『日日芸術』
監督・脚本:伊勢朋矢
出演:富田望生/齋藤陽道/パスカルズ/伊勢佳世
出演アーティスト:渡邊義紘/ミルカ/高丸誠/井口直人/自然生クラブ/杉本たまえ/曽良貞義/小林伸一
2024年 日本 110分
https://www.ks-cinema.com/movie/nichinichi/
監督の伊勢朋矢さんが上映後の話していたように、観る人それぞれにいろいろなことを思い起こす映画だと思う。僕もこれまでの自分自身の活動や創作が呼び起こされ、あらためて「日常」や「健常」といった言葉の危うさや曖昧さ、あるいはまだ観ぬモノ、人が生きること、何かを発することの深さと広がりを、この映画を見つめながら考えていた。
実は齋藤陽道さんの写真はとても好きで、『異なり記念日』が手元にあり「週刊金曜日」の連載も楽しみにしている。この映画にも名前が出ていて、その興味もあった。彼は写真と文章で多くの創作物を発表しているのでむしろ有名な写真家であるが、この映画には、創作物を自身の表現と自覚して積極的に発表しているひと、ある時をきっかけに膨大な何かを衝動的に創り出してしまうひと、精神的なダメージを克服するために描き続けるひとなど、無名に近い創作者が現れる。それらは「アウトサイダー・アート」と呼んでも「アール・ブリュット」と呼んでもいいけれど、僕にはアートと呼ぶよりも「芸術」という日本語のほうがしっくりくる。工芸や芸能といった「芸」の付く語句、技術や医術のように「術」は優れた「匠」も連想させる。それらが絡み合って思わぬ広がりがあるからだ。それは「アート」に内包される「技術」とは微妙に異なるように思う。
『日日芸術』(にちにちげいじゅつ)とは、とても良く考えられたタイトルだと思う。
この映画は、主人公・富田望生が人と創作物に出会う旅の映画である。同時に「アート・ドキュメンタリー」のひとつの突破口も示していると思う。劇映画とドキュメンタリーパートが混ざり合うこと自体は、この映画の独自性ではない。これまでにも劇と記録の両面から、その表現領域を越境した映画はあった。特に海外のドキュメンタリーは表現の自由度が高く、劇・記録の区分など無かったかのように飛び越えてしまうものがある。それらは「フェイク」などというトリッキーな技法ではもちろんない。描かれる内容に映画が寄り添った結果、記錄も演出も同時に現れたという結果に過ぎない。
この映画をアート・ドキュメンタリーと呼ぶことにも躊躇するのだが、その戸惑いはむしろ心地良い。イラン映画に観られるように、実在の人物が自分自身を演じる劇映画にも近い。この映画は「生(ナマ)の劇映画」とでも呼べそうだ。劇映画やドキュメンタリー映画といった区分の、積極的な裂け目を感じた。
越境という言葉に拘れば、異次元(と思われた)世界と(俳優・富田の)日常が何度も交わり、越えられていく。視覚的にも富田の心情としても、発見し出会い交わり越えていく。移動という言葉でもいい。「唯一無二のアートに出会うロードムービー」とチラシに書かれているように、ロードムービーだと言ってもいい。それは富田にとっては地続きのエリアではなく、飛び越えた先にある表現世界の着地点として描かれる。しかし創作物の作者たちは、地続きの日常を行きつ戻りつ、いつの間にか塀が取り払われているかのように混ざり合う。複数の異なる地平がある時、交差する。
生活と創作がじっくりと、あるいは衝動的に混ざりあった状態を「アート」と呼ぶことが出来るのか? それは音楽でも絵画でも身体表現でも造形物でも、作者と「物語」との関係で立ち上がる根源的な問いでもある。
僕の最初の映像作品は、舞踏家・石井満隆のドキュメンタリーだった。1985年から86年にかけて、彼の生活と舞踏とが交わる場を旅して撮影した。その場とは、精神病院(当時の呼び名)での舞踏療法であり、若者たちとのワークショップ(偶然にも、つくば学園都市)であり、即興で踊る山間部のフェスティバルだった。合宿先の地域の住民や、多様な立場の人との交流も(踊り)の重要な要素だった。集中して身体を動かし何かを形作る行為は、身体表現であると同時に、心身を病んだ者には達成感と安息であり、心を閉ざそうとしている者にはその開放の手引になっていた。取材の延長上では、隣接する多くの表現に出会った。いわゆる「アウトサイダー・アート」としての患者たちの創作物とも出会った。そのひとつの極は青森県・青南病院で試みられていた「芸術療法」で生み出された夥しい創作物だった。この病院を開設した故・千葉 元医院長の仕事は、写真家・羽永光利の『砂丘の足跡』に記録されている。取材時での羽永氏との出会いは、僕を日常と非日常、健常と精神的病との境界へと導いてくれた。青南病院の千葉医院長は患者たちの作品を公開していたが、ひとつの境界は、彼らが創作物の作者として自覚的であるかという問いだった。彼らの極度に緻密な描画や、長時間の集中力を要する技術は、あるいは舞踏療法の演目は完成した時にその役目を終えていることもある。この問いは、例えば未開の地域の日常的な装飾品や工芸品を「プリミティブ・アート」などと称する戸惑いに似ている。あるいは子どもたちの素朴な絵画や彫刻についても同様である。原初的あるいは未開発で素朴といった評価は、健常者にとっての驚きという批評軸でしかないのではないか?
こうした出発点があり、その後も何度か自身の体験を思い起こさせる経験をしている。それは例えば、ゼミの卒業生がその後に制作した『ダンシング・ホームレス』(監督・撮影:三浦 渉 2019年)を観たときであった。あるいは学生がテーマにした、ある福祉作業所のドキュメンタリーであったり、自分で主催した子どもたちとの「映像制作ワークショップ」であったり、高校時代の友人が積極的に関わっている、何らかの障がいのある子どもたちの絵画だった。最近の体験では映画『アダマン号に乗って』(監督・撮影・編集:ニコラ・フィリベール 2022年 フランス)で、描かれる場所と利用者との関係だった。
誰かの創作物は、仮に表現する意志が無かったとしても、絶えず作り出されることがある。それは日常で口ずさむ言葉や鼻歌のようなものでもあり、数年かけてなお未完成の木彫であったりする。表現とは呼ばれなくても作者の心情を映した鏡のようなものであることは確かだ。
『日日芸術』を観ながら、こうした自身に関わる想起と問いがぐるぐると巡っていた。その体験は、もちろん人それぞれだと思う。日々の生活と創作物、表現や芸術に関する様々な批評軸や見方が現れて、多角的な議論を導くような映画が、とても大切な映画であることは間違いない。
『日日芸術』は、4月13日〜26日 新宿 K'sシネマで公開される。
]]>『ビヨンド・ユートピア 脱北』 原題:Beyond Utopia
監督・編集:マドレーヌ・ギャヴィン アニメーション:岩崎宏俊
出演:キム・ソンウン牧師 脱北者の家族
2023年 アメリカ 115分
https://www.transformer.co.jp/m/beyondutopia/#
周知の通り、朝鮮半島の南北を分かつ軍事境界線(38度線)は、第二次世界大戦後にソ連とアメリカが合意した分割占領のラインである。朝鮮戦争の休戦協定(1953年)以後も南北2キロの非武装地帯を含めて、同じ民族の国だった地域を暴力的に分断している。この映画でも伝えられるように、非武装地帯には無数の地雷が埋められ、最短ではあっても越境のルートはない。だから、この映画で描かれた脱北のための途方もない迂回ルートにはあらためて驚愕する。北朝鮮から中国、ベトナム、ラオス、タイへと4つの国境を超える。ラオスの険しい山中を超える映像では、南米からアメリカを目指す難民・不法移民が、パナマのダエリン県のジャングルを越えようとする「ダエリンルート」を思い出した。麻薬・テロ組織の武装したギャングが潜むジャングルを超える最も危険なルートであるが、それでも、ブローカーに多額の手引料を支払い、メキシコを経由してアメリカを目指す。6日間かけてジャングルを越えた人もいれば20日以上さまよった人もいるという。ルートでいくつもの死体を見たという証言もあった。『ビヨンド・ユートピア 脱北』でも、暗闇の険しい山中ルートで「同じ場所を何回も歩いている」と気がついて、キム牧師がブローカーに質すと手引料の増額を要求されたようだ。不法な越境を不法に手引する仲間がいる一方で、脱北者を差し出すと報酬が得られるという状況は、裏切りがあっても不思議ではない。それでもこの脱北ルートには50人もの協力者(ブローカーと呼ばれている)がいることにも驚く。彼らが信用されていることは、1000人以上の救出という実績でも理解できる。しかし、不法であるということは、いつ、誰が、裏切っても不思議ではない。人道的という倫理だけでは繋がっていないでろうことも理解できる。おそらくブローカーたちにとって、この脱北の報酬は大きいのだろう。
息子の脱北を願う韓国にいる母親は、息子の安否を確認するだけでも、協力者(と称する人物)に多額の金を支払う。脱北に失敗し拘束された息子は、拷問された上に僻地の施設に追放されることは、脱北した母親には判っている。それでも送金し続けるのは、金で減刑される僅かな可能性に賭けたからだった。一方で、北朝鮮で餓死するか、脱北の途中で射殺されるか、拘束されて拷問死するか、中国の農民に捉えられて送還させられるか、ラオスの山中で力尽きるか、無事に韓国にたどり着くか、という絶望的な道のりにそれでも僅かな希望を託すしかない家族がいる。それを手助けするキム牧師やブローカーたちが、この方法で1000人以上も救出したことに驚く。そしてこの過酷な脱北に耐えた家族の80歳だという老婆は、北朝鮮や金正恩のことをどう思うかと訊かれても、なかなか悪く言わない。戸惑いながらカメラを見ている。本音なのか、何かをまだ、恐れているのかはわからない。別の脱北者は、北朝鮮の人たちは、他の国も同じ状況だと信じさせられている、という。だから、金正恩も精一杯国民のために働いている。生活が良くならないのは自分たちが怠けているのだと信じている。他国の情報が一切絶たれた状況では、政府の見解が唯一の真実なのだと思うのだ。この老婆の戸惑いもそのためなのだと思う。日本の戦前の思想統制や神国という教育で、天皇を神と重ね、戦時下では「鬼畜米英」だと信じ込まされた時代が、北朝鮮では継続しているのだとあらためて思う。
農村部では人糞も政府が回収するために、定期的に桶や袋に詰めて納めなければならないという。量が少ないと懲罰の対象になるから、他の便所から盗む者もいるらしい。乏しい農民たちの痩せた農地には、自分の人糞も撒くことができないらしい。これほどの搾取にも耐えなければならないのか。
非武装地帯や軍事境界線を巡っては、これまでにも多くの映画やTV番組が作られていた。特にTVドキュメンタリーでは、この映画のように秘密裏に撮影された映像で、北朝鮮の市民の困窮や子どもの餓死者を観たことがある。韓流ドラマにはあまり興味がないのだが、『愛の不時着』を楽しんだことは告白しておく。このドラマでは境界線を警備している北の兵士が、密かに韓流ドラマを楽しんでいるという描写もあるのだが、『ビヨンド・ユートピア 脱北』では、それだけでも致命的な懲罰を受けるという。また、聖書を読むことも持っていても罰せられるのは、金日成の生誕神話が聖書に酷似しているからだそうだ。
もちろん、北朝鮮で制作された映画は観たことがない。自分の僅かな韓国映画の記憶をたどれば、『The Net 網に囚われた男』(2016年)は見ごたえがあった。北の貧しい漁師が、小さな舟のエンジントラブルで漂流して韓国に捉えられる話だった。漁師の男に脱北の意志はないけれども、漂着することで結果的な脱北者となり、韓国での拘束ではスパイ容疑で拷問され、それでも残った家族に会うために帰国を望み、帰国すれば二重スパイの容疑で激しく拷問を受ける。ただ、エンジンが網に絡まっただけの漁師は、越境したばかりに理不尽な事態に巻き込まれる。自分が知らないだけで、多くの映画で越境は扱われたに違いない。
2024年2月27日、寺越武志さんの母親・友枝(92)さんが亡くなったという報道があった。武志さんは1963年に13歳で行方不明になり、1987年に北朝鮮で生存し生活したことが知らされた。友枝さんはその後何度も北朝鮮に渡り、武志さんと家族に会っている。あるいは武志さんの待遇が変わり、送金を繰り返していた。その様子は何度かテレビドキュメンタリーで観ていた。友枝さんは武志さんが不利にならないように、「拉致ではない」と繰り返し、北朝鮮を悪く言うことはなかった。
脱北した家族の老婆とは、別の理由で口を閉ざしたひとだった。
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『瞳をとじて』 原題:Cerrar los ojos
監督:ビクトル・エリセ 2023年 スペイン 169分
https://gaga.ne.jp/close-your-eyes/
ここ数年、担当している高校の授業で「映像表現の豊かさについて」などと壮大な回を設定して、『ミツバチのささやき』(1973年 99分)を観ている。50分が2コマの授業で、休み時間を取らなければ何とか回を分けずに観ることが出来る。その次の回にDVDの特典映像だった『精霊の足跡』(1998年 47分 Canal+)を観ることにしている。映画の公開から25年後に、『フランケンシュタイン』を観た同じ公民館に撮影当時を知る住民たちが集まり、この村では初めての『ミツバチのささやき』を観ている。その後、あのハチの巣箱のような屋敷を、25年を経てアナ・トレントが訪れる。企画が二転三転したことや、「ドン・ホセ」の人形、「はちみつ色」の照明など、設定の細部までも、エリセ本人と当時のスタッフが回想する。この番組もとても美しい映画の旅なのだと思う。今年もその回の授業資料を準備している頃、『瞳をとじて』の公開を知った。
この映画『瞳をとじて』の作中の「映画」には、多くの記憶が包みこまれている。
かつて映画は世界の記録であり記憶であった。映画監督・ミゲルによって撮影された映画『別れのまなざし』は、主演のフリオの突然の失踪で未完のままだった。その映画の設定は1947年、死期を悟った初老の男が、中国にいるはずの娘を秘密裏に探して欲しいと、フリオに依頼する。そのフィルムを探すとき、フィルム保管庫は引き取り手を待つ遺失物保管所のようであった。そこに積まれた膨大なフィルム缶は、ラベルを見なければ区別がつない墓標のようでもある。映画という営みが集積された場所は、現役の図書館のようには華やかではない。ひとが訪れなければ明かりも灯らないような場所に、密かに眠っている曖昧な記憶の集積でもある。さらに未完の映画の断片であれば、当事者でも掘り起こす機会はなさそうだ。映画は確かにそうやって消費され、粗雑に保管されてきた。ここ数年、NHKの番組『映像の世紀 バタフライエフェクト』や『世界サブカルチャー史 欲望の系譜』では、映画が歴史の記録装置だったことをあらためて呼び起こす。それはニュース映画や記録映画だけではなく、むしろ後者では劇映画の動向が世相を反映して、歴史の動きと共鳴していることが判る。恣意的に制作された映画を、時代区分で編み直すことで、歴史の別の側面を照らしている。もちろん、エリセが映画で描いてきたのは、後年に発掘されるような特別な歴史の裏面ではない。フランコ独裁政権下の、自身の記憶にあるスペインの小さな村であり、手紙も思いも届かないかもしれない遠方の街の記憶であった。無数の無名の記憶は記録にも残らず、誰かの引き出しの中に眠っているかもしれない。菓子の缶の中にあった『列車の到着』のフリップブックは、ラ・シオタ駅が世界的に有名な駅であることも封じ込めていたように見える。事実、リュミエール兄弟はこれほど続く映画の未来を信じてはいなかった。そんな曖昧で脆弱な繋がりが、ある時、誰かの映画で蘇る。『瞳をとじて』はそんなことを思い出させてくれた。
実を言うと映画の終盤にある、映写技師・マックスのセリフ「(カール)ドライヤー以来、映画で奇跡は起きていない」が、観終わった後も何度も頭の中を巡って、ラストシーンと共鳴している。直截は疾走したフリオが自分が出演したフィルムを観ることで、記憶を取り戻すかもしれないという「奇跡」なのだが、そのことだけなのだろうか? エリセはこのセリフで、何を伝えようとしたのだろうか?
疾走したフリオに似た男が、海に近い施設で発見されたという。死んだかもしれなかった男は、記憶を失っているらしい。ミゲルが男の所持品を探ると『別れのまなざし』の中国の娘の写真を持っていた。フリオであることを確信したミゲルが、フリオの娘・アナに居場所を告げる。素行の悪かった俳優のフリオを娘のアナも長年遠ざけていた。アナが施設を訪ね、父親らしい男と再会するとき、「私は、アナ」と言う。目を閉じて繰り返す「私は、アナ」と言うセリフに、誰もが1973年の精霊に呟くアナ・トレントの姿を重ねる。歴史的名作のワンシーンを作り出した者だけに許される自作の引用は、映画の自己言及であるだけでなく、「映画の中の映画」という構造をもうひとつ掘り下げる。31年ぶりの劇映画で蘇ったこのセリフも奇跡であると言っていい。
『別れのまなざし』では娘と再会する場面で、初老の男は絶命する。再会は必ずしも幸福を意味しないのだが、娘と再会したことに気づくことがない父親はどうなのだろうか? ラストシーンで観ることになる未完の映画は、フリオの記憶を蘇らせるためだけに上映されたのだろうか? 映画監督のミゲルがビクトル・エリセ本人とも重なって見える。
ビクトル・エリセの3本の長編劇映画では、劇中の「映画」がそれぞれに重要な題材として現れ、内容に深く踏み込んで関わってくる。それらは、構造的な複雑さを演出するためではなく、とても自然に、あるいは特別な日の驚きとして日常に在り、ある時、日常の裂け目としてそれを乱す。特別ではない人たちの、破綻というよりは慎ましい戸惑いが、観るものを動揺させる。どれも、それぞれに豊かで美しい映画だった。
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『枯れ葉』
監督:アキ・カウリスマキ 2023年 フィンランド/ドイツ 81分
フィンランドの人たちがみんな無表情で、誰もが言葉少なく、こんな話し方の間合いだったらすごく面白いのにと思ってしまう。選びぬかれたセリフはむしろ現実感を失っていて、演劇的なのだとも言えると思うのだが、この街の殺伐とした空気感を演出しようとしたら、こういう台詞回しや間合いになったのだということを、あらためて楽しむことができた。ようやくアキ・カウリスマキの中毒性を自覚したのだった。
ケン・ローチの映画の主役たちのように、低所得で肉体労働につく人たちの仕事は重要な要素だ。その仕事の描写はとても詳細で具体的なのだと思う。男はホイールのようなパーツをコンプレッサーで吹き飛ばしているようで、埃に塗れている。配電盤のようなボックスに酒を隠して、時々飲んでいる。飲酒が発覚して作業場をクビになり、作業中の飲酒が次の建設現場でも見つかってしまう。酒代のために働いているような男の日常は、この先も危うい予感がする。女は働いていたスーパーで、期限切れのドーナッツを持ち帰ろうとして咎められ、強気で職場を去っていく。次の仕事場はパブの皿洗いだが、オーナーが麻薬の取引で逮捕され、給料が入らない。工作機械の部品を鋳造する工場は、さらに危険で過酷な仕事場のようだ。女は生活費のために黙々と仕事をこなし、同じトラムの同じ場所に座って、窓の外をぼんやりと眺めて帰宅する。カラオケパブで偶然に知り合った二人だが、男が誘った映画はジム・ジャームッシュの『デッド・ドント・ダイ』で、ゾンビが警察に撃ち殺される激しい場面が続く。劇場を出た二人はなんとも居心地が悪そうなのだが、終始無表情な二人は、映画の中身などどうでもよかったのだろう。
それでも、女がその気で部屋に招待したとき、男の飲酒癖を女は恐れてしまった。ケン・ローチのリアリティとの違いがあるとすれば、こんな切ない設定でも、どこか喜劇のように不思議な間合いが続いていくことだろうか。表情が変わるとすれば、女が見せる僅かに口元が上がる感情表現だけだった。
音楽の使い方がまた面白い。女が気分転換につけたラジオからは、ロシアのウクライナ侵攻のニュースが聞こえてくる。男を部屋に招いた時のそうだった。選局を変えると冴えない音楽が聞こえてくる。男が同僚に誘われて気の進まないままに行ったパブでは、カラオケが披露されている。アップテンポのロックンロールを歌う客の後が、同僚の予想外の低音ボイスというのもユーモアのひとつだろう。
女性二人の生バンドで歌われるのはポップではあるけれど、厭世的な歌詞と気怠い演奏は、盛り上げているとは思われない。対象的にジュークボックスから聞こえる『マンボ・イタリアーノ』の能天気さが、むさ苦しい男ばかりの湿った店内とあまりにも釣り合わない。意外な選曲では、『竹田の子守唄』が歌われている。外国語バージョンがあることは知らなかった。
『PERFECT DAYS』で描かれた日常の繰り返しとも似ている。音楽がその場の空気や人物の心情を反映しているその塩梅や重要度のようなものも、とても近いとさえ思う。そして僅かだったり、不意打ちだったりする裂け目のような出来事は、日々の仕事に耐えながら過ごすためだけにあるのか? といった問いが浮かんでくることも。
冴えない日常の繰り返しから抜け出そうとは思うけれども、その方法が思いつかない人びとが、ふとした裂け目から、少しだけいい気分の日々を予感する。でもそれは、とても脆弱な安堵の予感だとも言える。この映画のようなアイロニーと優しさは、『希望のかなた』(2017年)でも、『ル・アーブルの靴みがき』(2011年)でも一貫しているように思う。
この映画もアキ・カウリスマキの職人芸を観ているようだった。
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『PERFECT DAYS』
監督:ヴィム・ヴェンダース
共同脚本・プロデュース:高崎卓馬/企画・プロデュース:柳井康治
エグゼクティヴ・プロデューサー:役所広司 2023年 日本 124分
https://www.perfectdays-movie.jp
僕が幸田文の『木』を読んだのは屋久島に行く前だったので、木々のざわめきに心が動く気持ちはわかる。寝る前に文庫本を読むこともよくある。眠くなったら本を閉じる。これは実際にとても心地良いのだ。
目覚まし時計の音がなくても、早朝の僅かな物音で目覚め、顔を洗いヒゲを整え、植栽に水をやり、仕事着に着替えて、入口に並べた時計や小銭をポケットに入れる。車の乗り込むと、自動販売機でいつもの缶コーヒーを買ってから、カセットテープを選ぶ。まだ音は出さない。車には掃除道具が積まれていて、公衆トイレの掃除に向かう。カセットテープの音が出始めるのも、道のりのどこからなどと決めているのかもしれない。毎日決められた場所を丁寧に掃除すると、昼時には神社の坂道を上がってベンチでサンドウィッチを食べる。木々の間から見える日差しを、フィルムカメラに収める。早々と帰宅して自転車で銭湯に向かう。開いたばかりの銭湯だから午後4時ころだろう。いつもの老人たちがいる。毎日ではないかもしれないが、駅の地下の酒場に向かい、酎ハイとつまみを食べると、長居をせずに帰る。月に何度かは、写真屋にフィルムを出して、ネガとプリントを受け取る。新しいフィルムを買う。行きつけのスナックにも行くようだ。寝る前には文庫本を眠くなるまで読む。モノクロームの抽象的な夢を観ているようだ。
これが男・平山の禁欲的な日常のルーティーンだ。
この映画もまた、ストーリーだけを読んだり聞いたりしたところで、何ひとつ面白くないだろう。仮に早送りで観たとしたら、小綺麗な公衆トイレしか印象に残らないのではないか? ついでにこんな事も考えた。今、寝る前に読んでいるのは石牟礼道子の『十六夜橋』だけど、この小説を要約したら一体何が残るのだろうか? 水俣の言葉で綴られる人びとのやり取りは、言葉の間合いがその場所の空気であり、緩かったり緊密だったり、和やかだったりする。あるいは人びとの距離の近さであり隔たりだ。だからこの小説は要約などできない。言葉のやり取りに、豊かで優しい状況描写に身を委ねること。この映画にもそんな態度が似合う気がする。
平山は毎日、同じ時間に軽自動車で仕事に出かけ、仕事を終えると自転車で、あるいは徒歩で銭湯や居酒屋に移動し続けてはいるけれど、それは日々の円環の外へはみ出すことがない。移動は、必ず古びたアパートの部屋に戻るための手段であるようだ。自らはその繰り返しを乱すことがない。ただ、時々、僅かな変化に対応せざるを得なくなる。その変化は動揺というほどでもないものから、ペースを乱される事への怒りや、心を動かされる唐突な出来事まで、幾つかの程度の違いがある。
いつもの居酒屋ではいつもの席に座って、テレビにはプロ野球が映っていたりする。客の野球談義も邪魔にはならない。時々、いつもの席が先客で塞がっていても、カウンターに移ればいい。同僚のタカシは、アヤと遊ぶことばかり考えている。仕事のトイレ掃除に熱心であるはずがないが、それも度を超えれば注意してやる程度のことだ。それでも、タカシに車を貸してほしいと言われたら困ってしまう。アヤと会う金が無いから、カセットを売ろうと言われたときも、買い取りの店まではついていくのだが、手放さずに自分の金を渡してしまう。タカシが急に仕事を辞めると、担当以外のトイレも掃除をしなければならない。それは困ると、会社に抗議する。日々のルーティンが、多少乱されても、回復すれば問題はない。
姪のニコが突然訪ねてくる。家出をしてきたのだというニコと、数日過ごすことになるのだが、この時に乱された日常は、むしろ心地よさであったようだ。仕事にも連れて行くことになり、神社でサンドウィッチを食べる。隣のベンチにはいつもと同じ女性が座って昼食をとっている。銭湯に行き、「10分後」「短くない?」「じゃあ20分後」などという。大きなバスタオルは有料だけど姪のために借りる。少しだけ伯父らしい時間を過ごす。しばらくして運転手を伴った立派な車で迎えに来たニコの母は、父親の具合が悪く見舞いを勧める。どうやら父親と兄・平山が不仲であったようだ。それでも、終始、平山がなぜこのような日々を送っているのかは判らない。
いつもの公園に、住み着いてた男の姿が観られない。いつもはなんとなく目を合わせていたが、その日は男のブルーシートの側まで行ってみる。どこかに移り住んだのだろうか?
