし不安になるのは、何かが隠されている、と感じるからなのです。
パニックになるのは、その事態に対して心の準備ができていないからです。

私個人としては、東電、政府を始め、マスコミの報道にも不信感があります。元々、原発産業が過去にこれだけ事故を起こしながらも続いてきた、また今なお続いている状況は、これらの組織が作り上げてきたものであり、それを私たちが享受してきたという流れがありますから、やっぱり信用できないな、と思ってしまうわけです。しかしながら、全てが嘘、ということもないだろうと言う自制は自分の中に持っておこうとは思っています。

が、更にその不信感を強めることがありました。

日本でも報道されていますが、福島の事故以降、ドイツでは原発反対運動が再燃し、先週には各地で25万人規模のデモに膨れ上がりました。原発を持つ州の州議会選挙が先週末にあったためにそれにも絡んだ政治的な動きとなりましたが、それまで60年近く現政権と同じ保守政党が州政権を握ってきた所で、保守党は大敗し、環境政策を進める緑の党が政権を取ることになったのです。このバーデン•ビュルテンベルグ州と始めとした南ドイツは昔から保守派が強く、そのイメージが常々大きくあったところへこの変化は本当に凄い。

さて、話が少しずれました。
昨日、ドイツでは、東京でも反原発のデモがあったと報道されました。その参加人数1000人程。
こんなに重大な事故が起きている当地でこの規模なのですか?
しかもこのデモのことは私は朝日、読売やヤフーのトップページ等のニュース欄では目にしていません。

そのことについてはこんな理由もあるそうです。
東京・銀座で1200人規模の原発反対デモ

でも、通常のデモだったから、という理由で報道されないものなの?
こうした動きは敢えて無視なのですか?まだ事故が続行中でその段階ではない?それともまだ原発は安全なものだという企業とマスコミは繋がりたいのですか?

少なくとも私の周りでは、今回のことを受けて、脱原発へ考えを強めている人は多いです。そしてそれに伴って生活を変えていかなければと。
でもそんな動きの情報は表に出てこない。
さて、この事故を受けてこの国を背負っていくのは、私たち、そして更に若い世代です。
私たちにはインターネットというメディアがあります。それを使って何ができるだろう。

私は海外在住です。日本の家族や友人たちを守りたくても直接は届かない。
今私にできることは何だろう。ネット?

マスコミが報道しないこと、東電や政府が発表しない見解や情報がネットにはたくさんあります。
デマ、ではありません。それぞれ過去の事例や研究から出てきた、ある正しい見解です。
それらの情報をマスコミが表に出さないのならば、私たちが回していきませんか?
情報を回して、それを元に考え、行動に移していけるかどうか。

まずは知ることです。怖いから見ない、知らない、のでは、もっと怖いことがあとで来ます。
今回の事故はそのことを突きつけてくれているような気がします。

情報を回していきませんか?
デマかどうか、皆で検証し、知っていき、そして何ができるかを考えていけるなら、それはこれからこの国を変える、そして復興させる大きな一歩になると思います。
1ヶ月前にエジプト及び中東諸国で起きたことへインターネットメディアが貢献したことはあるヒントになるかもしれません。

また書きますね。

ドイツ、ケルンより、中沢
2005.11.08 Tuesday

悪夢は気がつかないうちに見ているものだ「ダーウィンの悪夢」

渋谷においしい魚の定食屋があって、近くで仕事をしていた頃、よくそこでお昼を食べた。好きだったのは銀むつ定食で、あっさり醤油味の大きな白身の煮付けと一緒にご飯を口に入れると食が進んでしまい、どんぶりご飯も簡単に平らげられたのだけど、午後の勤務中には満腹後に襲ってくる眠気と戦わねばならないのが唯一の難点だった。むつはときどき家でも煮付けなどにして食べていたけど、崩れそうにやわらかい身が好きで、だから外食でも銀むつを頼んでいたのだった。スーパーなどで見るむつと銀むつの違いはよくわからなかったけど、どちらもおいしいから違いなんて気にしなかった。その後、魚の原産地と元の名前の表示が販売者に求められるようになったというニュースをテレビや新聞で見た時に知ったのだ。銀むつは実はむつの仲間ではない。南米産のパタゴニア・ツースフィッシュという輸入魚で、日本で流通に乗る前に、その見た目がむつに似ているということで別の命名がされていたのだった。そのことで食べるのを止めようと思ったわけではなかったが、以来銀むつが店頭から消え、そして他にもかなりの魚が輸入されては別の名前で店頭に並んでいたことを知り、なんだかそれは消費者から情報を隠すような気もして、気持ち悪さが残ったのだった。

