2018.03.16 Friday

寝る前に読むと、目が冴えてくる。目を閉じれば、状況が次々に浮かんでくる。

『炎上! 100円ライター始末記』 岩本太郎

 出版人ライブラリ 2018年2月25日

 

『炎上! 100円ライター始末記』を購入してから5日ほど、寝る前に読んでいたのだけど、とても寝付きが悪かった。適当なところで読むのをやめて眠ろうとしても、つい、先に進んでしまう。ぐんぐんと引っ張られるようにして読み進み、その情景を追体験しているようだった。明かりを消して目を閉じると、彼が見ていたであろう風景が、次々に浮かんできて、それがとてもリアルだったのだ。もちろん、彼とその場にいたというわけではない。同時代の東京の風景が、自分の記憶とも呼応して浮かんできたのだ。

 

読み終えてから考えたのは、「僕は岩本太郎という人については、ほとんどなにも知らなかったな」ということだった。著者略歴をみると岩本さんは僕よりも2歳年下なので、彼が上京してきた頃、僕は大学を卒業して研究室の臨時職員として働いていた。今でいうなら「ティーチング・アシスタント」だろうか。その後は映像系専門学校の教員になり、学校では同じ部署にデザイン科・美術科もあったことで、岩本さんが文章を書いていたという「宣伝会議」や「創」「マスコミ就職読本」など、おそらくその頃に何度か手にとっていたはずだ。岩本さんと同じように、僕もいわゆる「バブル期」の恩恵というものには無縁だった。それでも、当時は終電を逃すと主要な駅ではタクシー待ちに長蛇の列が出来ていて、路上では、空車を駅に行く前に争奪しようと1万円札を数枚持って振っている男を見たことがある。僕にとってはマスコミもまた、バブルの象徴だったし、出版やデザイン・広告写真は憧れの業種だった。当時の大手企業のCMなどを手掛けた映像プロダクションも巨額の制作費を誇っていた。そんな時代を横目で見て過ごしていた。岩本さんは、その頃のマスコミの状況を俯瞰してみているような人だったのだな、と思う。オウムやアレフの取材については、どこかで話を聞いていたと思う。また、「八ヶ岳山麓奇譚——白装束に会いに行く」で書かれている「パナウエーブ研究所」の騒動は、当時のテレビ映像をはっきりと覚えている。そんな渦中でインタビューを試みていたんだな、とあの頃の映像を思い出していた。

 

僕が岩本さんと初めて会ったのは、日本ビクターが東京ビデオフェスティバル(TVF)の継続を断念し、NPO法人主催に移行するかどうかが話し合われていた頃だと思う。TVFの事務局だった牛頭さんが、岩本さんとの食事に誘ってくれた。岩本さんはそれまでにもTVFのことを取材して、幾つかの媒体に書いていてくれたのだと記憶している。その頃というのは、NPOなどが主催する小さなメディアや、WEB媒体などで個人が発信する仕組みが整いつつあった2007年ころだと思う。その後、「NPO法人市民がつくる」が発足するころには何度か、NPOのあり方について相談もしていたし、当初はその運営にも関わってもらっていた。本書に書かれているように、岩本さんが体調が悪くなっていく、少し前だ。「岩本さんは体調が悪いらしい」という話を聞いたのも牛頭さんからだった。我々のNPOもスタートしてのはいいけれども、協賛や支援をしてくれる会社を探しても、全くうまく行かなかった時期だ。各所への助成金申請もことごとくダメだった。日本ビクターもケンウッドとの合併吸収で社名は変わり、JVCブランドが残った。そんな時期が岩本さんの不調な時期とも重なっている。

 

それでも、岩本さんが「週刊金曜日」に連載していた記事は毎回楽しみにして読んでいたし、TVFも、僕が主催している「無礼講」という上映会も記事にしてくれたことがあった。「週刊金曜日」では、出版業界の動向や各地のインディペンデント・メディアの動向を伝えてくれていた一方で、国会前や大久保界隈のヘイトスピーチの現場から、ライブ配信で映像を伝えていたのも彼だった。元気そうだな、とも思ったが、きわどいところばかり歩いているようで、心配でもあった。