スナックのママは、客のリクエストで『朝日楼』を歌う。浅川マキのこのバージョンは『朝日のあたる家』を日本語の歌詞にしただけでなく、「家」は女郎屋に変わっている。偶然だけど『十六夜橋』にも、長崎の遊郭に奉公にだされた小夜という娘がでてくる。平山がこのスナックに行くとママは親切に接している。常連客が不平をいう。ママの歌は平山も嬉しそうに聴いている。自分のお気に入りのカセットからは、アニマルズのオリジナルが聴こえていた。ある時に店に寄ろうとすると、開店前の店に男と一緒に入っていく。抱き合うような二人を見て平山は動揺して店から離れる。河原で缶入りのウイスキーをひとりで飲んでいると、ママと抱き合っていた男が現れる。元夫でがんが判ったのだという。元妻にそれを告げに来たようだった。このとき平山は、映画の中で初めてタバコを吸う。しかもロングピースを酒と一緒にコンビニで買っていた。酒を元夫に差し出すと、「タバコをくれ」という。咽る男は、久しぶりに吸ったと言って火を消した。平山も若い頃にロングピースを吸っていたのだろうか? この時が、日常が乱れる最大値だったのではないか。
車のカセットから流れる音楽は、平山の年齢からすれば若い頃に入れ込んでいたロックだと言えそうだ。アニマルズ、ルー・リード、ベルベット・アンダーグラウンド、パティ・スミス、など。多量のカセットが部屋にあるところから、若い頃に買ったものをそのまま持ち続けているのだろうと思う。ルー・リードの『Perfect Day』はタイトルに通じているし、パティ・スミスの『Redondo Beach』は、タカシが夢中だったアヤには気にかかったようだ。歌詞が伝わったのかは不明だが、恋人の別れの詩だ。アヤがこっそり持ち出したカセットを平山に返しに来る。頬にキスをされた平山は、少し動揺しているようだった。
そしてオーティス・レディングの『ドック・オブ・ザ・ベイ』は、音が車から離れて映画の全体を包んでいく。
こうした音楽の使い方は、ヴェンダースがプロデュースした『Radio On』(1979年 イギリス・ドイツ 監督:クリストファー・ベティット)に似ている気がした。工場で働きながらラジオのDJをしているロバートが、兄の自殺の知らせを受けて、ロンドンから兄が住んだブリストルまで車で向かうという物語だ。車で流れる音楽は、道中で出会う様々な人達との関係を示唆しているようだった。カーオーディオから流れる音楽と外に見える風景の連続が、ロードムービーの醍醐味だと言っているような映画だった。因みにガソリンスタンドの店員として現れるスティングがかっこいい。この映画のラストシーンでは、採石場の崖のギリギリに止めた車から、クラフトワークの『オーム・スイート・オーム』が流れる。ロバートはそこで車を乗り捨てて、列車で帰ろうとするという、不思議な終わり方をする。
『PERFECT DAYS』に身を委ねた時間はとても心地よかった。それが移動する映画だったのか、留まることしかできない映画だったのか。そんな分類は実はどうでもいいのかもしれない。
]]>『ファースト・カウ』 原題:First Cow
監督・脚本:ケリー・ライカート 脚本:ジョナサン・レオモンド
2020年 アメリカ 122分
この映画のどこがどのように良かったかなどと、どうすれば言葉にできるのだろうと随分と考えてしまった。
学生の劇映画を講評する時に「設定が曖昧だと、いろんな"なぜ”を引き摺って観てしまって内容に集中できなくなる」などと話すことがある。長編と短編の違いはあるとしても、『First Cow』の設定の曖昧さは最後まで曖昧なままなのに、途切れることなく凝視していたことに気がつく。曖昧さの塩梅で、それも演出力だと言えばそれまでかもしれないが、不思議な持続力が映画を牽引していることはよく判る。
このところ、国境を意識する映画を幾つか見た。それは『葬送のカーネーション』でのシリアとトルコの国境であり、『熊は、いない』や『君は行く先を知らない』のイランとトルコの国境であった。あるいは『父は憶えている』では主人公の男は、ロシアからキルギスに戻ってくる。地続きの国境を体感できない日本人にとって、足元にあるけれど高い壁のような国境は、映画で疑似体験するしか無い。
また、一方でその土地の閉塞感とそこから逃れられない映画もあった。それらは、日本映画にも見られる。時代背景は様々だが、『福田村事件』もそうだし、『月』も『山女』もそうだと言える。アイルランドの『イニシェリン島の精霊』もイギリスの『エンパイヤ・オブ・ライト』も、ハンガリーの『ニーチェの馬』も中国の『小さき麦の花』も、様々な理由で土地や場所に縛られて暮らす人々の物語だった。
この映画はどうだったろうか? ある程度の金を手に入れ、そこから移動したいことは語られても、出ていく時期を図りかねている。「もう少し」が致命的な事態を招いてしまう。川はいつでもどこかに向けて開かれてはいるけれど、渡ることは簡単ではなさそうだ。それは思いのほか急流なのだろう。それでもここにいる人たちは動き続けてここにたどり着いたと思う。そんな事を考えながら観ていた。
冒頭で川を進む大きな船が現れ、ゆっくりと画面を横切るまで見つめている。スタンダードサイズであることに少し戸惑いながらも、この川と船のカットが美しい。この映画館がこのサイズにマスクを合わせないのは、何か意図があるのかと思ったりする。やがて河原で犬が何かに気がついて、飼い主が近づいてくる。白骨の頭部が土から見えている。何故かあまり狼狽えない飼い主は、土を掘り始める。白骨はきれいな形で二体現れる。舞台は時代を遡り、かつてここで起こったことを語り始めるのだろう、と思っていると、森の中できのこを採り、手ぬぐいに包む男が現れる。この男は動物の毛皮を狩り集めながら移動する粗野な仲間といるらしい。ここはどこで、何が起こるのかは今は予測できない。
「映画の舞台は1820年代、西部開拓時代のオレゴン。」とこの映画の公式サイトには記されているのだが、映画の中では時代や場所を特定できる決定的な文言は見当たらない。実際、映画を観ながら「これはいつ頃の、どのあたりの話だろう?」と考えていた。もちろん、随所にそれらがわかるやり取りはあるし、着ているものや人物の振る舞いを見ていると、おおよそ想定できるようになる。シナリオや資料に記されているならば、この映画の時代を特定することにどこまで意味があるかはわからないが、どうやら1840年代ころまでは範囲内ではないかと思った。そのほうが楽しいと思う。
例えば、主人公のひとりキング・ルーは、中国から貿易船で渡ってきて、各地を巡って「ここ」にたどり着いたという。キング・ルーは中国の北部出身だと話している。西や南の人間から差別されたとも語る。海に近い上海や福建、香港に近いエリアが栄えていたと思われる。中国からアメリカへの移住は、公式には1820年から始まっている。映画では、砦のある市場付近で何かを売っていたり、刃物を研いで金を受け取るのは、先住民と思われる人たちや、中国人たちである。
クッキーが料理人として雇われたらしいグループは、どうやら毛皮を集めて砦で売ろうとしているようだ。その後に話に出てくるビーバーの乱獲は、19世紀前半に帽子の素材として捕獲され、ヨーロッパでは絶滅に瀕してアメリカに供給先が移行した。アメリカでもその後保護動物に指定されるが、オレゴン州もそのひとつである。映画ではロンドン出身の仲買商が立派な帽子を被っているのが象徴的だ。
1840年代にはサンフランシスコ周辺での金鉱採掘が知られるようになり、多くの労働者が移動している。この映画でも幾つか出てくる地名の中にサンフランシスコがある。いつかはホテルとパン屋を開こうと願うクッキーは、サンフランシスコでの開業を夢見ているし、キング・ルーは、そこは競争が激しいから、旅人の宿の方が良い、などと語り合う。「ここ」がオレゴンならば、たしかに西海岸沿いの移動は難しくはないだろうし、サンフランシスコが当時から有数の交易港だったことからも頷ける。
あるいは、砦の市場付近で男が座って新聞を読んでいる。新聞といえば、アメリカで現在の新聞社の前身が現れるのが1820年代である。新聞の黎明期の騒動が書かれた『トップ記事は月に人類発見! 十九世紀アメリカ新聞戦争』は面白い本だった。
その砦に最初につれてこられた牛は、雄牛と子牛も一緒だったと言うが、運ばれる途中で死んだらしい。川を渡る筏に繋がれた牛の姿が、ポスターでも象徴的に使われている。仲買商の屋敷の敷地に忍び込み、夜中に密かに搾乳するクッキーとキング・ルーは、繰り返し描かれることで必ずそれが発覚して取り返しのつかないことになるのだろうと想像できるものの、それでも息を呑んで成り行きを見つめるしかない。こういう貧しく小さな犯罪で命を狙われるほどの事態を、時代背景と一緒に包みこんでしまうのも、この映画の魅力である。
ここまで書いても、この映画については周辺の幾つかを想像しただけで、その面白さには辿り着けない。豊かな映画とはそういうものなのだと、あらためて思う。
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『葬送のカーネーション』
原題:Cloves & Carnation/Bir Tutam Karanfil 「クローブをひとつまみ」
監督:ベキル・ビュルビュル 2022年 トルコ/ベルギー 103分
原題の「クローブをひとつまみ」という慎ましいタイトルが、何を意味していたのかとじっくりと反芻するように、この映画を噛みしめる。
冒頭の車での移動では、何かの小さなパーティーのグループが道を塞いでいる。運転している男は、鬱陶しそうに文句をいいながら人を避けて通り過ぎる。車をしばらく走らせても、初老の男と少女はあまり口を利かない。分かれ道で車の持ち主は、自分たちの村はこっちだからと、男と少女を降ろし、二人の持ち物らしい粗末な棺を荷代から降ろす。二人を降ろした場所はただの分かれ道だから、低い石の壁があるだけで、しばらく座っていたところで車も人も通りそうにない。やがて歩き出す二人だが、男は少女が持っていた木馬のおもちゃに木の車輪がついていることに気が付き、棺の取っ手に括り付ける。車輪を奪われたおもちゃをそれでも離さない少女が切ない。しかし、なぜ棺などを運んでいるのか? 初老の男と少女はどうやら祖父と孫との関係であるらしいが、男はほとんど口を利かない。この二人とその家族が、シリアからトルコに難民として逃れてきたらしいことは、暫くしてから判る。
男はムサ、孫娘はハリメという名である。棺の中のムサの妻の名はわからない。目的地もどこなのかがわからないままに、ただ「国境」を目指している二人と一体の亡骸を三人の旅といいたくなるのは、妻を何としてでも故郷に帰そうというムサの強靭な執着があるからだろう。乗せてくれる車も見つからないままに、二人は寒々とした洞窟のような場所で一夜を過ごすことになる。小さな焚き火を灯して傍らに座るムサが、棺から妻の遺体を外に出し、孫娘に棺の中で寝ろと促す。既に壊れかけた棺でも、少しは寒さを凌げるという、極限の思いやりが見える。「ふたりとも死んでしまうかもしれない」と、ふと次のシーンンを想像すると、それはムサの夢の中だった。なぜか樹上に棺があるのは、まるで鳥葬の儀式のようにも見える。
原題にある「クローブ」は、その後にトラックに同乗させてくれた女性とのやり取りに出てくる。歯が痛いというムサに、これを噛みなさいと渡されたのは、小さな缶に入ったクローブだった。子供の頃、虫歯に正露丸を詰めたことがあったけれど、どうやらそういう効果があるらしい。クローブは市販の香辛料として砕いた粒もあるが、原型(ホール)はチョウジノキの開花直前の蕾を乾燥させたもので、アコースティック・ギターのエンドピンのような形をしている。シナモンや八角のように、これだけでアジア料理のような強い香りがするが、防臭・防腐・殺菌効果などの薬効もあるらしい。ムサは壊れかけた棺を修理してくれるように大工の男に頼むが、無理だと断られ、段ボール箱を渡される。
この夫婦と分かれて、ガソリンスタンドで乗せてくれる誰かを待つ間に、ムサは段ボール箱に入れられた妻の遺体に、このクローブをひとつまみ振りかけるのだった。妻が死んでからここまでに何日かかったのかはわからないが、傷みかけた亡骸への思いやりであった。
最後に乗せてもらったトラック運転手はとても親切なのだが、検問で積荷が遺体であることが判明し、騒動に巻き込まれてしまう。警察に捕まった二人と妻の亡骸は故郷へ帰ることができずに、国境に近い墓地に埋葬されてしまう。ハリメは粗末な墓碑にカーネーションの絵を描いて添える。カーネーションはトルコでも栽培されていて、香りがクローブに近いのだという。ムサはそれでも、金網を越えてひとりでシリア側に入っていく。そこからは、冒頭のような祝宴のグループが現れ、幸せそうなムサの白日夢のような光景だった。
この映画をロードムービーだと言うことは出来る。これまでに観てきた幾つかの移動する映画と似ている。そして、どれとも似ていない気もするのだ。国境は陸続きの境界として、物語の到達点ではあるのだが、この映画の国境は金網で仕切られた殺伐とした境界であり、それでもどこかを少し切り破れば抜けられそうな、いや既に何人かが破れ目から越境したかのような脆弱な壁でもある。それでも超えることを躊躇させるのは、どこからか兵士が見張っていて、銃撃されるかもしれないという恐怖が、シリアで起こった酷い仕打ちを想起させるからだと思う。イラン映画『熊は、いない』で描かれた迂闊に踏み越えそうな見えないラインではないけれど、「熊」がいるという言い伝えは、見えないけれど強靭な制度であり、それに怯える人びととも似ているかもしれない。
]]>『ミツバチと私』
原題:20000 especies de abejas
監督:エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン
2023年 スペイン 128分
http://unpfilm.com/bees_andme/
どのような映画だったかと言えば、自分の性自認に悩んでいる8歳の少年と家族の物語だということになる。しかし、とても気になるのは物語のサブストーリーとして設定されている養蜂との関係だ。フランスからスペインのバスク地方にやってくる母親と子どもたちは、いわば大人の都合で休暇を過ごすことになる。アイトールと呼ばれるその8歳の少年は、その男の子の名で呼ばれることにも抵抗を感じている。母親のアネは、芸術大学で職を得るために自分の作品づくりに集中したい。アネの叔母ルルデスは養蜂をしながらこの地域で生きている。タイト
ルの原題が示すのは「20000種の蜂」で、アイトール(通称・ココ)は叔母とのふれあいの中で、自分らしさを示すことの困難と、自然に生きることへのあこがれを感じていく。
美しい物語だと思う。ココを演じた少年が、映画の中で驚くほど瑞々しい。プールを嫌がったり、「自分の足の形が嫌いだ」などと言っては母親を困らせる。アネはココの気持ちに戸惑い
ながら、少しずつココに寄り添う。
ミツバチの姿は何度か描かれるのだが、驚いたのはアネの叔母ルルデルが施術している民間療法だった。地域の老人たちが訪れ、痛みの緩和するためにミツバチをひとつまみして、その針を鍼灸のように刺す。これが本当に効果があるかどうかはわからないが、もしかするとこの地では長年そうした施術が行われているのかもしれないと思う。
ミツバチとの共存も、この土地の風習であることも判る。アネが自作の彫刻に使うのは大量の蜜蝋だ。彼女がそうしてきたのかはわからないが、どうやら父親が彫刻家であったようだ。アネが職を得るための審査に、自分の作品と偽って父親の彫刻を送ったらしいことも判明する。母親の葛藤と、「生まれ変わったら女の子になれるかな?」と素朴に願う少年の気持ちが、この土地で僅かな行き場を探し出そうとしている。そんな映画だった。
ところで、スペインと養蜂とはなにか特別な関係があるのだろうか、などと考えていて、「スペインの養蜂の特徴」などと検索してみると、スペインのアラニア洞窟の壁画に蜜蜂の巣を採取している女性が描かれていたらしい。紀元前1万5000年頃のものだとか、紀元前6000年ころから石器時代にかけての壁画だとか書かれていた。この壁画がそうらしい。
ミツバチと養蜂、ミツバチの生態から得られる知恵が、何かの通過儀礼のように映画の中では機能しているのかもしれない。
『ミツバチのささやき』のビクトル・エリセの31年ぶりの新作が、間もなく公開される。
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『父は憶えている』
英語題:This is What I Remember 原題:Esimde
監督・脚本・主演:アクタン・アリム・クバト
2022年 キルギス・日本・オランダ・フランス 105分
https://www.bitters.co.jp/oboeteiru/
『馬を放つ』(2017)の印象が強く残っていたので、チラシを見て映画館に行くことを決めた。『馬を放つ』はキルギスでの人と馬との繋がりが大きく変わっていくことに対して、飼育されている馬を野に放つ男の話だった。キルギスの民にとっては、かつては人と馬の結びつきは欠かせないものだった。馬は生活をともにする存在から、競走用に育てられる商品になっていた。その変化に抗う男は、犯罪行為だと知りながら密かに馬を放ち続ける。切ない映画だった。原題の「CENTAUR」は、ギリシャ神話にある人馬一体のケンタウロスで、主人公はそう呼ばれていた。
この映画『父は憶えている』の主題は「町のゴミは恥ずかしくないけど、父親がゴミを拾うのは恥ずかしいのか?」というセリフに尽きると想う。翻って日本では、さしずめ「この国の政治は恥ずかしくないけれど、それを堂々と批判する人間はなぜ排除されるのか?」という問いに置き換えてもいい。
物語は、23年前にロシアに出稼ぎに行き、行方不明になった男が見つけ出され、故郷キルギスの村に戻ってくるという、それだけのことなのだ。もちろん男の家族にとっては大きな事件である。何しろ妻は既に再婚している。言葉を失っているように振る舞う父親の姿に、息子夫婦も喜びながらも戸惑うのだが、孫娘は初めて会う祖父を素直に受け入れていく。
23年間の故郷の大きな変化と変わりようのない貧しさが、この物語の背景として随所に描かれていく。布教にやってくるイスラム教徒の一行はどうやら過激な宗派のようだ。金貸しで成り上がった知人の男は妻の再婚相手になっている。町中のあちこちに積まれたゴミと郊外の広大なゴミの集積場。古い因習を維持したままだが、奔放な同世代の老人たち。魚の養殖場を金貸しに奪われる知人の男。この映画でも主人公の男ザールクは、故郷の変化にひとりで抗い始める。
映像はゆっくりと積み重ねられるのだが、画面内の人や物の出入りが素晴らしい。遠景の僅かな動きにも気を配る面白さが幾つも観られた。例えば冒頭の長いワンカットでは、遠景の山々には山頂に雪が残り、中景の茶色い山には木々が見当たらない。まるで採石場のように荒涼とした山肌が見える。その手前には木々に囲まれた集落があり、川を挟んで線路と道路が見える。しばらくこの風景を見続けると、やがて一台の車が画面の右下隅の路上に止まる。橋をわたって集落に向かうのは、髪の毛の長い初老の男ザールクとその息子クバとであるらしい。カメラは遠景のフィックスから手持ちの移動になり、家までの道のりをワンカットで見せていく。
あるいはゴミ捨て場にゴミをおろした後に、トラックの荷台を水で洗うカットが面白い。その水洗い場には、トラックの荷台から2m位の高さに、パイプのような太いホースが突き出ていて水が流れ落ちている。トラックが円を描きながら何度かその流れ落ちる地点を通り、荷台に残ったゴミや汚水を洗い流している。このシーンが最初に出てきた時は、トラックの運転席から撮影されていて、走っているトラックに定期的に水が浴びせられているように見え、ロングショットでその仕組みがわかる。次にこの場所が現れるときには先客が居て、しばらくはその先客たちの成り行きを見つめることになる。
こうした映像の組み立てや、ロングショットの奥行きや動きは、言葉で説明しても、結局はよく解らない面白だなと改めて思う。もちろん、だから映像的なのだけど。
この映画で描かれるのは、周辺の国々との関係で大きく変わっていく故郷の姿であるのだが、失われていく風景の美しさや、守ることが困難になる生活様式や小さなしきたり、近所との関係、集会での振る舞いなどは、ザールクの小さな抵抗で守られるとは思われない。本人も自覚しているはずの小さな改革は、せめて妻との記憶の場所に留まろうとする、切ない儀式であるかのようだ。
『明かりを灯す人』(2010)を見逃したことが悔やまれる。
]]>『月』
監督・脚本:石井裕也 原作:辺見 庸『月』 2023年 日本 144分
鈍く黒ずみ澱んだ水溜まりを踏みしめた後に小さな波紋が刻まれて、それをしばらく観ているようだ。水の揺らぎが収まったとしても、黒い水は黒いままで、やがて覗き込んだ自分の顔を映している。
誰もが狂うかもしれないと思うことは危険だろうか? 特別な環境で起こった事件であると蓋をしてもいいのだろうか? などとずっと考えている。
あえて描かなくても良かった事件だろうか? とも何度か思った。
映画を公開したならば、制作者はその内容や描き方についての論議を受け止めなければならない。その映画が歴史上の事実や、現代に起こった事件、とりわけ凄惨な出来事を扱った場合にはその論議も多様であるし、描かれ方には様々に異論が現れることは想定される。だから描く側には覚悟が必要なのだと思う。同時に、面倒な論議に巻き込まれたくないと思えば、無かった事にしたい、あるいはもう思い出したくもない、ある人たちにとってはとても不都合な暗部や事実・事件を扱わなければいい。面白おかしくその時を過ごせるような映画であれば何の心配もない。それでもこの映画は描かれ公開された。その覚悟を素通りさせてはならない。観た者としてできる限り思い悩みながら受け止めたいと思う。
先日『福田村事件』(森 達也監督)の描写について「週刊金曜日」(2023.11.24)に、『「讃岐弁から朝鮮人を疑われた」流布されたこの節は解せない』という記事が出ていた。この映画が描いた事件の現場だった現在の千葉県野田市在住の元野田市職員による論考である。「不正行商人」への自警団らの過度な警戒はあったとしても、讃岐弁が朝鮮人であると誤解されたという断定はおかしい、というものだった。もちろん、映画はフィクションであるという前提は踏まえた上で、こうした意見も論議の対象となるはずだ。『月』でも多くの意見があるはずだ。この映画だけを見れば、他の施設でも同様の暴力があり、冷酷な考えの職員が働いているのではないかという疑いを持つかもしれない。映画がフィクションであるという前提に立ってはいても、現実に起こった事件の衝撃が背景にある限り、福祉や施設の現状と重ねる人もいるだろう。福祉の現場で働く当事者たちにとっては、許しがたい描写もあったと思う。描写への異論は、映画の制作者には厳しいものが想像できる。
『月』が現実に起きてしまった凄惨な事件を題材にしていることは周知である。2016年7月26日未明に、「津久井やまゆり園」の元職員・植松 聖(うえまつさとし)が入所者19名を刺殺し、入所者と職員26名が重軽傷を負った。被害者の多くは重度障害者であったことが、社会を慄えさせた。2020年3月には植松被告に死刑判決が言い渡され、控訴が取り下げられたため一度は死刑が確定した。しかし現在は2024年の再審請求、請求棄却、即時抗告という流れで、裁判の手続きは継続しているようだ。この過程で、植松 聖にどのような変化が起こったのかはわからないが、事件に至った経緯は詳細に記録されるべきであると思う。一方で、思い出したくもないであろう遺族にとっては、一刻も早く死刑を執行してほしいと願うだろう。残忍で身勝手な凶行だったことは、論を俟たない。同時に、解らないことも多く残された事件だったと思う。
映画で描かれた「さとくん」には、静かにゆっくりと狂気が醸成していくような、そんな行動や言動がいくつか観られる。ひととしての一線を越えて凶行に及ぶ引き金が、施錠された部屋で監禁状態にある長期入所者の男の、吐き気のするような姿であったのかもしれない。そしてその一線のもう一つの線引きが重くのしかかる。「言葉の通じない人間には心がない」という、殺してもいい人間とそうでない人間を隔てるその線引きは、どのようにして彼を覆っていったのか? 突発的な狂気による衝動であったほうが、我々は事件を遠ざけることが出来る。熟考の末に導いた判断だとすれば、別の誰かも「さとくん」であった可能性が否定できない。現に、殺意をむき出しにしたヘイトスピーチや、弱者を守る側に対して暴力的に送りつけられる手紙やSNSの暴言は、ごく普通に日常を送る人間から、おもしろ半分に発せられてもいる。その狂気の増幅に、「さとくん」と同じ思考の種を見ることも出来る。
僕は堂島洋子という設定が、もうひとりの陽子とともに、とても印象に残って気になっている。デビュー作が評価された小説家で、その後は自作が書けなくなったという堂島洋子は、事件が起こる現場に職員として働くことになる。何か小説の題材があるのではないかという野心は、もうひとりの陽子のようには表に出さない。自分に変化が欲しいし、小説の題材がありそうだというさもしい内面があったのかもしれないし、無かったのかもしれない。一方の陽子は家庭内の問題として、父親への不信感をいだき続けるが、家の問題として閉じ込めようとする母親との関係や、その空気に絶望感さえ抱いている。陽子や他の職員の「慣れ」に、洋子は違和感を持つが、自分の居場所として、あるいは同僚として、そのありようを受け入れようともする。
堂島洋子は「さとくん」の言動に「優生思想」を感じ取り、それを問う場面がある。手作りの紙芝居を入所者の前で披露する彼に、弱者を切り捨てるような思想がふと重なるのは、同じ職場で働く立場として、どう理解すればいいのか? 洋子の怖れは不信感というよりは、理解できるかもしれないと思っていた人間の深層の不可解さだったのではないか? 夫・昌平が制作したアニメーションで、次々に船の上からひとを投げ捨てるシーンに共感を示している。一般的にも、映画では残酷なシーンが数え切れないほど描かれてきた。観客はどうしてそれを好むのだろうか? 「さとくん」の共感だけが特別ではない気がする。
子供を幼いうちに病気で亡くした洋子は、妊娠がわかった時に戸惑い、昌平に告げられない。「また同じことが起こるのではないのか?」「どこかに病を抱えた子供を産んでしまうのではないか?」と、友人の産婦人科医に相談する。妊娠期間の検査で胎児に異常が確認されたら、97%が堕胎を選ぶと映画の中で産婦人科医が伝える。映画内のセリフではあるが、根拠のある数字であろう。何らかの障害が一定のパーセンテージで現れることがあるとは理解していても、「自分の子であって欲しくない」と誰もが思うであろう。無事に出産したとしても、その後に何十年も継続する負担や精神的な負荷を、どれだけのひとが受け入れられるのか? ましてや現状の福祉政策の中では、両親の困窮さえも目に見えているではないかと。
洋子が施設で働き始めてから、一人の女性入所者を気にかけるようになる。意識があるのかどうかも判別できない寝たきりの女性は、言葉をかけても無反応であるし、胃瘻によってかろうじて命をつないでいる。部屋の窓は閉じられている。光も感じないらしい、と他の職員は言う。母親は長く入所する娘を見舞いに訪れる。洋子はこの女性の姿を、しばしばフラッシュバックして自分と重ねているように見える。「私が、この女性かもしれない」と思ったのかもしれない。洋子はあるとき、この女性の部屋の窓を開ける。確かそこに月が見えていたと思う。言葉をかけてみるが反応は見えない。洋子は何故、この女性と自分を重ねたのだろうか?
周知の通り、第二次世界大戦時のユダヤ人虐殺につながるヒトラーの「優生思想」は、戦時下の狂気という側面だけでは本質を掴めない。ヒトラーは、「断種法」で知的障害や精神障害のある人に不妊手術を強制した。精神病院で組織的な殺人を行った「T4作戦」も知られている。一方では、「ヒトラーユーゲント」で優秀な民族の健康で正しい若者だけを育てようとした。戦争は当事国の指導者によって正当化された狂気の暴力である。だから我々は、戦争という殺人の手段に、信じられない残虐性を見出すことが出来る。特定の人種の殲滅は、戦時下で優位な人種の国益から、差別された人種の生きる権利を排除することで正当化された。人間はそこまで残酷な手段を思いつくのか? 人種差別を根拠とした大量虐殺はもちろんだが、戦争兵器の残虐性は大量破壊兵器よりもむしろ、敵に対する極限の作戦にみることが出来る。対人地雷やクラスター弾の狂気は、その殺傷能力の低さにある。つまり殺さない程度の致命的な傷を負わせること。スナイパーが相手の兵士を一発で殺さないのも同じだ。一人の兵士を殺せば、背後の仲間は身を潜めるが、負傷を追わせればその兵士を救出しなければならない。自力で動けない兵士を、二人がかりで救出する。殺せば一人のマイナスだが、重傷を負わせれば三人が後退する。兵站にダメージを与えるのはどちらか? 醜悪で残酷な計算が「殺さない」対人地雷にもあてはまる。大量の死者よりも大量の重傷者のほうが、残った兵士にも、野戦病院の人員にも、戦費にもダメージも大きいということだ。戦時下の状況は、今もウクライナやパレスチナで進行し、強者の暴力性は戦争が長引くほどに激化し、残虐化する。
残念ながら現在の政治にも、そうした思想は隠れているし、むしろそれを隠さない破廉恥な国会議員もいる。資本主義の構造にどっぷりと浸かった醜い政治は、「生産性」や「経済の成長」を大義として、その実現が豊かさだと庶民を説得しようとする。一部の富裕層に憧れる「勝ち組」志向の若者だけを育てようとする。政府の愚策にも従順な、無抵抗の働き手を「経済の成長」のために使い倒す。現在の日本では最も重要で、一刻も早く解決策をとるべき「高齢化」と「福祉」に対する政策は、家族や家庭の問題として「愛情」に負荷をかけるだけの愚策にとどまる。何よりもケアに従事する働き手を軽視し続け、本来は家庭でみるべきケア労働を外部委託しただけのように、低賃金で酷使し、その重さと過酷さの責任を、外部委託した家庭の問題に押し戻そうとしている。資本主義の構造には、こうしたケア労働の価値はそもそも勘定に入っていないし、美しさや優しさを除外することしかできない。同じ構造の中に組み込んではならない必要性と価値を、まんまと構造の最底辺に押し込み続けてきた。その裂け目からはみ出した絶望が、あるいは疎外感が、低所得者や生活困窮者によるいくつもの悲劇的な事件をひき起こしていると言っていい。生きる権利を軽視し続ける政治は、次に起こる事件も自ら招き入れていると思う。低所得者や生活困窮者は、既にギリギリの無自覚な自分たちの姿でもある。100年以上に渡って、搾取と収奪を繰り返し、現在の社会構造を維持してきた世界が、簡単に変わるはずはない。それでも、今の政治が「還元」するべきは、わずかの一時金ではなくて、制度上の権利と尊厳であることは、多くの国民が気がついている。
僕は今、20代半ばの自分が撮影した精神病院の風景を思い出している。そこは神奈川県にあった。作業療法を担当する職員は、この病院での開放病棟を作り、敷地内の畑を作り、作物の販売を通じて地域の人と交流し、陶芸小屋を開放していた。僕は舞踏療法を行っていた舞踏家を取材して、ドキュメンタリーを作ろうとしていた。入所者と一緒に食堂で食事をしていると、「一晩泊まっていきますか?」と職員の人に言われたが、丁重にお断りしてしまった。正直、怖かったのだ。この病院にも閉鎖病棟はあり、施錠もされていると聞いた。それでも症状の軽い人たちは、開放されたスペースにそれぞれの居場所や役割を見出していたように思う。「夏祭り」や「忘年会」、入所者による「紅白歌合戦」や、踊りのイベントが思い出される。そしてこの病院は、その後、経営者が変わり、かつての理念は一変し、悪質な長期入所を強いる薬漬けの治療が発覚して新聞で報じられた。当時、開放病棟や作業療法、芸術療法を実践していた職員は、誰も残っていなかったようだ。僕は、その記事の衝撃が忘れられない。精神医療を担う場所を大きく変貌させ、あるいはひとつのコミュニティとして独立させようという運動は、他にもあった。青森の青南病院の千葉 元院長の取り組みは、写真家・羽永光利によって写真集(『砂丘の足跡』1985年刊行)に残されている。北海道の「つるい養生邑病院」も、志半ばで潰えたが創設者の宮田國男医師の理念と構想は美しかった。宮田医師は学生時代に前衛芸術家との交流があって、自身が開業医となるまで新橋に「内科画廊」(1963年〜66年)を開設していた。「つるい養生邑病院」は現在も存続している。この先駆者たちの理念を知って、僕は舞踏療法の取材を始めたのだった。
僕は今、いくつもの別の映画も思い浮かべる。
認知症や不自由な身体の高齢者と暮らす家族、高齢者施設の従事者、先天性や後天的な障害を負った人たちとその家族、周囲の人たち、あるいは特別支援学校の教師たちの姿が思い出される。その障害の理由や原因は様々だった。傷害や事故のように加害者が明確な場合もある。公害のように、加害の責任者が多岐にわたり明確ではない場合もある。一瞬にして絶望的な状況に置かれた人たちもいた。苦しみから自ら尊厳死を選んだひともいた。それらは正しさや優しさだけでは乗り越えられない困難さも映し出していた。そして生きる権利の尊厳と価値、美しさもそこには描かれていた。映画に限らず、テレビドキュメンタリーやドラマでも、数えあげればきりがないほど、そうした映像を観てきた。ひとが生きる権利はどんな事があっても、他者から奪われてはならないと思っている。自死を思いとどまらせるだけの、少し先の未来が思い描ける社会であって欲しい。だからこそ、人の深層にある残酷な思考さえも直視して、それがはみ出す裂け目を作ってはならないのだと思う。誰も絶望させてはならない。しかし、残念ながら誰ひとり取り残さないような社会は、現状の社会構造の延長には現れない。弱者を搾取して収奪を続けることで、この社会の構造を維持し続けて行きた。では、どんな社会が実現されれば、搾取と差別の構造を覆すことが出来るのか? 僕は答えなど持っていないけれども、破滅ではない未来を信じることにする。
月は陽光を反射しているから、地上が暗いほど美しく輝く。古くから、人は月の光に様々な思いを映した。満月の癒やされ、月光が思いの外明るいことに気づく。朧気な光には不安を覚えたりした。満ち欠けで日々を数え、三日月の危う形には悲哀を重ねた。多くの物語が、言葉としてあり、音楽や舞にも残されている。
この『月』という映画は、生きる権利と弱者の尊厳、弱者と共存する家族や周囲の人たち、介護労働者の苦悩と人間の本質的な狂気を描きながら、突き詰めれば資本主義社会の構造的な矛盾と限界を露呈しているのだと思う。そして現在に描かれるべき映画だったと改めて確信する。
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『福田村事件』 監督:森 達也 2023年 日本 137分
いくつかの学校で「映像論」の類を担当しているので、授業の冒頭で「先週観てきた映画」を紹介することがある。先日、授業の後でひとりの学生が「先生、もっと楽しくなるような映画を紹介してください」と笑いながら言ってきた。言われてみれば最近紹介した映画は、『アダマン号に乗って』や『僕たちの哲学教室』などのドキュメンタリーや、イラン映画の『君は行先を知らない』とか『熊は、いない』、『オオカミの家』とこの『福田村事件』だった。これまでもそうしてきたけれども、なるほど「楽しい映画」は紹介していないことに気がつく。それはたぶん、自分への戒めなのかもしれない。学生たちにとっては迷惑な話だ。
映画は近・現代史の「もうひとつの教科書」だと思っている。だから「できるだけ、知らない国や地域の映画を観るといいですよ」などと話している。それは自分の方向性がブレないための言葉でもある。
『福田村事件』を観たのは10月21日(土)だった。公開からはひと月半くらい経っているけれども、テアトル新宿の15:50の回は218席の6割位は入っていただろうか? 東京上映の回は各劇場でも少なくなっているとはいえ、各地のミニシアター系列で上映が続いている。その事に驚きもあり、また、ミニシアターの存続危機に対して、ひとつの抵抗運動のようにも思われた。関東大震災から100年の年の9月に公開されたことの意味は、まさに歴史の暗部を消し去りたいという大きな力に対する抵抗運動だったのかもしれない。もうひとつの抵抗は、前年の1922年の「水平社宣言」を映画のラスト近くで大胆に引用していることだろう。それは、四国の讃岐からやってきたという薬売りの一団の、少年が暗唱する叫び声であり、讃岐から旅立つ時に同郷の少女から手渡されたお守りの中にも託されていた。この15人の薬売りの一団の9人が自警団によって殺害された事実が、『福田村事件』では劇映画として描かれていた。この一団は全員が日本人であるが、自らを「穢多」と言い、「穢多が作った薬には何が入っとるかわからんぞ」といった差別を受けていたことも描かれている。彼らの宿舎では「朝鮮人と俺たちとどっちが上か?」「自分たちに決まっとる」などと、「一般の日本人」とは別の差別感情も隠さない。この二重の差別構造もこの映画ではとても描きにくく、それでも重要な事実だと思う。
関東大震災から数日の間に「朝鮮人が井戸に毒薬を入れた」「朝鮮人が襲ってくる」といった流言が広範囲に拡散し、伝えられた蛮行が信じられたのは何故だったのか? 流言は尾鰭を纏い、誰も観ていない出来事が次々に、瞬時に、真実味を帯びたのは何故か? あるいは労働者の立場に立った社会主義者たちが、混乱に乗じて捕らえられ暴行死に至ったことは何を意味していたのか? 社会主義者たちが最底辺の労働者であった朝鮮人たちを煽り、暴動を扇動したと疑ったのか? そうしたことにして見せしめの暴行を加えたのか? 国政は、自治体は、自警団は、あるいはその地に暮らす人々は何をそれほど恐れたのだろうか? 確実な情報が何ひとつ無い非常事態の混乱が、普通の人たちを狂わせたのだと納得させていいのだろうか?
多くの人たちに「心あたり」があったからだと思う。1910年8月22日の日韓併合によって、朝鮮半島は李王朝の専制王権国家から開放されたとしても、条約による同意と契約という見かけの正当性を盾に、暴政に変わって資本投下して工業化を進め、その豊かさだけは日本に回収し、朝鮮半島を植民地化し朝鮮人民を搾取・収奪し続けた。それは併合直後の「半日義兵闘争」や1919年(関東大震災の4年前)に「三・一独立運動」が、激しく展開されたことでも解る。独立運動は当然のように、運動よりも激しく弾圧され、多くの死者と逮捕者を出した。死者は7千人、負傷者4万人、逮捕者5万人とも記されている。一方で、そうした弾圧を無かったことのように、日本支配がもたらした近代化と工業化に伴うインフラ整備の恩恵と、見違えたような豊かさを強調するような記載もある。「日鮮同祖論」は、植民地支配に都合よく解釈され、政治利用された。しかし実際には、日本は資本投資だけではなく、朝鮮半島から安い労働力を引き込み、日本国内でも炭鉱労働など過酷な現場で、その労働力を搾取した。いや、おそらくその殆どが暴力を伴う収奪、没収、徴用であったはずだ。
朝鮮で虐殺を目撃し、福田村に帰って来る劇中の澤田智一だけでなく、「心あたり」のある差別的な労働搾取や暴行は、日本の各地のそれぞれの地域の身近な場所でも目撃されていたはずだ。日本の近代化は、表向きは労働者との契約で「自由な労働者」を生み出したように見えるけれども、労働者や一般市民の下位に「他者」としてのより差別される者たちを維持し、輸入した。国内では被差別部落民たちであり、国外からは差別しても収奪しても、没収しても略奪しても許される下層の民としての朝鮮人たちを徴用し制度化していった。日本人の労働者からの理不尽な搾取を正当化するために、「下見て暮らせ」と言わんばかりに、より酷い待遇の労働者からは収奪・略奪を繰り返した。労働者の権利を主張し団結を後押しする社会主義者たちは、この制度にとっては邪魔者たちだった。
「心あたり」といえば「何故、誰も止めることができなかったのか?」という問いにも思い当たる。自分も含めて第二次世界大戦後に産まれた者たちは、この問いを両親や祖父母に質したことがある。その無力な問いが、現在に繋がっていることも承知しているはずだ。日清・日露戦争から、既に始まっていた経済的な困窮とは無縁に、日本の不敗神話は無根拠に信じられた。「国のやることが間違っているはずはない」「自分とは無縁のことだと思っていた」「おかしいとは思っていた」「自分だけが反対はできなかった」「あの状況で止められるはずがない」そして、「やはり間違っていた」か「そんなことは起こっていない」と言い張るか。
森 達也監督のメッセージは、この複雑で身勝手な国民感情にも言及していると思う。だから現在の強者や権力者たちは、不都合な歴史の事実から目を背けようとする。
薬売りの親方・沼部新助の「朝鮮人だったら、殺してもいいのか!」という言葉から、薬売りたちへの狂った虐殺が始まるのは、沼部たちが被った差別と、朝鮮人への暴力的な収奪が、同じ方向に向かう抵抗だったからではないか? 自分の夫を朝鮮人に殺されたと思い込んでいる妻は、発作的に沼部の頭部を穿つ。この女にとっては沼部たちも朝鮮人も「他者」にすぎなくなった。現在、ひとを貶め傷つけるためだけに吐かれる卑劣な暴言を「ヘイトスピーチ」などと言い変える必要はない。在日朝鮮人の人々を「ゴキブリ」だの「死ね、帰れ」などと言い放ち、野蛮な行為を正当化さえしようとする輩に「朝鮮人だったら殺してもいいのか?」という問いを、100年も隔てた今も問わねばならない。こんな輩がはびこる貧しい国に生きる者たちは、ここに生きる権利を主張した事はあっても、暴動を企てたり、政府の転覆を図ったことがあっただろうか? ただ平穏に暮らそうとしているだけではないのか?
この沼部の問いに100年前の、そして現在の誰がきちんと答えられるのか?