先月の山形国際ドキュメンタリー映画祭で審査員特別賞を受賞した「ダーウィンの悪夢(原題:Darwin's Nightmare)/監督:フーベルト・ザウパー(Hubert Sauper)」は、決して遠い国の悪夢のお話ではない。それは気が付けば、日本の私たちの日常にも実によく浸透している事柄なのだ。いつのまにか銀むつ、という魚が現れるように。

かつて「ダーウィンの箱庭」と呼ばれた程豊かな生態系を持っていたアフリカのビクトリア湖に、1960年代、肉食魚であるバーチが放たれる。それはまたたくまに他の魚を食い尽くして自らの種を増やし、ビクトリアが誇った生態系を破壊した。そしてその後、湖岸の村にはこのバーチの漁業と加工業が欧州機関の援助によって成り立つ。この一大産業をタンザニアにもたらしたバーチは、その静かで平かな社会と生活を複雑なものに変えていく。

近代的で清潔な工場で、白い作業服に身を包んだ地元の工員たちは、手際良くバーチを切り開いて切り身にする。この白いバーチフィレは冷凍されて、東欧などからやってきた輸送飛行機でヨーロッパや日本へと運ばれていく。その量たるや、あまりの重さに耐えきれず離陸に失敗して墜落し、空港に脇に転がされたままの飛行機の残骸が語っている。

大量の魚に対して同じ数だけ余る魚の頭は捨てられることなどない。トラックに無造作に積み上げられた魚の頭が運ばれていく先は、地べたに大きな揚げ鍋が置かれ、丸太で組まれた魚の干し台がいくつも並んだ、その様は全く違えどこれもまた加工工場だ。ウジ虫がこぼれる程にわいた魚の頭は油で揚げられた後、地元の市場に運ばれていく。映像からはその臭いを嗅ぎ取ることはもちろんできない。しかしそこで働く一人の女性は、まだ潰れていない片方の目をかばいながらインタビューに答える。近いうち眼の手術を受けなければならないの、と。おそらくその腐敗した魚が放つ有毒ガスのせいなのだろう。その場にいる人々の服が体から落ちそうなほどボロボロなのも、単に古びているわけではなく、このガスによるもののようだ。ハエが飛び交い、ところどころの揚げ鍋から湯気が上がる。そしてびっしりと蠢くウジのわいた魚を干し台に並べていく、ボロきれをまとった人々。まるで地獄絵図のように壮絶な光景だ。そんな中でも笑って歩き回る子供たちを収めるカメラは、たとえ地獄だろうが彼等にとっての日常はこれなのだ、と言いたいかのようだ。

湖岸の町へ割のよい出稼ぎ業を求めてやってくる男たちと、彼等に見捨てられて荒れ果てた農村。湖岸の町では、職を得るためにこの男たちを出迎える娼婦たちが集まる。そしてそこから一気に拡がっていくエイズ。HIVに感染した出稼ぎ中の夫からさらに伝染した農村の妻たち。人口が350人ほどの小さな村で、一か月に10〜15人がエイズで死亡していく絶望的な状況を語る地元の牧師。しかしもっと絶望的なのは、彼が神の意志に反する、といってコンドームの使用を認めないことだ。目の前の人間の命か、それとも尊い神の思し召しか、どちらが彼にとって、もしくは彼の信ずる西洋宗教にとっての正義であるか。もしも後者とするならば、大きな口を開いてこの国ごと飲み込まんばかりの貪欲な肉食魚と神は、同等だ。そして、エイズで死んでいく農村の妻たちも、客の外国人パイロットに殺された娼婦も飲み込んで肥え太った魚がヨーロッパの食卓に上っていくこの流れを、資本主義の下によるグローバリゼーションと呼ぶのだ。