 

ともあれ、本書を読んで、岩本太郎の勢いのある文章をまとめて読むことができたことは、とても嬉しかった。文章が刃物のように刺さるような側面もあり、一方で、バックパッカー旅行記のような、珍道中を綴るとぼけた文章もある。岩本太郎の文章は、本当に面白い。一番近いところでは、「メディアクリティーク」(発行所:株式会社出版人)2018年2月15日付けで、「“無差別級”の映像祭「TVF」が今年ついに40周年」と題して書いてくれている。これまでの経緯との性格を的確にまとめてくれている。

2017.09.24 Sunday

早合点しないこと、立ち止まって少しだけでも考える時間を作ること。

『窓をひろげて考えよう』 下村健一・著 

かもがわ出版 2017年7月24日

 

毎日のように北朝鮮のことが報じられている。戦争になるのでは、と危機感を煽られる日々が続く。メディアはアメリカ大統領と北朝鮮の指導者の挑発合戦を報じ続けている。日本はどうなるのだろうか? ミサイル防衛システムは必要なのだろうか?

こんなことを考えているのは、子どもたちではなく、むしろニュースをよく見る大人たちだ。今、この本に書かれていることは、大人たちへのメッセージでもある。

 

本書のテーマを短くまとめるとこうだろうか。

「見聞きしたことを早合点しないこと。その早合点で他の人を間違いに巻き込んだり、傷つけたりしないこと。そして自分も守ること。そのために日頃からトレーニングをしよう。」

 

下村健一さんの新しい著書は、絵本の体裁をとっているが、幼児向けの本ではない。小学校の高学年を読者として想定しているそうだが、中・高校生でも、あるいは大人でも、あらためて気付かされることが多いだろう。われわれも、つい、情報の読み違いや、その不用意な拡散をしてしまっていることがあるはずだ。

絵本の体裁は、タイトルにもある「窓」を効果的に見せる方法でもある。「窓」を通した見え方を提示して、ページをめくると窓の外の世界が見える。切り抜かれた窓は、テレビの枠でもあり、スマートホンの表示画面でもある。こうした仕掛けは、手に取るととても楽しい。僕は個人的に絵本を楽しんでいるほうの大人だと思う。板橋区立美術館が毎年開催する「ボローニャ国際絵本展」の原画展を見に行くことがあるからだ。開催時期には絵本も多く揃えられ、それらを眺めているととても楽しい。同時に、絵本は子どもたち向けだけではないこともわかる。昔話や各地の教訓譚の類だけではなく、現代的なエピソードも巧みに取り込まれている。この『窓もひろげて考えよう』も、現実に起こった事件やエピソードをベースに8つのケースを使って、それぞれの「早合点」の起こり方を説明している。

例えば「体験3 動物園からワニがにげた!」では、窓を外したページの囲みで、2016年に熊本地震の際に広がった「ライオンが逃げた」というデマを紹介している。「体験4 両国の関係、ちょっと心配、、、」では、首脳会談やサミットでどの瞬間を捉えて伝えるかという恣意的な選択が説明されている。この種の切り取りは、現在の米朝の緊張関係を伝えるときにも、お互いの怒った顔ばかりが報じられるし、警察に捕まった犯人の顔はいつでも凶悪そうな写真が使われる。あるいは「体験8 犯人はこいつに決まってる!」では、松本サリン事件の誤報をベースにしている。この騒ぎは報道被害にも発展した。新聞やテレビが他社のスクープに反応し、情報を検証せずに即応したために過剰な報道合戦となった例だ。

 

8つのケースで共通して扱われているのは、「枠」と「スピード」の問題だ。「枠」は、具体的にはテレビやパソコン、スマートホンの「フレーム」だ。フレームは視野を枠で切り取ることで見える「枠」と、思い込みや勘違い、あるいは差別意識などの、いわば「心的な枠」も想定される。更には、メディアにとっての様々な枠は「スピード」にも関係する。テレビの番組という枠、その中でVTRが何秒以内という時間の枠、新聞や雑誌であれば、文字通りの紙面の枠であり、月刊、週刊、日刊といった出版体制の枠組みや、WEBサイトの枠でもある。「スピード」は、情報の伝達速度であり、速報性や即応性といった、情報に対する反応のスピードである。SNSの速報性には、つい受け取った側も、急いで反応して誰かに伝えようとしてしまう。即応性は必要なときもあるがとても危険なときもある。