現在を見渡せば、また、別の思いもよぎる。良い戦争など無い。同様に許されるミサイルも、正義の破壊兵器もない。歴史上、一時的に歓迎された侵攻があったとすれば、それは「民族の解放」を装った略奪の第一段階であったはずだ。ミサイルも戦闘機も戦車も、人を殺す道具でしか無い。どれだけ条約や契約で正当化しても戦争は殺人の連鎖でしか無いことは、誰もが知っている。唯一、許されるかもしれない暴力は、民族の自立や独立を求めた抵抗運動であると思う。それでも無抵抗や非暴力が強いられるのは常に弱者の側だけなのは何故か? 国や権力者の組織的暴力や殺人は「正しい戦争」と言い換えられ、その狂気を隠蔽してきた。
この映画のメッセージを「自分とは無縁で過去の出来事だ」と、無関心を決め込む日本人とは、いったい誰のことなのか? 映画を観た者の「心あたり」に、鈍痛のようにいつまでも響き続けている。
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『君たちはどう生きるか』
監督・原作・脚本:宮崎駿 2023年 日本 124分
この映画については、一切の告知も宣伝もないということに興味を持っていたから、なんの予備知識もなく(まだ『君たちはどう生きるのか』の本も漫画も読んでいない)アニメーション映画として楽しんだ。そして映画を観てから随分といろんなことを考えた。
時代や地域、人物の設定などが原作から着想されているらしいけれども、何しろ、塔の中の世界観が奇っ怪だと思った。日本神話的なモチーフや西洋の迷宮のような構造が、中盤から随所に現れ、めくるめくように展開していく。それはとても視覚的な楽しみではあるけれども、下手をすれば新興宗教が説く死語や来世の世界観を絵解きしているようにも思われるかもしれない。
その塔は、かつて空から落ちてきた巨石を囲って建てられたのだと伝わっている。磐座や石舞台など巨石信仰を思わせる場所に、亡き母が居るという設定。そして中空に浮かぶエネルギーの塊のような巨石。民俗学や考古学に触発された作品が好きだから、幾つもの描写が自分の記憶をかすって、ぐるぐると回る。視覚的な刺激に満ちていることは間違いない。だから、知りたくなってくるのだ。このイメージの源泉は何処にあるのだろうかと。
映画をきっかけに、ぐるぐると考えが巡ってその正体を知りたくて、あれこれ回り道をしてみる。これも映画のひとつの楽しみ方だと思う。
『「めくるめき」の芸術工学』
神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ
吉武泰水 監修 杉浦康平 編 1998年5月20日 発行 工作舎
読書の不思議なめぐり合わせというのは確かにあるのだと思う。この本を「ふと…」書棚から手に取ったのは宮崎 駿監督の『君たちはどう生きるか』を観たからだった。あの映画の世界観の設定は、同名の書からの着想だとされているが、宮崎監督の創作の視覚的な部分はいったいどこから来ているのだろうかと、あれこれ考えていたときに、何かに導かれるように本書に手を伸ばした。
本書は神戸芸術工科大学のレクチャーシリーズの2冊めで、1998年に刊行されている。大学の開学は1989年4月で、このシリーズは「円相」の芸術工学、「めくるめき」の〜、「ふと…」の〜、と続いていた。シリーズは杉浦康平のデザインで、部分的には色使いなどとても読み難いが、それがこの時代のかっこいい装丁だったことも懐かしく思い出される。一度は読んだはずなのだが、その時は自分の感度が低くて、知的な刺激に巡り合わなかったのだと後悔している。いや読書とはそういう巡り合わせなのだと、今は納得している。
内容はとにかく楽しい。「めくるめき」を巡って8人のレクチャーが展開され、とても刺激的である。
この「めくるめき」〜をパラパラとめくっていくと、Lecture 1〈「私とは?」の自己言及から数学の夢が解かれる。山口昌哉〉のカオスとフラクタルの図解と解説、自己相似形の部分と全体、入れ子状の図解から始まり、Lecture 2〈「エレベーター」そのあくなき非めくるめき現象の追求。田辺仁夫〉、Lecture 3〈「ローラーコースター」めくるめく加速度の世界を遊ぶ。川口博義〉、Lecture 4〈「脳科学」が解明する伝統的祝祭パフォーマンスの合理性。大橋 力〉と続き、トランス状態の解明やその視覚的体験を説明する。Lecture 5〈「本当の自分」は誰かが見ている夢ではないのか。香山リカ〉では自分という不確実な存在を、精神医学の症例から読み解き、Lecture 6〈「虚人たち」の行方を、夢と現実が揺らめくはざまに追う。筒井康隆〉と続き、小説が描く内なる宇宙や『虚人たち』で試みた複数の主人公の視点や「超虚構」の視
覚表現について解かれるとき、もはや偶然とは思われない出会いに気がついていく。Lecture 7〈「驚異の部屋」めぐりめぐって……。高山 宏〉に至っては、マニエリスムの図解からパノラマ、円環、螺旋階段、迷宮といったキーワードが続き、Lecture 8〈「サイボーグ・キュビズム」の眩惑。巽 孝之〉ではサイバーパンクと電脳空間、記憶と視覚の装置が小説やSF映画を引き出して解説されている。こうなるとほぼ、宮崎 駿の『君たちはどう生きるか』を読み解くためのテキストであるかのようだ。これに日本神話の起源や墳墓の形態の解説が加われば、完璧だと思った。
『「ふと…」の芸術工学』
神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ
吉武泰水+鈴木成文 監修 杉浦康平 編 1999年9月3日 発行 工作舎
『「めくるめき」の芸術工学』の後に、この「ふと…」を読む。また、読書の偶然を実感するわけだけれども、本書のレクチャーにはまた、「はっと」させられてしまった。まさに「セレンディピティ」が作用したとしか思われないからだ。「探してもいなかったものが、ふと見つかる」という感覚がとても心地よく作用した気がする。
Lecture1は赤瀬川原平さんの〈誰のものでもない路上のものにふと…こころ洗われる。〉で、「ふと…」を面白がり続けている赤瀬川さんの活動は、路上観察や『老人力』でも『新解さんの謎』でも、あるいは小説でも、僕は「ハイ・レッド・センター」から大好きで、長期に
渡って共感・共鳴し続けていた。本書ではそのエッセンスが理解できるコンパクトな内容だった。
Lecture2は、夏目房之介の〈はっとして、時間をあやつるコマの「ふと…」〉と題したマンガの「ふと…」について。言われてみればマンガでは人物の頭の斜め上に「!!!」のような線が付
されて、何かに気がついたような、ひらめいたような瞬間を表現している。この項でコマ割りで表現された視点の移動や空間の飛躍はとても面白かった。
その後の4つの講義も気持ちよく迂回しているけれど、問題の核心はLecture7からだ。〈キネマティック・セレンディピティ 動く幾何学モデルより〉では、講師のカスパー・シュワーベによるデモンストレーションがあったらしい。本書では写真構成で再現している。金属や木材で組み立てられた構造物を、一定の方向に伸ばしたり回したり捻ったり縮めたりすると、思いがけない形に変化したり、分裂したように見えたり、原型からはずいぶんと隔たった形に変わったりしている。フラー・ドームが簡潔で最大の強度を得たように、そうした幾何学的なモデルの構造を解明することは、次のひらめきへの導線のように思われる。
Lecture8は〈無数の意味に囲まれてふと…アフォーダンスを生きている。〉(佐々木正人)と題されている。「affordance」は「米国の知覚心理学者であるジェームズ・ギブソン(1904-79)による造語です。アフォーダンスは物に備わる性質である、と同時に、物と動物の関係、つまり物にふれる動物の行為によって、初めて現れてくる性質です。」と、冒頭で説明されている。はて、どういうことなのかと思いながら頁を繰っていくと、ダーウィンのミミズ観察の話が出てくる。ミミズが自分の掘った穴を塞ぐときに、葉っぱを引き込む。その葉の選択や塞ぐことに使う部分には一定の法則がありそうだ。そのミミズの行為をさせているのは何か? 本能とか感覚ではなくて、なにか特定の反応があり、それは葉と接触したことによって現れた特別な性質なのだということらしい。これは面白い。人間もある環境に出会ったときに一定の似たような行動をする。この場合のアフォーダンスは環境に潜んでいる行為の可能性を誘発する、その種というか、元のようなもの。それは視覚との関係ではどうなのか? 「ギブソンは環境にあることはミーディアム(媒質)、サブスタンス(物質)、サーフェス(表面)の三つだとしています。」(p251)と書かれていて、それは人の両眼視とも関係がある。
サーフェスを認識すること、いや、認識ではなくて出会うこと。海面や地表面に計り知れないエネルギーや無数の何かが拡散していくことを抑え込んでいるような、そうした潜在を感じ取ることがある。それらはしばしば視覚化されることもあるのだ。
ギブソンの著作には『視知覚への生態学的接近』(1970)があるらしい。光がわれわれを包囲しているという「包囲光」の視覚化を試みる。「立体角がつくりあげる「包囲光の球の境界の中に他の形がある」とギブソンは言いました。その意味は包囲光が、移動によって隠されていたものを現すということを基礎にして、われわれに意味をもたらしているということです。」(p256)で示されたように、潜在している得体のしれないエネルギーが光の移動によって、夥しい姿を現す。そんな視覚体験を擬似的に再現した作品を、これまでに幾つか見たように思いう。それは映像作品だけではなくて、絵画や彫刻でもあり、野外に設置されたインスタレー
ションでも、この「包囲光」とその作用を連想させる作品が、確かに、在った。
宮崎駿の『君たちはどう生きるか』でも、それ以外の宮崎映画でも。
『円相の芸術工学』
神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ
吉武泰水 監修 杉浦康平 編 1995年9月1日 発行 工作舎
このレクチャースリーズを逆走するように、最初に出版された『円相の芸術工学』まで遡った。読書の順番は、偶然のようで、なにか不思議なきっかけで次々に連鎖することがある。この一連の読書がそうだった。
円相という言葉が面白かった。本書の最終講に繋がる曼荼羅の円であり、禅僧の悟りの境地を現す形であり世界観でもある。円や球を図像として捉えた場合には、その作図法から複雑な幾何学的展開をみることができる。対数螺旋とアルキメデス螺旋はヒマワリやオウム貝のような、動植物の自然な造形美と呼応していて面白い。またギターを弾く時のおにぎりピックのようなルーロー三角形は、ロータリーエンジンや、映画のカメラ・映写機の偏心カムに使われている形で、円から派生する。図像としての面白さと深さは、身体や精神の深淵とも関係している。世界を円形で描き現そうと試みられた「羅盤」の複雑さには目眩がするし、中国から朝鮮に伝わった経緯で「風水」といった地勢を占う術にも繋がっていく。コマ回しや双六など、子どもの遊びにも様々な回転や円環の応用がある。円環や渦もまた不思議な呪力を生み出すことがある。その組み合わせによる深い世界観が曼荼羅や悟りに繋がることは、容易に想像できるが、その達観に至ることは容易ではない。Lecture10〈「花が咲き、川が流れる」無我の境地
から、存在が開かれる。〉(上田閑照)では、禅における円相と十牛図が丁寧に解説される。
十牛図は牛と牧人の話で、大切な牛がどこかへ行ってしまったという設定から始まる。円形の枠内に描かれた十の状況の8番目「忘牛存人」に円相が現れると書かれているけれども、牛の存在を忘れることで本当の自分がはっきりと現れるということらしい。円の中には牛は描かれていない。大切な存在を「忘れる」ことができると、本来の自分がたち現れてくるという悟りのような境地は、実は、この読書の振り出しの『君たちはどう生きるか』に、図らずもひと回りして戻ってはいないか? 円環の妙をこうして体験するのだった。
宮崎駿監督の映画『君たちはどう生きるか』を観たことが、燻っていた自分の興味に火を点け知的な円環を彷徨ったように思う。楽しかった。
それにしてもこのシリーズは、神戸芸術工科大学が開学の志を連続講座で示し、書籍化したものだけれども、本当に立派な取り組みだと思う。著者の選定や人目を惹くデザインも含めて、従来の「〇〇大学出版」という堅い枠組みを広げてくれたことは確かだと思う。
既に日本では忘れ去られた「大学とは何か」が垣間見える。何事にもショートカットや対費用効果が取り沙汰される現在、この壮大な迂回を心地よく追体験できた。
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『オオカミの家』 原題:La Casa Lobo
監督:クリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ 2018年 チリ 74分
現物の造形と壁や床に描かれた絵が次々に変形していく。人形や造形物の完成形が動くのではなく、それがかたち作られ、朽ちて腐食していく過程があらわになり、連続するイメージの飛躍には、アニメーションの原初的な驚きがある。それはグロテスクな色彩を纏って、実景が異物の侵入に飲み込まれていくような恐怖を喚起する。
チラシのビジュアルにはただならぬ気配があったけれど、「とんでもないアニメーションを観てしまった」というのが、観終わった後の素朴な感想だった。チラシのスチルカットから、勝手にシュヴァンクマイエルの『テオサーネク』を連想していたので、チリで伝承される民話や教訓譚をベースにしているのだろうか?などと思いながら、導入部を観ていた。背景の設定については、ドイツ人の移民が独自の文化でコミュニティを作って、地元からも隔絶した暮らしをしていたのか、あるいは何らかの理由で頓挫したか崩壊したかしたのだろうか?などと考えていた自分がとても恥ずかしくなる。正直なところ「コロニア・ディグニダ」結びつけることができなかった。
作品の設定には現在に繋がるチリの現代史の暗部があった。それが、この途方もない創作の原動力であり、作り上げるまでの強固な意思だったのかもしれない。「コロニア・ディグニダ」については、これまでに何度か映画化もされている事件であり歴史であった。しかしそれは、部屋に入った途端に背後に押しやられる。壁に描かれる絵は「連続」しているかのように見えるのではなく、それは間違いなく連続している作業なのだと思う。いや、連続せざるを得ない、途切れさせる事ができない絶望的な作業の連続が、この狂気の視覚体験を生み出している。その作業を持続させた意思とは何だったのだろうか? 猟奇的にも見える壁画や造形物の変化は、ホラー映画を連想させるのかもしれない。ホラーが恐怖であるとすれば、この作品の背後にあったのは作り物ではない恐怖の記憶だったと思う。それらを再現前化し、つぎつぎに消し去るという作業の連続が、繰り返された愚行の歴史を踏まえてはいないか? 作者たちの声が聴こえる気がする。
アニメーションとしての作風から、ヤン・シュヴァンクマイエルやブラザーズ・クエイを想起した人もいると思うし、僕も『テオサーネク』を思い出した。絵画が動くようなアニメーションということならば、ロシアのアレクサンドル・ペドロフの緻密な描画を思い起こす。あるいは石田尚志の『部屋/形態』で、現物の壁が描画に侵食されるような圧倒的な作業量に、あるいは相原信洋が建物の壁に描いた現物の迫力に驚愕したことが蘇る。思いついたとしても絶対に自分では取り組みたくないような、絶望的な作業が想像できる。その驚愕の度合いが更新されてしまったと思う。
併映・短編『骨』
監督:クリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ 2021年/チリ/14分
メモ
1961年チリ共和国マウレ州リナレス県パラルにドイツ系移民が中心となって開墾した入植地。
元ナチス党員パウル・シェーファー、子供の性的虐待。1973年以降、ピノチェトとの協力関係。軍事組織とも連携、秘密警察の連行先になり拷問が常態化する。武器/兵器の隠蔽にも使われた。
『コロニアの子供たち』
監督:マティアス・ロハス・バレンシア
2021年 99分 チリ・フランス・ドイツ・アルゼンチン・コロンビア
『コロニア』
監督:フローリアン・ガレンベルガー
2015年 110分 ドイツ・ルクセンブルグ・フランス・イギリス
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『熊は、いない』No Bears
監督・脚本・製作・主演:ジャハル・パナヒ
2022年 イラン 107分
2023年9月19日 新宿武蔵野館
『熊は、いない』を巡ってあれこれ考えたこと
いくらイラン映画が面白いと言っても、まさか立て続けに驚くことはないだろうと思っていたら、父親の映画は途方もなく居心地が悪く、帰り道でずっと考え込んでいた。居心地の悪さは、映画の評価とは無縁で、むしろ突きつけられたのは、安全地帯の観客で居ることのバツの悪さでもあったと思う。
息子であるパナー・パナヒの映画『君は行先を知らない』も、イランとトルコの国境付近へ向かう物語であったが、この『熊は、いない』で描かれる国境には、地続きの暴力的に引かれた境界線である以上に、幾重にも越境の困難さがある。
冒頭で現れる男女のやり取りに、ようやくパスポートを手に入れたという設定がある。街や人の様子からイランではなさそうだ。二人は何処かへ逃亡するのだろうか? 女のパスポートだけが手に入り、男は後から行くという。女は一緒ではないことを理由に、旅立つことを拒否する。どうやら偽造パスポートを手に入れ国外に不法に脱出する計画なのだと想像できる。
場面は、ズームバックして「カット」という声が入る。「どうですか?監督?」という声はMac bookの画面から聞こえてくる。この映画を遠隔で指示しているのはジャファル・パナヒ本人であることが解る。こうした入れ子構造が珍しいわけではない。キアロスタミの『オリーブの林を抜けて』では終始、そうした「映画」の中とその撮影現場との行き来があり、観客を心地よく混乱させてくれた。この映画もそうなのだろうか? パナヒ監督の指示は、電波状態の不具合で途切れる。通信さえも不自由な場所のようで、撮影の指示を再開しようと、窓際やら屋根の上やら受信ができる場所をあちこち探している。
最初に現れる国境は、どうやら映画が撮影されている場所から、この男女が逃れようとしている場所との境界のようだ。村人から「先生」と呼ばれているパナヒ監督は、土塀に囲まれた粗末な住居にテーブルを置き、家主の母親から食事を提供してもらっている。家主である息子は、村長の紹介で「先生」に宿を提供しているようだ。低姿勢な態度で、都会からやってきた「先生」に失礼が無いように振る舞っている。若いカップルの婚礼の儀式があるからと、息子が出かけようしている。若いカップルを祝福して、川で村人が二人の足を洗うという儀式があ
るらしい。慎ましく微笑ましい儀式を、「先生」からカメラを渡された家主が撮影することになる。映像を確認すると、いわゆる逆スイッチで、停止したはずのカメラが録画を続けていて、「先生」のことを実は怪しいと思っている家主の本音が聞こえてくる。バツの悪い家主は「先生」の部屋を去っていくが、どうやら村人の困惑を代弁しているようだ。
われわれ観客は、イランで「先生」が映画制作を禁じられている事実を知っている。「先生」はこっそりと越境した場所で映画を撮っているのだろうか? あるいは自らも国外への逃亡を企てているのだろうか? 映画の前半は、この「〜だろうか?」という問いが頭の中を巡る。
故郷を超えたトルコで撮影されているらしい映画の現場から、スタッフが映像素材を持ってやってくる。「先生」と待ち合わせた場所の近くに、密輸入者が使うルートがあると言う。「先生」は躊躇する。スタッフの誘いに乗って、その気になれば不法に越境できるかもしれない。国境からは、それほど遠くない場所に街の明かりが見える。「あそこで映画を撮影しています」とスタッフの男が言う。「国境は何処だ?」「足元です」というやり取り。「先生」は少し後ずさる。二つ目の国境は、越えようと思えば造作もなくたどり着いた、今、足元にあるというの見えない境目だった。
国境付近にでかけたことは、すぐに村人にバレてしまう。車に付いた土で解るという。村人の不信感は募る。
別の理由で、この村を逃れようとしているのは若いカップルだった。生まれたときから許嫁が決まっているという村の信仰は、若い女を悩ませている。決められていた男は女を探すが、女は別の男と結ばれたい。それを許さない村を出ようとしている。「先生」のカメラには逃げようとしている二人が写っていると、村人たちが騒ぐ。「そんな写真はない」という「先生」に村人は食い下がり、怒った「先生」が証拠を見せるためにSD カードごと渡す。この疑惑の顛末は、村人たちの集会で、神に誓う宣言をすることだった。もうひとつの境界は、この修復できない不信感の連鎖だったのかもしれない。
特別な集会所がある場所は「熊がでるから立ち入ってはいけない場所」だと言われている。その先には「熊は、いない」という村長の言葉に、ふと、一番巨大な障壁は、信仰の中に根付いているのだと気がつく。些細な疑惑を晴らすために、村人たちの前であえて「公式」に、何かを宣誓し、裁判のように真実だけを述べよと追い詰められることにどれだけの意味があるのか? 言い伝えや信仰や儀式は、その民族の文化としては尊重することができても、理不尽さを押し付けるだけの権力もまた同時に許容しなければならないのか? 「熊」はそうして得体のしれないなにかの呪縛のようなものだと思う。だから、そこにはいるし、いない。
「先生」は結果的に「熊」を呼び起こしてしまったように思う。村から去ることを余儀なくされた「先生」の車が、冒頭の婚礼の儀式の場所に差し掛かった時、村の風習から逃げられなかった若いカップルが、最悪の形でこの世を去ってしまっていた。
そして、トルコで撮影されていた映画はいったいどうなったのか?
この二人の越境の顛末は、「映画」として見事に吸収されていく。
驚くべき映画を観てしまった。そして、観終わった自分は、ものすごく居心地が悪い。
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『Wakka』
製作・脚本・編集・監督:中島 洋 2023年 DCP 40分
2023年9月26日 ユーロライブ
一度目に観た時は「思い切った映画だな」と思い、二度目は、選ばれた風景に託された「コトバ」や、無言の所作の気配が腑に落ちた。
この映画が制作されていたことはFBなどを通じて知っていたが、今回の東京上映でようやく観ることができた。タイトルの『Wakka』がアイヌの言葉で水を意味するということ以外に予備知識はなかった。監督の中島洋さんは、札幌でミニシアター「シアター・キノ」を運営されている。映像作家でもあり、インスタレーションなども発表されている。大林宣彦監督が芦別で開催していた映画祭でもお会いしていた。僕らの作品集「3.11 SVP2 編」が、2012年に『Faraway, so Close!』という上映イベント(CA 102 札幌)で上映された時も見に来ていただいていた。だから『Wakka』はとても気になっていた映画だった。
今回の東京上映では、図らずも二度続けて観ることになった。上映後に二度の上映の後にトークがあり、その記録を中島さんから頼まれたので、二度のトークも併せて聴くことができた。
一度目の登壇者は監督の中島洋さんと、主演の平原慎太郎さん、中島岳志さん、二度目は中島さんと撮影監督で写真家の露口啓二さん、四方幸子さんだった。
初見では、現れる映像に向かい合いながら、いろんな思いがぐるぐると巡る。時々立ち止まるようにただぼんやりと眺めたり、聴こえてくる音に身を委ねたり、胸騒ぎのような共感を覚えたりする。意味も探ったりしながら、次のカットの不意打ちに驚いたりもする。
トークを挟んだこともあり、映画の背景を知識として加えることができた。
二度目は、現れる映像の細部を注視したりする余裕もある。ダンサーである平原慎太郎さんの所作にも、聴こえてくる音にも、一度目とは別の発見があったように思う。
映画『Wakka』を書こうとすれば、一人の男が先端に蛇口の付いた長く細い水道管を持って、様々な場所に突き刺していく、そういう映画だ。セリフはない、ナレーションもモノローグもなく、音としての言葉は一切ない。音楽はあるのだが、それはなにかの旋律と言うよりも自然音や状況音を楽器を使って増幅しているような、そんな印象の音の重なりだった。
冒頭の暗闇からわずかに見えてくるのは、吹雪のように視界を遮る風雪と、既に深く積もった雪の風景だった。その後に映るフィックスのカットは静止画ではないかと思う。美しい風景ではなく、水が見えるけれども、コンクリートで囲まれた半地下の水路のような印象だった。それが、死滅しそうな水脈ではないかと思ったのは、二度目の上映後だった。やがて水道管だと解る管を持った男は、幾つかの場所を探りながら、管を突き刺す。水脈を探っているのだろうか? 男が歩くために選ばれた風景も、奇妙な違和感があった。美しくはない。画面のどこかに人工的な残骸が見える。朽ちそうな球形の遊具であったり、錆びた鉄塔であったり、砂防ダムの痕跡のようなコンクリートだったりした。男は彷徨うに、その何処かを探しているようでもあった。水道管を突き刺すために適した場所があるのだろうか? そしていったい何処へ行けば、水脈のようなものに辿り着けるのだろうかと思っていた。
水辺でアイヌを継ぐ男性がひとりで座っている。炭のようなものを燃やし、酒で清めているのだろうか? 儀式のようであるが、ささやかな祈りのようでもある。アイヌの儀式に詳しい訳では無いが、火はもちろん重要で、「祈り」と「返し」のように、漁や猟の感謝と安全を祈り、頂いた命をカムイの国に返す意味があると、どこかで読んだ記憶がある。儀式に使う道具が映画の場面でも置かれている。(名前が気になったので検索すると「逆さ削りのイナウ」という選ばれた枝を削って作られたものらしい)映画の中では、ひとりで行い、声を発したりはしない。よく見ると男が座っている後ろには、水道管のようなものが見える。背後から管を持った男が現れ、お互いに気がつくのだが言葉を交わすこともない。この場所にも北海道の水脈としての意味があるのだということは、その後の解説で解ったのだが、画面を見ていてもその事は解らない。それでいいのだと思う。
印象的なカットは、朝日が登る場所に幾つもの管が立てられている風景だ。それらは同じ長さらしいのだが、配置は規則的ではない。少し傾いたりしていて、長さもランダムに見えることがある。この風景には既視感があった。それはクリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーションであり、ダニエル・リベスキンドの『ベルリン・ユダヤ博物館』の夥しく不揃いな記念碑でもあり、島袋道浩さんが石巻の浜で行った流木を「起こす」行為だった。あるいは、ウクライナで戦禍の被害者の数だけ立てられた国旗やヒマワリだったかもしれない。共鳴というのはこういう瞬間だと思うのだ。映画の風景に引き出されるように、様々な景色が錯綜して脳裏に現れる。それは、ボルタンスキーにもダニエル・リベスキンドにも「死者との対話」があるからだと思う。島袋道浩の、津波で削られて露出した山肌と、被害にあった海岸で流木を起こす行為には「再生への祈り」があった。『Wakka』のこの場面は、そんな記憶が呼び起こされるような風景だった。
「島袋道浩」REBORN ART FES 2017
映画の終盤に、唐突に赤い衣装の女性が現れる。同じように長い水道管を持っているのだが、動物の求愛のような動きをする。映画のカメラも、地を這うような女性の動きに合わせるように、突如、動的な手持ちのカメラワークになり、二人の男女の激しい動きを映し出す。生命感のある「再生」を予感させるようなカットなのだ。
40分の映画には、幾つもの隠喩があるといえる。しかしそれは絵解きや深読みを強いるようなものではないし、難解な映像ではない。僕が一度目にそうしたように、映像や音に身を委ねるように共鳴すればいいし、気持ちがそうなれば深く考えてみればいい。そんな映画なのだと思う。
ところで、水道管の先端の蛇口からは「水」が出てくるのか? 映画のラストでは、僅かな希望のように、一滴の水滴が落ちようとする。
それを願うように、祈るように、ゆっくりと。
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『宇川直宏展』
練馬区立美術館 2023.9.17
しばらく前からメディアアートや現代美術に食傷気味で、サブカルチャーのムーブメントにも興味を失っていた。だから、宇川直宏が今、何処に居るのか?と気になっていた。
結論めいた事を言ってみると、美術館で回顧展のようなものが企画された事が、既にアーカイブ化の作業に入っているのかと思いながら、それでもずっと彼は「現在」の中に居るのだと思った。
その時々の「現在」を横軸でスライスしたような世界が、時代区分を目印に展示されていた。
時代と並走したメディアは、音楽や映像、演劇、文学を軸に、DJ、流行歌、パンク、マンガ、パフォーマンス、タトゥーなどという夥しくマニアックな細部へと拡散した。そのそれぞれの面白さを拾い上げることにどれだけのエネルギーが必要なのだろうかと、呆然とした。
展示してあるアナログのテレビは、同期にズレた不安定が画像やホワイト・ノイズが見える。「ザーッ、ガッガッ、ボツボツ」といったノイズの音も、それを心地よく感じられる年齢になったのかと、不思議な錯覚をする。
2010年に水戸芸術館で開催された『リフレクション/映像が見せる"もうひとつの世界”』で、直接お話する機会があった。そのときにDOMMUNEの革新性には感心していたものの、その後にはオンラインイベントも含めて一度も訪れたことがなかった。今回の展覧会で、コロナ禍と言われた数年間にも、彼が切り出す「現在」は蠢き続けていたのだと知った。
八代亜紀と佐渡の港でイカを食っている姿が、とても面白いと思う。ひと回りもふた回りもした後にたどり着いた「八代亜紀」というアイコンは、「植木等」のような再評価とも違って、時代の流れを無視し続け、既に「サブカルチャー」の枠などを超えて地域に根を伸ばし続けているように映る。
まさに「現在」リアルタイムで生成されるAIによる画像を合成し、最後の部屋ではそれを「生身の人間が描き直す」と題されていた。その部屋はまだ展示の途中であるという。おそらくどこまでも「途中」であり続けることが予見されていて、そこには何かの作品を鑑賞した時の感動はない。生成という行為は、どこまでも生成という機械的な用語が適しているように、見事でもグロテスクでもないような、中途半端な生成画像をただ、呆然と物量として見つめさせられているような虚無感があった。
おそらく、それが、宇川直宏が居る「現在」をスライスした風景なのだろうと思う。
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『君は行く先を知らない』 英語原題:Hit The Road
監督・脚本・製作:パナー・パナヒ 2021年 イラン 93分
「映画」はこのイランという厳しく貧しい土地で、確実に前に進んでいる。最初から最後まで、一般的に映画だとされるような仕組みも、技法も、話法も見当たらない。もちろん、イラン映画のこれまでの傑作に、似ていないわけではない。それでもこの思い切った映画に、ただ感動するしか無い。観終わっても、情報らしきものはひとつも残らない。それでも比類ないほどに現在形の「映画」であることは間違いない。
僕がこれまでにある程度の数の映画を観てきたから、ひねりの効いたアート系の映画を知ったかぶって評価しているわけでは断じて無い。本当に不思議な映画で、そして、美しく豊かなのだ。
冒頭からとてもいい。
幼い子が描かれた鍵盤を触っていると、リンクしてピアノの音が聞こえてくる。どうやら車の中だと解る。それは父親の足のギブスであること、ハンドルを握るのがこの子の兄であり、助手席には母親らしき女性が座っていることも、次第に解ってくる。主な登場人物はこの4人と一匹の犬。カメラがゆっくり動きながら、それぞれの人物にフォーカスされていく。家族であること、何処かに向かっての長旅であることは少ししてから確信することになる。この犬の名前だけはジェシーだと直ぐにわかる。どうやら拾われたときには、既に重い病気にかかっていたいたらしい。車中での会話でそれがかろうじて伝わってくる。
幼い弟は携帯電話を隠し持っていて、両親に取り上げられてしまう。どうやら、旅の条件に「携帯電話を持ってくるな」ということがあったようだ。誰がそんな条件を出したのかもわからない。途中ですれ違う自転車ロードレースの集団も、そのひとりがこの車と接触することで、何か展開があるかと思えば、車に乗せて一時会話をする以外に、これといった事件も起こらない。ただ、この旅には目的と目的地はあるようだ。
旅は前に進んでいるのだが、どうやら、とか、らしい、ことばかりが積み重なっていく。
僕が圧倒されたのは、特にふたつのシーンだった。ひとつはこの、長いワンカットで描かれた父と息子の会話だった。
映画がここまで進んでくれば、この長兄がどこかに旅立つことが解る。家族はそれを送り届けに来ている。その旅は国境を超える不法な脱出のようでもある。とりあえずの目的地には、霧の中からバイクに乗った伝令がやってくる。伝令は男のようだが覆面のような布で顔を隠している。出国を手引するグループなのだろうか? 伝えられた指示に従う。それでも、その指示や旅の詳細は何も解らない。家や車を手放して、あるいはそうせざるを得なくなって、家族の一人を国外に逃すのか? 同じような家族が、同じ場所に誰かを送り届けに来ているらしい。越境する本人だけが隔離され、家族は理不尽に数日待たされ、待機場所を指定される。この川辺のシーンは、息子が隔離される前に、父親が呼びかけてしばらく話をするシーンだ。息子にリンゴをもぎ取らせて、ふたつあったリンゴのひとつを父親は川に放り投げ、残ったひとつを半分にして息子に渡す。息子は「そっちが大きい」などと言う。父親は「卵の味がする」と言う。この長いシーンの会話でも、これまでにわかったこと以上の事は、何ひとつ解らない。それでも、この他愛のない、むしろどうでもいいような会話がとても印象に残るのだ。
もうひとつはこの遠景の長いワンカットのシーンだ。
兄がバイク乗った伝令の男に連れられて隔離されるとき、両親と弟のいる場所はこの木のある場所で、弟はこれ以上悪さをしないようにか、木に繋がれているようだ。大声を出して抵抗を続けていることのが「聞こえる」。兄はバイクに乗ろうとするのだが、母親が荷物をもたせようとする。伝令が「荷物が大きすぎる」と言い、母親は荷物を詰め替えようとして車まで走って戻る。小さくなった荷物を持たせると、今度は「待って!」と言って、スカーフと何かを買ってあったと言い、また車に走る。戻ってきて渡す。バイクは兄を乗せて走り去っていく。弟は叫び続けている。この一連のやり取りは、全て超遠景のワンカットで描かれる。細かい動作も表情も何を渡したのかも見えない。ものすごいシーンだ。このときが兄との突然の別れに繋がっていく。
2日後には一度別れを言うために家族のもとに戻すと告げられ、家族は指定された場所にテントを張って待っている。同じような家族が数組同じ場所に居て、旅立つ誰かを待っている。別の家族の女の子と弟が仲良くなった。翌日か、突然、家族のもとに伝令がやってきて、もう旅立ったことを告げられる。待っていった家族はそれぞれ散り散りに帰っていく。
ポスターやチラシに使われていたカットは、その後に帰路につくときに、大声で歌っている弟の様子だ。ここまで一緒だったジェシーの様子が急変する。どこまでも続くような枯れた土地に、ジェシーを埋めて旗を立てる。また、どこまでも続く枯れた土地を、両親と弟を乗せた車は走り去っていく。
こうして思い出しながら、幾つかのシーンを書き留めていくと、本当に何も解らない映画だったと気がつく。兄は終始悲しげな顔で、何のために何処に旅立ったのだろうか? そして車中で母親や、家族みんなで歌う流行歌らしき曲も、ガソリンが漏れていると指摘するおじさんも、弟のトイレを待っている父親がこっそり掛けている電話も、何度かすれ違うロードレーサーたちも。弟は取り上げられた自分の携帯電話を回収できたのだろうか? それでも、どれもとても愛おしいシーンだったように、はっきりと思い出されるのだ。その理由を考えていて、ふと思った。この映画での家族の会話や物事の進み方は、映画のためにあるのではなくて、この家族のためにあるのだと。映画のための疑似家族であるはずなのに、すべての細部が家族の気持ちを通過してこちら側に届いてくるからだと。
あらゆる表現が抑圧され、映画も検閲されている状況で、こんなにも豊かな映画が作られたことに、ただ驚愕し監督に感謝する。間違いなく魅力に溢れる「映画」だった。
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『658km、陽子の旅』
監督:熊切和嘉 原案・共同脚本:室井孝介 2022年 日本 113分
『658km、陽子の旅』を観てあれこれ考えたこと
「何もかも間に合わなくてーそれでも青森に帰ります」って、とてもいいコピーだなと思っていた。
42歳の孤独な女が逃れられない理由で旅をすることになる。その旅はおそらくこの女の何かを変えるような、大きいか小さいかは別としても、いくつかの出会いや事件があるはずだ。そんなことを思いながらこの映画を観ていた。
『ロードムービーの想像力 旅と映画、魂の再生』という本を読んでいたこともあって、この映画は観ておこうと思った。何処かへ行くことになる者にとって、積極的ではなく、否応なく、むしろ強いられる旅という設定は、映画にとってはとても刺激的だと思う。これまでに見てきたロードムービーでも、そんな旅は目的地や行かねばならない場所が決まっている。この映画の場合は、父親の死によって故郷の実家に帰らざるを得ない、気乗りがするとかしないとかそういうことを超えた、家族・親子という強制力のある帰省の旅になる。積極的な旅の場合は「ここではない何処か」といった逃避行にも僅かな希望を積み込むようなロマンチックな言い訳がある。この映画の陽子は、父親との不仲で、あるいは故郷の青森から逃げ出したくて、そのまま都市に居着いて、42歳という際どい年齢まで、特に何かを得たわけでもない生活をしていたらしい。だから従兄の工藤茂が、父親の死を知らせに来たときも、陽子の暮らしぶりは息苦しい。すぐにでも青森に向かうという茂に、半ば強引に車に乗せられる。
陽子がひび割れたままにしていた携帯はいいとしても、届いた荷物から滑り落ちて壊れるという設定は、その後に連絡が取れなくなるためだけに用意された都合のいい設定のようでもある。高速道路のSAで茂の親子とはぐれてしまうのは、子供の不覚な事故で良かったのだろうか? 陽子がふと逃亡を思い立ってもいいと思ったが、そのためには細部の描写が必要だ。公衆電話から電話を掛けようとしても番号が覚束ないことは頷ける。気遣う素振りは見せても、自分のことだけをべらべらと喋る同年代の女性もいいと思う。偶然に出会った若い娘よりも、十分に切迫した動機があるのにヒッチハイクがうまく行かないところもいい。親切なふりをしていかがわしい男の言い草も、ありそうな態度もいいのだけれども、その先の陽子の空疎な後悔と波に打たれる姿が、何故かしっくりこない。それは、いくつもの大切な細部の描写に輝きがないのだと思う。家を出た頃の父親の姿で現れる工藤昭政(オダギリジョー)も、その画面への現れ方が工夫されている割には、映像的な驚きに乏しい。
例えば、福島を北上するときに目にする、かつて農地だったはずの場所に積み上げられた夥しい汚染土は、軽トラックに乗せてくれた初老の夫婦が、作物を届けながら仮設住宅で暮らしていることに、どう共鳴していたのだろうか? この場所に移住して来たという若い麻衣子の言葉は、どう響いたのだろうか?
