2018.03.16 Friday

寝る前に読むと、目が冴えてくる。目を閉じれば、状況が次々に浮かんでくる。

『炎上! 100円ライター始末記』 岩本太郎

 出版人ライブラリ 2018年2月25日

 

『炎上! 100円ライター始末記』を購入してから5日ほど、寝る前に読んでいたのだけど、とても寝付きが悪かった。適当なところで読むのをやめて眠ろうとしても、つい、先に進んでしまう。ぐんぐんと引っ張られるようにして読み進み、その情景を追体験しているようだった。明かりを消して目を閉じると、彼が見ていたであろう風景が、次々に浮かんできて、それがとてもリアルだったのだ。もちろん、彼とその場にいたというわけではない。同時代の東京の風景が、自分の記憶とも呼応して浮かんできたのだ。

 

読み終えてから考えたのは、「僕は岩本太郎という人については、ほとんどなにも知らなかったな」ということだった。著者略歴をみると岩本さんは僕よりも2歳年下なので、彼が上京してきた頃、僕は大学を卒業して研究室の臨時職員として働いていた。今でいうなら「ティーチング・アシスタント」だろうか。その後は映像系専門学校の教員になり、学校では同じ部署にデザイン科・美術科もあったことで、岩本さんが文章を書いていたという「宣伝会議」や「創」「マスコミ就職読本」など、おそらくその頃に何度か手にとっていたはずだ。岩本さんと同じように、僕もいわゆる「バブル期」の恩恵というものには無縁だった。それでも、当時は終電を逃すと主要な駅ではタクシー待ちに長蛇の列が出来ていて、路上では、空車を駅に行く前に争奪しようと1万円札を数枚持って振っている男を見たことがある。僕にとってはマスコミもまた、バブルの象徴だったし、出版やデザイン・広告写真は憧れの業種だった。当時の大手企業のCMなどを手掛けた映像プロダクションも巨額の制作費を誇っていた。そんな時代を横目で見て過ごしていた。岩本さんは、その頃のマスコミの状況を俯瞰してみているような人だったのだな、と思う。オウムやアレフの取材については、どこかで話を聞いていたと思う。また、「八ヶ岳山麓奇譚——白装束に会いに行く」で書かれている「パナウエーブ研究所」の騒動は、当時のテレビ映像をはっきりと覚えている。そんな渦中でインタビューを試みていたんだな、とあの頃の映像を思い出していた。

 

僕が岩本さんと初めて会ったのは、日本ビクターが東京ビデオフェスティバル(TVF)の継続を断念し、NPO法人主催に移行するかどうかが話し合われていた頃だと思う。TVFの事務局だった牛頭さんが、岩本さんとの食事に誘ってくれた。岩本さんはそれまでにもTVFのことを取材して、幾つかの媒体に書いていてくれたのだと記憶している。その頃というのは、NPOなどが主催する小さなメディアや、WEB媒体などで個人が発信する仕組みが整いつつあった2007年ころだと思う。その後、「NPO法人市民がつくる」が発足するころには何度か、NPOのあり方について相談もしていたし、当初はその運営にも関わってもらっていた。本書に書かれているように、岩本さんが体調が悪くなっていく、少し前だ。「岩本さんは体調が悪いらしい」という話を聞いたのも牛頭さんからだった。我々のNPOもスタートしてのはいいけれども、協賛や支援をしてくれる会社を探しても、全くうまく行かなかった時期だ。各所への助成金申請もことごとくダメだった。日本ビクターもケンウッドとの合併吸収で社名は変わり、JVCブランドが残った。そんな時期が岩本さんの不調な時期とも重なっている。

 

それでも、岩本さんが「週刊金曜日」に連載していた記事は毎回楽しみにして読んでいたし、TVFも、僕が主催している「無礼講」という上映会も記事にしてくれたことがあった。「週刊金曜日」では、出版業界の動向や各地のインディペンデント・メディアの動向を伝えてくれていた一方で、国会前や大久保界隈のヘイトスピーチの現場から、ライブ配信で映像を伝えていたのも彼だった。元気そうだな、とも思ったが、きわどいところばかり歩いているようで、心配でもあった。

 

ともあれ、本書を読んで、岩本太郎の勢いのある文章をまとめて読むことができたことは、とても嬉しかった。文章が刃物のように刺さるような側面もあり、一方で、バックパッカー旅行記のような、珍道中を綴るとぼけた文章もある。岩本太郎の文章は、本当に面白い。一番近いところでは、「メディアクリティーク」(発行所:株式会社出版人)2018年2月15日付けで、「“無差別級”の映像祭「TVF」が今年ついに40周年」と題して書いてくれている。これまでの経緯との性格を的確にまとめてくれている。

2017.09.24 Sunday

早合点しないこと、立ち止まって少しだけでも考える時間を作ること。

『窓をひろげて考えよう』 下村健一・著 

かもがわ出版 2017年7月24日

 

毎日のように北朝鮮のことが報じられている。戦争になるのでは、と危機感を煽られる日々が続く。メディアはアメリカ大統領と北朝鮮の指導者の挑発合戦を報じ続けている。日本はどうなるのだろうか? ミサイル防衛システムは必要なのだろうか?