 

「枠」と「スピード」の両方に対して、少しだけ立ち止まって考えてみること。見方を少し変えること。それは伝えた人の立場を考えたり、伝え方の視点を変えてみたり、伝えられた側の読み取り方を想定してみたりする、そんな時間をつくるということだ。「慌てないこと、見えている窓を固めないこと、その窓を少しでも広げてみる」ということを、本書は教えている。

2015.05.30 Saturday

10代だけではなく50代の僕も心あたりがある

 

10代からの情報キャッチボール入門』 下村健一

岩波書店 2015424日 発行


10代からの〜」という本書は50代の僕にも思い当たることがずいぶんとあり、一気に読んでしまった。僕が担当している映像の授業の冒頭でも本書を紹介した。ある大学では、受講者が少人数なので、現物を授業時間に回して見てもらっていた。「知りたくもない情報まで見れてしまうSNSにここ最近うんざりするばかりで、スマホを投げたい気分になることもありました。この小さな画面にとらわれていると、ある意味盲目になるのだなと。」とは、ある学生のコメントだった。20代でも30代でもSNSの取り扱いには苦労している人は多いだろう。むしろ自制して上手に付き合っている人のほうが少ないかもしれない。

 

情報キャッチボールのグローブやバットに相当するのはスマホで、ボールはLineやツイッター、フェイス・ブックといったSNSのためのアプリケーションから投げ込まれてくる。そして同じ方法を使って投げ返す。キャッチボールは相手の立ち位置と距離を確認して、そこに届くように投げるけれども、情報というボールは大きさもスピードも数もさまざまだし、受け取る相手も無数に広がるし、投げてくる人も時には誰だかわからない。どこから飛んでくるのかさえわからない。硬いのか柔らかいのか、本物か偽物かさえ解らない。そんなボールを受け取って投げ返すには、神業のような技術が必要だと思ってしまう。

 

もちろん本書は、スマホ・ゼロを提唱しているわけではない。これほど複雑に見える情報のキャッチボールを、ひとつひとつ段階的に丁寧に考えていけば、少しずつ相手の立場が見えてくるし、ボールの行方や数も限定的になってくる。手にしている道具ときちんと向き合って、キャッチボールが少しでも上手になるための手引である。とっさに反応する前に、少し考える事、これだけでもスッテプがひとつ上がることを伝えている。子供の頃「食事の仕方」や「道の歩き方」を身につけたように、情報のキャッチボールも「何でも口に入れてはいけない」「道に飛び出してはいけない」ということから始まる。

 

僕はこの手のツールは、FBだけを使っているが、自分の意見を投稿したり、他の人の意見にコメントしたりしてから「しまった」と思ったことが何度かある。「これを見て気を悪くしたんじゃないか」とか、「余計なことを書いたために、都合の悪いことが他の人にも知られてしまったかな」などと後悔して、投稿やコメントを削除したりしたこともある。50代でもそういう失敗はあるから、多感な時期にたくさんの言葉をやりとりしている10代ならば、そのリスクも大きいはずだ。

 

本書は「君は、〜」という問いかけで進行する。もしも君がLineでこんなメッセージを受け取ったら? という一貫したスタイルはとてもわかりやすく身近な問題提起だと感じる。事実、身近に幾つもの似たような問題が発生している。下村さんは、本人が事実誤認の被害者になってケースをまず紹介している。「ある市議のブログに書かれた下村の『正体』」の項では、「ここでは書けないような破廉恥事件」の当事者にされ、「愛人に訴えられ」「長期謹慎処分を受けていたイメージが、フラッシュバックするのです。」と書かれたことを例示する。テレビ番組で性犯罪被害者の裁判について、下村さんの取材が放送された1時間後に、それを見た市議が下村さんへの不信感を覚えて自分のブログに書き込んだそうだ。市議のコメントに対する読者からの疑問の提示、それに対する市議の書き込み、さらに反省と謝罪の書き込み、を時系列で紹介する。しかし、反省や謝罪があったからといって一見落着ではなくて、謝罪までの経緯をすべての人がたどったわけではないことも付け加えている。こうした丁寧な例示は、次項の「情報をしっかり受け取るための4つのギモン」、「情報をしっかり届けるための4つのジモン」を説明するための具体的な材料になっている。