最後に乗せてくれたのは、駅で「青森まで乗せてくれるひと〜」と叫んだときに、ひとりの子供だけが手を挙げたからだったはずだ。それはどんなふうに陽子を動かして、車の中で饒舌に生い立ちを語らせたのだろうか? いろんな場面で細部の描写が惜しいと思うのだった。
行動の辻褄が合うことと、映画のモノガタリが否応なく前にしか進まないことは、大きな隔たりがあると思うのだ。
陽子にとっては何が間に合わなかったんだろう? 何かが間に合っていれば少し変わったんだろうか? そんなことを見終わって考えていた。
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『山女』
監督・脚本:福永壮志 脚本:長田育恵 2022年 日本 98分
『山女』を観てあれこれ考えたこと
予告編を見たときから、厳しくて暗い映画だろうなとは思っていたけれども、公開終了が近づいてつい足を運んだ。
映画のはじめに18世紀後半の東北地方が舞台であることが示される。冒頭のシーンで生まれたばかりの赤子を返す(殺してしまう)のは、それが女児だったからなのかはまだわからない。集落の者はみな粗末な着物をまとい、早池峰山を望む山中の集落(遠野物語に着想を得た脚本と記されているので、岩手県の遠野郷から早池峰を望む位置か)であることから、貧しく、とりわけ閉鎖的であることが伺い知れる。小さな子供が集落に居ないことをみると、村の取り決めか、巫女の老婆が口にする託宣によって、赤子は男でも口減らしで返していたかもしれない。凛(りん)はその赤子を布に包み、親から受け取り川に流す。弟はどうやら目が不自由であるが、それが村の最年少であるようだ。もしかすると彼の目が不自由であることも、その後の「返し」に繋がっているのかもしれない。
日本史年表には1757年に東海道筋から関東以北で洪水が起り、以後も1782年、86年と諸国で大洪水が起こり、大凶作であったと記されている。それでも幕府は年貢を増加し米価の高騰による買い占めなども派生し、飢饉によって各地で一揆や打ちこわし騒動が頻発している。もちろん一揆や打ちこわしはこの半世紀だけではないが、大洪水と凶作・飢饉の連鎖が各地の農村を極度に疲弊させていった時期である。
柳田国男の『遠野物語』を繰ると「山男」は八つ、「山女」は四つの話に出てくる。山の神や天狗、神女など関連する話にも触れられているが、「山女」の描写は、赤子を背負った姿や長い髪を2つに垂れた姿で、山中に分け入った者に目撃されたと書かれている。また、山中で猟師が出くわした女を撃とうとしたところ、行方不明になっていた村の長者の娘だったという記述もある。さらわれて山男の子供をたくさん産んだけれども、みな食い尽くされたという。確かに『遠野物語」のいくつかの話が映画の人物描写にも反映されている。
もちろん、民俗学の成果から着想された脚本が、作者によって様々に展開されてもいいと思う。史実から多少離れても、あるいは忠実に掘り下げて行っても、それは映画として成立するはずだ。この映画に何か物足りなさがあるわけではないのだが、思い切った描写が避けられているように思ってしまう。例えば、凛がヤマに入ることを決意して、祠のある結界を越える描写から山男に寄り添うまでの流れが、起伏に乏しいように思われるのだ。物語をたどれば、それがどうにもご都合主義的な展開にも思われるのだ。父親の伊兵衛は先代が犯した罪(盗みか付け火だったか)を背負って、田畑をとりあげられ、娘と息子も一緒に村八分にあっている。だから集落の汚れ仕事(死者を葬る)を引き受けている。大凶作と飢饉で集落は疲弊し、分け与えられる僅かな米も伊兵衛にはほんの少しだけ分け与えられる。困窮した伊兵衛が米を盗む。娘の凛が父親をかばいその罪をかぶる。伊兵衛も捕らえに来た村人や村長らの前で凛をなじる。凛は耐えかねてヤマに入る。村の外に出てわらじを売り歩く泰蔵だけが凛を気遣うのだが、探し出された凛は、巫女の老婆の話を真に受けた村の「取り決め」で、凶作から逃れるための生贄として神様に捧げられることになる。凛がヤマに入ったのは、たまたま泰造と出会ったマタギたちがその後に凛を捕らえるためではないのか? 凛が山男に近づいて寄り添うのは、山男が凛をかばってマタギに撃ち殺されるからではないのか? どこかで『遠野物語』との辻褄合わせが目論まれてはいなかったか? そんなこと思ってしまうのだ。村の「取り決め」で立ち入ってはならないとされている山奥で、山男と初めて出会った凛の畏れは、この程度の描写でいいのだろうか? 言葉さえも失っているような山男は何故、凛を喰おうとしなかったのか? あるいは自分のものにしようと捕らえなかったのか? 犯そうとはしなかったのか? そんなことも不思議に思われたのだ。それも含めて、生贄の儀式で火を放たれたときに、突如として雷鳴と豪雨を降らせた山の神の力だろうか? もちろんこれも僕の勝手な感想に過ぎない。この映画の大きな物語は大切なものだったと思っている。それでも、大きな物語の整合性よりも、驚くような細部の描写があればそれで映画は成立するのだと思っている。
余談だが役名だとしても、18世に後半の東北地方の山村の娘で「凛」という漢字表記には違和感があった。日本の識字率の高さは世界の誇るべき高水準だったけれども、この時代の農村部で、この名前があったとは考え難いと思う。
日本映画の題材として、農村部の厳しい歴史の歩みは大切にするべきものだと思う。
これまでも、これからも。
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『ジェーンとシャルロット』
原題:Jane par Charlotte 監督・脚本:シャルロット・ゲンズブール
撮影:アドリアン・ベルトール 2021年 フランス 92分
『ジェーンとシャルロット』を観てあれこれ考えたこと
この映画に興味を持ったのは、いかにもプライベート・ドキュメンタリーらしい予告編だった。それは同じ映画館で『遺灰は語る』(監督:パオロ・タヴィアーニ 2022年 イタリア 90分)を観たときだった。シャルロット・ゲンズブールが手にしているボレックスで撮影されたフィルムが、本編にどのくらい使われていたのかはわからないけれど、それだけでも観なければと思わせてくれた。
プライベート・ドキュメンタリーとは言っても、一般的にはあまりにも有名な親子である。シャルロットが監督で無くても、ジェーン・バーキンのドキュメンタリーは作られたことだろう。だから、このドキュメンタリーが特異なのは、娘が作った母の映画ではすまされないほどに特別な関係を「母と娘」に引き戻しているところだと思う。それはふたりで横たわるベッドでの会話に、「母と娘」の素の姿が描かれているなどと思い違いをすることではなくて、演じたり装ったりしていることを承知の上でなお、「母であり、娘である」という不自然な姿が撮影されていることだと思う。映画という虚構に中で生きた母娘は、嘘のような現実の出来事を振り返ることで、自分たちの現在をかろうじて現実の世界に繋ぎ止めてきたかのようにも見える。
もちろんセルジュ・ゲンズブールやジャック・ドワイヨンの名前は知っていたけれども、僕は、フレンチポップという音楽には殆ど触れたことがないので、この親子の歌手としての姿は映画の中で初めて観た。だけど、映画の中ではいったいどれだけこの母娘を観ていたのだろうか? シャルロット・ゲンズブールの映画を初めて観たのは『なまいきシャルロット』(1985年)だった。当時14歳の少女は、その後の『小さな泥棒』(1988年)でも美しかったけれども、『太陽は夜も輝く』(1990年)はタヴィアーニ兄弟の映画だから観に行ったのだった。つまり、それ以降のシャルロットの出演作品にはほとんど興味を持たなかった。また、こうした映画を観る場所も少なくなったからだと思う。たぶん西武系のシネセゾンとかシネヴィヴァンか、あるいはシネスイッチか、ユーロスペースだっただろうか? フランス映画だけでなく、イタリア映画もギリシャ映画も、この頃はフランス映画社配給のBOWシリーズなどで、その多くを観ていたはずだ。あるいは岩波映画だったかもしれないが、いずれももう無い。BOWシリーズにはずいぶんお世話になったつもりでいたのだが、実は、僕は今年の3月に初めて「鎌倉市川喜多映画記念館」を訪れたのだった。川喜多和子さんが亡くなられたのは1993年だから、僕の貧しい映画体験からヨーロッパ映画が少し遠ざかった時期と重なる。フランス映画社は2014年まで続くのだが、1990年代後半からの印象が個人的には薄い。多分「山形国際ドキュメンタリー映画祭」が開催されて以降は、自分の興味がドキュメンタリーに移行したからかもしれない。失われたものの大切さを噛みしめるわけではないけれども、映画と文化が密接だった時代に、僕はヨーロッパの優れた劇映画に触れることができていた。それは確かだと思う。
映画の中でシャルロットとジェーンが、かつてセルジュ・ゲンズブールと暮らしていた場所を二人で訪れるのは、映画の流れとしてはどこか作為的な気もしてしまう。「ここはあなたの場所だから〜」と、鍵を開けるシャルロットにジェーンが言うのは自然なことだとしても、懐かしさを引き出されて語るのは、何処かぎこちないエピソードだと思ってしまった。それよりも魅力的なのは、やはりジェーンの自宅や付近の林を歩いている二人の姿だと思う。今を語る二人の特異な女優がいることだけで、とても魅力的だと思うのだ。ジェーン・バーキンが出演していた『美しき諍い女』(1991年)を観ていないことを後悔しているけれども、シャルロット・ゲンズブールをこの映画の中で観たことが、不思議な偶然のように思われるから、その不思議さをせめて大切に思うことにする。
]]>『アダマン号に乗って』
監督・撮影・編集:ニコラ・フィリベール 2022年 フランス/日本 109分
『アダマン号に乗って』を観てあれこれと考えたこと
そのゆっくりとした河のように停滞した時間を共有するために、ぼくはこの映画を観たのだと想う。
それは映画らしさではなくて、観たことで何も得られ無いかもしれないけれども、とても豊かな体験だった。
映画は、ここに集う人たちの情報らしきものを殆ど伝えてくれない。ここがどこで、どのような場所であるのかも、文字や言葉で直接伝えることはない。
映し出されている画面を注意深く観ることで、カメラの前に人たちの語りをじっくりと聴くことで、その人の振る舞いをじっと見つめていることで、それらが少しずつ解ってくる。この人は何を話したいのだろうか? おかしなことを言っているのだろうか? この人は誰のために歌っているのだろうか? 探っても仕方がない。ただその人の話を聴いていれば、いいそれだけでいいのだと思う。
いつ?どこで?誰が?何を?どうして? 日本では、一般的に、こういう5WだとかプラスHだとかをきちんと伝えることが「正しい」ドキュメンタリー映像の、あるいはその制作者の姿勢だと教えられる。本当にそうだろうか?
ニコラ・フィリベール監督の『音のない世界で』も素晴らしい映画だったけれども、山形国際ドキュメンタリー映画祭で観たときよりも、ドキュメンタリー映画と向かい合う作者の姿勢は、もっと深く問いかけてきたように思う。
映画が、カメラを持った撮影者がそのカメラの先にいる人たちに寄り添うこと。それだけでも美しい映画が現れることを教えてくれた。
]]>『独裁者たちのとき』
監督:アレクサンドル・ソクーロフ 2022年 ベルギー/ロシア 78分
僕らはソクーロフの映画を信じ続けることができるのだろうか?
映画を観終わってそんな事を考えていた。
5月に観た映画だったけど、何かを書き残すことができない映画だった。
この映画はもはや現実のドキュメンタリーではない。煉獄でなお、自身を語り続ける独裁者たちの姿と、地下で蠢く夥しい死者たちが在る。居るのではなく在る。居るはずのない場所に、確実にある。そう思わせる映画は、架空の対話を知的な遊戯などという位置に収めることもしない。ファウンド・フッテージという技法は、新たなモノガタリではなく、かつて在った事実の裏面をえぐるように、究極にまで真実に近づこうとする。事の始めから虚構の舞台で構成されたそれは、もちろん真実ではない事がわかりきっている。それでもなお、僕たちはソクーロフを信じ続けなければならない。
この映画を観たあとで、NHKで放送されている『映像の世紀 バタフライエフェクト』を観た。「独ソ戦 地獄の戦場」(2023.5.22)は、煉獄の死者たちがこの戦争で死んだ3000万人の兵士や市民でもあったことを教えてくれる。その後の「チャーチルVSヒットラー」(2023.7.3)もチャーチルの傍観という戦略が、独ソ戦の死者をどれだけ増やしたのかを伝えてくれる。
『独裁者たちのとき』では、煉獄の死者たちが、兵士も市民もみな、時々は人の姿を見せながら波のような塊となって打ち寄せる。煉獄で審判を待つ独裁者たちは、何処へ逝くでもなく、ゆっくりと彷徨い続けている。そこには『太陽』で描かれた天皇・ヒロヒトの姿はない。だから死者たちの中には日本人の犠牲者はいないのだろうか? ヒロヒトが残した言葉も映像も限られていたからだろうか? もしも煉獄をさまよう権力者が、東條英機でも松岡洋右でもよかったとすれば、ドイツやイタリアやイギリスやソ連にも、同じような軍人や参謀がいただろうか? この映画でも、実は見えない場所で、軍人や参謀たちが空疎な密約を交わしているのだろうか? そう考えると、天皇・ヒロヒトはソクーロフが描いた「孤独な権力者」では在ったかもしれないが、この映画の他の4人のようには、煉獄の住人にはふさわしくないのかもしれない。
ついさっきまでNHKBS1スペシャル『ヒトラーに傾倒した男〜A級戦犯・大島浩の告白〜』(2021.8.14)の再放送を観ていた。大島浩は外交官であり大使であったけれども、日本を間違った方に邁進させた重要な進言者であり、「日独伊三国同盟」締結の黒幕であったことが解る。このひとも、この煉獄で彷徨ってるのであろうか?
]]>『「読む」って、どんなこと?』 高橋源一郎 著
2020年7月30日 発行 NHK出版
たまたまBOOK OFFでみつけて220円で買ったこの本がものすごく面白くて、夕方までに読み終えてしまった。活字が大きくて116ページだったから一気に。
「はじめに」と「おわりに」に挟まれた「1時間目」から「6時間目」までの構成が見事だったことが、途中でやめられなかった理由だろうか? 特に「3時間目」の「(絶対に)学校では教えない文章を読む」から、「4時間目」の「(たぶん)学校では教えない文章を読む」、そして「5時間目」の「学校で教えてくれる(はずの)文章を読む」に至る流れは、まさに「読む」ことの意味を辿っていくようで勉強になった。それぞれ『AV女優』(永沢光雄 著)の刹奈紫之(せつな しの)の項、坂口安吾の『天皇陛下にささぐる言葉』(1947年)、武田泰淳の『審判』の一節を題材としてとりあげている。武田泰淳の『審判』は、日中戦争の間に兵士が書いた手紙という体裁で進行する物語で、助けを乞う中国人の農夫二人と、その後に出会う盲目の老夫婦を殺害する描写を、この項では引いている。その理由は、「はじめに」と「1時間目」で丁寧にとりあげた小学校の国語の教科書の「こくごの手引き」を、この『審判』に当てはめるとどういうことになるのかが、丁寧に説明されるからだ。教科書通りに「主人公の気持ち」を理解しようとしたり、作者に手紙を書いたりしようとすると大変なことになる。だから、教科書では扱うことができない文章や、遡って「1時間目」で扱った「簡単な文章」としてのオノ・ヨーコや鶴見俊輔のことばは、文字ズラの短さや簡単さでは理解できない文章なのだ。
「6時間目」で扱っている藤井貞和の詩「雪、nobody」も面白い。存在と無を説明する部分でこの詩の「母親に『nobodyがいたよ』と、〜」アメリカの小学校に通わせていた子供の言葉の部分を引いている。確かに誰もが不思議に思う英語表現は「誰も居なかった」ではなくて「nobodyがいた」だし「誰も知らない」ではなくて「nooneが知っている」だ。「nobodyがいた」という表現がどんな状態を指しているのか? を考えることがとても楽しいのだ。
本当に面白かった。
]]>『ロードムービーの想像力 旅と映画、魂の再生』
ニール・アーチャー 著 土屋武久 訳 2022年12月10日 初版発行 晃洋書房
読むのはとても楽しかったけれども、この本を巡って思い描いたことを書き残そうとすると、行きつ戻りつなかなか先に進まない。そんな厄介な本だったけれど、書くことを誘発してくれたという意味でもとても楽しい読書体験だった。
そもそも映画批評を久しぶりに読んだ気がする。このところ書店に行っても、映画について書かれた本にあまり魅力を感じなかった。「映画の薦め」の類は目につくけれど、欲しいとまでは思わない。このところ、ビルごとの大型書店はともかく、ワンフロアーくらいの書店では映画のコーナーさえ見つけるのが難しい。映画について批評を書くというのは、すでに困難な領域なのだろうか? などと思うことがある。
本書を手にとったのは、訳者の土屋武久さんにお送りいただいたからだった。土屋さんは武蔵大学の教授で、2019年に発行された『映画で実践! アカデミック・ライティング』(Writing about Movies)を訳出されていた。この本は大学生に向けた「論文・レポート作成術」などと帯に書いてあるのだが、実はとてもユニークな本で、映画について書くことの楽しさを伝えながら、実は採り上げられた具体例がマニアックな映画批評としても楽しめる本だった。学生向けの論文・レポート対策を全面に出したのは、大学の生協でも販売するためだったのだと思う。間違いなく「映画について」批評的な文章を書くための優れた指南書である。この本も頂いたのだが、僕がブログに勝手な長文書評を書いたことを、随分と喜んでくださった。毎年、僕のクラスの学生には薦めている。
『ロードムービーの想像力 旅と映画、魂の再生』(The Road Movie In Search of Meaning)というタイトルは、とても魅力的だと思った。著者のニール・アーチャー(Neil Archer)については、僕の不勉強で原書はもちろん訳書も読んだことがなかった。「訳者あとがき」によればイギリスのキール大学上級講師で気鋭の映画研究者のひとりであるらしい。「アーチャー氏の関心のひとつに映画におけるモビリティがあり、その探求の成果が本書である。」と書かれている。なるほど本書では、ロードムービーの主要な焦点として、描かれる人物の立ち位置、職業や階層、変動すること/留まること、その流動性/普遍性が、道路や鉄道などによって隔てられ、あるいは接続され、幾つかの地点が繋がる空間自体を「物語」として提示し、その映画をドライブさせているのは「モビリティ」であると言えそうだ。しかし、本書を読み進めながら最初に思ったことは、「ロードムービー」という言葉がとても厄介なことに、多くの映画を言い当てているのではないかということだった。読み終えたときの気持ちを喩えるならば、散らかっていた本を、ルールを決めて書棚に並べて整理したような感じだ。しかしそれは置き場所を整えて安堵したと言うよりは、並べてみて偏りとか隙間があることに気がついて、でもその眺めは不快ではなくて、むしろ余白に何を入れようかと楽しみになる。そんな読後感だった。
僕は映画のジャンルや分類にはそれほど熱心ではないけれど、その映画の位置づけを確認したり、描かれた細部を一旦俯瞰して眺めるためには、確かに有効な作業なのだろうと思う。本書の目的がジャンルの特定や、「これがロードムービーであるか否か」の区別や分類ではないと思うけれども、試しに「ロードムービー」というジャンルを措定し、分類に向かおうとするとき、縦軸には年代・時代を設定し、横軸には国や地域、社会制度、言語や習慣、年令や性別、宗教や戒律、規制や禁忌などが広がり、映画を牽引するための「旅」や「移動」の手段を備え、俯瞰した地点から細部に向かう焦点を「モビリティ」として探るとすれば、あまりにも多くの映画が該当するのではなかろうかと、素朴に途方に暮れるし、真面目に考え込んでしまう。そうは言っても、本書の幾つかの切り口が無謀なものだとは思わない。アメリカ映画を起点として、ヨーロッパにも南米にもアジアにも、それを「ロードムービー」と呼ぶとすれば、多くの独自性を見出すことができる。それは「ロック」という音楽のジャンルにも似ているのかもしれない。あるいは文学であっても、テキストが作者の意図を超えて世界中の読者のもとで、その都度それぞれの解釈で完結するように、映画も観客や研究者の視点や解読で補強されていく。時代を経てその映画の解釈が変動しても構わない。観客の受動する態度の変遷もまた、映画の魅力だと思う。
予め降参しておくと、僕は本書で触れられている映画の6割くらいは観ていない。そして触れられていない映画で思い当たる映画もある。映画について何かを書くときには常に、観ている映画についてしか書くことができないという諦念が必要だ。そのことが、例えば「ロードムービー」というジャンルをタイトルに置くことを躊躇させる。たまたま手元にある佐藤忠男さんの最晩年の著書は『映画は子どもをどう描いてきたか』(2022年12月発行)というタイトルだ。「子どもを描いた映画」もまた、世界中で無数の変奏を加えてきた。佐藤忠男さんにとってはライフワークのように、手強いけれども何度も書き残したテーマであった。もしかするとアーチャー氏にとっての「ロードムービー」も同じような相手なのかもしれない。
僕自身は無謀にも「日本のロックとドキュメンタリー」(『シリーズ 日本のドキュメンタリー』3巻 生活・文化編)という短い文章を書いたことがある。「日本のロック」を音楽のジャンルとして限定し、記録された映像との関係を考えることが前提であり、そこに「自由」への希求や反抗/反体制などといった思想やムーブメントとの関係まで包括することは到底できなかった。ロックと映画もどちらがドミナントであっても、相互に親和度が高い。劇映画でもドキュメンタリーでも、特にここ数年に渡って繰り返しロックミュージシャンが描かれてきたのは、時代やムーブメントへの憧憬に加え、その背景に幾つものキーワードを設定できるからではないか?
『ロードムービーの想像力』は、序章「ロードムービー研究のロードマップ」で、その目論見を示している。ロードムービーとされる映画に典型的なイメージを抽出することは、さほど難しいことではないと思う。パノラマ的な景観がそのひとつだとすれば、それがロードムービーの条件に該当したとしても、そのことでオートマチックに分類することが何かの意味を持つとは思われない。「〜けれどもそれと同じくらい大切なのは、そうしたものを分類・命名することにどんな意味があるのか、自問してみることだ。」「〜ロードムービーと呼ばれるものが実際に何をなすのか、までも理解する必要がある。」(p2)と書かれている。「意味的/統語的アプローチ」を経て次のステップへと進む。抽出された典型を特徴づけるモチーフは、その構造の中で「何をなすのか」に近づいていく。映画のジャンル研究が開かれていくために「ある映画のタイプが、いかなる時点で誕生し、またいかなる理由でジャンルとして確立するのか、問い直す必要が生じるからだ。」(p5)という問い直しを繰り返すことで、過去に起点を持つジャンルが現在でも存続する理由を探ろうとする。ある映画のジャンルを規定するためには、その起点を仮定し、量と幅を持つことが必要となる。その類似性を指摘できるある程度の製作本数と、主題、モチーフ、構造の変化や広がりを取り込んでいく。〈モビリティ(移動)〉がそれらの特徴を束ねるといった考え方は、一貫している。
『イージー・ライダー』(1969)を僕が初めて観たのは、高校生の頃だった。すでに初公開からは時間が経っていた頃で、『俺たちに明日はない』(1967)などと並べられた「アメリカ映画の現在」を、映画雑誌などで眺めていた頃だ。それらを「ロードムービー」と認識することはなかった。その頃はむしろ『ディア・ハンター』(1978)の後味の悪さを、いつまでも引きずっていた映画体験に、「ヒーローの不在」「自由への逃走」「叛逆」といった言葉が覆いかぶさり、泥沼化していくベトナム戦争を背景に、直接描かれる事象以外の、指し示す「何か」があることに素朴に惹かれていた。通りかかったトラックドライバーに、唐突に撃ち殺されてしまうようなライダーたちを見て、この映画をどこに着地させようとしているのか到底わからず、言葉にできない後味の悪さだけがぐるぐると巡り、それを抱えていたと思う。
1章「アメリカを探して その1 アメリカ合衆国のロードムービー」では、60年代以降のアメリカ映画の推移を「ロードムービー」を切り口として展開する。冒頭で『ロードムービー・ブック』(1997)の記述を引きながら、ロードムービーがアメリカ映画と同義であるという印象を固定化していった経緯に、道路と映画との組み合わせがあるという。道路は映画に限らずアメリカ文化の主題でもあった、というのは、戦後のアメリカ社会が、車とガソリン、石油消費と交通インフラの整備で邁進してきた歴史を反映している。もちろん、車とガソリン以前の西部劇でも「道路」と「移動」は重要なモチーフであった。そこに描かれた切り開かれる土地には、ヒーローが分かりやすく敵を倒し続ける道が連なっていた。この章ではアメリカのロードムービーが、『イージーライダー』を起点とし、その製作体制の資金的制約や制作手法を巧みに好転させ、いくつかの亜種を抱え込みながら、独立系ポスト・モダンムービーあるいは「作家主義映画」と呼ばれる一連の作品への繋がりを示している。政治不信やカウンターカルチャーといった背景は、映画に固有のものではないけれども、とりわけロードムービーとの親和性は、社会的な背景との距離感によって特筆される。それらを「ニュー・シネマ」と呼んでもいいのだろうけれども、孤独や絶望を醸成する物語は、結論の不在という構造だけではなく、映画の細部と共鳴して増幅されていく。いかにもアメリカ的な、ガソリンをばらまいているような車で、ハイウエイを疾走することに、旅の目的を見出す必要はない。誰かよりも少しでも速く前に進むというだけのために大量に消費されるガソリンは、強烈な匂いと爆音を伴うメカニカルな興奮を誘発するだけで、充分に映画の細部に貢献する。「この点で『断絶』は、ロードムービーが女性に対する恐れとその裏返しである同性愛的誘惑を退けることに、きわめて自覚的であった。」(p39)という記述は面白い。続く「中年男(おっさん)たちの生きる道」の記述も、確かにそう言われてみれば、と楽しめる。「中高年の危機に旅で向かい合うこと」(p47)は、家庭や妻、仕事といった単調な日常からの逃避の物語であるし、「人生のやり直し」に気が付くといった「自由」とも「抵抗」とも無縁の旅が、「何をもたらしていたか」などと考えるのも楽しい。この章の最後では、『テルマ&ルイーズ』(1991)が「女性を主役に据えることで、それまで男性中心だったロードムービーをひっくり返したことだ。」(p53)として、おっさんたちの旅の目的が「女性的なもの」からの逃避であったことを暴く。それは男性中心の集団的無意識を許容していたことに気付かされる。ロードムービーが、典型の抽出〜引用〜変形〜再生〜を繰り返しながら、主人公たちそれぞれの車、道、旅は、無限の転生を繰り返すかのように心地よく錯覚する。「ロードムービーを理解するうえでなぜ『テルマ&ルイーズ』が重要な作品かというと、彼女たちの逃避行で描かれる空間と時間が、実は幻想にすぎないと気づかせてくれるからだ。かつてのロードムービーの雰囲気を再現しようというスコット監督のもくろみは、実のところ、ロードムービーとはいっときはノスタルジックな魅力に溢れながらも非現実的なものにすぎない、というこの映画の本当の意図ー映画のはかない夢ーを如実に示している。」(p55)という記述に続いて、『テルマ&ルイーズ』はその後の「ニュー・クイアシネマ」の登場にも示唆を与えたと言う。こうして「周縁化され疎外された者たち」の表現はロードムービーというスタイルと共鳴していった。
ここまで読み進めたとき、ある映画が頭に浮かんだ。クリント・イーストウッドの『運び屋』(2018)や『クライ・マッチョ』(2021)の公開が、本書の発表よりも前だったとしたら、ニール・アーチャー氏はどのようにこれらの映画について書いただろうかと。クリント・イーストウッドが演じるのは、引き受けざるを得ない理由とハッキリとした目的(条件)を伴う旅であり、ただ何かに巻き込まれ続ける老人だった。かつては疎外されていたかも知れないが、現在の退屈な日常にも安住しようとしていたのではないか。『クライ・マッチョ』では、使命を終えたイーストウッドは、国境から引き返しメキシコの街の小さなレストランに終の住処を得ようとする。おっさんの人生の気付きや、やり直しの地はなぜメキシコなのか? 第2章が「中南米のロードムービー」と題されている理由のひとつは、その後に制作されたこの映画にあるのかもしれない。なるほど「ロードムービー」が、きわめてアメリカ的な歴史と文化を踏まえながら、変奏を繰り返し次々に転生してきたことは理解できた。そうすると非アメリカ的ロードムービーには何を見出し、どのような位置づけをしていくのだろうか?
2章は「アメリカを探して その2 中南米のロードムービー」とされているが、「アメリカを探して」にどうやら意味がありそうだ。しかし残念なことに、冒頭で挙げられている中南米の映画は、ウォルタ・サレス監督の『モーターサイクル・ダイアリー』(2004)以外を観ていない。ここでの記述をたどりながら『セントラルステーション』(1998)や『天国の口、終りの楽園。』(2001)などがひどく気になったものの、入手して確認する余裕がなかった。公開当時に自分のアンテナがこうした映画をキャッチしていなかったことを悔やんでいる。
アメリカではない土地が舞台でありながら、アメリカを探すということの意味は、アメリカから見たメキシコであり、アメリカ人にとっての幻想や憧憬の地であるアルゼンチンだからだろうか? かつてルート66がシカゴからロサンゼルスまでの道のりに、幾つもの希望や自由や絶望の物語を綴ってきたことに対して、「ここではないどこか」は国境を超えたということだろうか? 物語の中軸が、同じように何かの再発見や自己形成の手続きだったとして、それがメキシコやアルゼンチンである固有性をどのように整理すればいいのだろうか。アメリカにとっての中南米が、経済格差が誘発する観光というキーワードで括られるとすれば、それでひとつの着地点を示すことだろう。この項で引用されているデボラ・ショーの『現代中南米映画』も未読であるけれど、「ショーが示唆するように〜こうした映画は中南米全体の実態を描いているのでなく、中南米という〈幻想〉を表すある種の「ブランド」にすぎないのだと。」(p60)いう記述がこの項を言い当てているのだと思う。中南米の映画が世界的に公開されるためには、そもそもアメリカや他国の大手からの資金供与が必要であり、その見返りのひとつは、ポスト・コロニアルをステップにした未だ観ぬ楽園の〈幻想〉を提供することだった。かつて新たに発見された大陸が、ポルトガルやスペインの植民地として徹底的に食い尽くされて、土着の言語も追いやられ、「ポスト」とは結果的に多民族、未開、伝説、絶景などを観光資源として全面に打ち出した戦略でもある。ポスト・コロニアルもまた、経済格差を伴った植民地主義的名称であることも否めない。そして「観光映画を超えて」提示されるものはなにか?
『セントラルステーション』は長距離バスとヒッチハイクによる、主人公のドーラにとっては「気乗りのしない」旅が描かれているという。「リオが持つ国家の中心としてのステータスに疑問を投げかけながら、この作品は都市の現代性を浮き彫りにする。それは人口の集中と、その引き換えのようなコミュニケーションの欠乏を招いたものだ。」「この都会の中心では、コミュニケーションが希薄なだけでない。モビリティの可能性も低いのだ。地方から流入した者たちは都市から抜け出せず、経済困窮者にも、そこから抜け出す希望は残されていない。」(p75)と記されているように、ブラジルのリオであっても、都市生活者にとっては得体の知れない拘束力に身を委ねている。気乗りのしない旅は、外へと向かうのっぴきならない理由を必要としている。しかしその先に用意されている「未知なるもの」との遭遇が、発見や再生につながる糸口であるから、この映画もまた典型を抱え込んだ変奏のロードムービーなのだろう。『モーターサイクル・ダイアリーズ』にも同様の、ロードムービーの典型や伝統的手法を見ることができる。若き日のチェ・ゲバラがバイクで旅をするという設定には、『イージーライダー』との類似を想起することもできるし、いわばロードムービーの原型がこの地の景観を伴って映画的な快楽を蘇らせる。この映画の典型には、外国資本の観光映画としての側面も加わり、「エキゾチックな好奇心」という極めて男性的な動機に先導されながらも、旅で目撃されるさまざまな「未知なるもの」が、エルネスト・チェ・ゲバラの自己形成を促す。しかしアメリカ的ロードムービーを内包しながら、非アメリカ的な着地点があるとすれば、「『モーターサイクル・ダイアリーズ』が強調するのは、ヨーロッパ人がやってくる以前の古代文明への畏敬、ヨーロッパの帝国主義に対する暗黙裡の批判、そしてアングロサクソン系で多国籍的な新植民地主義に対する包み隠さぬ呪詛である。」(p81)ということになるだろうか。確かにアメリカ的ロードムービーでも、抑圧され周縁に追いやられた人が描かれていたとしても、その営みは極めてアメリカ的であり、先住民や古代文明への畏怖ではなかっただろう。より速く前に進むことに希望を見出し、加速しすぎた事態が誰かの絶望を招いたとしても、停滞すること無く次の技術でブレイクスルーし続ける。そんなアメリカ像には、ある程度の孤独や回復に向かうかに見える絶望しか寄り添わなかったのかも知れない。
アメリカを内包する非アメリカ的ロードムービーに対して、3章は「クルマと映画作家ー世界のロードムービー」と題され、新たなキーワードを準備している。冒頭で紹介されるインド映画『ロード、ムービー』(2009)が、アメリカ映画の単なるコピーではなく、すでに複雑化・多様化しているこのジャンルが「文化・国家・言語を越境する」ことを示している。さらにヴィム・ヴェンダースのドイツ映画『さすらい』(1976)に「旅と記憶のつながり」を見ながら、「映画と映画館」が重要なモチーフや舞台であることを示す。ヴェンダースが「ロードムービーズ」という制作会社で、ロードームービーと呼ばれる名作を作り続け、その固有のスタイルと同時にジャンルを定着させたことは周知である。また、非アメリカを見出すならば、彼の映画に描かれるアメリカ的なるものが、亀裂から発展して大きな隔たりとして位置付けられていることも、充分に判る。
問題はここで、ヴェンダースについての後述に挟まれたジャン=リュック・ゴダールの初期作品である。『勝手にしやがれ』(1960)と『気狂いピエロ』(1965)を初めて観たのは大学生の頃だったはずだ。福岡から東京にやってきて、映画を学び始めた学生にとって、ゴダールの壁は高かったし、ワケ知り顔でその映画を語る同級生に嫉妬していた頃だった。『勝手にしやがれ』では、何しろ至る所でタバコに火をつけ、ほとんどのカットでタバコを咥えているミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)が、映画のラストで腰の辺りに銃弾を受けて、ヨロヨロと路上を走っていく後ろ姿に、ジーン・セバーグの顔が唐突に挿入されることに驚いたことは覚えていた。『気狂いピエロ』でも、その奔放な展開や時間経過に呆れ、スタイリッシュというのはこういうことなのかと、ダイナマイトを首に巻き付けるフェルディナン(ジャン=ポール・ベルモンド)に関心していたことだけが記憶にあった。「記憶にあった」というのは、実はこの本を読み進めたときに、ゴダールのこの二作品が「ロードムービー」の重要な作品として挙げられていたことに慌てて、ゴダール追悼の時期と重なって発売されていたBlu-rayを購入して、あらためて観ることにしたからだった。僕が学生だった80年代の前半には、既にはヴェンダースの『さすらい』が公開され、『パリ、テキサス』(1984)が「ロードムービー」の代名詞のように言われた頃だった。そのため、同時期に観たはずのゴダールの初期映画に、「ロードムービー」との親和性を発見することなどできるはずが無かった。なるほどこの二作品には、殺人を犯して逃走する男女、その道程でフォードやキャデラックといったアメリカ車を盗み続けること、突発的で衝動的な主人公たちの振る舞い、有名な観光地や海辺のロッジといった能天気な着地点、あっさりと命を落とすラストシーン、など典型を抽出しようと思えば、難しいことではないと思う。もちろん、ここで登場するフォードやキャデラックは、たまたま選ばれた車ではないはずだし、背景や小道具、サミュエル・フラーの出演など、アメリカ的なるものは、頻繁に意識させられる。しかし、それらの典型が逆照射するのは「アメリカ文化の幻影」であり、アメリカ映画がもたらした数々のイメージが新世界の虚構に過ぎないということだったのだろう。悲劇であり、かつ喜劇であり得るゴダールの初期映画が、非アメリカに繋がる批評的引用を多用し、その後に越境していくロードムービーの登場に寄与しているとるれば、その通りなのかも知れない。
アニエス・ヴァルダの『冬の旅』(1985)も、2019年以降の追悼の機会に再上映で見るべきだったと後悔している。この映画のチラシは、昨年の「見るべきリスト」には入っていた。見逃した映画の説明文を読んでいると、ふと既視感のようにいくつかの映画が思い出される。映画についての自分自身の記憶も、こうした接点から想起されるものなのだと不思議に思う。それもまた、映画についての論考を読む楽しみだと言える。この項以降で触れられる映画は、確かに「世界のロードムービー」ではあるけれども、これまでの批評軸を維持して、あるいは新たに越境の意味を確認しながら、その国や地域、制作者の独自性にどこまで踏み込むことが出来るのかと考える。著者も書いているように、世界のすべてのロードムービーを網羅できるものではない。ロードムービーの可能性は幾つものキーワードを伴って拡散していく。同時に、そこに幾つかの類似性を見出して指摘することにどれだけ意味があるのだろうか?と冒頭の疑問も繰り返し浮かんでくる。ジャック・ドワイヨンの『家族生活』(1984年)が、フランス映画として本書で採り上げられていないのは不思議な気もする。この映画は、父親・エマニュエルが前妻との娘・エリーズを連れて車で出かけ、道中では、「映画を撮ろう」と娘に持ちかけ、幼い娘の思いつくままにビデオカメラで「映画」を撮る。この時のビデオカメラが、父と娘の距離を伸縮するのだけれど、娘の本心は最後まで口にされない。道と「映画の中の映画」と親子の微妙な距離とが、全て備わった「ロードムービー」ではなかっただろうか?