こんなことを考えているのは、子どもたちではなく、むしろニュースをよく見る大人たちだ。今、この本に書かれていることは、大人たちへのメッセージでもある。

 

本書のテーマを短くまとめるとこうだろうか。

「見聞きしたことを早合点しないこと。その早合点で他の人を間違いに巻き込んだり、傷つけたりしないこと。そして自分も守ること。そのために日頃からトレーニングをしよう。」

 

下村健一さんの新しい著書は、絵本の体裁をとっているが、幼児向けの本ではない。小学校の高学年を読者として想定しているそうだが、中・高校生でも、あるいは大人でも、あらためて気付かされることが多いだろう。われわれも、つい、情報の読み違いや、その不用意な拡散をしてしまっていることがあるはずだ。

絵本の体裁は、タイトルにもある「窓」を効果的に見せる方法でもある。「窓」を通した見え方を提示して、ページをめくると窓の外の世界が見える。切り抜かれた窓は、テレビの枠でもあり、スマートホンの表示画面でもある。こうした仕掛けは、手に取るととても楽しい。僕は個人的に絵本を楽しんでいるほうの大人だと思う。板橋区立美術館が毎年開催する「ボローニャ国際絵本展」の原画展を見に行くことがあるからだ。開催時期には絵本も多く揃えられ、それらを眺めているととても楽しい。同時に、絵本は子どもたち向けだけではないこともわかる。昔話や各地の教訓譚の類だけではなく、現代的なエピソードも巧みに取り込まれている。この『窓もひろげて考えよう』も、現実に起こった事件やエピソードをベースに8つのケースを使って、それぞれの「早合点」の起こり方を説明している。

例えば「体験3 動物園からワニがにげた!」では、窓を外したページの囲みで、2016年に熊本地震の際に広がった「ライオンが逃げた」というデマを紹介している。「体験4 両国の関係、ちょっと心配、、、」では、首脳会談やサミットでどの瞬間を捉えて伝えるかという恣意的な選択が説明されている。この種の切り取りは、現在の米朝の緊張関係を伝えるときにも、お互いの怒った顔ばかりが報じられるし、警察に捕まった犯人の顔はいつでも凶悪そうな写真が使われる。あるいは「体験8 犯人はこいつに決まってる!」では、松本サリン事件の誤報をベースにしている。この騒ぎは報道被害にも発展した。新聞やテレビが他社のスクープに反応し、情報を検証せずに即応したために過剰な報道合戦となった例だ。

 

8つのケースで共通して扱われているのは、「枠」と「スピード」の問題だ。「枠」は、具体的にはテレビやパソコン、スマートホンの「フレーム」だ。フレームは視野を枠で切り取ることで見える「枠」と、思い込みや勘違い、あるいは差別意識などの、いわば「心的な枠」も想定される。更には、メディアにとっての様々な枠は「スピード」にも関係する。テレビの番組という枠、その中でVTRが何秒以内という時間の枠、新聞や雑誌であれば、文字通りの紙面の枠であり、月刊、週刊、日刊といった出版体制の枠組みや、WEBサイトの枠でもある。「スピード」は、情報の伝達速度であり、速報性や即応性といった、情報に対する反応のスピードである。SNSの速報性には、つい受け取った側も、急いで反応して誰かに伝えようとしてしまう。即応性は必要なときもあるがとても危険なときもある。

 

「枠」と「スピード」の両方に対して、少しだけ立ち止まって考えてみること。見方を少し変えること。それは伝えた人の立場を考えたり、伝え方の視点を変えてみたり、伝えられた側の読み取り方を想定してみたりする、そんな時間をつくるということだ。「慌てないこと、見えている窓を固めないこと、その窓を少しでも広げてみる」ということを、本書は教えている。

2015.05.30 Saturday

10代だけではなく50代の僕も心あたりがある

 

10代からの情報キャッチボール入門』 下村健一

岩波書店 2015424日 発行


10代からの〜」という本書は50代の僕にも思い当たることがずいぶんとあり、一気に読んでしまった。僕が担当している映像の授業の冒頭でも本書を紹介した。ある大学では、受講者が少人数なので、現物を授業時間に回して見てもらっていた。「知りたくもない情報まで見れてしまうSNSにここ最近うんざりするばかりで、スマホを投げたい気分になることもありました。この小さな画面にとらわれていると、ある意味盲目になるのだなと。」とは、ある学生のコメントだった。20代でも30代でもSNSの取り扱いには苦労している人は多いだろう。むしろ自制して上手に付き合っている人のほうが少ないかもしれない。

 

情報キャッチボールのグローブやバットに相当するのはスマホで、ボールはLineやツイッター、フェイス・ブックといったSNSのためのアプリケーションから投げ込まれてくる。そして同じ方法を使って投げ返す。キャッチボールは相手の立ち位置と距離を確認して、そこに届くように投げるけれども、情報というボールは大きさもスピードも数もさまざまだし、受け取る相手も無数に広がるし、投げてくる人も時には誰だかわからない。どこから飛んでくるのかさえわからない。硬いのか柔らかいのか、本物か偽物かさえ解らない。そんなボールを受け取って投げ返すには、神業のような技術が必要だと思ってしまう。

 

もちろん本書は、スマホ・ゼロを提唱しているわけではない。これほど複雑に見える情報のキャッチボールを、ひとつひとつ段階的に丁寧に考えていけば、少しずつ相手の立場が見えてくるし、ボールの行方や数も限定的になってくる。手にしている道具ときちんと向き合って、キャッチボールが少しでも上手になるための手引である。とっさに反応する前に、少し考える事、これだけでもスッテプがひとつ上がることを伝えている。子供の頃「食事の仕方」や「道の歩き方」を身につけたように、情報のキャッチボールも「何でも口に入れてはいけない」「道に飛び出してはいけない」ということから始まる。

 

僕はこの手のツールは、FBだけを使っているが、自分の意見を投稿したり、他の人の意見にコメントしたりしてから「しまった」と思ったことが何度かある。「これを見て気を悪くしたんじゃないか」とか、「余計なことを書いたために、都合の悪いことが他の人にも知られてしまったかな」などと後悔して、投稿やコメントを削除したりしたこともある。50代でもそういう失敗はあるから、多感な時期にたくさんの言葉をやりとりしている10代ならば、そのリスクも大きいはずだ。