欧州機関による経済援助策は皮肉なことに(でももしかしたらそれは皮肉でも何でもなく、元からそういう構造のものなのだとも言える)、途上国の社会を複雑なものにした。そしてその経済支援の実態には、魚の代わりに武器を輸出するというビジネスも潜んでいた。東欧から来た輸送機のパイロットは言葉少なに語る。我々はただ運んでいるだけなんだ、と。湖岸の加工工場長も言うだろう。需要のあるものを売って何が悪いのか、アフリカの産業を支えているのだから。やせ細った余命いくばくかの農村の妻はもう何も語らない。ただただ全てに疲れて諦めたように座り込む。監督であるフーベルト・ザウパーは、何が正しいかなどは一切言及しない。ただただ、自分が接した人々の話に耳を傾けて、カメラを回していくことに努めていく。でもそれで十分だ。何かおかしいのか、何がなされるべきなのか、その答えを出すのは観客である我々自身だからだ。さあ考えてみよう、何がいったい「そうあるべき」なのか?グローバリゼーションという名の下に広がっていく資本主義や民主主義、そしてその流れに押し流されていくその地の尊厳は、本来どうあるべきだったのか?援助というのは余計なお世話に過ぎないのではないか?アフリカだけではない、イラクやミャンマーの日常を思う時、フィリピンのエビ養殖を思う時、私はいつも疑問を抱く。実はグローバリゼーションなどこの世界には必要なかったのではないだろうか?

「フードマイレージ」という言葉があるが、それはまさにこの状況の一端を示すだろう。スーパーの店頭で食材を買う時、それがどこから来たものか、そのマイレージを気にかけてみるといかにこの状況がいかに日常に浸透しているかがよくわかる。
晩ご飯に並ぶエビや魚のフライを見て、フィリピンやアフリカの日常を思うことはないだろう。でもこの映画を見て以来、私は魚の切り身をスーパーで見るたび、あの地獄のような魚の頭の加工場を思い出す。奇しくも私は今ドイツにいて、広場の魚屋でこの切り身を見てしまった。白身にピンクがかった銀色の皮がついた大きな切り身は、なかなか美味だとドイツの友人は言う。ショーケースに積み重なった切り身の前に置かれたプレートにはたしかに、Victoriaseebarschfilet タンザニア産とあった。悪夢はビクトリア湖だけのことではなく、確実に我々の日常にも入ってきている。グローバリゼーションとは、高い所から低い所へ水が流れていくように経済が動く状況であるが、その後両方の水が混ざり合うように、利害も浸透し合うのだ。でもそれは実にゆっくりと底部で行われていくので、私たちは気が付かない。そのことがおそろしい、そう思う。私たちの無知さが一番おそろしい、と。


しかしいったん混じり合ってしまったこの状況を元に戻すことなんて到底無理な話であり、だからこそ監督は安易にその正義性を語らない。簡単に語ってしまえば、それもまた現在のアフリカの状況に対して押し付けになりかねないからだ。既にそれで生活を支えている地元民たちの生活が成り立ってしまっている。このアフリカで起きているグローバリゼーションの一端を、声高に訴えるのではなく、そこに立つ人々に接しながら状況を見つめていったのはおそらくそういうことだ。冷徹なまでのまなざしを保つべく努める監督は、目の前でストリートチルドレンがドラッグを吸おうと、獣のようにつかみ合いをしようと、ただただカメラを回す。

唯一、戦争が起きたら人を殺す、それが当然だ、と微笑んでいう警備員の男に、本当に?と彼が解せぬ様に質問を繰り返したのは、冷静な客観に徹しきれない感情のほころびか。あくまでクールに状況を捉えてみせていく中で、殺された娼婦のエリザが長い指を振って歌をうたう姿を見つめる視線がやさしく、あたたかった。ターンザニーア、タンザニーア、とゆったり歌う彼女の声が頭から離れない。

*フードマイレージのことについては、以下に記事があります。
http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/food/kaisyoku/20050815gr01.htm
http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/food/kaisyoku/20050829gr0e.htm
*写真はまた別の日にデパートの魚売り場で見つけたビクトリア湖のバーチフィレ。ただしこの日のフィレはウガンダ産でした。売り場のおじさん曰く、このVictoriaseebarschfiletはウガンダ、ケニア、タンザニアから輸入されてくるとのこと。毎日は店頭に並ばないようで、この写真を撮るまで数日毎日探しに来ていたのですが、私が写真を撮っている横で、さっそく女性の買い物客が、このフィレを購入していました。友人のお母さんに聞けば、数年前にはビクトリア湖の水質汚染が問題になり、一時輸入が止まったそうですが、現在は再開されて人気の高い魚でもあるそう。「ダーウィンの悪夢」はドイツのTV局、WDRとARTEの名前が共同企画者としてクレジットにありましたが、これがどちらかの局で放送されたとき、どんな反響を生むのか…、興味深いところです。victrian barch
2005.11.07 Monday