ヴィム・ヴェンダースの幾つかの映画に僕が感じた魅力は、「アメリカ」というカッコに括られた掴みどころのない何か巨大な力に、無意識に疎外される他者のあり様ではなかっただろうか? 「ヴェンダースのドイツを舞台としたロードムービーは、一方でアメリカ的ニュアンスと取り組みながら、他方ではヨーロッパならではのヴィジョンを探求した点で、他の類を見ない。」(p93)と言われてみればそうなのだが、「ドイツのアメリカ化」とアメリカの中の非アメリカ的なヴィジョンは、映画の端々で拮抗して現れたように思う。例えばそれは『ことの次第』(1982年)でのプロデューサーの失踪によって資金を絶たれる撮影隊の姿であるし、プロデューサーを探しに、ポルトガルのホテルからアメリカに向かう監督の追い詰められた姿とも重なる。『都会のアリス』に現れるドイツ語で歌われる「渚のボードウォーク」や「オン・ザ・ロード・アゲイン」「メンフェス・テネシー」といった、アメリカ文化の象徴が、「非アメリカ」を鏡のように逆照射して、アメリカを強調する物語の下地であることも理解できる。ヴェンダースが「10minutes older」(2003年)の中の1本として『トローナまで12マイル』(10分)を描いたことも思い出す。薬物入りのクッキーを過剰摂取した、映画か何かのプロデューサーらしき男が、胃を洗浄してもらうために、車で病院へ向かう10分間が描かれる。薬物による幻覚として描かれる「ロード」では、気を紛らわせるために爆音の「ロックンロール」が流れる。自身の経験だというストーリーは、アメリカ的な映画制作の背景をシンプルに提示していると思う。映画の録音技師が、監督からの要請の手紙を頼りに、ポルトガルに向かうという『リスボン物語』(1993年)を思い出すならば、ヴェンダースのロードムービーは、確実に「映画の中の映画」を得体のしれない「アメリカ的」なるものに集約しているのかもしれない。
クリス・ペティット『レディオ・オン』の項で取り上げられているいくつかの映画を、観ていないからと言って全て買う訳にもいかず、それでも「これらの映画はいずれも、ロードムービーとイギリスの現状との懸隔(ギャップ)にこだわっており、社会的リアリズムとアイロニーが支配的なイギリス映画の伝統という文脈に位置づけられるだろう。」(p102)と記されているのを読むと、想像だけが次々と膨らんでいく。『レディオ・オン』(1979年)が、「イギリスのロードムービーにおける特筆すべき例外だ。」(同)と続くとき、これだけはとアマゾンの購入ボタンをクリックしてしまった。本書に導かれて購入したのは3枚目だ。
「すでにみたように、古典期のアメリカのロードムービーでは、田園(自然美)という理念の反復が、重要な特色となっている。同様にイギリス文学でも、評論家レイモンド・ウイリアムズが『田園と都会』で論じたように、産業化が進んだ近代都市と、その対極にある田園地帯という区分は大きな特色であった。したがって近年のイギリス製ロードムービーにおいて、田園的なるものがしばしば蝕まれているように見受けられるのは、深刻な問題となる。すべてのもの(労働者、地主、農民を含む)が「適切な位置」に配置された、都市と田園という理想化された保守的な構図は、大英帝国の大権によってのみ維持される。これがウイリアムズの結論だ。」(p103)この記述の裂け目のように現れる1970年代後期のイギリスの状況に対して、更に例外的な映画という『レディオ・オン』が届くのを待ちながら、たまたま同年に制作された『さらば青春の光』(四重人格 Quadorophenia)は、蝕まれた地勢と保守化した構図から暴力が吹き出したようなロードムービーではなかったかと考えた。The Whoのアルバムとリンクしたロック映画として見ていたけれども、都市部では冴えない仕事をしながら、週末はドラッグとパーティーに明け暮れる若者たちはモッズと呼ばれ、たくさんのライトでデコレーションしたランブレッタやベスパでスクーターランを楽しむ。一方、ロッカーズと呼ばれる大型のバイクに革ジャンとというロックスタイルの若者たちが対立している。1964年の5月18日に避暑地のブライトンでふたつのグループが居合わせて、暴動に発展する実在の事件が、この映画のモチーフになっている。都市部と避暑地という対立は、都市部での抑圧と週末の解放といったゆるい対立ではなく、ふとした引き金が暴力と破壊、暴動に発展したことを見せてくれている。この映画を思い出したのはもうひとつ別の映画『エンパイヤ・オブ・ライト』(2022年)を思い出したからだった。この映画の舞台は1980年代初頭の「エンパイヤ劇場」という古い映画館で、どうやらブライトンのような避暑地のそばにある。映画の終盤にブライトンに向かう(毎年5月18日はMods Maydayとしてブライトンではモッズたちが集まる)らしいスクーターのグループが映画館の前を集団で通るのだが、グループの一部はナショナリスト・白人至上主義者の青年たちに分派している。劇場で働く黒人のスティーブンを見つけると、館内に乱入して暴行と破壊に発展する。この映画で描かれるのは「其処に留まることを強いられた人たち」であり、逃れられない土地や場所の呪縛のようなものが蔓延し、それはロードムービーの対極に位置しているかもしれない。ついでに言及すれば、アイルランドの孤島を舞台にした『イニシェリン島の精霊』(2022年)もまた、閉鎖的なコミュニティーの中で、留まるしかない住民たちに突発的な狂気が現れる。ロードムービーがモビリティーをキーワードとするのならば、このところ「留まることしかできない人たち」の物語をいくつか続けて観ている。
また、『ガリバント Gallivant』(1996年 イギリス 100分)というとても美しい映画のことも、この項の記述を読みながら思い出した。作者のアンドリュー・コッティングの、遺伝子性疾患を持った7歳の娘エディンが、祖母(アンドリューの母)と二人で英国本土の全海岸線を13週間で辿るという旅の映画である。プライベートドキュメンタリーではあるが、そこに現れる美しい風景が、祖母と孫の関係を少しずつ変えていく。この映画はアメリカ映画のパロディーや、地政学的な対立構造や若者の失業者の増加といった政治的な問題とはパロディー無縁の、いわば純粋なロードムービーであったことを付記しておきたい。
日本の映画については、訳者の土屋武久さんがあとがきで書いているように、本書の発行時には『ドライブ・マイ・カー』は作られていない。是枝裕和が韓国で制作した『ベイビーブローカー』も、見事なロードムービーであると言える。著者はどのようにこれらの映画を観ただろうと、あれこれ想像する。また、土屋さんがあげている『木枯し紋次郎』や『座頭市』といった時代劇のシリーズでは、たしかに放浪する渡世人や剣客は、漂白者やマレビトとともに無数に描かれてきたと言っていい。そう言えば『水戸黄門』も、初めて訪れた土地では、当初は厄介な旅人とであり、やがて悪事を暴く正義の集団に変わる。ロードムービーとは呼ばれていなかったとしても、移動は日本映画の主要な設定として愛されてきた。
本書では北野武の『菊次郎の夏』(1999年)と青山真治の『EUREKA』(2000年)が論じられている。「自分たちの足と才覚だけを頼りにしつつ、道すがら出会う人々からときに手痛い仕打ちを受ける二人の旅。これは『菊次郎の夏』を、「下層の」の旅人、行きずりの出会いから得る教訓という、ピカレスクロマン、リアリズム作品として位置づける。」(p107)と記されている。時代劇的な「ならず者」の冒険譚という訳では無いが、北野作品の無頼やヤクザに観られるのは、組織や社会から排除された側の悲哀でもある。菊次郎が母親と家族から排除された少年・正男と、擬似的に父子のように振る舞うとき、あるいは旅で偶然に出会ったバイクの二人と、「だるまさんがころんだ」などという子どもの遊びに興じるとき、『ソナチネ』の紙相撲に興じるヤクザを思い出し、儚くいっときの家族のようなつながりは、物語のリアリズムを超え、残されたリアルな教訓はむしろ観客に向けられているように思う。
イラン映画ではアッバス・キアロスタミの『10話』(2002年)が中心として語られる。ロードムービーとイラン映画との繋がりで3ページ足らずの記述は正直に言えば物足りない。それでも女性ドライバーの運転する車の、ダッシュボードに取り付けられた2台のカメラによる映像は、車と移動と特異な技法が合わさった象徴的な映画であることは間違いない。ダッシュボードに取り付けられたカメラという設定は、キアロスタミに師事したジャーハール・パナヒの『人生タクシー』(2017年)で巧みに反復されている。20年間映画製作を禁じられたパナヒが「映画の撮影ではなくタクシーを運転している」という驚くべき手口で「映画」を制作している。もちろんこうした政治的な圧力や検閲の中で現れるイラン映画は、強靭な映画への執着を体現している。一方で都市部で制作されたそれらとは別に、本書でも言及されているキアロスタミによる一連の「ジグザグ」映画がある。あるいはモフセン・マフマルバフの『カンダハール』(2002年)はどうだろうか。アフガニスタンから亡命し、カナダに住む女性ジャーナリストに妹から手紙が届く。「自殺する」という手紙に驚いた姉は、カンダハールを目指して旅に出る。この道中が描かれるこの映画は、地続きではない故郷に向かう空路の旅が、イランの難民キャンプからは、苛立つほどに前に進まない地を這うような旅に変わっていく。こうした越境の旅に、2002年のアフガニスタンという地政学的な重要課題を絡めたこの映画は、無視できないほどに、イラン映画のロードムービーであると思うのだ。
そんな事を考えていたら、「第4章 パロディーからポストモダンへ ―ロードムービーの新たな動向」にたどり着くのだ。これまでに扱われてきた先行するロードムービーの主題やそれを描くための設定は、ポストモダンな文化状況を反映してどのように「再使用」されてきたのだろうか? 「だが、ポストモダニズムの虚無的で終末的なレトリックからは、新しい可能性の地平が開くことはまずないのだ。ただし例外もある。『マイ・プライベート・アイダホ』は過去のテクストへの言及と視覚的幻影との混淆という点で、まさしくポストモダンの作品だ。」(p107〜108)と予め釘を差した上で、この『マイ・プライベート・アイダホ』が語られる。「ガス・ヴァン・サント監督にとって「アイダホ州」は、場と記憶が神話的に構築されるという考えから生まれたものだ。ただし「想像上の(imaginary)」という意味ではない。心理状態(state of mind)に近い意味での「想像された(imagined)」ひとつの州(state)ということだ。」(p119)と語られる「場」は、道路でつながる地続きの場所を示すことはない。この映画が示す「アイダホ州」は、映画が現実と酷似しているために、実在の何処かを舞台としているかもしれないという、曖昧な郷愁さえも揺さぶってしまう。
ロードムービーを巡る本書の「旅」は、越境の対象を幻想・記憶といった実在しない場所へ、さらにはこれまでに描かれた差別の構造に加えて、LGBTQなどマイノリティーの現代的な課題を取り込み、精神的・政治的・宗教的なボーダーへと変奏を続けていく。南米が舞台の映画にあっても越境のためのボーダーは、地続きの国境だけを意味しない。親探しの物語構造・疑似家族を伴う『愉快なフェリックス』(1999年)を丁寧に取り上げるのだが、何しろこの映画を観ていない。ここでの主題を追えないのが残念だ。
続く「エイリアン・ウェイ:SF版ロードムービー」に至っては、時間と空間を越境した立体的な「場所」さえも着地点として捉えるのだろうか?と、不安になった。ロードムービーの旅のプロセスは、なんとか地続きであって欲しいと願っていた。パラレルワールドやマルチバースといった「何処かの地」は、魅力的ではあったとしても、それは「ロード」なのか、と不安に思っていたのだが、『モンスターズ/地球外生命体』(2010年)はどうやら世紀末の風景と連動した地続きの土地であるらしい。仮に『スターウォーズ』や『マトリックス』のシリーズや、『デューン・砂の惑星』が長大なロードムービーであると言われれば、そこにはちょっと賛同できないな、などと思っていたところだった。
しかし、終章「ワイルドで行こう、ふたたび」に繋がったとりあえずの結論部では、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015年)がとりあげられている。極端に改造された車とバイク、ガソリンと炎、爆音のロックが鳴り響く映画は、SF的な世紀末の風景を舞台としているのだが、地続きの道のりの長い旅路が描かれている。それらの風景に漂う様々な匂いがやはりロードムービーにはよく似合う。因みにこの映画を4Dで観たという友人によると、ガソリンや煙の匂いが場面に合わせて吹き出してきたのだという。僕はこの映画を通常の上映版で観て正解だったと思った。ロードムービーに漂う匂いは想像の世界だけで十分に楽しい。
本書を一度読み終え、二回三回と何かを書き留めながら読み進んでいたとき、何度も思い浮かんだ映像があった。佐々木昭一郎『さすらい』(1971年 90分 NHK)は、テレビドラマとして放送されたものではあるけれども、葛城哲郎によって全編をフィルム、オールロケで撮影された90分の長編は、劇場公開されていても不思議ではないロードムービーだった。この映像を思い浮かべていたのは、訳者の土屋武久さんが「訳者あとがき」に書いているように、日本にはいくつも「ロードムービー」と呼ばれるべき映画があることと、日本のロードムービーにいくつかの固有性があるとすれば、それが何かを考えていたからだった。『さすらい』というタイトルがヴィム・ヴェンダースの同名の邦題から想起されたためでもある。佐々木昭一郎の『さすらい』は、主人公のヒロシが過ごした海辺の風景と、キリスト教系の孤児院(学園)の様子から始まる。物語が進行すると、関係者らしい男性に手を引かれ、シスターの待つ場所に引き渡される場面がある。しかし、このドラマの主題には「親さがし」は見当たらない。ヒロシが東京へと向かう15歳という設定は、当時の施設が中学校卒業までは預かるという不文律があったからだろう。戦後からこの頃までは、そのくらい、親と離れる幼い子どもたちが多かったということだろう。
ヒロシは親を探すのではなく、むしろ自分の中の記憶の空白をこじ開けるように、目的も無くただ、漠然とさまよう。そこで出会うのが仕事場で「ギター」とあだ名されて、歌手を目指してはいるが、映画の看板描きの見習いをしている友川かずきだった。考えてみれば映画の看板描きという職業も、華やかそうな世界に対して、その最底辺にある裏方だと言えるのかもしれない。友川は親切に接してくれるのだけど、しょっちゅうギターを弾くことで、歌とは縁のない仕事に自分を繋ぎ止めている。ヒロシは何をやりたいかと訊かれてもわからない。少しだけ先の未来さえも見えていない。やがて友川は少しでも歌に近い場所(といってもステージが常設されているというだけのキャバレー)のボーイに転職する。この絶望的に僅かな前進も、この映画の重要なテーマだと言っていい。その後、ヒロシは偶然の出会いを繰り返す。看板屋の近くの踏切近くで、すでにモデルとしてデビューしていた同い年の栗田ひろみに話しかける。栗田の巨大な広告を街のビルで見かける。渋谷の街を納品する映画の看板を抱えて歩く。日比谷野音では、ひとり弾き語りで『カレーライス』歌う遠藤賢司に近づき話しかける。路上では「はみ出し劇場」の3人が、即興の寸劇で日銭を稼ぎながら、トラックで旅をしている。ヒロシもしばらく同行する。キグレサーカスのテントで下働きの仕事を得る。もちろん、サーカスの団員になるという積極的な気持ちがあるわけではない。やがては、青森の米軍住宅や飲食店に「氷」を運ぶヒロシの姿がある。文字通りにさすらい、さまよいながら流転を続けている。そこにいるのはジャズシンガーの笠井紀美子だった。ヒロシはこれほど多くの特別な出会いで何かを得たのだろうか?
ヒロシの空白が埋まっていったとは思われない。いくつもの出会いは、少しの優しさとそれより大きな虚無を重ねていく。絶望を感じるほどの力があれば、少し先の未来くらいは見えたのかもしれない。努力や抵抗も無く、そこから何処かへ逃れるのだけれども、せめて「さすらう」ことを「とりあえずの自由」と置き換えるような旅が、ただ、続いていたのだと思う。
ここまで書いてきて、『さすらい』でヒロシが出会うのは誰もがみな、世間から弾かれた場所にいるということがみえる。ヒロシもまた孤児であり、一般的な人生の道筋からは予めそれている。つまり理不尽なハンデがある。友川かずき(2004年からはカズキと表記)もまた、秋田県出身であることも、その強い訛りも隠さなかったが、本名の及位(のぞき)という名字をからかわれることや、弟の自死などの不幸を身にまとって、吠えるように歌う人だ。実際の生きざまは『どこに出しても恥ずかしいひと』(2020年)という映画で描かれるように、はっきり言えば非常識である。「はみ出し劇場」の無謀さは、何処へ行っても奇異な目で見られる「異形のマレビト」たちであるし、「サーカス」にも差別や偏見がつきまとっていた。米軍基地とジャズシンガーという親和性も、従軍や従属のイメージはつきまとう。多くの日本人からはむしろ偏見に晒されていたといえる。それは1971年という時代も反映している。60年代の最後の年には学生運動という大きな抵抗が収束させられ、絶望感と引き換えに極左の活動は過激な暴力に変わっていった。米軍に隷属・追従する日本にとって、沖縄はまだアメリカであり、ベトナム戦争も出口が見えない状況だった。国内では環境問題・公害被害が深刻化していた。元々貧しい場所に公害による差別が覆いかぶさる。一方で、人類の未来と調和などという空疎なスローガンで、成長や繁栄がすぐそこにあるかのように欺かれた。地続きの場所にも精神的な何処かにも、もはや逃げる場所はないように思われた時代だった。
歴史を遡ってみれば、抑圧された弱者たちは、アンダーグラウンドな場所に少しの安住を求めたし、そこからの脱却を試みてきたと思う。「木枯し紋次郎」も「座頭市」もそうだったかもしれない。
佐々木昭一郎の『さすらい』から50年が経過して、日本のロードムービーはどのような変奏を重ねてきたのだろうか? 2023年の現在、関東大震災で朝鮮人の虐殺が行われてから100年のときに、あらためてこの国の課題が浮き上がってくる。小熊英二の『単一民族神話の起源』(1995年7月発行)を読み終えていたことも、絶妙なタイミングだったと思う。日本の「ロードムービー」に独自の固有な課題がるとすれば、それは地域差や差別の構造、「排除」と「同化」といった歴史の暗部と並走しているのかもしれない。
本書を手に取ってから、「ロードムービー」を巡って思いがけず遠くへの旅をしたように心地よく錯覚している。3ヶ月位はこの本を持ち歩いていた。また、いくつかの映画への記述の詳細がつかめず、悔しくて購入し、あらためて見直した映画もあった。映画が誘う旅は本当に面白い。
一方で今、「移動・モビリティ」とは反対に「その土地に縛られ、留まることしかできない映画」にも興味がある。『ニーチェの馬』(2011年 ハンガリー)や『小さき麦の花』(2022年 中国)、『エンパイヤ・オブ・ライト』(2022年 イギリス)、『イニシェリン島の精霊』(2022年 イギリス)などを続けて観ていたからだ。イラン映画も「留まる映画」だと考えることができる。日本にもきっとこういう切り口で考えることができる映画がたくさんあると思うのだ。
本書をお送りいただいた訳者の土屋武久さんにあらためて感謝している。ありがとうございました。
]]>『妖怪の孫』
監督:内山雄人 企画:河村光庸 企画プロデューサー:古賀茂明
制作:テレビマンユニオン 配給:スターサンズ 2023年 日本 115分
何よりも、この映画やこうゆう映像の制作者が危険な目に合わないでほしいし、そういう可能性があることが悲しい。映画のラストで、画面は唐突に監督・内山雄人のパソコンを映し、編集作業のタイムラインはもう少しでエンドにたどり着く。その時、内山はスマホの画面の幼い娘を見つめて、自分や家族に危険が及ばないかと心配している。その可能性はある。山口県の安倍晋三選挙事務所と自宅が襲われ、損壊した事件を取材したアクセスジャーナルの山岡俊介は、地元暴力団と安倍事務所との関係に届こうとしていた。確かにこの件は記憶にあったのだが、続報が大きく扱われることはなかった。映画では山本太郎の国会質問だけだったという。山岡が防犯カメラの無い階段で怪我をしたことは、偶然ではなさそうだ。
事実を伝えただけで「反体制」や「左翼」のレッテルを貼られてしまう狂った時代を、我々は容認してきた。また、政権政党の権力者の不都合な過去を暴くことで、暴力にさらされる危険がある時代を招き入れてしまった。この映画でも詳細に伝えられる政権担当者の「憲法」への無知と意図的な誤解は、立法・行政の立場にある人間に許されるものではない。「憲法」が国家・政権の暴走を監視するためにあり、国民を縛り義務を明記するものではないことは、小学校で習う。時の内閣の閣議で解釈を変えられるものでは到底無い。また、「放送法」の解釈変更の経緯に、当時の総務大臣・高市早苗が関与していたのかどうか? 総務省の記録を捏造とまで言ってのけた元総務大臣を、野党は追求しきれないままで統一地方選挙へとなだれ込んだ。統一教会と政治家本人、あるいは選挙協力・資金供与への関与も、何人かのスケープゴートが差し出されて、本丸の殿様たちはお咎めなし。ジャーナリズムが瀕死の状況に追い込まれていても、「報道の自由度」ランキンがどこまで下がっても、当事者のメディアがそれをうやむやにしては来なかったか? メディアと権力者が寄り添って作り出したこの「うやむや」も、市民の意識の忍び込み、日本中に蔓延している「妖怪」のひとつではないか? この妖怪「うやむや」の延長に、閣議決定による法律の解釈変更を続ける政府を、それでも支持する層が繋がっていると思う。
この映画で伝えられていることは、新聞を読み、報道やニュース番組を見ている人であれば、程度の差はあってもどこかに記憶していることだろう。こうして一定期間の出来事を、整理して再提示することは大変な作業であることもわかる。「事実」を並べることにも、様々な意図や作為を読み取られ、攻撃されかねないからだ。この映画では、時系列で並べられた「事実」から、安倍晋三と自民党の強さとは、「選挙に勝つ」仕組みの強化だったことがわかる。「選挙に勝つための手段」は昭和の妖怪・岸信介から孫に伝わった。安倍晋三の父・晋太郎が「俺は岸信介の娘婿ではない。安倍寛(かん)の息子だ。」と言ったことは、今、振り返ればとても重要な転機だったのかもしれない。岸信介に、むしろ批判的な立場のリベラル派だった安倍寛は、非戦・平和主義者であったという。1946年に51歳で心臓発作で亡くなっている。一方、A級戦犯から総理大臣に昇りつめた国粋主義者・岸信介は、保守を貫く策に優れていたと言える。憲法改正の意思は、保守勢力の悲願となり、晋三の超えるべき目標になったことはむしろ成り行きだったのかもしれない。あるいは、勉強ができずに、結果的に政治家にしかなれなかった晋三にとって、大衆の心を掴む解りやすい手段だけが継承されたのかもしれない。「俺は安倍晋太郎の息子ではない。岸信介の孫だ。」とでも言いかねない。その権力の掌握力と保守の「一点突破」や「わかりやすさ」への執着は、今はその経緯を理解できる。
2023年4月に統一地方選挙が始まった。この映画を観たのはその最初の投開票日だった。大阪府知事の吉村洋文は再選し、松井一郎前市長の後継者・横山英幸(維新の会幹事長)も圧勝し、大阪維新の会は盤石の体制を維持した。大阪では自民党が野党の側にいるけれども、維新の会とは進む道が違っているだけで、着地点はほぼ同じ場所にある。この映画『妖怪の孫』で有権者に取り付いている妖怪として示される「自己責任」「不寛容」は、橋下徹も、幾つもの具体的な政策の実行で推進した。教育の格差についての自己責任は、若者を傷つけたし、教育現場にも直接関与した。旧日本軍の戦争犯罪に関わる展示にも、補助金を打ち切るなどして応じてきた。「攻められる恐怖」こそ、国政の課題であるのだが、国会では自民党の政策に寄り添っている。
安倍晋三と自民党は「どうしてこんなに強いのか?」と、映画ではその理由を探すために戦後の政治史をさかのぼっていく。同様に、「大阪ではどうして維新がこんなに強いのか?」と、これを書いている今は思う。
とここまでで書き終えようとしていたところ、岸田総理がChatGPTのアルトマンCEOと面会したというニュースを見た。どうやらこのシステムの導入に前向きらしい。その後に西村経済再生担当大臣が会見で語ったことに、愕然とした。政府与党の皆さんは国会の答弁書作成に使おうと考えているようだ。国会の軽視もここまで本気なのか? 失言や嘘で野党から追求されないように、オートマチックに当たり障りのない答弁書を作成しようというのだろうか? 3月末に、名古屋大学の学長が卒業生への祝辞を、あえてChatGPTで作成して披露していた。新聞にはその全文が掲載されていた。よくできているな〜と関心をしたのだが、同時に、すでに各大学では、学生が試験やレポート作成に使用する可能性について、その対策が論じられていることも知った。ことによると、政府与党の皆さんはこうした状況に「これだ!」と閃いたのかもしれない。考えてみれば、これまでの国会答弁も誰かに書かせて読み上げるだけだったので、大きな差はないと、呆れるしか無いのか。いや、国会議員が自分の言葉で論議することも放棄してしまったら、それこそ最初に失業していただくしか無い。政府与党が導入に前向きでも、「ことばと、生きていく」公明党の皆さんは断固反対するべきだと思うけれど。
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『うつろいの時をまとう』
監督:三宅 流
matohu:堀畑裕之・関口真希子
配給:グループ現代
2022年 日本 98分
このアートドキュメンタリーが心地よいのは、作者や作品と一緒に美しい時間や空間を共有できたような錯覚を覚えるからだろう。
この映画は、堀畑裕之と関口真希子によるブランドmatohuの創作記録である。matohuが展開した「matohu 日本の眼」展(2020年 スパイラルガーデン)の展示風景から、シリーズ展開のコンセプトに深く入り込み、二人の創作現場を見せてくれる。この映画が心地よい理由のひとつは、創作のプロセスが徹頭徹尾「ことば」を介したやり取りであるからだと思う。作家や職人、デザイナーがモノを創り出すとき、しばしば「言葉にできない感覚」を口にする。あるいは「視覚」「味覚」「嗅覚」「触覚」といった経験値が誘発する「何か」を掴むために、体験や修行によって「身体で覚える」などという。もちろんそれらは、作家本人がそうして積み重ねて体得した技術や作法である。言葉にできない何かがあることは、間違いないと思う。それでも言葉にできない「何か」に到達する直前までは、徹底的にことばで追い詰めていく。言葉にできない何かを発見するためには、言葉にできるものを出し尽くす。そうしたプロセスが見えてくる。その作業は「なぜそれを美しいと思うのか?」という根源的な疑問にも呼応する。夕日が沈む直前の水平線から、まだ青みが残る空までのグラデーションは誰が観ても美しい思うのだろうけれども、その感情の細部を解き明かさなければ、その美しさを自分の作品には再生できないのだと思う。だから言葉で突き詰めていく。あるいは和装の機能性と実用性に気が付かされたとき、それらが優美さやしなやかさを伴っているのはなぜなのだろうか? 和装が季節や時間や状況によって、その「かさね」具合が選ばれるからではないのか? あるいは蝋燭の僅かな光とゆらぎによって照らされる器や着物の色や艶は、予めそれらが照らされる空間を想定して創られているのだと知らされたとき、礼賛すべきは陰影ではなく、その僅かな光であると信じてしまう。そういう幾つもの発見の連鎖が、matohuの服に反映されているのだとわかる。
映画を観るまでは、和装の機能美を再発見したり、古色の組み合わせを反映させていたりする、いわゆる伝統美を現代的に再生している二人組みだと思っていた。しかしショーや展覧会の次の方向性を定めるために、日常の風景からある指向性や法則性を感じ取り、集められた写真を「ふきよせ」や「なごり」といったキーワードに収斂させるために、多くの言葉を重ねる姿に思わず見入っていた。生地や織り、染めへの執着もその延長にある。
この映画を分類すれば「アートドキュメンタリー」ということになるのだが、さらに分類を進めることもできる。以前、アートドキュメンタリーを解説する文章を書いたとき(『21世紀/シネマX』「アートドキュメンタリー系」2000年 フィルムアート社)、当時の幾つかの傾向を示していた。1.文化映画、教育映画的側面と持ちながら、作家や評論家のインタビューを交えて、アーティストあるいはその作品世界を描く。2.映像中心の構成によって作家と作品世界を見つめる。3.対象である作家と映像作家とのコラボレーション。それぞれに該当する映画を挙げていたのだが、3.に該当するものとして、『ボルタンスキーを探して』(監督:アラン・フレッシャー 1990年 フランス映画 45分)の極端でスリリングな共犯関係を例示した。この映画『うつろいの時をまとう』は、正統な1.のスタイルを維持しながら、対象となる作家(matohu)の創作空間と共鳴して、映画の持つ固有の時間を創作物(服飾とショーの世界)に寄せていく。映像の制作者と対象の作家との、いわば心地よい共犯関係を観ることができる。この映画の解説ページによればmatohuは「纏う」と「待とう」の意味があるらしい。何かが熟成するまで待つという、追い越さない、追われない、急がない創作空間がこの映画から発見できる。映画自体もゆったりと二人の「ことばたち」に寄り添い、本のページをワクワクしながら捲るように、決して急いではいない。
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『筑紫哲也 NEWS23とその時代』 金平茂紀 講談社 2021年11月1日 発行
土曜日の17:30に「報道特集」の冒頭に金平茂紀さんがどんなコメントをするのか、今では唯一の楽しみになった。かつて「筑紫哲也NEWS23」の冒頭で、あるいは「多事争論」で筑紫哲也さんが何を問題にするのかを、興味深く観ていたのと同じように。久米宏の「ニュースステーション」も楽しかった。ニュース番組が面白かった時代を、「あのころは〜」などと懐かしんでいる間に、テレビは残念ながら、お笑いとバラエティーばかりになってしまった。ロシアのウクライナ侵攻のニュースを見ながら、筑紫哲也さんだったらなどと想像すると寂しい。僕は筑紫さんにも金平さんにもお会いしたこともお話したこともないけれども、二人が大切にしていたものを想像することはできる。テレビのニュースがダメになったとあちこちで言われている。テレビそのものも、既に若者の情報源ではなくなったようだ。面白くなければ観なければいい、といわれる。娯楽もテレビ以外にあふれている。好きなものを無制限で見ることができるYoutubeや、有料でもジャンルごとに配信されているチャンネルを登録すればいい。ニュースも情報も携帯電話の無料サイトで十分だという。それでも、テレビが面白かった時代を信じているから、今でもドキュメンタリー番組は観ている。地方局で制作されたドキュメンタリーも面白い。テレビの良心はまだ、ドキュメンタリーには残されていると思う。
僕が何故朝日ジャーナルを読み始めたかと言えば、本多勝一の「貧困なる精神」のシリーズを読んでいたからだと思う。筑紫哲也・編集長時代の「朝日ジャーナル」は1984年1月〜1987年3月だと記されているので、僕は22歳から26歳の頃、間違いなくどっぷりと読んでいた。すでに左手に少年マガジンの時代ではなかったけれども、ジャーナルにはどこか学生運動の匂いもしていた。「若者たちの神々」が面白かった。田中優子さんの「江戸の想像力」は、カラーページを切り抜いた記憶がある。今でもどこかにファイルがあると思う。1992年5月の「朝日ジャーナル」(下村満子・編集長)までは欠かさず読んでいた記憶がある。休刊後から「週刊金曜日」を読み続けているのも、本多〜筑紫ラインの延長だから、むしろ自然だったと思う。もちろん執筆者や編集委員の人たちにも惹かれていた。久野収さんや佐高信さんの文章も好きだったし、椎名誠さんは『さらば国分寺書店のオババ』から大好きだった。椎名さんとは、その後、TVF(東京ビデオフェスティバル)の審査や三角ベースのチームでご一緒することになる。
本書は「筑紫哲也NEWS23」の放送開始前から、がんを患い番組を降板するまでを丁寧にたどっていて、どのエピソードも番組になった部分はよく覚えている。だからその背後にあった現場やTBS内部での様々な出来事もとても興味深い。1章から18章までは2013年〜15年の文章だと書かれているが、その『本』での連載は読んでいなかった。19章から23章までが2021年以降に書き足されたのだという。1989年10月2日の第1回「筑紫哲也 NEWS23」放送に至るまでの経緯も、もちろん知ることはなかったけれども、井上陽水の「最後のニュース」がエンディングに流れていたことには驚いた。この本に書かれているそれぞれの場面が、放送を見た時の記憶を喚起してくれる。クリントンのタウンホールミーティングも覚えているし、「TBSは死んだに等しい」という言葉も、オウム真理教の顛末と一緒に記憶している。6月23日が筑紫哲也さんの誕生日であったことは知らなかったが、この日の前後には毎年、沖縄の話題を丁寧に扱っていたことも覚えている。福岡のRKBで幾つもの問題作を作っていた木村栄文さんと交流があったことも書かれている。木村栄文さんを敬愛し、木村さんが立ち上げたローカル番組「電撃黒潮隊』を称賛していたという。そのことは知らなかったけれども、そうだろうなと納得がいく。番組が二部構成だった頃は、その第二部で様々な人が登場したことも思い出される。何しろ、音楽でも演劇でも映画でも、文化全般が守備範囲であるかのように、ここに書かれている人たちとの交流にも驚く。「権力監視」「少数者への共感」「何でもありの気風」と書かれている通りの「NEWS23」だったのだな、と思う。
今年の5月は沖縄復帰の50年だから、「NEWS23」はきっとそのDNAを示してくれるものと期待している。
本書には書かれていないけれども、僕は『9.11 セプテンバー11』を深夜に筑紫哲也さんの進行で、全編を放送したことをよく覚えている。「NEWS23」の延長ではなくて特別番組だったかも知れない。この映画は11分9秒1フレームで世界の映画監督11人が制作した短編オムニバスだった。まだ劇場公開もDVD化もされていなかったタイミングだったと記憶している。今でもこのDVDを授業で見せている。9.11を世界中から様々な視点で作られた短編の傑作を、全てノーカットで放送していたはずだ。ケン・ローチの作品など、露骨なアメリカ批判だったが、それも放送されたはずだ。わずかでも可能性があれば否定しない姿勢が、番組での放送を可能にしたのだと思う。
TVF(東京ビデオフェスティバル)が、現在の「NPO・市民がつくるTVF」の主催になってから、筑紫さんの房子夫人と次女のゆうなさんによって「筑紫哲也賞」が設けられた。当時(現在でも)運営は資金難で、NPOの活動に賛同をいただき寄付金もいただいた。当初は房子さんとゆうなさんが「筑紫哲也だったらこの作品を褒めていると思います」という基準で、受賞作品を選んでいただいた。現在でも「TVFジャーナリズム賞」と名を変えて、ジャーナリストの神保哲生さん、キャスターの長野智子さん、下村健一さんと筑紫ゆうなさんの4名にその賞の選考委員をしていただいている。「NEWS23」がDNAを継承出来ているのかはわからないが、そのDNAの僅かな部分は、TVFにも継承されていると思っている。
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『国境の夜想曲』 原題:NOTTURNO
監督:ジャンフランコ・ロージ 2020年 104分 イタリア/フランス/ドイツ
このところ、TVF(東京ビデオフェスティバル)の作品審査などで、応募されたドキュメンタリー映像について、あらためて「なぜ映像なのか?」とか、文字テロップやナレーションなどの言葉による情報の伝え方や、その分量、言葉の選び方やその効果について話をしていた。情報を短時間で効率的に伝える方法は、訓練すれば獲得できる。それは大切なことではあるけれども、映像を撮ることで、もう少し別の次元に迫ることもできる。長編のドキュメンタリー映画観る楽しみは、その次元と共鳴することでもある。
この『国境の夜想曲』は、その風景がどこの地域なのか? この人は、この家族は誰なのか? 何故そこに居るのか? など、一切の説明がない。ジャンフランコ・ロージ監督の前作『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜』でもそうだった。僕が観ていないそれ以前の映画もそうなのだろう。そう言えばドイツの映画監督・ニコラス・ゲイハルターの『人類遺産』(2017年)や『眠れぬ夜の仕事図鑑』(2012年)も『いのちの食べ方』(2005年)もそうだった。そこまで確信犯的に説明を排していなくても、欧米のドキュメンタリーには極端に「情報」が少ない映画がある。
『国境の夜想曲』でも、映像を見ていれば、それがシリアとかイランとか、紛争が続く、あるいはかつてそういう場所であった事はわかる。警備に立ち、詰め所に戻って休息を取る。それをただ黙々と繰り返す女性兵士たちを見れば、紛争は目の前にあり、見えない境界線をひたすら警戒していることがわかる。そこにあるのは背景や経緯に関わる詳細な情報の量ではなくて、印象として刻まれる感歎の重なりだと思う。
原題はイタリア語で「夜想曲」(英語のNocturne)なので、確かに静かな夜の描写が多い。「静かな」とは、同時に沈黙を強いられている状態なのかも知れない。廃墟が広がる街には、それでも人が起こした発電機の駆動音が響き、釣り人の船の先には、砲火の音が聞こえる。音を立てる物がなくなったり、人の気配がしなくなったり、相対的な静けさが、全編を覆っている。
かつて牢獄だったらしい場所に、息子の死を悼む母たちの泣き声が聞こえる。釣り人は息を殺して船を漕ぎだすのだが、獲物らしいものは見えない。家族のために魚を捕ったり、銃で鳥を撃ったりしている少年が手にする獲物は、食べるところがあるのだろうかと思うほど小さな鳥だ。それは、粗末な食事を繰り返す気の毒な家族の暮らしを想像するには十分ではある。あるいは、精神病棟で患者たちが練習を重ねる演劇の内容は、奪われた祖国への叫びのようである。スクリーンに映されるニュース映像が、わずかにその背景を伝えている。ISISの暴力や虐待を目の当たりにした子どもたちが、その記憶を絵に描いた幾つもの場面は、写真や映画よりも残酷なイメージを記憶させる。これらの映像は、もちろん同じ方向を向いて組み立てられ、印象を蓄積させる。そうした伝わり方の一方で、刑務所での運動の時間に、次々と塀の中から出てくるオレンジ色の囚人服の受刑者たちの映像はどうだろうか? まるで、計算された様式美のように、鮮やかなオレンジ色が広がり、それを素直に美しいと思ってしまった。彼らが何故そこに収容されているのかを想像することはできるけれども、正解を詳らかにする気配はまったくない。
僕はこの映画の幾つもの場面に、「遠さ」を感じて眺めていたようにも思う。切り取られた構図に見える「深さ」だったかも知れない。心地よいはずはないけれども、その奥を見つめているような体験は、映画でしか得られないものだった。
この映画の公式HPは、映画に現れる土地の地勢や、宗教的背景を掲載していて解りやすい。様々な「情報」はこの頁から得ることができる。
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『ドライブ・マイ・カー』 監督:濱口竜介 2021年 179分
これから観ようとしている179分が、いったいどんな時間なのだろうかと少し不安だった。既にいろんな所で語られているように、それは退屈な時間ではなく、重量感のようなものを感じていたと思う。そして観終わった時から、久しぶりにもやもやとした気分でしばらくはこの映画のことを考えていた。それは嫌な体験ではなく、頭の中を掻き回されているような、不思議な気分だった。『別府』(芹沢高志・著)を思い浮かべたのもそんな時だった。取り返しのつかないことは、振り返ることは出来ても、取り戻すことが出来ない。だからぼんやりとでも前に進んでいくことしか出来ないのだけれども、そんな自明のことを映画で示すことは簡単ではないのだと思う。
冒頭から暫く続く、奇妙にも思われる極度に文学的な営みが、成功した表現者夫妻の生活空間を描きながら、少しずつ歪み、ゆっくりと解かれていくように、前に進んでいく。海外での講演が突然キャンセルされたことで、予定された行動に歪みが生じる。行動の「停滞」は、何かに覆われていたカサブタのようなものが剥がされるような、そんな裂け目を用意していた。妻の死は、その裂け目のとりあえずの着地点のようでもある。
展開部に現れるドライバーの渡利みさきは、見るからにワケのありそうな姿をしている。サイズの合っていない地味なジャケットや、そのジャケットには違和感のあるキャップをかぶっている。彼女のことはまだよく解らない。家福悠介の「これまで」では出会うことが無かったような唐突な外部のようでもある。これまでは妻にも運転させたくなかった愛車を彼女が運転する。「大切にしている車だということがわかる」とみさきは言う。「大切」にすること、されることは、この映画にもうひとつのキーワードを足していくように思う。
ところで、この映画でもタバコを吸う姿が意外に思われる。世の中がそうだということではなくて、意外さをどうやって映画に引きつけていくのだろうかと思っていた。家福悠介はジタンで、それはオリジナルの両切りではなくて、フィルター付きのライトなタイプのようだ。ゴロワーズとジタンはフランスのタバコというくらいは知っているけれども、周りでもそれを吸い続けているような人は知らない。何故ジタンなのかは解らないけれども、もはや、古い映画や歌詞でしか現れない銘柄だと思う。原作が書かれた時期には特別な意味があったのだろうか?