 

本書は「君は、〜」という問いかけで進行する。もしも君がLineでこんなメッセージを受け取ったら? という一貫したスタイルはとてもわかりやすく身近な問題提起だと感じる。事実、身近に幾つもの似たような問題が発生している。下村さんは、本人が事実誤認の被害者になってケースをまず紹介している。「ある市議のブログに書かれた下村の『正体』」の項では、「ここでは書けないような破廉恥事件」の当事者にされ、「愛人に訴えられ」「長期謹慎処分を受けていたイメージが、フラッシュバックするのです。」と書かれたことを例示する。テレビ番組で性犯罪被害者の裁判について、下村さんの取材が放送された1時間後に、それを見た市議が下村さんへの不信感を覚えて自分のブログに書き込んだそうだ。市議のコメントに対する読者からの疑問の提示、それに対する市議の書き込み、さらに反省と謝罪の書き込み、を時系列で紹介する。しかし、反省や謝罪があったからといって一見落着ではなくて、謝罪までの経緯をすべての人がたどったわけではないことも付け加えている。こうした丁寧な例示は、次項の「情報をしっかり受け取るための4つのギモン」、「情報をしっかり届けるための4つのジモン」を説明するための具体的な材料になっている。

 

若い人がSNSとの付き合い方に悩んだり、友人関係や家族関係でトラブルを抱えていたりしていたら、ぜひ読んでほしいと思う。気持ちが少し楽になって、次の情報が届く時の心構えになるだろうし、自分が何かを書こうとした時にその言葉が届いた後のことを想像できるようになるだろう。そしてこれは若い人だけの問題ではないな。こうして書いている時に、422日に爆発事故があった「三井化学大竹工場で劣化ウラン弾の弾頭を製造して、米軍海兵隊岩国基地に供給している」というFBの投稿があった。投稿者は「未確認の情報だけれども、記事ネタとして」と断り書きをしている。「本当かな? でも、立地的にもありえそうだ。」と思ってしまう記事だ。今も、次々にこうした情報やコメントがが届いている。

この本は、5月23日に「NPO・市民がつくるTVF」の年次総会が行われた時、ご本人から頂戴した。もちろん頂戴したから紹介しているわけではない。本当にわかりやすくて誰かに教えたくなった。

下村さん、ためになる本をありがとうございました。

2015.03.01 Sunday

我々はいったいどのくらい「電気代ではない電気代」を払っていたのだろうか?

 

『原発利権を追う 電力をめぐるカネと権力の構造』

朝日新聞特別報道部 朝日新聞出版 2014930日発行

 

 『原発利権を追う 電力をめぐるカネと権力の構造』(朝日新聞特別報道部 2014930日刊)は、今の日本に本格的に絶望したい人におすすめの本です。原発にかかわる幾つもの「なぜ?」は、単純にひとつの理由によるものです。本書の冒頭からそれは解き明かされます。「なぜ、再稼働は九電からなのか?」。この章で説明されている、政治家と官僚と九電(と地元の経済界)との強固な関係が原発をめぐる構造の基本です。麻生太郎と九電との関係に始まり、県知事、市長、町長への九電による選挙応援、原発建設をめぐる大手ゼネコン、準大手ゼネコン、下請けの地元建設会社から孫受けまでの序列は、「そういうことなら、公共事業にはつきものだ」と思うことでしょう。しかし、本書で明らかになったのは、福島原発事故後に元電力会社の重役や建設会社の社長、地元の同意を得るために動いた汚れ仕事をしてきた人たちの証言です。金権政治は日本のお家芸のように思っていましたが、ここまでひどいことが起こっていたのかと、本格的に絶望しました。

最終章の「関電の裏面史」では、関西電力元副社長・内藤千百里(ちもり)の証言があります。1962年から25年間政治家担当として、政・官・電の強固なスクラムを築き支え続けた裏の実力者だったと書かれています。内藤氏は、1967年に美浜原発1号機が完成した後から、歴代の総理大臣には、盆・暮れに1000万円ずつの現金を持参し、見返りを求めない寄付として渡していたそうです。年間20億円ほどのこうした寄付金をランク付けした議員たちに渡し、議員や首長たちの様々な要求にも対応していたといいます。もちろん、全部電気代として集めた金です。

こういう構造は関電に限ったことではなく、中部電力でも、もちろん東京電力でもしっかりと組織に組み込まれているそうです。もともと関電が中央の政治家たちに献金や寄付を活発化させたのは、東電と政府、経済界との近い関係を妬み、関西にも目を向けてもらえるように関西の財界と一丸となって取り組んだ成果なのだそうです。膨大な資金源になっているのは、ひとつは1千億円規模の建設を受注したいゼネコンや、準大手、地元の建設会社から「ご自由にお使い下さい」と電力会社幹部に手渡されるカネ。政治家への献金はこうした建設会社に用意させたり、電力会社には「電気代」という無限に徴収できる「あぶく銭」があるため、いくらでも用意出来たのだそうです。日比谷にある東電本社には、政治家からのパーティー券購入の依頼を受ける専門の窓口もあり、政治資金規正法の範囲内で20万円以内の振り分けて、関連会社に購入させるといういう構造があるのだそうです。そしてその金額は、経済産業大臣などの電力事業関連省庁の大臣が最も値段が高く、以下の序列は影響力によって決められているそうです。60万円とかもらっている大臣は、ほぼ相手にされていないような人たちだから、情報がリークするんでしょうね。膨大な金をもらっている人たちの情報ほど、出てこない。それは電力会社の存亡に関わるからです。

福島第一原発の関連では、原発の増設の見返りとして、地元にサッカーのナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」の建設と合わせて、エルミタージュ美術館の別館を建設する計画もあったといいます。これは驚きました。ロシア側に別館建設の保証金としてゼネコンに準備させた5億円を渡し、その後この計画は頓挫したため、5億円はタダのロシアへの寄付になったそうです。

政治家への献金もゼネコンが準備したカネも、地元にばら撒いた寄付金も、結局は原発建設にかかる費用ですから、「電気代」として徴収した金です。我々はいったいどれだけの「電気代ではない電気代」を支払ってきたんでしょうか?