 

若い人がSNSとの付き合い方に悩んだり、友人関係や家族関係でトラブルを抱えていたりしていたら、ぜひ読んでほしいと思う。気持ちが少し楽になって、次の情報が届く時の心構えになるだろうし、自分が何かを書こうとした時にその言葉が届いた後のことを想像できるようになるだろう。そしてこれは若い人だけの問題ではないな。こうして書いている時に、422日に爆発事故があった「三井化学大竹工場で劣化ウラン弾の弾頭を製造して、米軍海兵隊岩国基地に供給している」というFBの投稿があった。投稿者は「未確認の情報だけれども、記事ネタとして」と断り書きをしている。「本当かな? でも、立地的にもありえそうだ。」と思ってしまう記事だ。今も、次々にこうした情報やコメントがが届いている。

この本は、5月23日に「NPO・市民がつくるTVF」の年次総会が行われた時、ご本人から頂戴した。もちろん頂戴したから紹介しているわけではない。本当にわかりやすくて誰かに教えたくなった。

下村さん、ためになる本をありがとうございました。

2015.03.01 Sunday

我々はいったいどのくらい「電気代ではない電気代」を払っていたのだろうか?

 

『原発利権を追う 電力をめぐるカネと権力の構造』

朝日新聞特別報道部 朝日新聞出版 2014930日発行

 

 『原発利権を追う 電力をめぐるカネと権力の構造』(朝日新聞特別報道部 2014930日刊)は、今の日本に本格的に絶望したい人におすすめの本です。原発にかかわる幾つもの「なぜ?」は、単純にひとつの理由によるものです。本書の冒頭からそれは解き明かされます。「なぜ、再稼働は九電からなのか?」。この章で説明されている、政治家と官僚と九電(と地元の経済界)との強固な関係が原発をめぐる構造の基本です。麻生太郎と九電との関係に始まり、県知事、市長、町長への九電による選挙応援、原発建設をめぐる大手ゼネコン、準大手ゼネコン、下請けの地元建設会社から孫受けまでの序列は、「そういうことなら、公共事業にはつきものだ」と思うことでしょう。しかし、本書で明らかになったのは、福島原発事故後に元電力会社の重役や建設会社の社長、地元の同意を得るために動いた汚れ仕事をしてきた人たちの証言です。金権政治は日本のお家芸のように思っていましたが、ここまでひどいことが起こっていたのかと、本格的に絶望しました。

最終章の「関電の裏面史」では、関西電力元副社長・内藤千百里(ちもり)の証言があります。1962年から25年間政治家担当として、政・官・電の強固なスクラムを築き支え続けた裏の実力者だったと書かれています。内藤氏は、1967年に美浜原発1号機が完成した後から、歴代の総理大臣には、盆・暮れに1000万円ずつの現金を持参し、見返りを求めない寄付として渡していたそうです。年間20億円ほどのこうした寄付金をランク付けした議員たちに渡し、議員や首長たちの様々な要求にも対応していたといいます。もちろん、全部電気代として集めた金です。

こういう構造は関電に限ったことではなく、中部電力でも、もちろん東京電力でもしっかりと組織に組み込まれているそうです。もともと関電が中央の政治家たちに献金や寄付を活発化させたのは、東電と政府、経済界との近い関係を妬み、関西にも目を向けてもらえるように関西の財界と一丸となって取り組んだ成果なのだそうです。膨大な資金源になっているのは、ひとつは1千億円規模の建設を受注したいゼネコンや、準大手、地元の建設会社から「ご自由にお使い下さい」と電力会社幹部に手渡されるカネ。政治家への献金はこうした建設会社に用意させたり、電力会社には「電気代」という無限に徴収できる「あぶく銭」があるため、いくらでも用意出来たのだそうです。日比谷にある東電本社には、政治家からのパーティー券購入の依頼を受ける専門の窓口もあり、政治資金規正法の範囲内で20万円以内の振り分けて、関連会社に購入させるといういう構造があるのだそうです。そしてその金額は、経済産業大臣などの電力事業関連省庁の大臣が最も値段が高く、以下の序列は影響力によって決められているそうです。60万円とかもらっている大臣は、ほぼ相手にされていないような人たちだから、情報がリークするんでしょうね。膨大な金をもらっている人たちの情報ほど、出てこない。それは電力会社の存亡に関わるからです。