渡利みさきは赤いマルボロ。ライトとかではなくて、この赤いオリジナルのパッケージはタバコらしい香りときつさがある。かつてこのタバコのCMが流れていた頃は、カウボーイが焚き火を囲んで吸っていた。アメリカらしさや強い男が強調されていた。悠介を仕事場に送り、帰りを待つ間には、いつも赤いマルボロを吸っている。寒いときは車の中で待っていてもいいが、タバコは外で吸ってくれと、悠介は伝える。大切にしている車なのだから、みさきもそうしている。映画の終盤で、車に乗りこんだ悠介はおもむろに自分のタバコをみさきに差し出す。赤いサーブの天井を開いて、タバコを持った二人の腕が並んで外に突き出している。煙を外に出そうとしているのだが、それだけだろうか? これまでタバコを吸わせていたのが、まるでこのシーンのためであるかのように、とても奇妙だが映像的なカットだと思った。
こうして映画を観終わったのだけれども、もやもやの理由はやはり解らなさだった。渡利みさきはどうして韓国に行ったのだろうか? どうして家福悠介の、あるいは彼の愛車と同じ「赤いサーブ」に乗っているのだろうか? 僕には、正直その理由が解らなかった。チェーホフの劇中劇も、その内容は理解していない。
それでも、映画を観るというのは本当に難しいけれど、楽しいと、身も蓋もないような結論に着地した。
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『別府』 芹沢高志 2020年11月20日 P3
2021年になってから、私は1冊の本を読んでいた。芹沢高志さんの『別府』(2020年)を手にとったのは偶然ではない。芹沢さんのことは、直接お会いする前からP3 art and environmentのディレクターとしての活動を通じて知っていた。P3として開いた東京四谷の東長寺の地下スペースでは、ドイツのメディアアーティスト・インゴ・ギュンターの作品を展示するなど、最新のアートの斬新な見せ方と展開に惹かれていた。直接お会いしたのは2002年ころだったと記憶している。一時ではあるが沖縄での仕事をご一緒させていただいた。その頃の芹沢さんは「アサヒ・アート・フェスティバル」の事務局長や、北海道で展開した「とかち国際現代アート展『デメーテル』」の総合ディレクターの仕事をされていた。「とかち」は訪れることが出来なかったが、その時のカタログなどを見せていただいた。
『別府』を手にとったのは、もちろんそれまでの著作を読んでいたからだが、それ以上に何かの必然のように思っている。現代美術を地域で展開している例はいくつもある。私が直接足を運んだものでは、「越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭」(2000〜)新潟、ヨコハマトリエンナーレ」(2001〜)神奈川、「アサヒアートフェスティバル」(2002〜)東京、「中之条ビエンナーレ」(2007〜)群馬、「瀬戸内国際芸術祭」(2010〜)四国、「山形ビエンナーレ みちのおくの芸術祭」(2014〜)山形、「さいたまトリエンナーレ さいたま国際芸術祭」(2016〜)埼玉、「Reborn Art Festival」(2017〜)宮城、などがある。他にも、2019年の「表現の不自由展 その後」で注目された「あいちトリエンナーレ」(2010〜)愛知、「札幌国際芸術祭」(2014〜)北海道、「奥能登国際芸術祭」(2017〜)石川、小規模のものでは、「糸島芸農 糸島国際芸術祭」(2012〜)福岡、などがある。こうして並べると過剰な印象もあるが、それぞれの地域で開催する意味は充分にあると思っている。特に近年では、作品に何らかの形で映像が組み込まれた作品も多く、映像の見せ方として興味深く鑑賞している。
「別府現代芸術フェスティバル『混浴温泉世界』」は、芹沢さんが総合ディレクターを務めた地域のアートフェスティバルである。これまでに2009年4月11日〜6月14日、2012年10月6日〜12月6日、2015年7月18日〜9月27日にトリエンナーレとして3回開催れた。2005年からBEPPU PROJECTを立ち上げ、初回の準備に加わったアーティストの山出淳也さんは、当初は第1回で終了するはずだったと語る。また、「最近はアートを切り口にしたまちづくりの事例も多いですが、はっきり言ってアートは一切、街の抱える問題を解決しません。むしろ物議を醸し出すなど、問題を起こすばかり。じゃあ、アートの持つ意義は何なのかというと、アートと向き合うひとりひとりが今までと違うものの見方で考えることを許される場であることなんです。それぞれ違う考え方が許されて、違うことにこそ価値がある。異なる価値が共存することでいろんな可能性が生まれていく場を生み出すためのアートであり、それが街の個性を表現することにつながればいいと思っています。」(*4)と別府とアートとの関係を語っている。「あいちトリエンナーレ」での物議が知られる前にも、地域の芸術祭は大きな費用を動かすために、その必要性は度々論じられてきた。今では開催年以外でも多くの作品を公開している「越後妻有」でも初回の前後には、地元からの開催を疑問視する声が多かったと聞く。
『別府』は2012年の「混浴温泉世界」のために、コンセプトブックとして書かれたものだ。手元には2009年のカタログがある。現地を訪ねたことはなかったが、確かNHKのテレビ番組で紹介されていたはずだ。波止場神社・神楽舞台に64枚の陶器を展開したサルキスの作品や、ワークショップの映像はよく覚えている。映像では見ていても、その魅力は現地に行かなければわからないのは自明ではある。しかし、『別府』を手にしたことで、何か特別な扉を開いた気がした。必然を覚えたことにも理由がある。ひとつには、ここ数年、地域の芸術祭の魅力をアーティストの切り口とは別の回路から感じていたことである。もうひとつはコロナ禍で、人口が集中する都市部の脆弱性が露呈したこと。そして『人新世の資本論』(*5)から『苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神』(*6)と繋がった読書の流れで『別府』(2020年11月20日刊行)を読むことになったことだ。世界規模の気候変動・環境悪化、経済格差、食糧・水資源問題、日本国内での貧困問題と経済格差、農業・水産業の人手不足と食糧自給率問題、都市部と地域の格差、過疎・高齢化問題など、以前から山積する問題は、先送りされながら危機的な期限を迎えようとしている。こうした問題には人並みに関心を持ってはいたものの、何かのアクションを起こすこともなく、悶々と自分なりの思想の縦軸や制作活動の切り口を模索していた。学者の提言やアクティビストの行動に共感する一方で、文学を逃げ道のように選択して、アートに寄せる期待がしぼんでいくように思われた。それでも「表現と地域の営み」に何かを求めていた。だから『別府』の文章には動揺に近い共鳴を覚えた。
別府は、福岡での生活が長かった私には決して遠い場所ではなかった。それでも、温泉地としては何処か中途半端な観光地のイメージが先行し、積極的に訪れたことはなかった。日田や由布院、小国や杖立を訪れることはあっても、別府はなぜか目的地にはならなかった。東京に来てからも、別府に対しては熱海や伊東、あるいは鬼怒川や伊香保といった慰安旅行の団体が訪れる古い時代の温泉ホテルを重ねていた。ひとことで言えば印象が悪かったのである。
『別府』を読み進めていくと、不思議な既視感が呼び起される。何処の土地を歩いた時だったのかは思い出せないけれども、たしかに地霊のようなものと共振できたような錯覚は覚えている。土地の記憶は、人の記憶であり、出来事の記憶であり、それを語り継いだ人たちの記憶でもる。それが想起されるのは聖地のような、霊的な場所ばかりではなく、路地を少し入った時のふと目についた光景の中だったり、高台を目指して登った時に振り返った眼下の風景だったりする。そんな偶然の所作と、その場所の歴史的な記憶が不意に重なるような瞬間が『別府』ではいくつも書き留められていた。その描写はしばしば映画を見るようでもあるし、実際に『二十四時間の情事』の具体的な場面など、いくつかの映画の細部が引き合いに出されている。どうしてそんな細部であるのかは、本人でないと説明できないはずなのだが、唐突な引用とその結節点には、強引な説得力が備わっている。場所の力がそうさせているのか? それでも、その無謀な虚実の入り混じりが、この一連の文章では本当に心地よいのだ。別府とその周辺の温泉に浸かるシーンは何度も出てくるが、この文章には芸術やアーティストに関する記述はごく僅かにしか現れない。偶然の出会いや会話が詳細に採集されているし、無名の誰かが趣味で集めた「限界芸術」(*7)のような不思議な風景の集積が丁寧に描写されている。後半には美しい双子の姉妹と出会い、山間の混浴の温泉に誘われて入浴するシーンが有るのだが、そんな幻のような記述にもあっさりと身を委ねたくなる。海路の要衝であった別府湾の港と、陸路の交点でもあった街道の行き着くところが別府であり、行く人も来る人も逃げる人も逃げてくる人も、様々な記憶が交差していた「場」であったことに、不覚にも感動してしまう。自分が、身近にあったとても大きな獲物を、長年の無自覚で取り逃がしたかのような、ゆっくりとした柔らかい後悔をする。
芹沢さんは、これから芸術祭を展開しようとする「場」を、こんなふうに眺めていたのかと思う。その眼差しが、地域と芸術、人の営みと映像との繋がりを示してくれているように思う。
4 このコメントは、「別府『混浴温泉世界』の10年の歴史から学ぶ、アートフェスがまちづくりに果たす役割。」にある(https://www.lifehacker.jp/2015/09/150917_konyoku_onsensekai.html)
5 『人新世の資本論』(斎藤幸平 2020年9月22日刊行)は、マルクスの『資本論』を注意深く再評価し、現代の地球規模の様々な課題に対する提言としての解釈を加える。政治・経済・環境の諸問題に対して「脱成長コミュニズム」を提唱している。
6 『苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神』(田中優子 2020年10月21日刊行)は、『苦海浄土』や『春の城』の作者・石牟礼道子の生い立ちと表現をたどり、石牟礼との対話から、「水俣」と「天草」の歴史、土地の習俗、慣習、人の営みへの石牟礼の眼差しを分析する。
7 『限界芸術論』(鶴見俊輔 1956年)で展開された芸術の概念で、「純粋芸術(Pure Art)」「大衆芸術(Popular Art)」に対して、「限界芸術(Marginal Art)」は非専門家によって制作された、いわば無名の製作者による、ごく日常的な様々な表現形態で現れた事物を含む。工芸品や民芸品から手紙や落書きに至るまで芸術的な意図が介在しないものまでを取り込もうとした。『今日の限界芸術』(福住廉 2008年 BankART1929)は鶴見の概念を現在の無名人の表現に照射したもので、ガンジ&ガラメのハリガミマンガ『宇宙王子サンパクガン』や警備員・佐藤修悦による駅構内の案内表示文字(修悦体)などをとりあげている。
『令和のローカルメディ』への原稿より
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『地方メディアの逆襲』松本 創 ちくま新書 2021年12月10日 発行
非常勤講師の僕は、採点やシラバス作成が一段落すると、次の年に向けて資料や情報を整理し、新しい知識も入れておかなければならない。溜まっている録画済みの番組を観たり、積んでおいた本を少しでも読み進めたりする。実際は怠けてあまり捗らないのだが、たまたま読み始めた本が、直近やこれからの方向を示してくれることも多い。この本は目次を見ていたので、間違いなく自分の領域に近いとは思っていたけれども、しっかりと芯に当たってくれた。
昨年(2021年)の8月には『令和のローカルメディア』(あけび書房)という共著が出て、その6章「地域映像祭の動向―その展望を課題」を書いた。僕はTVF(東京ビデオフェスティバル)に見られる地域からの映像作品を取り上げ、それらのテーマを幾つかに分類し、時代の変遷と並走させてまとめてみた。TVF44年の歴史は、市民メディアとしての地域映像の44年と言ってもいい。その分厚い層は、地域の様々な問題を捉えた映像文化の財産だとも思っている。2020年からはコロナ禍での映像制作の困難が続き、応募作品も状況を反映していた。同様に地域の映像祭も、オンライン開催(または併用)に切り替えたところもある。その原稿を書く更に半年ほど前、僕は芹沢高志さんの『別府』を読んでいた。こちらは地域と芸術祭をめぐるコンセプトブックであるが、とても刺激的だった。『令和のローカルメディア』では『別府』の面白さについても書いた。
だから本書『地方メディアの逆襲』を手にとったのは偶然ではないし、次年度の授業の参考にもしたい。
東海テレビが先鞭をつけた「テレビ局発の長編ドキュメンタリー映画」の流れはとても頼もしい。僕が担当する授業でも、『平成ジレンマ』(2010年)から始まる東海テレビのシリーズを紹介している。本書では第6章「東海テレビ放送『さよならテレビ』が問うもの」として、『ヤクザと憲法』(2015年)と『ホームレス理事長』(2016年)に続いて『さよならテレビ』を監督した圡方宏史さんの制作姿勢を詳しく伝えている。一連の映画製作を仕掛けた東海テレビのプロデューサー・阿武野勝彦さんのコメントも幾つか紹介されている。阿武野さんは、僕も編集に携わった『シリーズ 日本のドキュメンタリー 1 ドキュメンタリーの魅力』への書評を書いたことから、その3巻「生活・文化編」に執筆していただいたことがある。書評では「映画中心の日本のドキュメンタリー史」が主流となっていることに「わだかまり」があると言い、3巻ではその意図を「テレビは地域を凝視する」というタイトルで書いていただいた。僕自身はテレビドキュメンタリーを軽視しているつもりはまったくないし、それは直接お会いしたときにも伝えた。むしろ、本書の目論見のように、地域発の映像を積極的に支援しているつもりだ。テレビ局で制作した番組が、後に劇場公開されるようになった理由として、僕の授業では次の点を挙げている。
1.地元の話題に対して問題意識が高い
2.地方局独自に長期取材を行い豊かな素材がある
3.地方局の番組は全国ネットで見られる機会が極端に少ない
4.映画館での公開により新たなネットワークが生まれる
3.については、これまでにお会いした、地方のテレビドキュメンタリーのディレクターからも状況を聞いていた。例えば、広島や長崎でも8月の被爆についての映像さえ、視聴率が取れないことを問題視される、といった状況である。本書の第3章では、「毎日放送 ドキュメンタリー『映像』の系譜」として、1980年『映像‘80』から続くドキュメンタリー番組の存続が、とりわけ「教育」や「政治」に踏み込む番組がどれほど困難なのかを窺うことができる。それは在京キー局でも、ドキュメンタリー番組は深夜や早朝に放送されている状況を見れば、容易に想像できる。この章で紹介されているMBSのディレクター・斉加尚代さんによる『ガチウヨ〜主権は誰にあるのか〜』は、BS・TBSの「ドキュメントJ」で観ていた。この番組も日曜の朝の枠だった。
『さよならテレビ』については、テレビマンによる自己言及として大変興味深いとは思ったけれども、実は「わだかまり」が拭えなかった。テレビの現場の相対的な弱者を取材対象を絞り込み、局の構造的問題などに切り込んではいるけれども、後味の悪さを「意図的に残す」ことは、どうだったのだろうか? いずれにしても東海テレビが先駆けた動きは、その後の南海放送(愛媛県)、KBS瀬戸内海放送(香川県)、RKB毎日(福岡県)など、多数ではないが他の地域でも確実に萌芽している。
本書はまず「秋田魁新報」による、イージス・アショア配備問題で、防衛省のずさんな計測データを暴いた顛末を報告する。テレビ・ラジオだけでなく、地方紙も経営的には年々厳しさが増しているのだが、地域メディアに関する明るいニュースとして、この秋田魁新報のスクープには快哉を得たことを覚えている。新聞では第5章「京都新聞 被害者報道を考える」で、主に被害者の実名報道について詳しく検証している。京都アニメーションの被害者への取材方針、警察からの情報と要請、被害者遺族からの要請や取材者への苦情など、時間経過とともに変化する現場の対応が描かれている。「速さより深さ」という方針は、本書で取り上げられた全てのメディアに共通していると思う。更に長期に渡って取材対象に寄り添うこと、あるいは追求し続けること、丁寧に取材し辛抱強く待つこと、などが、それぞれの態度に通底しているだろうか。地方メディアはまだ「逆襲」には至っていないかも知れないが、その魅力は若い世代を動かしつつあるように思う。
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『安魂』 監督:日向寺太郎 2021年 中国・日本 108分
エンドクレジットの映像を観ながら、「川の流れはずっと観ていられるな」などと思ったのは、この映画を落ち着いて観ていたからだと思う。日向寺太郎監督の『安魂』は堅実な映画術に支えられ、その物語に浸ることが出来た。
試写会は日程が合わず、その後の岩波ホールでの上映の案内をもらいながら、この時期に外出することをためらいすぎた。それでもスクリーンで観ることだけは逸すまいと思い、ようやく有楽町で観ることが出来た。その3日前に、オリンピックの開会式の話をしながら「そう言えばチャン・イーモウは今、中国に住んでいるんですか? 子供がたくさんいて罰金を払ったんですよね。」などと、日向寺さんに話しかけてしまったことを思い出した。この映画が中国で撮影されることを聞いたのは、何年か前だった。様々な困難さも含めて熟慮された映画なのだと思うと、質問は稚拙で無神経だった。中国のひとりっ子政策は、この映画の背景にも描かれている。結婚適齢期といわれる世代で、男女の比率が歪んでいることはニュースなどで知っていたのだが、ひとり息子に対する親の期待や、それを背負う側の息子の心情や負担は、僕の想像を超えているのだろうと思う。それは経済的な格差を反映して、都市部と農村部でも異なるのだと思う。この映画の父親のように、作家としての地位や名声を獲得している親を持った息子は、それらを継ぐ立派な男になることを目標として育ち、暗黙の制度のような力が、道を逸れることを阻んだのだろう。また、この映画に登場する富裕層の居住エリアは、豊かさを堅持するような門構えで、高級そうな自家用車が並ぶ。父親は、息子が紹介する彼女が「田舎」の出身であることに執拗な嫌悪を示す。結婚すれば、相手の両親や親戚の面倒も見ることになると、地方の慣習を恐れる。都市部と農村部の格差が、直接描かれることはないのだが、金持ちを嫌悪する詐欺師の青年という設定が、物語に加わることでそれは垣間見える。中国の現代をめぐる「大きな物語」が、大河のようにこの映画には横たわり、しばしば「小さな物語」に介入する。
映画の冒頭に大河の流れが見える。川の流れが時代や人の生きざまを象徴するなどと、ありふれた比喩を持ち出すつもりはない。その流れがいっときも留まらないように、映画は淡々と過不足なく物語をすすめる。導入部では、少年期の息子・英健の出会いが描かれる。父の唐大道が地元での公演を行う間、英健は道端に佇む老人と話をする。
手相を占うという老人の言葉は、「大河を重荷を背負って渡ると、良くないことが起こる」というような意味だっただろうか。やがて成人した英健とその恋人・張爽が現れ、両親に紹介するまでの間、この映画は驚くほどストイックに物語を進めていく。
展開部で時間が緩やかに進み始める。英健の入院と、そこに居合わせた日本人の留学生・沙紀が現れることで、張爽の心情が変化していく。ひとり息子の突然の死を受け入れられない父親に、映画は深く入り込む。英健にそっくりの若者は、沙紀と張爽を巻き込みながら父親と歪んだ繋がりを重ねていく。英健の死後の魂を呼び戻すという心霊療法を、母親は許すことが出来ない。詐欺であることを判っていながら、その若者と繋がっていたいと欲する父親の心情が、ゆっくりと時間をかけて描かれていく。
映画をストーリーだけで把握しようとするとき、大切なものを見失うことがある。だから、映画を観ることは、読み聞かせの体験とは違う。唐突に現れる風景の描写に、これまでの様々な局面を想起することがある。大河の流れをぼんやりと眺めたような感覚は、映画に描かれた具体的な物語が、観る者の記憶と体験にどこかで共鳴したからではないかと思う。この映画が、そんな懐かしいような「映画体験」をあらためて思い起こさせてくれたのは、映像で物語る力量が優れていたからなのだと思う。
]]>『水俣曼荼羅』
監督:原一男 編集・構成:秦岳志 製作・配給:疾走プロダクション
2020年 372分
僕にとっては、観たい映画というよりは観なければならない映画だった。
土本典昭さんの「水俣映画」を観てきた者として。母方の実家が水俣にあり、叔父が最後まで「チッソ第一組合」の労働者であったという、「水俣」とは幼い頃から縁のあった者として。
しかし、そうは言っても、6時間12分の映画を見に行くことはそれなりの覚悟が必要だ。イメージフォーラムに行くのも久しぶりだった。休憩が2度あるらしいので、2度目の休憩で何か軽く食べることにした。こういう時はランチパックが便利だけれども、あまり匂いのしないものを選ぼうと思ってコンビニで買っていった。
「曼荼羅」というタイトルはとてもいいと思った。この映画には描かれるべき中心がいくつもある。だからいくつかの中心円があり、それらはそれぞれの時間軸を持っている。今を追いかけて行く軸もあり、これまでの長い記憶をたどる軸もある。「曼荼羅」のようにそれらは60年以上の縦軸の上に、折り重なるように、あるいはどこまでも広がるように、大きく立体的な構造を示していく。その構造の下部には、土本典昭さんや桑原史成さんや、石牟礼道子さんたちの表現と記録があり、夥しい患者さんたちの生き様や支援者の活動が重なっている。1956年は水俣病の公式発見の年ではあるが、水俣病の起点ではない。映画の冒頭にある年表は1932年から始まっている。なぜ水俣に窒素肥料の工場が誘致されたのか? その地理的な理由や政治的な事情さえも、この曼荼羅の最底辺にはあるべきだと思う。
『水俣曼荼羅』は3つの核となる部分を2つの軸が貫いていると思う。その軸の起点は長い裁判闘争の始まりの時期であり、病理学と「水俣病」の発症との因果関係を探る長い探求の起点でもある。裁判闘争と医学的な究明、この2つがまさに「終わっていない」ことを、この6時間を超える映画は示している。映画の冒頭では2004年10月15日「水俣病関西訴訟」の最高裁判決が出る。国と熊本県の責任を認めた原告の勝利ではあるが、環境省の小池百合子大臣は曖昧に謝罪するにとどまり、熊本県もこの判決を無視することになる。これが始まりのシーンであることが、水俣病は長い年月をかけても、もはや完全解決には向かわないのだと思わせる。この裁判闘争の中心に未認定患者・原告団長・川上敏行さんがいる。1952年の水俣病「52年判断条件」は当時の医学を、患者を救うためのものではなく、ふるいに掛ける手段にしてしまった。いくつかの症状の複合的な発症でなければ「水俣病」ではないとされた。もちろん、原田正純医師を中心に、その臨床データを積み重ねて「認定」に助力した医師もいたことは知っている。しかしその「判断条件」は長く揺るがなかったようだ。熊本大学医学部の浴野成生医師と共同研究者の二宮正医師によって、その判断条件の「誤り」は指摘されていくことが、もうひとつの軸である。
『水俣曼荼羅 製作ノート』には佐藤忠男氏の短い文章がある。僕は佐藤忠男氏のように、思いのほか「楽しい映画」だとは思わなかったが、佐藤氏が示すのは、全体を貫く緩やかな時間の描写や、じっくりと時間をかけたインタビューであり、第2部の生駒秀夫さんと妻の幸枝さんのエピソードや、第3部での坂本しのぶさんの恋の遍歴話などを時間を惜しまずに観せていることだろう。田中実子さんの自宅での姿や外出をするラストシーンも、落ち着いた描写であると思う。原一男監督のインタビューは、確かに朴訥な部分もあるが優しさと朗らかさも感じられる。
「エコパーク水俣」の全体像を見せるドローンによる空撮がある。僕はこの場所の海との境界線をゆっくりと歩いたことを思い出す。叔父の緒方紀明さんが案内してくれた。海は静かだったし、目の前の光景を美しいと思った。一方で、水俣病資料館の屋外にある、大きな銀色の玉が並ぶモニュメントに違和感を覚えたのもこの時だった。海と埋立地を隔てる遮蔽壁にはいくつかの腐食箇所があることが、この映画の水中撮影で判明している。熊本地震の時にこの壁の崩壊を心配した人もいたと聞く。耐用年数は50年というが、1990年から既に30年が経過し腐食箇所があることは問題ないのだろうか? 20年を待たずに、熊本県は遮蔽壁を再建するだろうか?
「水俣病」は熊本学園大学の花田昌宣・原田正純の両教授によって「水俣学」として展開された。「病」ではなく広く現代の社会や政治や法律や医学を横断する「学」の領域にあるとした。原一男監督は、自分は中継ぎであると記し、クローザーに引き継ぐために、この映画があるのだと言った。しかし、きっと「クローザー」の前には、まだ多くの中継ぎが必要な気がした。
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『MINAMATA―ミナマター』
監督:アンドリュー・レヴィタス 脚本:デヴィッド・ケスラー 音楽:坂本龍一
主演:ジョニーデップ 2020年 アメリカ 115分
『MINAMATA』を見た後に、何かを書かなければと思いながら、正直その切り口や書き出しのきっかけが掴めなかった。あまりに多くの「水俣」を見聞きしてきたからか? この映画に感心しなかったからか?
先日、高校の授業でこの『MINAMATA』を紹介した。その時に、はっきりとそのどちらでもないのだと気がついた。高校1年生の生徒たちを前にして、「どうかこの映画を観てほしい」と素直に薦めていた。僕は人に映画を薦めるのが好きではないから、これまでも、よっぽどのことがなければ「観たほうがいい」などとは口にしなかった。しかし彼らに、65年も前に公式認定された「水俣病」について、何かの説得力を持って伝えることは難しいと感じていた。聞けば「教科書に書いてありました」「社会の授業で写真や映像を見たことがあります」といった答えが多い。土本典昭さんの記録映画を紹介すれば、「こんな事があったなんて知りませんでした」「教科書とは全く違う出来事だと知りました」と、特に優等生は書いてくれる。それは「水俣」を知っている自分へのアリバイでもあるように「伝える責任」を満たしてくれるようで心地よかった。
でも、それは少しでも次の「水俣」に繋がったのだろうか? 随分と前のことになるが、ある専門学校で土本さんに特別講義をしてもらった年があり、その後、ひとりの学生は「水俣」に行き、杉本栄子さんのお宅で、シーズンを迎えたシラス漁のお手伝いをした。そんなことが自分の記憶にあるから、この子たちにも伝えたいと思った。いやきっと「心を動かしてやりたい」などという邪な正義感だった。
すでに多くの人が書いているように『MINAMATA』は、ユージン・スミスと水俣との関わりを描いた「史実に基づいた映画」であり、その中心は写真家としての苦悩なのだろう。劇中に「写真を取る側も魂を削られる」といった言葉がある。沖縄や硫黄島を取材したことで、文字通りに心身ともに大きな傷を負った写真家の「苦悩」は、短い言葉では、それを表現できないのであろうが、当初は水俣行きを拒んだのは、水俣病患者の「苦悩」とも共鳴した魂が、むしられるように削り取られることを、最も恐れていたからなのだと思う。見れば分かるほどのアルコール依存症を抱え、「水俣病」に関わったために巻き込まれた傷害事件で、さらに致命的とも言える傷を追った写真家を救ったのは、アイリーンだったのか、地元の戦う患者たちだったのか、カメラに興味を持った身体の不自由な少年だったのか、世界的に「水俣病」を知らしめた入浴する母娘の写真だったのか、あるいは「TIME」誌で名誉を回復できたことなのか、それはわからない。しかし、僕はユージン・スミスが水俣に来た経緯も、アメリカでも、水俣でもそれがどんな暮らしだったのかも、有名な写真以外は何ひとつ知らなかったのでとても興味深かった。
今は素直に観てよかったと思っている。そして高校で僕から水俣の話を聞かされるよりも、もっと素直にこの生徒たちは、この映画を吸収してくれるのではないかと思った。それが次の「ミナマタ」や「水俣」につながるかどうかはわからないけれども、『MINAMATA』は立派な種だし、肥料や水もたくさん与えられるだろう。何よりも、アメリカやそれ以外の国でも公開されて、やがて配信のラインナップに加われば、日本ではなくても、次の「水俣」に手を伸ばす人がいるかも知れない。
この映画をきっかけに、夢のような連鎖を妄想してしまう。
原田正純先生や石牟礼道子さん、川本輝夫さんや緒方正人さんを主人公にした「史実に基づいた劇映画」ができることを心から願う。
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『ミッドウェイ Midway』
監督:ローランド・エメリッヒ 2019年 アメリカ・中国・香港・カナダ 138分
アメリカ映画『ミッドウェイ』が観たくなってTOHOシネマズ池袋に行きました。
今ではあまりこういう映画はわざわざ観に行かないけれども、実は理由がありました。
本当は、せっかくだから大きなスクリーンで立体音響のようなシステムで観ようと思ったのですが、9月18日からクリストファー・ノーランの新作『テネット』が公開されて、大きなスクリーンは軒並み『テネット』になってしまいました。出来て間もないTOHOシネマズ池袋にも行ってみようと思っていたので、仕方なく76席の一番小さなスクリーンで観てしまいました。とは言ってもTOHOシネマズですから、シートも快適だし、スクリーンも大きい。音も十分に楽しめました。
実は、1976年の『ミッドウェイ』は僕が中学生の頃に、父親と観に行きました。中洲の大きな映画館だったはずです。当時は「センサラウンド方式」という新しい音響システムが導入されて、『大地震』というパニック映画では、重低音で椅子の揺れを感じたのを覚えています。この頃は、エアポート・シリーズとか『タワーリング・インフェルノ』とか『サブウエイ・パニック』とか、もちろん『ジョーズ』とか、そういうパニック映画が随分と流行っていましたね。サメだけではなくて蜘蛛とかタコとか虫とか、巨大な生き物に襲われる映画も流行りました。僕が中学生から高校生にかけては、アメリカ映画や便乗外国(イタリア映画がそうだった)映画はそういう状況だったんです。もちろん他の映画もあったでしょうが、中洲の映画館ではアメリカ映画のロードショーが主流でした。
父は予科練で終戦を迎えていて、「後3ヶ月戦争が延びたら特攻に出る予定だった」と話していました。時々、予科練の話もしていました。小柄だった父は、支給された制服や訓練服がぶかぶかだったそうで、当時の教官からは「貴様らに合わせた服は無い、服に体を合わせろ!」と言われたそうです。また、海軍精神注入棒で気合を入れられたそうですが、話を聞くと殆ど理由のない暴力で、ただ、眠れないくらい痛いケツバットだったそうです。そんな父が『ミッドウェイ』を観たいと言ったものですから一緒に行きました。観終わると色んな話をしてくれたのですが、殆ど覚えていません。おぼろげに覚えているのが、南雲中将の判断ミスが大きく戦局を変えたというようなことだったか。これは2019年の『ミッドウェイ』でも描かれていますが、アメリカ艦隊の待ち伏せに気が付かずに、ミッドウェイ島の陸基地を攻撃するつもりだった南雲は、戦闘機に搭載する爆弾を「魚雷」から「陸地爆撃用」、また「魚雷」に積み替えて、発艦の時間が遅れたというものです。しかし、もしもこの時の日本の連合艦隊が勝利して、アメリカ軍に相当な痛手を与えていたら、いずれそうなった敗戦の日はもう少し後になって、父は特攻で飛んでいたかもしれませんね。父親が14歳の頃、ミッドウェイ海戦のことは、きっと「勝った、勝った、のデマ戦果」を大本営発表で聞いていたでしょうから、軍国少年の志は高まっていったのだと思います。
1976年の『ミッドウェイ』はアメリカ建国200年記念映画とも言われていて、多分にプロパガンダも含まれていたでしょう。しかし、2019年はどうか?