201531日の今、国会では安倍政権の閣僚が政治家への献金をめぐる問題で追求され続けています。重要な審議事項がたくさんあるのに、毎日のように「政治とカネ」の問題で、少しも前に進みませんね。政治とカネの問題はきちんと追求するべき問題です。昨日、民主党の議員が「安倍政権の構造的な問題ではないか?」と詰問し、安部総理は「そういう決めつけが失礼だ」と顔を歪めて反論していました。こういう問題は安倍政権にかぎらず、明らかに「構造的な問題」です。そのことが本書ではよく分かります。また、昨夜は「朝まで生テレビ」の討論で「原発の再稼働」がテーマでした。多くの人が反対しているのに、なぜそんなに再稼働したがるのか? コレもこの本でよく分かります。つまり、膨大な利権(カネ)によって動いているだけなのですね。

 

【目次】

1章 九電王国・支配の構造

なぜ、再稼動は「九電」からなのか?

県知事と近い"九電

徹底的な「地元支配」の仕組み

原発城下町、川内

 

2章 立地のまちへ

むつ市を中間貯蔵施設

3.11後、語りだした影たち

証言を求め、再取材

明らかになったむつ市長の秘密

 

3章 東電OBの告白

「もう、ウソをつきたくない」

「土砂処理事業」の不透明なカネ

東電退職後、白川氏のもとへ

 

4章 ゼネコンの内幕

幻の福島のエルミタージュ美術館

佐藤知事と東電の仲をとりもつ

クレーム処置もゼネコンが肩代わり

 

5章 東電総務部の実態

東電本店3階の政界窓口

●“総務部天下"の東電史

政官電の三角関係

 

6章 中部電の裏金システム

引き継がれてきた裏金の伝統

工面したカネの使い道

やがて、最深部"の中央政界へ

 

7章 「関電の裏面史」

戦後電力史の裏側

長い、長い告白

芦原会長との二人三脚の日々

2014.03.07 Friday

僕は鞍手高校出身なのに、こんなことも知らなかった

 

『上野英信の肖像』 岡友幸 海鳥社 19891114日発行

 

テレビの報道にうんざりした時など、今の世間とはかけ離れたテーマの本が読みたくなる。こうして「買ったけど読んでいなかった本」を時々、手に取る。

 

上野英信の名前を初めて聞いたのは、同郷の記録映画プロデューサー・川井田さんと話をしていた時だった。僕は筑豊地区の高校を卒業していたのに、上野英信の名前に聞き覚えがなかった。高校時代には、どこかでその名を耳にしていたかもしれないけれども、僕の中のどこにも残ってはいなかった。川井田さんとの会話の中で、きっと「恥ずかしい」と思ったのだろう。福岡の書店でこの本を買い求めた。それでも、すぐに読み始めなかったのは、きっとその時には、別の方向に興味が向いていたんだと思う。こうしてふと、特に決意があったわけでもなくこの本を取り出して読むと、読書というのは偶然のタイミングが面白いのだと、あらためて思う。そして結局は、離れたいと思っていた今の問題と繋がっていく。

 

この本は、上野英信の生き方を知るとてもいい入門書だと思う。写真資料がとても豊富で、その時々の様子が想像できる。文章が少ないので、概要という印象はあるけれども、その概要の作り方に、上野と同じ時間を過ごしたことがある著者の愛着が感じられる。上野の足跡をたどった前半は、その生い立ちから炭鉱労働者になるまでが記されている。福岡県八幡市(現北九州市)黒崎に生まれた上野は、八幡中学を卒業して旧満州国建国大学に入学するが、在学中に学徒招集を受ける。熊本に転属され、広島での被曝も経験している。敗戦後は京都大学に編入し、中国文学を専攻するが、中退して炭鉱に赴く。19481月から1953年まで、いくつかの炭鉱に移りながら鉱夫を続けている。

「労働と文学」の項からは、その次代の上野の文章が引用され、鉱夫をやめる経緯や、様々な労働者との出会いがきされている。その背景には朝鮮戦争の終結と戦争特需から深刻な不景気への転落、レッドパージ、労働闘争、閉山など大きく揺れ動いた時代が映し出される。炭鉱を処分退職させられた上野は、直後からガリ版刷りの「地下戦線」の制作に取り組み、「筑豊文庫」の設立へと繋がっていく。この頃の「筑豊文庫」の様子も掲載された写真で窺い知ることが出来る。ここを訪れた作家の写真には若き日の石牟礼道子の姿がある。上野が「水俣」に共鳴し、さらに、国策でもあった移民政策(上野は棄民という)で南米に移住した労働者たちを追い、南米で出会った沖縄からの移民の事情にうたれ、やがて沖縄を訪ねる。『眉屋私記』が出版されるのが1984年。1987年に亡くなるまで、その続編に取り組んでいたのだという。『眉屋私記』のことは、記録映画『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』(2007年)を作った波多野哲朗さんからも聞いていた。沖縄からの移民は、事情がさらに複雑で、1世の移住は約80年前に遡る。波多野さんの映画では戦中に投獄された「パノプティコン式刑務所」を見ることが出来る。