福島第一原発の関連では、原発の増設の見返りとして、地元にサッカーのナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」の建設と合わせて、エルミタージュ美術館の別館を建設する計画もあったといいます。これは驚きました。ロシア側に別館建設の保証金としてゼネコンに準備させた5億円を渡し、その後この計画は頓挫したため、5億円はタダのロシアへの寄付になったそうです。

政治家への献金もゼネコンが準備したカネも、地元にばら撒いた寄付金も、結局は原発建設にかかる費用ですから、「電気代」として徴収した金です。我々はいったいどれだけの「電気代ではない電気代」を支払ってきたんでしょうか?

201531日の今、国会では安倍政権の閣僚が政治家への献金をめぐる問題で追求され続けています。重要な審議事項がたくさんあるのに、毎日のように「政治とカネ」の問題で、少しも前に進みませんね。政治とカネの問題はきちんと追求するべき問題です。昨日、民主党の議員が「安倍政権の構造的な問題ではないか?」と詰問し、安部総理は「そういう決めつけが失礼だ」と顔を歪めて反論していました。こういう問題は安倍政権にかぎらず、明らかに「構造的な問題」です。そのことが本書ではよく分かります。また、昨夜は「朝まで生テレビ」の討論で「原発の再稼働」がテーマでした。多くの人が反対しているのに、なぜそんなに再稼働したがるのか? コレもこの本でよく分かります。つまり、膨大な利権(カネ)によって動いているだけなのですね。

 

【目次】

1章 九電王国・支配の構造

なぜ、再稼動は「九電」からなのか?

県知事と近い"九電

徹底的な「地元支配」の仕組み

原発城下町、川内

 

2章 立地のまちへ

むつ市を中間貯蔵施設

3.11後、語りだした影たち

証言を求め、再取材

明らかになったむつ市長の秘密

 

3章 東電OBの告白

「もう、ウソをつきたくない」

「土砂処理事業」の不透明なカネ

東電退職後、白川氏のもとへ

 

4章 ゼネコンの内幕

幻の福島のエルミタージュ美術館

佐藤知事と東電の仲をとりもつ

クレーム処置もゼネコンが肩代わり

 

5章 東電総務部の実態

東電本店3階の政界窓口

●“総務部天下"の東電史

政官電の三角関係

 

6章 中部電の裏金システム

引き継がれてきた裏金の伝統

工面したカネの使い道

やがて、最深部"の中央政界へ

 

7章 「関電の裏面史」

戦後電力史の裏側

長い、長い告白

芦原会長との二人三脚の日々

2014.03.07 Friday

僕は鞍手高校出身なのに、こんなことも知らなかった

 
2014.02.15 Saturday

今、この時期に読み返した『思想検事』に、何か予言的な気配を感じてしまう。

 
2014.01.26 Sunday

寝る前に楽しむ漢字のおもしろさ

 
2013.09.16 Monday

『水俣学』への最良の入門書だと思う。

 
2013.09.15 Sunday

日本人の土着の精神性に、つい嬉しくなる『葬式』

 

『葬式 あの世への民俗』 須藤功 青弓社

1996319日 初版発行 19979114

 

タイトルが持つ一般的な訴求力という意味では、最低ランクの書名だと思うけれども、この類の本を読むのが好きだ。もちろん「葬式」の段取りやマナーを記した実用書ではない。映画『お葬式』のような、現代社会との奇妙なズレをコミカルに描いたエッセイでもない。とても真面目な、ためになる本だった。何がタメになるのかは解らない。だけど、読後感がとても充実していた。民俗学の本というよりは、姫田忠義さんや松川八洲雄さんの記録映画を観たあとのような気持ちになった。