古いパンフレットを読み返していると、1976年版はたしかに当時のアメリカ映画を支える大スターが集結していました。ヘンリー・フォンダ、チャールトン・ヘストン、ロバート・ミッチャム、ジェームズ・コバーンといった布陣で、山本五十六は三船敏郎です。三船だけは監督の意向で決まっていたそうで、他の日本人は南雲中将のジェームズ・繁田など、すべて日系の俳優たちでした。
ストーリーでは、もちろん大筋は史実なので変わりませんが、描かれる中心的なキャラクターが随分と違います。チャールトン・ヘストンが演じたガース大佐は、息子トムが日系人の女性(佐倉春子)と恋に落ち、逮捕されている彼女の両親の釈放を父に懇願したり、その春子がスパイの疑惑があるとFBIから連絡上がるなどというエピソードは登場人物も含めてまるごと無い。かわって2019年版の中心は、真珠湾奇襲攻撃で大切な友人を失い、復習に燃える勇敢なパイロット、ディック・ベスト大尉で、ベストが1日の攻撃で2艦の空母に爆弾を命中させ、戦局を変えた英雄であることが、この映画の全てであると言ってもいい。したがってこの映画は真珠湾攻撃から導入しなければならない。奇襲攻撃によって甚大な被害を受ける真珠湾を導入部で描く。ディック・ベスト大尉は、粗野で無謀だが勇気ある優秀なパイロットで、日本の空母に爆弾を落とすことが友人の弔いだと思っている。映画の方向は決まったようです。一方で、76年版でも重要視されている暗号の解読には、ベストと対象的な情報主任参謀エドウィン・レイトン少佐が描かれます。真珠湾のエピソードより先に、日米開戦の前に、レイトンが日本に駐在していて、山本五十六と親しかったことが描かれます。レイトンは情報参謀として日本の動きを予測しますが、山本と親しかったことから、日本軍の動きを予測せよという流れです。暗号解読が15%程度の精度であることや、日本軍の陽動作戦ではないか、といった不安が判断を鈍らせます。レイトンとベスト、この二人の対象的なキャクターがこの映画の中心です。
もちろん、かつて今野勉さんが『ルーズベルトは知っていた』というドキュメンタリー番組で指摘したように、真珠湾攻撃の情報はアメリカ軍には掴まれていたというのが史実のようです。中立だったアメリカが参戦するにはそれなりの強力な理由が必要で、そのためには「自衛のため」あるは「やられたらやり返す」というのが一番強力です。真珠湾を犠牲にしたのかといえば、そうだったのかもしれません。
これを機会に旧作の1976年版も公開か配信してくれると、もう一度観て詳しく比較したいところです。アメリカ軍のプロパガンダ映画を撮っていたジョン・フォードがちょびっと出てくるのも面白いですね。
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『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』 原題:Mr. Jones
監督:アグニェシュカ・ホランド 2019年 ポーランド/ウクライナ/イギリス 118分
この映画を観る前日に、よせばいいのにNet Flixオリジナルドキュメンタリー『ジェフリー・エプスタイン:権力と背徳の億万長者』を4話続けて観てしまい、どうか悪い夢を見ませんようにと願って眠ろうとして、「しまった、明日はスターリンの時代を描いた映画だ」と思いながら、不安で仕方なかった。悪い夢は観なかったけれども後味の悪いドキュメンタリーを観ると長く引きずるものだ。そして、この映画を観終わって帰宅すると「安倍総理辞任」を伝えていた。
『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』は、内容の前にとても残念な邦題だと思った。原題は『Mr. Jones』とてもシンプルなタイトルは、物語の深刻さを反映していてとてもいい。タイトルだけではなんだかわからない。Jonesはいったい誰で、何をしたのか? 映画の中でも振り返れば頻繁に「ミスター・ジョーンズ」と呼びかけられる。ある程度、社会的に高い地位の仕事をしていることがわかる。当時の英国首相の外交顧問であったというから、英国人ならば「ミスター・ジョーンズ」でも察しが付くのかもしれないが、邦題はどうしても内容をわかりやすく伝えようとしてしまう。仕方のないことだが、かえって味気ない。例えば、ケン・ローチの映画ならば『ケス』とか『マイ・ネーム・イズ・ジョー』とか『わたしはダニエル・ブレイク』とかそのまま邦題にもなっている。あるいは最近見た韓国映画『はちどり』では、映画の中では一度も「はちどり」は出てこない。そういうタイトルでもいいと思うけれども配給する側の不安を反映して説明してしまうのだと思う。
実在の英国人記者ガレス・ジョーンズのことは全く知らなかった。この映画に描かれるような「ヒトラーを取材した記者」であったり、スターリン時代にモスクワに入り、厳寒のウクライナを取材した事が、その後のヨーロッパの動向に大きな影響を与えていたことなど、本当に自分の無知を恥じる。スターリンがウクライナの食料を搾取していたために、モスクワは対外的に繁栄を見せていた。知らなければ済んだかもしれない大国の虚構を自分の目で確かめに行ったジャーナリストの話だ。映画のエンドクレジットでは、ジョーンズがウクライナの飢饉を伝えた2年後に、モンゴルを取材中に誘拐されて殺害されたことを伝えている。
ところで、冒頭のカットから不気味なクローズアップで豚の様子を描いているのは、この映画の語り部であるかのように現れるタイプライターに向かい合う男との関係であり、ジョーンズが『動物農場』(1945年)を書いたジョージ・オーウェルとも接点があったのではないかという描写は面白い。『動物農場』の農場主はジョーンズという名前であるそうだ。ということで早速『動物農場』の文庫本を注文してしまった。
映画の面白さは、描写のディテールにも及んでいる。当時のモスクワに駐在していた新聞社で交わされる煮え切らない対応は、スターリンや政府との取引の根深さが示唆される。あるいは淫らなパーティーに興じる新聞社の幹部たち、ジョーンズが滞在を打ち切られるホテルや、監視がつきまとう街の描写などであるが、反面、ウクライナに潜入した時の状況描写では、僅かな食料も奪われて雪原のような過酷な場所で数日を過ごしたとすれば、凍死しないまでもよく凍傷にかからなかったものだと思ってしまった。子どもたちが歌っている歌詞にあるように、「みんなが狂っていった」のだろうし、飢餓の描写はたしかに痛々しい。
捕まったジョーンズは、政治的な取引でイギリスに戻る事ができるのだが、その経緯が腑に落ちない点もある。ウクライナで見てきたことを語っても、メディアからは嘘つき扱いされて失職し、故郷のウェールズに戻る。地方紙で仕事をしているところに、アメリカの新聞王がウェールズに滞在する。『市民ケーン』で描かれたウイリアム・ランドルフ・ハーストは、ウェールズの別荘に定期的に滞在していたらしい。強引にハースト邸に押しかけて、モスクワでの話を記事にできるというストーリーなのだが、アメリカの関与を匂わせるスターリンの資金源というところが最後までよくわからない。闇とはそういうものかもしれないな、と思いながら、きっともっと大きな闇が、そうとは伝えられずに葬られたのだろうと想像した。
映画を観ると不思議な連鎖というものがあるもので、翌朝の東京新聞の書評欄に『私は真実が知りたい』(赤木雅子+相澤冬樹)がとりあげられていた。永田浩三さんが書評を書いている。その後に、永田さんがFBでこの書評のことを書いていて、唐突にモフセン・マフマルバフの『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』という書名を挙げていた。新聞の書評に紙数があれば、そこでも触れていたのかもしれない。ちょっと気になってマフマルバフの本を読み返していると、こんな記述を見つけてしまった。思いがけずマフマルバフとスターリンとが繋がってしまった。面白いものだな、と自分でちょっと感心してしまった。
「ナイフや短剣、剣で首を切って殺すことと、銃弾や手榴弾、地雷、爆弾、ミサイルで殺すことの間に、どんな違いがあるのだろう。ほとんどの場合、暴力に対する非難は、暴力の方法に対する非難であって、暴力そのものに対する非難ではない。今日の世界は、世界が不公正であることの結果として100万人のアフガン人が餓死しても、それを暴力とは呼ばない。だがアフガニスタンでナイフで切られた首の映像は、延々と衛星ニュースのヘッドラインに流される。ナイフで切られた首の映像を見れば身震いしてしまうのが当たり前だ。しかし対人地雷で毎日7人の人間が死ぬのは恐ろしくないというのだろう? なぜナイフは暴力で、地雷はそうではないのか。近代的な西側諸国でアフガンの暴力性として批判されているのは、暴力の形式であって、その本質ではない。
西側諸国は、そうしたければ、一つの仏像のために世界をあげて哀悼し、全人類的悲劇の物語を紡ぐことができる。だが、100万人規模の人間の悲劇については、統計を満足させるだけだ。スターリンはいみじくも言った。『人一人の死は悲劇だが、100万人の死は単なる統計に過ぎない』」
(2001年3月 『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』モフセン・マフマルバフ p131~132)
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『はちどり』
原題:House of Hummingbird 監督・脚本:キム・ボラ
2018年 韓国・アメリカ 138分
81点くらいの映画が好きだ。残りの19点はたぶん、僕にはわからない魅力としてとっておきたい。不思議な既視感はエドワード・ヤンだろうか? 映像の連続が何かの解決には向かわないそんな曖昧さを纏っていて、とても心地よい。例えば映画の半ばから気になって仕方のない女性教師ヨンジは、最後まで何も教えてはくれない。それでも、この映画に大きく貢献をしているのは、その解らなさが映画の中で魅力的であるからだ。
主人公の少女キム・ウニはもちろんそんな解らなさをずっと持ち続けている。感情の不安定さとか、思春期の揺らぎとか、そういう言語化出来る何かではなくて、行き場のない感情を家族を配慮しながら抱え込み、それでもどうしても溢れ出るさまは、それだけで愛おしい。
1994年の半年くらいを背景に持ち、金日成の死去をニュースで伝えながら、その時期の韓国の動揺はあくまでも、ウニや家族の視線の先にしか描かれていなかった。それが、ソンス大橋崩落で突然目の前の大事件になっていく。子どもたちの僅かだった動揺は、向こうから唐突に近づいてくる暴力的な展開で、忘れることが出来ない事件になっていくのだと思った。
ラストのウニの表情を捉える長いワンカットは、その視線の動きの向こう側に何を見ているのかという疑問しか残さない。それでも美しいのは、視線の向こうなどというものは、本来は描いてはならないものだと言っているようだからだ。
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『海辺の映画館 キネマの玉手箱』 監督:大林宣彦 2020年 179分
コロナ禍が続き、映画を観に行くことも躊躇するような日々ですが、この映画はできるだけ早く観ておかなくてはと出かけました。
大林宣彦監督の遺作となったこの映画について、良いとかだめだとか、素晴らしいとか共感できるとか残念だとか、そういう、ひとつの創作物を問題にするような言葉は全く浮かばない。大林さんは壮大な「個人映画」を作ったんだなと、179分をずっと見つめていた。監督の自分史の側面も多く見られる。故郷を舞台にしていたり、自身や家族の戦争体験が垣間見えたり、映画を通じてアメリカに憧れたその素朴な憧憬を隠さず、それでも戦争に反対し続ける強固な自分史を振り返り、映画的なエピソードの中に「映画」というそれぞれの時代の代弁者を織り込んでいく。そして映画作家としての映画での発話が、驚くほどに瑞々しい。僕は正直なところ、これまでの大林映画の合成した画面にはかなりの違和感を持っていた。『花筐』の時に、少しだけその本意が掴めたような気がしたのだが、それがどういう本意なのかは判然としなかった。そしてようやく、この映画で現れるのは、徹底した「映画」のイリュージョンなのだな、と思い至った。
考えてみれば映画はそれが公開された当初から、イリュージョン(幻影であり、マジック)であった。初期の観客はスクリーンに映し出される光景を現実と混同したとも言われているが、それは、われわれが初めて3Dの映像を見た時に、向かってくる何かを思わず避けてしまったその素朴な反応に近いと思う。実在する演者や風景が映し出されていても、観客はそれをやがて「映画」であると認識し、現実を模倣し、誇張し、再現前化するそれらを楽しんだ。映画が誕生してすぐに、戦争の再現が好まれたことは、いながらにして遠くの出来事を疑似体験できる映画が、特権的な娯楽へと成長していくことを助けた。もちろん戦争は現実に近づき日常も飲み込んでいった。それが、ニュース映画への興味を喚起して、映像のリアリズムを浸透していったこともまた事実である。映画は一時期に現実と同義となり、政府や軍はそれを巧みに利用し、偽り、戦意高揚・国策浸透のための映画も制作した。現実と容易に入れ替わってみせた映画は、その偽装の技術を戦争で鍛えたと言ってもいい。
そして戦後に、大林少年たちの心を捉えたのがアメリカ映画という幻影であったとしても不思議ではない。スクリーンには戦勝国の豊かな暮らしや文化が溢れ、その仕草や営みや音楽に心酔する。映画は幻影でありながら手が届く現実を予見していたはずだ。映画は作り出せる夢でもあった。大林少年が描いたキャラクターが映画では文字通りに命を吹き込まれたように、夢が現実を模倣しながら映画の中には再現できた。それが、大林さんの映画だったのではないかと、今は思う。
他方では、大林さんは市民映像作たちが描くリアリズムを愛したのだと思う。僕は映画界には何ひとつ貢献していないにも関わらず、およそ20年間、年に数回の頻度で大林さんと同席して市民映像を論じる機会を得た。それはきっと、大林さんがビデオ制作を通じて多くの市民映像を見つめてきた「東京ビデオフェスティバル」を、一方の極として認めていたからだろうと思う。事実、大林さんが市井の作者たちの作品を語るときの言葉は、とても穏やかであり、時に厳しく、そして暖かかった。審査委員の末席にいた僕は、市民の映像に対して、大林さんと多くの言葉を交わすことが出来た。特に戦争を扱った映像に対しての大林さんも眼差しや言葉は、作者たちにダイレクトに響いていたのではないか? そうした思いはプロの監督たちにも等しく向けられていたのだと思う。
この映画は、走馬灯のようだと言えばあまりに陳腐な喩えだろうけれども、ピアノを引く老人の姿は、戦時下でピアノ線さえ金属として供出させられたと語った自身であり、今、危機感の中で自由を奏でるような不安定な旋律が悲しくもある。だから、大林監督だけが回顧でき、また、将来を託したり夢を見ることが出来る、壮大な個人映画なのだと思う。
ところで、この映画のエンディングに流れる『武器ウギ<無茶坊弁慶>』は、武田鉄矢が歌っているのだが、榎本健一さんの名曲だとは知らずに、僕はダウンタウンブギウギバンドの曲だと思っていた。『棄てましょブギ(無茶坊弁慶ヨリ) 〜イン・ザ・ムード (In The Mood)』は『続 脱・どん底』に入っていて、これは僕が中学校の時に初めて買ったLPレコードだった。歌詞が面白くてすっかり覚えていた曲だった。当時のダウンタウンブギウギバンドが、この曲を選曲していたんだという、感動的な曲との再会だった。
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『どこへ出しても恥ずかしい人』
監督:佐々木育野 2019年 64分
https://hazukasiihito.shimafilms.com
雪が降った日の新宿でこの映画を観た。雨は覚悟していたけれども、観終わって映画館のビルから見た新宿の裏通りは、明らかに雪が混じって白く舞っていた。今、観終えたばかりの映画の風景が、すぐそこにある。それは少しも不思議ではなくて、目の前の地続きの新宿は、心地よい匂いがした。
友川カズキを熱く語ることなど僕には出来ない。だからもしも自分が映画を撮るとすればどういう映画なのだろうかと想像してみるが、どんな映画にすることも難しそうだと思った。この映画に興味があったのは、自分もいま、ギター1本で歌うブルースマンの映画を作っているからだったし、友川カズキという「くせ者」をどうやって映画にするのだろうかという興味もあった。参考になるかもしれないとも思っていた。
結論から言えば、「それでも面白かった」ということだろうか? 「それでも」にはいくつかの意味がある。おそらく友川カズキをよく知っている人や、古くからの歌のファンには物足りない内容なのだと思う。なぜこの時期の記録だけなのかという、公開までの隔たりも気になる。友川カズキの、肉や骨を通って吐き出されるような言葉や音は、この映画でも垣間見える。『生きているって言ってみろ』は、衝撃的な歌だったし、今もその歌声は痛切で在る。「それでも」と思うのは、競輪に明け暮れる友川のギャンブル狂の一面が、歌との距離しか作っていないように思われるところだ。ライブの合間で語る「今も頭の中を自転車が走っています」とは、友川の本音なのかも知れない。ギャラがいいから引き受けたというライブの話しも、「金に目が眩んでいる」という言葉も、おそらくはその刹那の本音なのだと思う。ライブの曲間ではこれまでも、か細く、情けない話ばかりしていたはずだし、それは嘘では無かった。「金がなくて、ファンの人がエアコンをつけてくれた」などという話を聞いたことがあった。だからこそ、何日間もずっと一緒に酒を呑んでいたという、たこ八郎とのエピソードも、素直に受け入れることができた。だからこそ『彼が居た、、、そうだ!たこ八郎がいた』は美しい歌だった。映画のサブタイトルに「途方に暮れながら生きる」とは、まさにこういう歌詞が絞り出されるその日々のことだと思う。世間の常識との距離は、底辺で喘ぐような世俗との近さではあるけれども、貧困や博打好きといった解りやすさとも距離がある。世俗に背を向ける表現者か? そう、破滅型の物書きや芸術家と似ていなくも無い。その距離を、気配だけでも知りたかった。
だから、友川カズキの日常生活をそれほど観たかったわけではない。競輪場に通う友川の姿は、もちろんそれは日常として面白い。本気だからだ。息子たちまで巻き込んでいる様子には、他人だけれども本当にあきれ果てる。筋金入りのろくでなしだと思う。だからこそ、競輪の歌『夢のラップもう一丁』は素晴らしい。本気のろくでなしだからだ。僕が観たかったのは、どんな姿なのか? 本当は自分でもよくわかっていないけれども、こんな日常の姿ではなかったように思うのだ。それでも、それはこの映画に対しての批判ではない。僕はこのようには撮らないだろうし、撮れない。自分では解釈しきれないのだと思う。だからこの映画を否定出来ない。
友川カズキの歌を初めて聴いたのは、全くの偶然だった。テレビ番組でのそれは、カウンターに座る金八先生と三原じゅん子の後ろで(確か吉祥寺の「曼荼羅」)歌っていた友川カズキだった。その曲を聴いてから、すぐに『無残の美』を買いに行ったと思う。渋谷のアピアに見にいったのもそのすぐ後だったか。しばらくしてから、佐々木昭一郎のテレビドラマ『さすらい』(1971年)が再放送され、その若い姿を見た。秋田から出てきて映画の看板描きの見習いをやっている「ギター」と呼ばれる青年の役だった。その後、看板描きをやめてキャバレーで働く友川の姿は、他の役者と同様に現実と区別がつかないものだった。そのほかにも、山本晋也のポルノ映画に出ているらしいことを知ったが、それは見ていない。何れにしても、破滅型の匂いのする癖の強い表現者だと思っていた。最近ではこれまでの文章を集めた『一人盆踊り』(2019年)を読んでいた。「週刊金曜日」(2019年4月22日号)のインタビューは、聞き手でもあった編集部の土井伸一郎さんが教えてくれた。これが、その時点でメディアに載ったの最新の姿だと思って読んでいた。そしてこの映画を観たのだった。
友川カズキへの個人的な関心は、明らかに屈折していて、集中的にのめり込んだけれども、一時期の熱は冷めていた。おそらくついていけなくなったのだ。友川の生き方を、少し距離を置いて途方に暮れて観ていた。それでも、中上健次の命日だとか、福島泰樹の最期の授業とか、ことあるごとに周期的に思い出し聴きたくなるような歌だった。自分の中では大きな位置を占めていると今でも思う。
この映画について、何か書こうと思っていたけれども、なかなか言葉が見つからなかったのは何故だろう。そんなことを毎日考えていたら、一週間が過ぎた。自分に跳ね返ってきそうだと思ったからか? 何かを書く自信がなかったからか? だから、こんな文章になってしまった。
それにしても、2010年の夏の記録を、どうして今、このタイミングでその時期の記録だけで64分の映画にしたのだろうか? 始めからこの夏だけにするつもりだったのか? 何らかの理由で撮り続けることができなくなったのか? 何れにしても、友川カズキに惹かれた者にとってはとても興味深い記録だった。
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『馬三家からの手紙』 原題:LETTER FROM MASANJIA
監督:レオン・リー 制作:フライングクラウドプロダクション
配給:グループ現代 2018年 カナダ 76分
映画を観終わったときに、しばらくは言葉が見つからないことがある。
何から書けばいいのか、戸惑ってしまう。
またひとつ、海外の映画によって知らなかったことに触れることができた。何処かで、人が人らしくない扱いを受けている。知らなかったと言えば、いずれ無くなるような問題ではない。
そんな映画を観てしまったことを誰かに伝えなければと思う。
映画は一枚の紙片が発見されたところから始まる。
馬三家労働教養所で書かれたもので、施設の実態を告発する内容だった。馬三家労働教養所は政府が反体制的とみなせば、裁判抜きで収容することができる強制収容所であったという。法制度があるとは言っても反政府活動には問答無用の拘束がなされ、尋問や拷問も行われていたらしい。孫毅が教養所で書いた20通の告発文は、所内の労働所で制作されたハロウィンの飾り物に紛れ込ませて発送され、それが海外で売られ、紙片が発見されることをわずかに期待していた。その間、告発文のひとつが看守に見つかり、孫毅や仲間たちは次々に拷問を受けていたという。その紙片はアメリカ・オレゴン州のジュリー・キースによって発見された。
概要をこうして書いてしまえば、中国で起こっていることだから特に驚かない、と言われるだろうか?
孫毅が拘束されるきっかけとなったのが、「法輪功」の学習者であったということについてはどうだろうか? 「法輪功」は中国ではよく知られる健康法の「気功」から発展した修練法を学習する団体だったそうで、1992年に李洪志によって広められた。驚くのはその学習者が1998年に7000万人に達したために、中国政府はその拡大を驚異とし、非合法組織に定めて取締を開始した。映像で見ても、老人たちを中心とした朝の太極拳といった活動なのだが、何しろ波及の速度と組織力を恐れたのだろう。つまり「政府の管理下」に収まらなければ非合法という恐るべき判断が、こうした団体を摘発し、拘束し収束させようとする。北京五輪の開催期間が迫ると「法輪功」への弾圧が一層厳しくなったのだという。また、司法にしても警察にしても党の管理下であるから、こうした非合法組織のメンバーが拘束されても、行方不明になったケースも多いという。
馬三家労働教養所はそうした非合法活動家の受け皿であり、思想的な矯正所であった。アメリカで見つかった告発文は大きなニュースとなり、国内外からの批判を受けて、馬三家労働教養所は2013年11月に廃止された。しかし、実際はこうした施設は名前を変えて現在でも存在するらしい。
この映画の特徴は、監督のレオン・リーがカナダから様々な映像制作のレクチャーをして、孫毅や協力者が撮影した映像を極秘にやり取りして、編集されたものであることだ。例えば『ラッカは静かに虐殺されている City of Ghosts』(監督・製作・撮影・編集:マシュー・ハイネマン2017年 アメリカ 92分)が、その殆どがスマートフォンで撮影された映像だったように、この映画でも撮影そのものが極めて危険な行為であるし、その映像ファイルをやり取りすることも、海外に送ったことも重罪に値する。また、孫毅によって描かれた図解やイラストをベースに制作されたアニメーションのパートも、過酷な状況を見事に描写している。
インドネシアに亡命を試みた孫毅が、告発文の発見者ジュリーに会うというひとつの大きな山場は、やがて訪れる悲劇を招き入れたしまったのではないかとも思ってしまう。こうした亡命者の悲劇はロシア人の例でも既視感がある。
中国は党=政府の管理下におかれた資本主義が急速に拡大している。歪な経済政策は貧富の差を拡大し続けている。もちろん中国には行ったことがないので、その実情は分からない。試写会のあとレオン・リー監督は、質疑の最後にこのようなことを話した。「中国の問題をひとことで言えば、プロパガンダと暴力だ。新型コロナウイルスの対応でも、初期対応が遅れた問題は隠され、武漢を封鎖したことだけが、党の功績と言われ続け、多くの人がそれを信じている」と。翻って日本はどうだろうか? プロパガンダと暴力は、程度の差はあるけれども、確実に現政権の問題点である。暴力とは、沖縄や基地問題、原発問題での民意無視であるし、沖縄では暴力による反対運動の排除が進行している。プロパガンダは、政府主導の犯罪的な行為(恣意的な学校認可と新設、国有地のたたき売り、公職選挙法違反、政治資金管理法違反、自衛隊法・憲法違反などの疑い)が、巧妙に都合良く言い換えられている。管理下に置かれた資本主義は、弱者を無視して富裕層だけを拡大している。ゆっくりとじっくりと、事態が進行している日本は、その解り難さ故にむしろ深刻かも知れない。
この試写会の最後にレオン・リー監督は言った。
「孫毅(スン・イ)が馬三家労働教養所で書いた手紙は20通ありました。発見されなかった19通はどうなったのでしょう? この映画を見た人は、孫毅からの手紙を発見した人のように、ここで観たことを誰かに伝えて欲しい。」と。
せめてこの映画を目撃する事、観たことを伝える事くらいしかできないかもしれないが、観たことの責任を感じ続ける映画になるだろう。
この映画に先立ち2018年9月19日に「NHKBS世界のドキュメンタリー」で同名の45分版が放送されている。
]]>『パラサイト 半地下の家族』
監督:ポン・ジュノ 2019年 韓国 132分
先月、この映画を観た話を高校の授業の冒頭でしていたときに、この映画はカンヌでは最高賞を受賞したけれども、アカデミー賞というのは基本的にアメリカ映画産業に携わっている人が選ぶ賞なので、アメリカ映画と「それ以外」という考え方が主流なんです、などと言っていていたので、ちょっと慌てている。ここ数年はアトラクション映画に辟易とした反動なのかもしれないが、『パラサイト』自体はとても良くできた映画なので、複数の受賞はとても素敵な事件だと思う。
この映画を観たあとに、やはり脚本が良くできているなとは思ったけれども、しばらくその理由を考えていた。一方で、このところ映像祭や学生作品の審査などをしていて、それらの映像には何が足りないのだろうかとも考えていた。
たどり着いたのは、言語化のプロセスなのではないかということだ。それをやっていないということではなく、足りていないのではないかと思う。
シナリオは映像制作の設計図であるから、言語と、場合によっては設定や空間の俯瞰図など書かれている。その言語を元に絵コンテなどのより具体的な設計図に描き起こされていく。シナリオは状況とセリフが淡々と書かれているので、例えば「〇〇は、昨夜のことを思い出して、ひどく後悔していた」などという心情を表す言葉では書かない。ひどく傷ついている状況を「暗い部屋の窓際で、明かりも点けずにうつむいて座ったままじっと動かない」などと役者の有り様を説明する。それをどのような構図やカット割りで示すのかを絵コンテに描いていく。
ここで重要なのは、言語と映像化のための作業(構図を示したり、照明を作ったり、台詞のタイミングを作ったり)との間には、更に複雑な言語化の作業が必要だということだ。どのような心情で、何故、そういう態度を取るのか、何故そういう表情なのか、どこを見ているのか、何故、言葉に詰まるのか、間合いが必要なのか。そして、何故この場所や空間でやり取りや事件が起こるのか? そういうことは感覚的な作業ではなくて、むしろ極めて言語的で緻密な解釈の交換なのだ。あるいは語彙の問題だ。例えば「悲しみ」を伝える無数の言語表現のグラデーションを、伝える側がどのくらい持っているか。それをどのように具体的な人物の振る舞いに反映させるのか? 映像表現はこのプロセスに大きく左右される。
そして、映像表現が面白いのは、そうして丁寧に構築された言語的な構造に、あるカットの一瞬の驚きや輝きが唐突に裂け目を作って、一気に決壊させるようなダイナミックな展開を見せることがあり得るということだ。
『パラサイト』での雨や雷や洪水はそうした決壊を文字通りに示した映像的な魅力であるし、幸運の石も、モールス信号も、「半地下」「丘の上」という設定そのものも、「におい」という映らないものまでも、それらは丁寧に構築されていて、危うさとギリギリの均衡にある、不安定な状況を作り上げている。つまり、展開が唐突で予想外だから面白いのではなくて、どうすれば予想外の展開になるかが緻密に言語化されているから面白いのだ。それが、セリフに絵がついているような映像ではなくて、さらに複雑な言語化の作業があるから映像による破綻が見えてくるのだ。
もちろんシナリオを読んだわけではないので、これらが的確かどうかはわからない。また、こういう言語化の重要性は劇映画だけの問題ではなく、ドキュメンタリーでもビデオアートでも同様だ。
ここに書いたことは、シナリオの作法や映画制作では当たり前のことではないか、と思われるだろうか?
今、この国で最も言語的な能力を疑われているような人たちが、政治を動かしている。「クールジャパン」がダメだとは言わないが、テレビCMでは声が大きくて馬鹿っぽい若者がダジャレを言うようなモノばかりだ。お笑い芸人のように、素早い反応や反射だけが巧みな言葉遣いだと思われている。一方で政府は文学や文系を軽視し続け、熟慮や議論を避けて中途半端な同調が良しとされる。こうした政策が、ゆっくりとじっくりと若者や学生たちにも浸透しているように思われるのだ。
いずれにしても、改めて目指そうと思ったことは、映像の設計図を徹底的に言語化の作業で詰めて構築して、それをはみ出していくような映像的破綻を積極的に許容すること。
これからはいくつかの授業では、もっと言語化と解釈の作業に力を入れていこうと思った次第です。
]]>『ダンシングホームレス』
監督・撮影:三浦 渉 プロデューサー:佐々木伸之 Tokyo Video Center
2019年 99分
これまで、ダンスが劇場ではなく街や路上に出る理由はなんだろうか?と考えていた。
この映画には彼らのダンスが路上に在る理由しかない。
試写会を終えた会場で「かっこいい映画を作ったね」と、監督の三浦 渉さんに伝えた。
ドキュメンタリー映画を観て、久しぶりに「かっこいいな」と思った。監督をよく知っているから持ち上げているのでも、その成長ぶりに感心しているのでもなくて、本当にかっこいい映画だなと思った。
「観ればわかるでしょ?」と言われているようでもあった。ホームレス、路上生活、非正規雇用、社会的弱者、生活保護受給と少なくとも社会問題に片足を突っ込んでいる内容であっても、ナレーションやテロップは極端に少ない。観ればわかることは言わないし書かない。あるいは必要以上の情報を加えないし、徒に感情を煽るような言葉や音楽もない。登場するダンサーたちもそれぞれ名前と年齢が文字で伝えられ、それ以上の情報は映画の中で、取材者である監督との会話で聞こえてくる。「新人Hソケリッサ」の主宰者・アオキ裕キ氏のインタビューは、簡潔で歯切れがいい。彼が言うように路上生活者の身体表現がとても面白いのだ。それ以上の動機ではない、と彼は言う。彼自身も、商業ベースで消費される「ダンス」や振り付けに疲れたのだろうか? その多くは語られない。だから観ればわかることしかわからないし、推して知ればいい。それでいいのだと思うし、映像以外の情報を最小限にした演出は、アオキ氏の考えと共鳴していて潔い。また、ホームレスのダンサーたちとそれぞれ向かい合う時の、独特の間合いとか距離感とか視点とか、時々不躾にも聞こえる質問がとてもいい関係を見せてくれている。訓練してできるようなものではなくて、これは、監督が持っている生来の空気だろうなと思った。
もちろん、路上生活者ではない我々から見れば、何もかも失って生きている人たちの極限の身体などと、プロの表現者がその限界突破をアウトサイダーに求めるような態度にも思われるかもしれない。
表現は何度も繰り返して、そうした外部の突発的な表現を取り込もそうとしてきたし、理屈をつけるならば、原初的な感覚や極限状態の表現などを突破口として、あるいはノイズとして取り込んできた。あるいは土方巽の舞踏は「身体であることの不自由さ」や、躍動ではなくむしろ抑制に近い動きを独自に取り入れていた。よく知られているように、あの舞踏に特徴的な中腰のゆっくりとしたリズムは、泥に足を取られる田植えに似ている。生活者の動きやテンポは日本独自の舞踏として発展した。
僕は学生の頃に精神病院での芸術療法に興味を持っていたし、絵画や陶芸だけではなくて、演劇やダンスも療法に取り入れらていることを知った。舞踏家・石井満隆のドキュメンタリーを制作した入り口は舞踏療法だった。そして彼の後を追いかけるように撮影していったことで、その思い込みは見事に打ち砕かれ、「誤解」が編集の際のキーワードだった。そういえば、アオキ氏のワークショップは僕が観てきた舞踏のワークショップの段取りと似ているな、と思った。まずは気持ちを解き放つこと、鏡のように人の動きを真似てみること、そして、今、自分の周りにある様々なものを感じて、反応すること。つまり、インプロビゼーションの感覚を体で表現してみる。準備運動などの手続きはあるものの、どんな反応や動きでも、それを参加者全員が受け入れていた。僕の作品では1985年はひたすら観ることに費やし、86年は石井満隆が参加する様々な場所にカメラを持って出かけていった。若い舞踏家や学生たちが参加する合宿のワークショップでは、田んぼで突然踊りだした。檜枝岐パフォーマンス・フェスティバルでは、神社や河原や路上がその舞台だったし、ほとんど野宿のような状態だった。舞踏療法を取り入れ、夏祭りや冬祭では患者たちと一緒に踊っていた、あの素敵な陶芸小屋や畑があった開放病棟は、もうない。
そんな事も思い出しながら観ていた。
ダンスカンパニーが映画を作ることはこれまでにもあった。僕はダンスの専門家ではないけれども、有名な作品はいくつか観てきたつもりだ。かつてピナ・バウシュの『One Day PINA Asked…』(1983年)は、石井満隆のドキュメンタリー制作の参考にしようと初めて観たダンスドキュメンタリーだった。ピナ・バウシュは来日したときの舞台も観ていたし、『ピナ・バウシュ 踊り続ける命』(監督:ヴィム・ベンダース 2012年)もとても興味深いと思っていたけれども、ダンスが劇場のような舞台ではなく街や路上に出ていく理由は、今ひとつつかめなかった。3Dで観る理由も。初期の『嘆きの皇太后』(1989年)は、街というよりは極めて舞踏的に解釈された風景が繰り返されていた。乱暴に言えば寺山修司の映画に出てくる風景のように、極私的に解釈された風景がダンスに寄り添っている。いかにも、という作品はダンス×映像の典型の極だったと思う。それはベルギーのローザスでも近いものがあって、廃墟となった学校や森の中の円形の舞台装置は、とても美しいけれどもダンスの背景としてはとても優れすぎている。「Dance for Camera」というシリーズに収録されているのは、いくつかのダンスカンパニーによる短編映像で、むしろ映像のためのダンスであり、映像×ダンスという逆転の比重がよく分かる。
一方でイギリスのDV8フィジカルシアターは、初期のフィルムから街や労働者、同性愛者やマイノリティーが意識されていた。パブや路上で突然繰り広げられる男たちの汗臭そうなダンスは『エンター・アキレス』(1997年)でもそうだったし、『The Cost of Living』(2006年)では、ダンサーたちが主役の短編劇映画に仕立て上げられていた。
そう、『ダンシングホームレス』を見て、かっこいい映画だと思ったのは『The Cost of Living』を思い起こしたからだった。冒頭やラストがスタイリッシュであるからではなくて、むしろほとんどが泥臭く、ダンスと映画のコンセプトが見事に内容と合致しているからだ。
最近のダンスや舞踏の動向にはあまり関心がなかったけれども、この映画でまた身体表現への関心を刺激されてしまった。
ありがとう、三浦くん、本当にいい映画だと思いますよ。
]]>『さよならテレビ』
監督:土方宏史 プロデューサー:阿武野勝彦
制作/配給:東海テレビ 配給協力:東風 2019年 109分
高校での授業の冒頭でこの映画を紹介した。合わせて東海テレビが、テレビ局発の長編劇場用ドキュメンタリー映画制作の先鞭をつけて、この映画が2011年から続く12作目であること、そして、僕がこれまでに観た7作品がどれも独自の視点を持った素晴らしい映画であったこと、テレビ局発の長編ドキュメンタリー映画は、大きな可能性があると思わせてくれたことを話した。
しかし、この映画を紹介する時に、何かを言い澱んでしまったのは何故だろうかと考えた。
プロデューサーの阿武野勝彦さんとは、平和・協同ジャーナリスト基金賞の場などでお会いしたことがある。その時にも、〈地方のテレビ局が作ったドキュメンタリー番組は、全国配信される機会が極端に限られていて、そうであれば、劇場公開するほうが、長期間の全国展開も可能だし、何度でも観てもらうことができる〉といった趣旨の話をされていた。その通りだと思うし、東海テレビに続いていくつかの地方局が、長期取材したテレビ番組を劇場用に再編集して公開している。
12作目の劇場公開作品は、いくつかの話題が先行していたが、ようやく観ることができた。そして、この映画の後味の悪さをどのように説明したらいいのか、しばらく考えていた。「慢心」という言葉さえ観終わった後に思い浮かべてしまった。テレビがテレビを描くという自己言及の構造が、宣伝チラシにあるような「裸のラブレター」であると思っているとすれば、テレビはまだ思い上がってはいないかと思ってしまう。しかしその思い上がりをテレビ自体が描いてしまうこと、それがこの映画の狙いのひとつでもあるとすれば、不可解な入れ子の謎解きを命じられているようで不愉快ですらある。その怒りこそがテレビに必要なのだと、煙に巻かれるだろうか?