 

この本の終りの部分で、炭鉱労働者であり、夥しい炭鉱画を残した山本作兵衛さんととの交流が記されている。大酒飲みだったという作兵衛さんは、晩年には病に苦しみながら、入院を「自殺」と言って忌み嫌っていた。しかし、息子夫婦の同居の誘いを断るために、意を決して入院した。自分が手に入れた小さな土地で死にたい。そのためには病を直さなければならないというのが理由だったのだという。作兵衛さんの人柄を表した美しいエピソードだ。

筑豊〜広島〜水俣〜南米〜沖縄へとつながった上野英信の足跡を概観し、自分が概観するのはあまりにも失礼なことなのだなと、早速上野の著作を検索している。

 

自宅を兼ねて「筑豊文庫」が置かれた鞍手郡鞍手町新延には、現在はその跡地に上野の長男・朱さんの自宅があるという。このあたりに住む自分の同級生もいたのではないかと思う。次回は是非とも訪れてみようと思う。

2014.02.15 Saturday

今、この時期に読み返した『思想検事』に、何か予言的な気配を感じてしまう。

 

『思想検事』 萩野富士夫

岩波新書 2000920日 発行

20131010日〜20131017日 読了

 

201310月に読み終えた本だったが、最近の安倍晋三の暴走が気になって、また読み返してみた。戦前の治安維持法成立の過程と改正の過程、戦時下に入っての戦時治安立法へとエスカレートしていく過程を見ていると、この国は70年前にこうした前例を作っているのだと、心に留める必要がある。

 

戦前の治安体制の主軸が内務省の特高警察であったことはよく知られている。その弾圧の象徴は小林多喜二の拷問による獄死であろう。この本は司法部による「思想司法」の経緯を明らかにしている。

序文に「司法省・裁判所は、治安維持法の成立と二度の『改正』を分担ないし主導する一方で、同法を始めとする治安諸法令を運用して、『思想司法』と呼ぶべき機能を創出した。その運用の実質的な主体となったのが『思想検察』であり、その機能を人的に体現したのが『思想検察』(正式には『思想係検事』。一般には『思想検事』がもちいられる)であった。」とある。

特高警察が検挙・取り調べを行い、検察に送検される。検察は取り調べを経て起訴あるいは不起訴といった手続きを行い、起訴されれば公判となる。治安維持法による検挙は国内と植民地朝鮮で行われ、国内で総数68,000人、送検されたもの17,000人、起訴処分6,600人とあり、起訴後の公判ではほとんどが有罪判決であったという。朝鮮では起訴率が高く、有罪者数はほぼ同数であったという。1936年から実施された思想犯保護観察制度の適用は5,300(446月まで)41年から実施された予防拘禁制度の該当者は65人(455月まで)とあり、朝鮮では4,100人と89人と記されている。

特高警察は最大時で9,000人、思想検事は最大時でも79人であった。組織の大きさで言えば特高警察が上回っていたことは明らかだが、治安維持法の立案・制定、改正を行い、治安維持法の拡張解釈の論理を開発し、大きな力を示した思想検事は同法の両輪と言われている。

 

司法権力による抑圧の画期として、足尾鉱毒事件が挙げられている。被害農民が請願のため上京する際に警察隊とぶつかった「川俣事件」では、「兇徒聚衆罪(きょうとしゅうしゅうざい)」が適用された。その後、大杉栄や荒畑寒村が警官隊と衝突した「赤旗事件」(1908年)、1910年の明治天皇暗殺計画容疑による「大逆事件」で加速する。幸徳秋水ら24人が死刑判決がくだされた。「大逆事件」が社会主義者・無政府主義者を狙い撃ちした裁判であったことは言うまでもない。この時の大審院次席検事が平沼騏一郎だった。その後検事総長となる平沼、鈴木喜三郎、小山松吉が検察権を大きな権力へと押し上げていく。特に平沼―鈴木ラインが、田中義一内閣での思想検察創設の土壌を作った。その後、社会主義思想の急速な広まりを恐れた政府は、「川俣事件」での農民の直接行動や「大逆事件」での爆発物取り締まりといった、具体的な行動に対する検挙から、「危険思想」への取り締まりへと移行していく。それらは行動ではなく、新聞・雑誌を通じた「危険思想」の流布に対する出版法違反、社会主義思想の研究活動にも及んでいく。

 

19254月に治安維持法が成立・公布される。その国内初の適用が261月の「京都学連事件」であった。「社会科学研究会と共産主義者との関係」が38人の逮捕者につながった。治安維持法の本格的な発動は、1928年の日本共産党に対する3.15大弾圧である。検挙者約1,600人、起訴は488人にのぼった。検察には思想部が準備され、思想の専門家が配置されることになる。「3.15事件」から加速する大量検挙は、「威嚇」を目的としていたことは言うまでもない。「牛刀を持って鶏を割く」とは正に当時の検挙の様子を言い当てており、検挙に対する起訴率は運用から20年でやく5%と極めて低い。さらに有罪判決後の執行猶予率も5075%と高く、この時期の弾圧は、危険思想の拡大を防ぐための予備的検挙の意向が強い。この頃の目標が早期検挙と教化善導であることは間違いない。思想検察による要望でも、検挙はするが、起訴猶予又は処分保留とし転向を促すように指示されている。

 