 

日本の習俗をめぐる民俗学では、柳田国男や折口信夫、あるいは宮田登や網野善彦といった学術的な範疇の周囲に、より、民衆に寄り添った視点で、様々な儀式や慣習を見つめたものがある。宮本常一の農・漁村を調査したフィールドワークや、赤松啓介による「性風俗・風習」や「非常民」の生活に着眼したもの、さらには本書のように「葬式」や「盆踊り」「祭り」「神事」など、ある特別な儀式に焦点をあてたものがある。

 

著者の須藤功は写真家であり、著書は、日本各地の様々な儀式や生活様式を、その詳細な記述と写真で構成したドキュメントが多い。本書『葬式 あの世への民俗』でも、「まえがき」に記述の意図が記されている。現代の葬儀屋による葬式ではなく、日本の古くからの死者への考え方を残している葬式に着眼した、と。葬儀屋が葬儀を取り仕切るようになるまでは、各地で同じように、葬式組や町内組、隣組によって、その土地の独自の風習を反映した葬式が集落ごとに行なわれていた。それらはもちろん、担当者にとっては大きな負担でもあるから、現在のような葬儀屋の仕事はありがたい。しかし、死者をどのように生活に位置づけ、先祖に遡って弔い続けるのかといった精神的な継承は、概ねそうした近隣の人達による具体的な体験によってなされていた。

 

冒頭の章では「村人の手になる雪国の葬式」として、新潟県山古志村で遭遇した事故とその後の村人の対応が記述されている。診療所の雪上車が来るまで、雪掘りで屋根から落下した人の耳元で「オーイ、オーイ」と叫び続ける人達。その後、遺体とともにすごす家族、立棺での納棺、野辺送りの道順とその意味、埋葬のしきたりなどが写真と共に詳細に記述されている。続く「葬式のしきたりお国風」では、アイヌ・二風谷の死装束と埋葬、岩手県前沢町の夏の葬式では、親族が履物に白紙を結ぶ「シビトゾウリ」の習慣、秋田県鳥海町での白い着物の正装、あるいは宮崎県西都市銀鏡の神葬の様子など、全国の独自の習慣が記されている。

 

「友引が大安につぐ佳き日」という項も興味深かった。現代では「友引」に葬式を出さないが、後に字面でそうなった後付の慣習であるらしい。その部分を引いてみると、以下のように書かれている。

「友引は暦注六曜にある。先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の六つで、六輝ともいわれる。六曜は十四世紀ごろ中国から日本に伝わった。当初は、大安・留連・速喜・赤口・将吉・空亡というものだった。これが国内で名称も順番も変化し、現在の形に近いものになるのは亨保(17161736)のころ、広まるのは天保(18301844)のころからといわれる。

 現在の形に近いというのは、全く同じではないということである。たとえば仏滅は「物滅」とも書き、仏の入寂とは全く無関係だった。

 六曜の解釈にしても、時刻の吉凶占いにかぎられていた。先勝は午前が吉、先負は午後が吉、その間にはさまった友引は、「相打ち友引とて勝負なし」といい、境目の正午だけが凶で午前午後は吉とするものだった。」とあり、大安に続く佳き日で、葬式とも関係がなかったそうだ。また、地方によっては干支による忌避もあるという。近畿地方では丑や卯の日には葬式を出さない地域があるという。「ウカサナル」「ウガサネ」という重なりを嫌ったそうだ。

 

賑やかな沖縄の葬儀も楽しく描写されているし、埼玉県秩父市久那では「ジャランポン祭り」という楽しい葬式祭りがあるという。死者役の人が死装束を付けられ、寺での読経の最中に突然に鉦や太鼓が鳴り響き、死者が復活して賑やかにみんなで行列をして神社に向かうというものだ。

読後に豊かな気持ちになるというのは、こういう日本の精神性がとても微笑ましく感じたからだろう。

2013.08.22 Thursday

日本語ロックを歌う男の、蠢くような日々を観たような気がする

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