人と人が巡り会う場所-山形国際ドキュメンタリー映画祭2005

山形に行くのも今回で4度目になった。2年が経つのはけっこう早いもので、さあ今年は山形があるなあ、と年明けに思い、春を過ぎた頃にはもうすぐ山形がやってくるなあと思い、夏が終わる頃にはあれもうすぐかと慌てて宿の手配なんかをする。YIDFF(山形国際ドキュメンタリー映画祭)は私にとって、初めての映画祭体験だった。学生の頃、お金も時間も余裕がなかった私は先輩たちが連れ立って出かけていくのを少し寂しい思いで見ていた。だからその2年後に初めて出かけたときは、もう嬉しくてたまらかなったのだ。大人の世界に少し踏み込んだような、そんな気分だったのだ。でもそれは序の口。朝から晩まで会場間を駆け回り、夜は香味庵で人々と出会い、そしてその後は知り合いたちとじっくり飲んだ。学生時代、体育会系とは全く縁を持とうとしなかった私が、ある種の映画合宿体験にここではまってしまったのだ。

そう、映画の合宿。ここで私は毎回たくさんのことを学ぶ。
ドキュメンタリーというジャンルの幅の広さ、刺激的な表現、そしてそういった様々な試みを受け入れるこの映画祭の懐の深さ。映画そのものについて、または映画を通して見える様々な世界について知る。そしてそこに集まる人々を知る。この映画祭に来ると私はいつも勇気づけられる。互いの表現やテーマは違えど、ここに集まってくる人々、作家も観客も、皆似たような境遇にいて、そして皆それぞれ、様々な方法で映画というものに関わりながら生きているそのことに、私は励まされる。

それから山形という土地のこと。
山形以外の場所でも映画祭はもちろん開催できる。でも私は山形にこの映画祭があってよかったとつくづく思う。
知り合いたちと映画から政治経済、社会情勢や恋愛まで語り合う場には、おいしい酒と芋煮が必要だ。ずっしりと重い映画に向き合って疲れたら、温泉へ行くのもいい。会場間を駆け回ってお腹が空いたら、山盛りの板蕎麦とゲソ天を頼む。せっかくだから土産でも、と、町中のデパートに入って味噌の紫蘇巻きを買えば、どっからきたの?来年は来ないの?とおばさんが声をかけてくれる。そう、土産にはゆべしなんかも名物だけど、地元のスーパーで買う地物の舞茸やら菊やら山菜やらは東京ではお目にかかれない。友人や家族へと持ち帰れば、それらを料ってつつきながら映画の話もできるだろう。映画を含め芸術には、日常の事柄を楽しむ余裕も必要なのだ。個人的見解として常々、食について関心がない人は感性が鈍いと思っている。私の知る限り、山形に集まる人々は、皆この豊かな風土を映画とともに味わっている。だから、ぜひ山形市にはこの映画祭を止めようなんていうことはしていただきたくない。一部の映画好きのためのイベントに財政を投入する必要はないといった声があるようだが、この映画祭から山形の風土や文化は確実に伝わっていることを知っていただきたい。

映画祭はまず第一に映画を紹介するものだ。それは確かに作家たちへのチャンスとなるだろう。けれども忘れてはいけないのは、同等に重要な存在として観客がいることで、それは観客にとって新たな映画との出会いを作る場でもある。そしてやはり同等に、いやもしかしたらこれが一番なのかもしれない。映画祭は単なる上映の場所ではない。映画というものを通して、人と人が出会うための場であるのだ。
YIDFFはドキュメンタリー、もしくは映画という領域において、日本のみならず、世界においても大きな功績を残し続けてきていると思うけれど、その規模だけではなく、語られなければならないのはその作家と観客へ同時に機会を与えることであり、そうした意味では日本各地にも大小様々な映画祭があれど、YIDFFがそれらの映画祭と確実に違うのは、作り手に機会を与えるためと明言する映画祭ではなく、人と人が映画を通して出会う場だと言っていることである。だからこそ、作家本人またはその知り合いだけが集まる映画祭ではなく、市内外一般の人も、投票券を握って会場を埋めていくのだ。

どんなジャンルでも映画好きなら、一度は旅行でも兼ねるつもりでYIDFFに足を運んでみるといい。
病みつきになること請け合いだ。様々な人たちと巡り会えることに。私自身はこの数年間で、山形で様々な人々に、映画に出会えたことに心底感謝している。そういえば、YIDFFが近付く頃、出会う人々とはいつもこんな言葉を交わす。それじゃあ次は、山形で!
そうまた2年後、山形で!yidff night
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