19365月には「思想犯保護観察法」が成立する。この法律の対象は、起訴猶予者、執行猶予者、仮釈放者、満期釈放者であったが、もう一つの目的は「予防拘束」を可能にし、さらに威嚇の度合いを高めることだった。もちろん表向きに強調されたのは「保護指導」であるが、マルクス主義から脱していく度合いを5段階で設定するなど、明らかな思想統制と弾圧、共産主義思想の放棄と運動からの離脱を転向の着地点としていた。京大教授で経済学者の河上肇は、懲役7年を満期まで投獄されている。戸沢重雄検事の執拗な転向攻勢に耐え、出獄後も保護観察処分が続いた。定期的な出頭や移動の自由も制限された。マルクス主義に対する極端な敵対は、もちろん、川上意外にも及んだが、転向攻勢も成果をあげていた。

 

面白いことに、大量検挙が進むと、検挙すべき対象者が枯渇しかねない事態が起こった。特高も検察もその権力を維持するためには、一定の検挙者数を維持しなければならないし、数字が下がれば存在意義が希薄化し、予算や組織の規模を縮小させられる。そのため、検挙の対象が宗教団体などに及んでいった。出口王仁三郎の大本教、天理教から離れ自ら勢力を伸ばした大西愛治郎、灯台社(エホバの証人日本支部)を作った明石順三、ひとのみち教(戦後のPL教団)を作った御木徳一らが、治安維持法違反、不敬罪、国体信念の撹乱などを理由に弾圧されている。新興宗教からの検挙者は1,509人、起訴は388人(19436月まで)に及んだ。

 

1941年以降は、治安維持法は戦時治安立法に姿を変え、より強大な権力を得ることになる。横浜事件に見られるように「反国家的思想」の一掃を掲げた司法の態度は30年代の比ではなく、厳罰化、重罪化していく。細川嘉六の出版記念会を「共産党再建準備会」と決めつけ、関係者60人を検挙した。その尋問の際には「貴様達がしていることは共産主義の宣伝ではないか。貴様達はそれでも日本人か。」と一喝したという。戦時中から敗戦が濃厚となった末期にかけての動向は、他にも多くの資料がある。

 

194510月にはGHQによる「人権指令」が日本政府に対して発せられた。戦前からの治安体制を解体し、民主化に向けた占領政策を遂行するためだった。その結果、特高関係者の約半数(4990人)が罷免されたが、思想検事の機能廃止は明記されておらず、司法省による自主的な廃止という形になり、罷免も免れる。GHQによる「思想司法」の認識は低く、特高の目立った活動の影に隠れた形になったといえる。

 

本書は「結び」で、実際に治安維持法裁判を体験した久野収の言葉を引用している。「国宝にふれたという嫌疑をかけられることは、倫理的には悪人、ひとでなし、信仰上からは罪人、非国民、はなはだしい場合、公敵、売国奴になってしまう。人でなし非国民や公敵にはおなさけに『法の正当な手続き』を適用してやっているのだ気持ちが裁判官を支配し、同時に裁判官を法における正義の擁護者であるよりも、倫理上の善悪の審判官、正当な国家信仰の護持者としての迷惑きわまる使命感にもえあがらせることになります。司法官の意識の中で、法律的存在の有無と道徳的善悪、信仰上の正邪が混同される結果、司法権の独立は司法官の意識の中で腐蝕されてしまい、結果として行政権からの独立がおかされてしまった。」

 

安倍晋三の暴走に危機感を抱くのは、日本は70年ほど前にこうした前例を作っているからなのだ。

2014.01.26 Sunday

寝る前に楽しむ漢字のおもしろさ

 

『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい』

小山鉄郎 白川静(監修) 共同通信社 20061220日発行


購入したのはしばらく前だったけれども、寝床に入って読めそうな本を選んでいて、ふと、この本を読むことにした。やはり、眠る前に厳しい本を読んでいると、夢の中で反芻してしまいそうな気がしたからだ。

表題の通り、たしかに楽しい。同時に人の死やその儀式に関係した文字が多いことにあらためて気がついた。あたりまえのことだが、表意文字は日常の情景を写しとる。そこに見える生活や思想、儀式の様子を想像できる愉しみを知った。

「右」「左」の「ナ」の部分は「手」の形を意味していたことから始まり、「口」は祝詞を入れる箱を意味し、「左」の中の「I」は呪具であったなど、儀式の様子から生まれた文字なのだそうだ。「止」は「足」の形から派生したこと、「降」や「陟」「除」などの「阝」は神が登り降りする階段を意味して、など、読み進むとどんどん楽しくなる。

「亻」がヒトの形であったことは解っていても、「彳」は二人で並んでいる様子、「北」は背中合わせの二人、「久」がヒトの死体を模していたことなどは知らなかった。

また「臣」は目を指で傷つける様を写し、視力を失って神に使えた人を意味するのだという。その中でも優れた才能を持った人が「賢」だったそうだ。

「犬」の項も面白い。「伏」は人と犬を一緒に埋葬している形で、「然」は犬の肉を火で燃やして、神に捧げている様子を写している。また、「戻」は元々は「犬」の文字だったそうで、無意味に字体を改めたことで、本来の意味がわからなくなった例でもある。「戻」は家の戸口に生贄の犬を埋めて、地中の悪霊を祓う習わしを意味している。「伏」の犬も悪霊を祓うという意味だったそうだ。「就」は城門の落成式の際に犬の血を書けて清めている様子なのだそうだ。

学校の卒業制作展をよく「卒展」と略しているが、「卒」は死者の衣の襟元を合わせた形、「展」はそこに悪霊が入り込まないように呪具の「I」を4つ置いた形なのだそうだ。「展」は死体をあらためる、しらべることが元の意味だった。これには驚いた。

 

楽しい本だった。続いて『字統』や『漢字百話』を読んでみるかな。

2013.09.16 Monday

『水俣学』への最良の入門書だと思う。

 

『よかたい先生』水俣から世界を見続けた医師ー原田正純

文・絵:三枝三七子 学研 2013813日発行


916日は首都圏を台風が通過して、警戒警報も出されたので大学が休講になり、先日届いたこの本を一気に読み終えた。

『水俣学』への最良の入門書だと思う。原田正純先生の言葉と著者の補足で構成され、章末の注釈や年表などもわかりやすい。小学校の高学年からなら、充分に理解できる内容だろうと思うし、むしろ児童や生徒たちに読んで欲しい。読み仮名も丁寧にふられている。

 

著者と原田先生との出会いのプロローグで、「どうして先生は、いつも患者さんの側に立つことだけを考えて行動できたのか、教えていただきたくて東京から来てしまいました。」という著者の素朴な疑問に答える形で「そんなら、ぼくのこどものころからの話をせんならんね、、、、、、」と、第1章に導かれる。戦争中の体験や医者になるまでの経緯などは、これまでに読んできた原田先生の著作にはなかったと思う。空襲で亡くなった母親の事、逃げ込もうとした山で、守ってくれると思っていた憲兵に追い返されたこと、農家の人に兄弟で救われたこと、軍医として敗戦を迎え南方から戻り、開業医となった父親を見ていたこと、など初めて知ったことだった。

2章からの水俣病との出会いとその後の経緯は、他の本でも概ね知っていたことだが、第4章の「川本輝夫さんのこと」の項は、とても活き活きと描かれている気がした。川本さんの素朴な問いが、原田先生に幾つもの発見をさせる。「先生、死んだ人の診断はできんとですか?」「海はつながって魚は自由に泳いどるのに、なんで対岸の天草には患者が出よらんとですか?」などと患者の家を訪ねる道で問いかけられたという。そして何人もの患者の家を案内し、「こん家のじいちゃんはしょっちゅう貝ば食べとった」などの生活状況を教えてくれたという。川本さんも水俣病の症状を発症していたし、その体で天草の小島を回り、多くの患者を発掘し、市議会議員まで務め、「水俣の風景を負の世界遺産」にしようと主張した人だ。

 

この本の原田先生の言葉もまた、平易な言葉だが深く心を打つ。幾つもあるのだが、例えば熊本大学で「患者をコントロールしとる」とか「政治的な動きをするな」とか「医者なのに公平さ、中立さを欠く」などと中傷された時の反論は「でも、公平・中立というのは、両者の立場が同じくらいであるときにだけ、真ん中にいることが、公平だろうし中立といえると思うの。水俣病事件の場合は、患者さんたちのほうが、どう見ても社会的にも経済的にも立場が弱い。それなら弱い方に立たんと公平ではない、と僕は思っとる。」という医師の表明だった。しびれるほど素敵な考え方だ。さらにカナダで水俣病患者を診断し、先住民が差別されている現状を見た時には「ぼくはね、このカナダで、水俣とは別のことを見つけた。水俣では公害の起きたところに、差別が生まれるのだとおもっていたけれど、ちがうね。もともと差別があるところに公害が起きる、もしくは起こされていると思った。権利を主張できない人、声の小さい者、教育にも恵まれず、社会的にも弱い人々は犠牲にしてもいいと思っているんだ。だから、平気で毒物を流し、彼らの存在を無視して、ひどいことができるんだ。」と語っている。

 

原田先生の念願のひとつが『水俣学』の開講だった。熊本大学では一切「水俣」についての講義は出来なかったと振り返り、その機会を与えてくれたのが熊本学園大学の花田昌宣先生だった。熊本学園大学には医学部はなく、社会福祉の範疇で『水俣学』を始めた。これは現在までに5集が刊行されている。医者や法律の専門家、学者などはもちろん、漁師や患者、チッソの元労働者、ケースワーカーなどが、実体験に基づいたお話をする。『水俣学』は医学にとどまらない広大なフィールドを問題にした学問になろうとしている。

 

最後になったけれども、表紙にあるような、三枝三七子さんの素敵な絵が各章の話題に合わせて配置されている。話題の殆どは厳しい、辛い話なのだが、幾つもの絵が時々陽射しの中にいるような気持ちにさせてくれる。三枝さんの絵本『水俣の木』もぜひ読んでみようと思う。

 

2012611日に原田先生は亡くなられた。

僕が直接お会いしてご挨拶をしたのは、たった1度だけだったが、お会いできた時のことを今でも嬉しく想い出す。

2013.09.15 Sunday

日本人の土着の精神性に、つい嬉しくなる『葬式』

 

『葬式 あの世への民俗』 須藤功 青弓社

1996319日 初版発行 19979114

 

タイトルが持つ一般的な訴求力という意味では、最低ランクの書名だと思うけれども、この類の本を読むのが好きだ。もちろん「葬式」の段取りやマナーを記した実用書ではない。映画『お葬式』のような、現代社会との奇妙なズレをコミカルに描いたエッセイでもない。とても真面目な、ためになる本だった。何がタメになるのかは解らない。だけど、読後感がとても充実していた。民俗学の本というよりは、姫田忠義さんや松川八洲雄さんの記録映画を観たあとのような気持ちになった。

 

日本の習俗をめぐる民俗学では、柳田国男や折口信夫、あるいは宮田登や網野善彦といった学術的な範疇の周囲に、より、民衆に寄り添った視点で、様々な儀式や慣習を見つめたものがある。宮本常一の農・漁村を調査したフィールドワークや、赤松啓介による「性風俗・風習」や「非常民」の生活に着眼したもの、さらには本書のように「葬式」や「盆踊り」「祭り」「神事」など、ある特別な儀式に焦点をあてたものがある。

 

著者の須藤功は写真家であり、著書は、日本各地の様々な儀式や生活様式を、その詳細な記述と写真で構成したドキュメントが多い。本書『葬式 あの世への民俗』でも、「まえがき」に記述の意図が記されている。現代の葬儀屋による葬式ではなく、日本の古くからの死者への考え方を残している葬式に着眼した、と。葬儀屋が葬儀を取り仕切るようになるまでは、各地で同じように、葬式組や町内組、隣組によって、その土地の独自の風習を反映した葬式が集落ごとに行なわれていた。それらはもちろん、担当者にとっては大きな負担でもあるから、現在のような葬儀屋の仕事はありがたい。しかし、死者をどのように生活に位置づけ、先祖に遡って弔い続けるのかといった精神的な継承は、概ねそうした近隣の人達による具体的な体験によってなされていた。

 

冒頭の章では「村人の手になる雪国の葬式」として、新潟県山古志村で遭遇した事故とその後の村人の対応が記述されている。診療所の雪上車が来るまで、雪掘りで屋根から落下した人の耳元で「オーイ、オーイ」と叫び続ける人達。その後、遺体とともにすごす家族、立棺での納棺、野辺送りの道順とその意味、埋葬のしきたりなどが写真と共に詳細に記述されている。続く「葬式のしきたりお国風」では、アイヌ・二風谷の死装束と埋葬、岩手県前沢町の夏の葬式では、親族が履物に白紙を結ぶ「シビトゾウリ」の習慣、秋田県鳥海町での白い着物の正装、あるいは宮崎県西都市銀鏡の神葬の様子など、全国の独自の習慣が記されている。

 

「友引が大安につぐ佳き日」という項も興味深かった。現代では「友引」に葬式を出さないが、後に字面でそうなった後付の慣習であるらしい。その部分を引いてみると、以下のように書かれている。

「友引は暦注六曜にある。先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の六つで、六輝ともいわれる。六曜は十四世紀ごろ中国から日本に伝わった。当初は、大安・留連・速喜・赤口・将吉・空亡というものだった。これが国内で名称も順番も変化し、現在の形に近いものになるのは亨保(17161736)のころ、広まるのは天保(18301844)のころからといわれる。

 現在の形に近いというのは、全く同じではないということである。たとえば仏滅は「物滅」とも書き、仏の入寂とは全く無関係だった。

 六曜の解釈にしても、時刻の吉凶占いにかぎられていた。先勝は午前が吉、先負は午後が吉、その間にはさまった友引は、「相打ち友引とて勝負なし」といい、境目の正午だけが凶で午前午後は吉とするものだった。」とあり、大安に続く佳き日で、葬式とも関係がなかったそうだ。また、地方によっては干支による忌避もあるという。近畿地方では丑や卯の日には葬式を出さない地域があるという。「ウカサナル」「ウガサネ」という重なりを嫌ったそうだ。

 

賑やかな沖縄の葬儀も楽しく描写されているし、埼玉県秩父市久那では「ジャランポン祭り」という楽しい葬式祭りがあるという。死者役の人が死装束を付けられ、寺での読経の最中に突然に鉦や太鼓が鳴り響き、死者が復活して賑やかにみんなで行列をして神社に向かうというものだ。

読後に豊かな気持ちになるというのは、こういう日本の精神性がとても微笑ましく感じたからだろう。

2013.08.22 Thursday

日本語ロックを歌う男の、蠢くような日々を観たような気がする

『天沼メガネ節』 吉野 寿 青土社 2013110日発行

 eastern youthというバンドの事を初めて知ったのは2005年だった。その年の春、「浮き球▲ベースボール」の新チームに誘ってもらい、初会合に参加すると、新宿の池林房の隣の席に、ドラムの田森さんがいた。「ロックバンドのドラマーなんです」とチームの椎名誠監督が紹介し、僕は初めてそのバンドの名前を聞いた。それからアルバムを買い求めて聴いてみた。ロックだった。言葉が痛い。ギターの音が、ある時には寒々しく、ある時には激しく叫んでいた。田森さんのドラムは、タイトで切れ味が鋭いが、ナタのような、鈍器のような重量感がある。ライブにも誘っていただいた。渋谷のO-EASTだった。音が「グゥオ〜ン」と唸っていた。僕ははじめPAが低音を鳴らしすぎていて、音が回っているのかと思った。でも、そんなことお構いなしで爆音が次々に襲ってくる。日本語のロックだと思った。2013年の今年は結成25周年ということだ。

 

『天沼メガネ節』はギター&ボーカルの吉野寿さんの言葉集だ。

2006年からブログに綴られた文章を編集したのだという。読み始めた時に、正直、この文章に最後まで付き合いきれるのかな?と思っていた。でも、そこにあったのは日々生きている証拠のような言葉たちだった。飲んだくれた男の言葉。痛飲し、鯨飲し、泥酔し、ドロのような二日酔いから搾り出される言葉。だらしない男の言葉。飲んで凶暴な暴言を吐いただろう男の酔い覚めの反省。何ひとつ参考にならないような男の生き方が、痛くて、僕に滲みる。

「エレキギターと

小さいアンプと

アナログディレイ。

 

それだけあれば十分、戦えます」

 

200881

「渋谷から電車に乗って、

クソガキみたいな女子達に、

「コイツ」呼ばわりされる事によって、

俺は俺の

掛け値のない本当の姿を

改めて思い知る。

 

ありがとう、クソガキみたいな女子達。

おかげで道に迷わんで

歩いていけそうだわ。

 

クソジジイ、空見て帰る。」

 

僕は、共感するとかそういうことではなくて、こんな男の感情を掃いて捨てたいと思いながら、抱きしめたくなる。ロックの言葉はこういうところから生まれてきているのだと思う。

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