テレビ局が舞台になったとても良くできたドラマだと言ってもいいかもしれない。実在の人物が実際の仕事を演じるという劇映画もある。その是非を問うているのではなくて、フェイクであるか、そうではないのかなどと論じあっている観客を高みから見ているような、テクニシャンの笑みが見え隠れする。そう考えると、ラストシーンの会議室でのやり取りは、77分だったというTV版にも入っていたのだろうか? と思ってしまう。
この映画は、どう考えても場当たり的な企画書から始まる。「今のテレビはどうなっているのか」と問うならば、その企画書の後段には何らかの仮説が書かれていたのだと思いたい。しかしこの粗末な企画書で撮影を始めることさえ、テレビ的な仕掛けなのだろうか? 何が撮りたいのか、それで何がしたいのかわからないと、現場のスタッフや上司からは問い詰められる。「まずは撮るのをやめろ」と叱責されたカメラマンは、「約束通り」に記録が続いたままでカメラを床に置き、音声だけが聞こえてくる。本当にこんなふうにこの映画は始まっていいんだろうかと半信半疑だった。そこで立ち止まり、作戦を立て直しているように見える。その後に、いくつかの約束事がかわされ、報道局の内部が映し出される。
「テレビとは何か?」という問いは「テレビとは何かに自ら言及するテレビ」という、仕掛けによって、複雑な構造を提示する。それは、「TVの今はどうなっているのか」という企画書の言葉に呼応する。メインから降板させられるキャスター、テレビがジャーナリズムであることの原則を信じている制作者、アイドルオタクで失敗ばかりしている契約社員のディレクター、と3人のそれぞれがテレビの現在を問うていることは解る。もう何十年も続いている局と委託・契約の制作体制が、ジャーナリズムとしての使命など置き去りにしてきたことは、日々の数字をノルマのように伝える姿を見れば、それが末期的であることも解る。「ぜひネタ」といった一見情報番組のような扱いが、スポンサー案件であることも理解できるし、ドラマ中のタイアップCMなどは地上波でも日常的に現れる。疲れていると思う。悪循環から抜け出す手立てを探っている人もいると思う。それで? と残酷な問いをあえて突きつける。
そもそも、メディアの自己言及は、そのメディアが疲弊した時に、くり返し起こっている。それは映画でもそうだし、演劇や文学でもそうかも知れない。70年代のテレビマンユニオンも、そこを去った佐藤輝の仕事も、佐々木昭一郎も木村栄文も知っているだろう人たちが、今、この映画で問うているものは何だろうか?
かつて「テレビとは〇〇である」といくつもの言葉をぶつけて、それを実践しようとした人たちがいた。『お前はただの現在に過ぎない』では「テレビとはなにか?」という問いに対して18の提言が記されている。
テレビは時間である。 現在である。 液体である。 生理である。 ケ(日常)である。 ドキュメンタリーである。 大衆である。 わが身のことである。 ジャズである。目で噛むチューインガムである。 第五の壁である。 窓である。 正面である。 対面である。 参加である。 装置である。 機構である。 非芸術・反権力である。
今、テレビのことを表すならば、何だと言えるだろうか?
テレビを信じるなとテレビマンが言うかのような仕掛けは、「ドキュメンタリーは嘘をつく」と言い切った森達也氏の映画に近いようで遠いのかもしれない。そもそもドキュメンタリーという言葉は「事実の創造的劇化」を許容していたし、再現であっても、それが誠実であれば手法の一部であった。だから、ドキュメンタリーは事実をベースにしていても、事実そのものではない。それは「真実」を描こうとする手続きであるといえば詭弁だろうか? そうではなくて、事実そのものを切り取ってフィルムに定着したとき、そこには既に制作者の恣意性が介在するという自明の論理は許容されてこなかった。TVドキュメンタリーは「捏造」や「やらせ」といった言葉を恐れ厳格に、自らを追い詰めていっったととも言える。だから、海外のドキュメンタリーに比べて自由度も少なく、むしろ狭量な自己検閲に苦しめられてきた。
僕は、テレビはもう終わってしまうとは思っていない。優れた番組やその作り手たちがいることも知っている。だから、総じてダメだと言い続けている。
テレビが「現在」であろうとしているか? 「液体」であろうとしているか?「生理」であろうとしているか? とあらためて問いたい。時流の中のメディア的な劣勢を憂う前に、テレビにさよならを告げる前に、やりっきたテレビの姿をもう一度見せてほしいと願う。
]]>『家族を想うとき』 原題:Sorry We Missed You 監督:ケン・ローチ
2019年 イギリス・フランス・ベルギー 100分
2019年の最後にケン・ローチのこの映画を観ることができてよかった。
以前から外国の映画を観ると原題の意味は考えていたけれども、この映画の原題『Sorry We Missed You』が、とても美しいタイトルだと思う。イギリスでは宅配便の不在通知に定型句として書かれているもののようだ。その言葉が映画全体にも響いていく。イギリスでの状況なのに出来事のひとつひとつに既視感に似た苦さが湧いてくる。今の日本で、いや、住んでいる場所の直ぐそばで見えているものが、いくつも思い出される。
20年以上うちに宅配を届けてくれる人は、以前は大手の制服を着ていた。最近は軽トラックには大手の会社のロゴはない。おそらく、委託の宅配業者として独立したのではないか? 大きなお世話かもしれないが、この人の顔が浮かんできた。
自動車事故で横転しているトラックをニュース映像で見ると、この荷物は誰が補償するんだろうか?などと心配になる。大手業者ならば、相応の保険があるのだろう。でも個人の委託業者だったら、などと思ってしまう。介護や保育の現場では、深刻な人手不足が続くのに待遇は改善されないままだし、コンビニのオーナー達の悲鳴も聞こえてきた一年だった。
この映画の家族も、慎ましく生きようとするのだが不器用ですべてがうまく行かない。宅配ドライバーの父親リッキーは、荷物のデータを送受信する小さな端末を持たせられ、2分間車を離れると警告音がなる。指定の時間に少しでも遅れるとペナルティーがある。客からのクレームもあるし、駐車違反も心配しなければならない。荷物を運んだ数が、収入の増減に直結している。家族の誰も悪くないのに、物事は悪い方にしか進まない。宅配業者を取りまとめている冷酷に見えるロニーでさえも、もっと上部の指示とノルマをこなすために、厳しい指示を出している労働者に過ぎない。妻、アビーの介護士としての優しさは、効率の悪い「余計なこと」でしかないのだろう。人と直接接する仕事でさえも、分刻みに管理されている。
そんな状況に、ケン・ローチは中途半端な「希望」を用意したりはしない。前作の『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)で描かれた人たちも、そんな理不尽さに巻き込まれていく。この映画のすぐ近くで、並行して起こっている悲劇のようだ。そんな錯覚もしてしまう。
]]>『Ghost Master ゴーストマスター』
監督:ヤングポール 脚本:楠野一郎/ヤングポール 2019年 91分
4月からのゼミで、たまたま「映画についての映画」に取り組んだ学生がいたことで、あらためて「映画の中の映画」や「映画制作の現場が舞台となった映画」、「映画が制作される過程がいつの間にか映画の本体であるような映画」をいくつか観ていたために、『ゴーストマスター』も興味深く観ることが出来た。この映画でも、映画の撮影現場はたまたま選ばれた設定ではなく、「映画愛」を描くために必然的な選択だったはずだ。入れ子状に展開する映画とそれを撮る映画は、仕掛けを複雑にするだけではなく、物語のためにも十分に魅力的な仕掛けであることは間違いない。だからといって、既にいくつもの優れた「映画についての映画」がある以上、それらを超えるためには、それなりの覚悟と勇気が必要だ。
映画を作る者ならば誰でもその終わり方に随分とエネルギーを注ぐものだ。それは、2時間程度で上映される一般的な映画でも、10分の短編でも4時間を超える映画でも同じだと思う。しかし結末の巧みさに溺れているような映画は、せいぜい、よくできたシナリオを見せられているようでつまらない。映画は、やはり、観ることで共振し続けるような、視覚的な刺激の連鎖であるべきだ。もちろん、それは派手な視覚効果を切れ目なく続けるような見世物的興味を指してはいない。何も起こらないような長く静寂なカットでも、驚くほど動揺するような体験はできる。そしてそれらのカットは、終わりに向かって複雑に共鳴していく。問題はその塊をどのように葬るかにある。
『ゴーストマスター』は、映画の始まりから、徹底してこの映画を終わらせることに執着しているように見える。そして、映画を終わらせるためには、そもそも映画はどのように終わるべきか?などという問いに向かい合う必要がある。真面目に考えようとすれば、その過程で「映画」と何か?などと自問するはめになり、「映画をめぐる映画」は、自己言及の迷路に迷い込み、映画を作ることは映画を終わらせることに違いないと、自家撞着にたどり着くこともあるだろう。それはそれで、この生真面目な問いに、立脚点や視点を変えて繰り返し答え続けてきた映画の歴史にも重なる。思考停止の状況に気が付かないふりをして、どうでもいいようなものを量産し続けるよりは、遥かに創造的な営みだ。
しかし、「映画についての映画」のような自己言及は、文化的にはそれが疲弊した段階に現れる。それは映画に限らず音楽でも美術でもそうで、その都度、問いは変奏しながら何度でも現れてきた。画期的な答えも解決策もないために、安易なリメイクやリバイバルに救いを求めたり、終わることの出来ないシリーズを作り続けることで延命を図ることになる。それでも、安易な懐古は別としても、解釈の違いや表現の差を面白がることはできる。だから繰り返されてきた。
「映画についての映画」といえば、すぐにでも思い出す『カメラを止めるな!』という映画は、本来は隠される舞台裏を前面に押し上げることで、滑稽な「映画愛」を描いて見せ、それがあたかも映画の核心であるかのような誤解をさせたことで、自己言及をポジティヴに転換して、「映画好き」を喜ばせたらしい。しかし、よく耳にする「ナタバレ厳禁」が示しているように、その終わり方を隠すことでしか保てない訴求力とは、いかにも儚い。
もちろん『ゴーストマスター』をその程度の映画だと言いたいわけではない。B級ホラー映画に固執する助監督の黒澤明がしたためた自分の脚本が、唐突に予想外の力を持つことで荒唐無稽なストーリーを強引に引っ張ることは、映画として面白い。過剰な暴力を次々と引き寄せてしまう魔力のような設定は、それが「映画」だから許される悪戯だと言えるし、最後まで見せ続ける力量には感心する。「映画」とは、そもそも、始まってしまえば終わらなければならいという、そんな単純な動機で編まれていれば十分だと監督・ヤングポールは思っているだろうか? その単純さに、どこまで自覚的であるかが実は重要な問題なのかもしれない。映画を終わらせることが美しいと胸を張って言ってほしいと願う。今動いている映画を執拗に、暴力的に終わらせようと、何度も試みるその「終わり」への自家撞着こそ、うんざりするほどの屈折した「映画愛」を共有するための手引なのだと確信していれば、この映画はきっと許される。僕はそれを好きだと言ってもいい。
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『i —新聞記者ドキュメントー』
監督:森達也
出演:望月衣塑子 企画・製作・エグゼクティブプロデューサー:河村光庸
制作・配給:スターサンズ 2019年 113分
午後くらいから観ようと思うと、イオンシネマ板橋がちょうど都合が良く、休日の「青森フェア」で賑わう店内を通って5階につくと『アナと雪の女王2』のためか、とても混雑していて、それでも、シアター1はまるでポレポレ東中野のような客層で少し安心したような、相変わらずドキュメンタリーには若者が皆無であることにがっかりしたような、複雑な気分だった。それでも、ようやく観ることができてよかった。
望月衣塑子記者のことは、報道されていることやFBや「週刊金曜日」などである程度は知っていたし、映画『新聞記者』も観ていたので、とても興味深かった。2017年には東京新聞の「税を追う」が平和・協同ジャーナリスト基金賞の奨励賞だったので、もしかすると会場でお会いできるかもしれないと思っていたが、それどころではなかっただろうことはこの映画を観ても解る。
正直に言えば、映画としては雑な仕上がりだと思う。それは映画の中でもしばしば現れる森達也さんのカメラは、撮影していないように撮影している箇所や、突発的な動きや事態に対応していたり、撮影のための道具というよりは、むしろそこに共にあった記録装置のようで、画面としては動きが激しく荒い。それでもその映像が意味を持っているのは「現認」としての映像だし、編集された映像はできるだけ早く公開されることが目論まれたためだと思う。数年に渡る記録では手遅れになる可能性もある。日刊紙の新聞記者が、日々の取材を重ねて情報を更新していく一人のジャーナリストだとすれば、この映画はそれを一定期間でまとめた月刊誌のようなものだと思った。この月刊誌もまた、一定の期間で更新される必要がありそうだ。
菅官房長官と望月記者とのやり取りは、既に何度か映像で観ていたし、何を質問されても「法的に適切に対応している」と繰り返す答弁や、質問妨害のあまりの酷さには憤っていた。それでも淡々と、同じような食いつき方を繰り返す望月記者の姿は、答えはわかりきっているけれども、この醜い対応の仕方を公表する必要があり、その対応の裏にある何かを嗅ぎ取ろうとする態度なのだと思った。強くアクティヴに映る彼女の姿は、「その他」の記者やメディアを照射しているように見えてしまう。実際に森監督自身が、「彼女が特別なことをしているわけではない」ことは十分承知で、それが格別の何かのように目立ち、あるいはそれ故に排除やバッシングの対象になり、官邸からもネトウヨからもマークされ、一方でメディアにも取り上げられ、講演などにもでかけていく、その現象に、ただならぬ事態とその急激な進行を嗅ぎ取っているのかもしれない。
映画の内容には直接関係はないのだが、官邸の記者会見の様子は、すべての記者が一様に同じようにキーボードを叩く、その音の響きの空疎さでも伝わってこないか?誰も話をしている菅官房長官を見ていない。上意下達の儀式であるように映るのはそのためだと思う。この定例会見の主体は、主催者は誰なのか?という問もあった。だからこそ思う、何処を向いてメディアは仕事をしているのかと?
そう言えば望月記者が、大量の書類と一緒に書きなぐったような取材ノートをいつも持参していて、素早くメモをとる姿がどこか昭和の新聞記者像のようでもあった。長年積み上げた習慣なんだろうなと思う。
日本国にもこの国のメディアも、一体何処に向かっていくのか? こんな当たり前の問いが、望月衣塑子記者の行動から浮かび上がる。
]]>『風をつかまえた少年』 原題:The Boy Who Hernessed the Wind
監督・脚本・出演:キウェテル・イジョフォー 2018年 イギリス、マラウイ 113分
チラシを手にしてから、その映画のために想像をふくらませる時間は楽しい。この映画の主題が「たったひとりで風力発電を作った」というキャッチコピーで表されるなら、小さくても希望を感じる清々しい映画なのだろうと思った。原作は絵本にもなっていることを知った。実在のウイリアムがアメリカの大学に進学し、多くの人に知られたのは、奇跡的であっても嬉しい事実だ。現在は農業や水、教育の分野で仕事をしていると書かれていた。
この映画の根底にあるのは、マラウイ共和国がアフリカ最貧国のひとつであり、映画の中心は主食のトウモロコシと水をめぐる困難さである。2001年に起こった大旱魃は貧しさを加速させて、タバコ産業に土地を売るかどうかを迫られる。木材を伐採して燃料として売れば、一時的な収入にはなるけれども、それは水害を加速させるし、旱魃にも耐えられなくなる。僅かな木々を手放せば取り返しがつかなくなることは解っているが、当面の貧しさを乗り越えられない。地域の未来のためにも、子供を学校にやりたいという親の希望は、食料と水と貧しさの問題を克服することよりも、遥かに優先順位が低い。回り道のように見える知恵を育てた少年が、この土地を救うという、美しいがそれでも儚い希望の物語なのだ。
この映画では、主題とは少し距離をおいて、葬儀の儀式が印象に残る。葬儀の最中に、おそらくこの土地に伝わる精霊に扮したグループがやってくる。彼らは皆、仮面をかぶり鳥の羽を頭につけて、足の長い大きな鳥のようにも見える。かつての土着の民族が残した風習に従っているのだと思う。死者を死者の国に送る役割を担う「マレビト」たちではないか。葬儀の場面ではその役割を演じるが、疲弊して力尽きた姿も描かれる。この国や土地の姿を象徴しているのだが、視覚的な印象はそれ以上の効果をもたらしている。
それにしても、粗末な風車と自転車のライトを灯すダイナモを組み合わせて、僅かな電力を得るというのは解るのだが、その電力をポンプに使ったのかという素朴な疑問があった。井戸から水を汲み上げるシーンでは、いくらかの違和感があったからだ。そもそも井戸には常に水があったとすれば、それを組み上げる知恵は、少年の発電を待たなければならなかったのか? 人力で組み上げるのは効率が悪いことも理解できる。それでも、井戸には水があるのだから、なんとかならなかったものかと思う。マラウイには広大なマラウイ湖があるので、地形的には地下水は豊富なのかも知れない。おそらく井戸を掘る、水を汲み上げるという基盤づくりの作業が、農作業のために事業化されていない現実を描くことが重要だったのだろう。このことが、将来の希望よりも不安を掻き立てる。もっと大きな旱魃は来ないだろうか? もっと深刻な水害は、この程度の知恵で防ぐことができるのだろうか? 構造的な貧困の連鎖は簡単には回避できないだろう。それでも、それでも、こうした儚い希望を称賛することに戸惑いはないか。安全な場所から紛争の行方を眺めて、ため息をついているようなものではないのか。
公用語が英語だということにも少し戸惑いがあったが、マラウイは1891年にイギリスの保護領になり、1964年に独立してマラウイ共和国となっている。
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『存在のない子供たち』 原題:Capharnaüm(カペナウム)
監督・脚本・出演:ナディーン・ラバキー 主演:ゼイン・アル=アフィーア
2018年 レバノン、フランス 125分
http://sonzai-movie.jp/about.php
目の前に広がる風景は、一体どこの地域なのだろうかと、自分の記憶や既視感を手繰り寄せてみる。どうやら中東のどこかであるらしい。僅かな知識でも、その少年の目を見れば、最貧困層の居住地域らしいことだけはすぐに解る。難民キャンプではなく居住地域。どこからか逃れてきたのかも知れないが、仮住まいではない積年の生活感が、彼らの貧相な持ち物からも窺い知ることができる。幼い子供たちがゴロゴロと雑魚寝をする小さな部屋は、彼らの薄汚れた衣類からの匂いさえ感じることができる。少年・ゼインは、この家庭では子どもではなく、ごく若い労働力でしかない。すれ違う学校の送迎車の前面には、そうして荷物を運ぶことが違反でも非常識でもないと言わんばかりに、通学用のリュックが無造作に押し込まれている。まだマシな子どもたちが、幼い労働者を見ている。当たり前のように重労働を日課として、仕事を終えるといくつかの食料をもらい、ついでに見つからない程度に盗む。小さな商店の雇い主は、その家族の家主でもあるらしい。路上ではどうやって作ったのかはわからないが、赤い飲み物を並べて自家製ジュースと称して売る。「死なない程度に生きる」という、どこかで聞いたような言葉が浮かんでくる。映画に映し出されるこうした細部が、物語の強度をさらに補強するかのように、その少年の目は鈍い輝きを大人たちに向ける。
あるとき、妹・サハルの初潮に気がついたゼインは、汚れた下着を洗わせ、自分のシャツを股に挟ませて、それを隠そうとする。いつもの商店で生理用品を盗む。なぜか? 同居している子供たちは皆幼い。もしかすると以前には姉がいたのかも知れないが、初潮を合図に、人身売買のような結婚をさせられたのではないか? あるいは、そういうことが、この地域でいくらでも起こっていることを、ゼインは知っていたのかも知れない。妹を連れて逃走を図るが、両親に察知されてしまう。ゼインは家を出て、バスに乗って別の場所へ逃げる。そこが今いるここよりも、少しもマシな場所でないことは、少年にも解っているのだろう。粗末な遊園地で働いていた不法移民のラヒルが、乳飲み子の子守をさせることと引き換えに、ゼインを同居させる。ラヒルも同様に、貧しさと不法移民である身分に怯えている。冒頭にシーンは、ここからラヒルとゼインに起こることと繋がっていた。
妹はいつも働いている商店主と結婚をさせられ、その後に大量の出血で死んだという。結婚は僅かな家賃を大目に見てもらうためだった。ゼインが収監されるのは、妹の死を知って、商店主を刺してしまったからだ。ゼインの妹・サハルが11歳で強制的に結婚をさせられるという嘘のような展開は、物語を意図的に加速させる手段ではなくて、そこにある十分に日常的な出来事なのだ。イスラム教圏の映画では、こういう理不尽な強奪に似た結婚を目にすることがある。イスラム教徒が多様であることは解っているつもりだけれども、特に原理主義に近い宗派では、なぜ、こんなに幼い女と結婚しようとするのだろうか? この奇妙な慣習の意味は未だによく解らない。
この映画は予告編や宣伝文句にあるように、両親を12歳の子供が訴えるという驚きの事件とその裁判を設定している。「自分を生んだ罪」という荒唐無稽にも思われる罪状が、ゼインの決意のすべてだった。「もう子供を作るな」と裁判所で訴えるが、両親の苦悩は、子供に優しさを欠いたことではなく、自分たちの境遇と絶望の連鎖だった。そして、映画としての圧巻はそのキャスティングにある。少年・ゼインの眼差しを発見したことは、この眼差しが映画に現れることはもう二度とないだろうという確信と共に、記憶にとどめておこう。家族や近親や周囲の者を演じるそれぞれも、実際にも似たような境遇を体験している人たちであるらしい。プロの役者たちではない。そのリアリズムはイランの劇映画にも似ている。こうしたキャスティングは、劇映画が持っている物語りの強度が、史実や事実を踏み超えていく可能性を示している。この映画の様々な設定は、登場人物の実際の体験談から着想されているという。特別な史実や事実を再現しなくても、悲劇は日常的にそこにあり、物語は嫌でも前に進むしかなく、絶望は将来と同義なのだ。
レバノンを外務省の基本データを検索してみると、1943年にフランスから独立し、経済的には豊かだったが、いくつもの内戦で疲弊が続いている。キリスト教とイスラム教の18宗派が混在し、宗教と権力の集中を避けるために各宗派に政治の要職や議席が割り当てられている。イスラエル、シリアとの関係は、現在でも常に危うい均衡でしかない。劇中にでてくる通貨「ポンド」はレバノン・ポンドで、1ドルは約1500ポンドなので、ゼインが食料や廃品を売り買いする場面(例えば250ポンドで買える食べ物を探す、水タンクを外して1万数千ポンドで売ろうとする)での物価が解った。
映画のHPによると、原題:Capharnaüm(カペナウム)はアラビア語でナフーム村、フランス語では新約聖書のエピソードから転じて「混沌・修羅場」の意味で使われる、と記されている。また、実在の少年・ゼインはいま、家族とともにノルウェーに移住しているらしい。国連難民機関の助けを借りることが出来たのは、僅かな希望か。ゼインの表情が、一度だけ笑顔になるのは、ラストの写真撮影の時だ。カメラマンの指示で、不器用に少しだけ笑う。おそらく、実際の出来事でもある難民申請・第三国定住のための証明写真撮影なのだろう。
]]>『映画で実践! アカデミック・ライティング』
著者:Karen M.Gocsik / Dave Monahan / Richard Barsam
訳者:土屋武久 小鳥遊書房 2019年3月28日発行
ある大学の講師室で、向かいの席の先生と学生の論文やレポートについて「どうしてこんなに簡単に書いてしまうのだろうか?」と、その傾向や特徴について話をしていた。何かについて書くということが、あまりにも簡単に「処理」されていることに、驚きと危機感を持っていたからだ。危機感とは言うまでもなく「盗用」や「剽窃」への無自覚だし、「先行研究がないので書けません」とか「参考文献が多いほうが書きやすい」などと恐れ知らずなことを口にしている学生もいる。どういう意味なのかは考えないようにしている。論文やレポートはその分量に関わらず、自分が書き残す持論であるという意識が欠如していて、文字数を埋める作業が単位取得のための手続きになってしまっているからだ。
「ちょうどいい本がありますよ」と勧めてくれたのがこの本だった。「映画で実践!」というタイトルがとても気になって、早速読んでみた。読み始めた頃に、ちょうどその大学の講師連絡会があり、訳者の土屋武久先生を紹介してもらって、「ちょうど今、お借りして読み始めたところです」と伝えると、研究室にあった本書を「そうですか、どうぞ、どうぞ」と気前よく差し出してくださった。だからというわけではなく、早速、自分のゼミの学生たちには本書を推薦した。自分と学生の双方にある当面の課題に見事に合致していたからだ。
訳者のあとがきによれば、2013年に刊行された原書のタイトルはWriting About Moviesなので、もともとは映画についての論文作法を主眼にしていたことがわかる。実は、映画について書くことの困難さを、どうやって学生に伝えたらいいものかと、ここ十数年に渡って考えていた。本書の帯が「すべての大学生必携。映画でならわかる、映画でならできる、論文・レポート作成術!」と強調しているのは、いくつかの理由があるだろう。前提としては、多くの学校で共有している、論文・レポート制作の危機的な状況があると思う。そして「先行研究をたくさん読むよりは、映画で見ることのほうが楽ちんでしょ?」という現状を反映したやや残念な問いかけと、「映画を見ることで様々な国と地域の歴史や社会の細部が見えてくるし、過去の映画は、それ故に優れた一次資料ですよ」と、映画の資料価値を再発見させようというポジティヴな側面も読み取ることができる。僕自身が授業を担当している学校や科目名を見ても、それが芸術や表現の学校だけではなく、社会学部であったり、環境教育学科であったり、文化人類学特講という科目名で映像制作について取り組んだりと、映画や映像はまさに横断的に取り込まれている。もちろんこれまでにも、研究対象の資料としての映像は活用されているし、映像制作は企画力、構成力、交渉力、取材力、撮影や録音、編集の技術など、複合的な能力を養うことに適している。映画や映像を教材とすることや、制作体験をすることはとても意味があると、機会があればそういう話をしてきた。映画や映像を専門としない学生たちが、論文やレポートによって映像の面白さを再発見してくれれば、それはとてもありがたい。あとがきによれば、英語圏ではスタンダードなハンドブックとして知られていて、300以上の大学で教科書として採用されているという。
もちろん、本書が映画や映像を専門とする学生にとっては、まさに「衝撃的」なありがたさであることは間違いない。まず目についたのは、著者のひとりにリチャード・バーサムRichard Meran Barsamの名前があったことだ。著書に1973年のNONFICTION FILM : A Critical Historyがあり、『ノンフィクション映像史』(山谷哲夫/中野達司:訳 創樹社 1984年)として出版されている。この本は直ぐに手が届くところに置いていて、頻繁に参照するので著者の名前に記憶があった。英米語圏の映画を中心に扱っている信頼できる通史であるし、個々の用語の定義や作品の解釈もわかりやすく、固有の解釈や視点も散見する。他の二人の著者との分担はわからないけれども、映画の扱いが一級であることは確信できる。類書によくあるような自称映画通による「映画で学ぶ〜」の類とは、既に明らかに違う。
読み進んでいくと、本書の主眼が、論文作成のための手順を丁寧に解説することにあることがよく分かる。そしてその例示がすべて映画の細部であり、その選択された映画もまた面白い。書くための準備と実践の方法の割合はほぼ半分で、巻末には多くの用語解説にスチルカットや図版が付されている。
「第1部 書くための準備」では、まず映画に親しんできたことと、映画について書くということは明確に違うし、映画への親しみが、書くことの困難さを招いていることを指摘する。食事をしながら映画の感想を出し合って楽しむことと、研究者が他の研究者たちにむけて、自分の主張をしてその論拠を裏付けることとは、大きな隔たりがある。こんな指摘から始めるところに、本書の優しさがあると言ってもいい。最初のステップは、喫茶店の雑談からもう一歩先に進むことなのだ。自分が見てきた映画のことをまずは書き留めること、それを誰かに話して聞かせること、読ませること、誰かの意見と比較すること、ある時は論議すること、こうした最初のステップでさえ、映画を専門としている学生にも困難なハードルになってきている気がする。自分の解釈を誰かに伝えることを恐れているからだ。だから独自の解釈をしないし、誰かが書いたことの受け売りのほうが安全だと考える。負のスパイラルを壊すのは簡単ではない。だから「◎どうしたら学術的に考えられるか」という項の問を、更に噛み砕いて説明しなければならない。「◎要約する」「◎評価する」「◎分析する」「◎総合する」という平易なプロセスを具体的に示すことで、少しずつ前に進んでいく。
「第2章 映画を鑑賞する」は、映画の話に終始しているので、笑ってしまうほど具体例が面白い。例えば「◎理由を考える」では、「わけがわからないと感じたことに注意を払う。これが一番大切です。」という。そして「以下に実際の作品名をあげながら、具体例をあげておきます。」として、その具体例の中には「スタンリー・キューブリック監督の『スパルタカス』では、なぜクレジットがエンディングではなくオープニングに流れるのか?」「トム・ティクヴァ監督の『ラン・ローラ・ラン』で主人公が駆けるシークエンスの一部に、なぜアニメが使われているのか?」「クエンティン・タランティーノ監督『レザボア・ドッグス』には、ヴィック・ベガがマーヴィン・ナッシュの耳を削ぐシーンがあるが、このときカメラはなぜあらぬ方向を向いているのか?」などと列挙されている。そして「こうした疑問が、実り多い再鑑賞、分析、執筆のタネとなるのです。」と、この項を締めている。明らかなのは、映画を学ぶ学生以外は、こうした問いの答えを探すことはないだろうけれども、こうした例示でも、執筆の後押しをしてくれるのが映画だとすれば、映画について書くことへの興味が喚起されることは間違いないということだ。「◎プロットを分析する」「◎ショット分析チャート」の項も、映画を学ぶ学生ならば必ずしなければならないことであり、極端に映画に寄り添った記述は生き生きとして楽しい。こうした悪ノリのような例示も、本書の魅力のひとつだ。
「第3章 形式分析」と「第4章 文化的分析」は、映画について書くことの困難なハードルを示している。僕自身も、この両者の差異、横断、越境には危険な魅力を感じている。「映画批評や評論のほぼすべてが、形式分析の形をとる」とは、映画を構成する複合的な諸要素を解体することだという。「語るのではなく、示す」ということは、撮影、音響、照明、編集、演技などの技法に関わる技術的な成果を、写実的な言語で描写して、描かれようとした概念から一旦は遠ざかり、文章によって再度その中心に近づこうとする試みを指している。形式と内容は簡単に分離できるものではなくて、そもそも複雑に絡み合っているのだから、これは高度な分析術を要求しているのだが、ここで問題にしているのはそれを言語によって描写する心構えと作法だと言っていい。厄介なのは、演出に関わる部分の分解で、これは全体を構成する物語にも関わってくる。モノとカタリの複合的な関係が世界観を形成していれば、視点と語り口、描写される細部と全体との行き来は、まさに映画のストーリーテリングの醍醐味なのだ。「◎明示的および暗示的」の項で示されているもの、つまり、映画に内在するメッセージや意味は、画面そのものには写っていないという自明の事実が、言語化を戸惑わせる。推論や思い込みは、それが切れ味の鋭いものであったとしても慎重に吟味しなければならない。こうした注意点も、うかつな論文にはしばしば現れるし、かと言って見えているものだけが詳細に描写されても、論文としては魅力を失いかねない。
続く「第4章 文化的分析」では、不可視の領域をどのように手繰り寄せていくかが記されている。プロフェッショナルによって吟味され、巧妙な技法で可視化されたイメージは、見ているだけでその魅力を受容してしまう。それは同時に、メッセージを潜在させたり、意図を見えにくくしたりする。映画にとっては隠すこと、見せないこともまた、演出の重要な要素である。文化的分析はもちろん映画批評に限って現れるわけではなく、文学や絵画、舞台など様々な表現に現れるいくつもの層を、横軸や縦軸を基準に考察することは、理論的な枠組みを作る基本である。この項では〈マルクス主義〉〈フェミニズム〉〈人種とエスニシティ研究〉〈クィア理論〉などを横軸の大項目としてあげて、映画のジャンルやストーリーの定形と対照して論じている。言うまでもなく、国や地域の歴史や宗教、文化、言語、慣習、風俗はその国を熟知していれば容易に理解できる事柄であっても、観客には縁のなかった国の出来事は、映画の中で何が起こっているのかさえも理解できないことがある。例えばアイスランドが舞台の映画で、馬がある地域とどのように関わって来たのか、歴史的な悲劇として何が起こったのか、隣国との関係はどうだったのか、といったことは、描かれた地域の人達にとっては常識である場合、映画では丁寧に説明されないことはよくある。そのことを知っているアイスランドの研究者は、より優れた映画の批評が可能なのだろうか? このことは、僕が研究室にいた20代前半に、担当の先生に尋ねたことがある。僕も自信のある回答を持っていない。映画のパンフレットに寄稿される、その国や地域の研究者たちの論考はしばしば魅力的ではある。しかし、それらが、スクリーンに現れた事象の補足説明にとどまっていることもある。ロシア史家によるロシア映画論と、ロシア映画研究者によるロシア史分析は、いくつもの交差点を持ちながら相互補完的に魅力的である。それはどちらか一方の立場の人が特権的に専有できるものではないし、論議の広がりは映画にとってマイナスであるとは思わない。本書でも指摘されているように、公開から時間が経ってから大きな評価を受ける映画もある。いずれにしても重要なのは、論者の立場を表明することだと思う。そのためには理論的枠組を予め示すことができるように、強固な基礎やフレームを作り上げることだ。
「第2部 どのようなプロセスで書くのか」は、具体的な作業の手順が書かれているのだが、ここでも解りやすいトピックを立てて、段階的に少しずつ前に進ませてくれる。本当に親切な構成だと思う。内容については細かく触れることはしないが、「第9章 文体に気を配る」は、翻訳作業が大変だっただろうなと推察する。動作主(actor)と動作(action)との関係を明確にするために、語順を整えたりしなければならない、という指摘なのだが、原文が英語なので、ここでは英文を示していたほうがわかりやすかったのでは、と思ってしまう。おそらく日本語の文法でこのニュアンスを伝えるための工夫がなされているのだと思う。同様に「抽象名詞はやはり抽象的である」や「抽象名詞はロジックを曖昧にする」という指摘も、語句の選択や語順の変化を補うためにも例文は原文も併記してあれば良かったのかも知れない。いずれにしてもこの章では、わかりやすく、簡潔な文章にするために、もったいぶったり、過剰な言い回しを避けるという原則が書かれている。とても重要な項目だと思う。
最後に、最終章に当たる「第10章 推敲」の項で気がついたことを指摘したい。推敲という用語は「読んで字のごとく、『もうひと推ししたり、敲いたり』することが必要なのです。」と訳出されていて面白い。辞書的には推敲=polish, revise, improveなどが挙がっているけれども、章のタイトルはrevising your workなのでreviseなのだけれども、「読んで字のごとく」に相当する原文はどのようなものだったのだろうかと興味を持った。こういう言葉の選択が、翻訳作業の面白さでもあるのだろうと思う。推敲、校正、校閲、校訂、訂正、改正、いずれも文章が人前にさらされる前に、繰り返し確認し、再度見ることで誤りを直すだけでなく、より良く、わかりやすくするための手続きであって、これが一番大切な作業なのだ。(丁寧に見ていても、トピックセンテンスが一度だけトピックセンスになっている、などという見落としはあるものです。)
参考資料の「図解による映画用語解説」はとても解りやすい。そして選ばれた図版にもユーモアがある。例えば「クローズアップ」の説明では、他にいくらでもクローズアップの好例や美しいカットはあるはずなのに、バンクシーの『Exit Through the Gift Shop』のワンカット(ミスター・ブレインウォッシュの顔)が選ばれている。このクロースアップは美しくないし、意図的に冴えない。これはおそらく「超クローズアップ」の説明でスパイク・リーの『Do the Right Thing』の口元と時計のカットと対応しているお遊びなのではないかと思う。
これまでに、論文を書くための参考文献や文章作法の本もいくつかあたってみたが、それこそ、作業や手続きのための指南書であってはなんの意味もない。かと言って、本格的な学術論文のルールを示したものは、膨大な作業量を誇示するようで、取り組み段階のゼロから1〜2までのハードルが高すぎる。例えばウンベルト・エコの『論文作法』を薦めたこともあるのだが、あの数年を後悔している。この本はとても面白いけれども、冗談や皮肉も多くて真意を探るのにひと手間かかる。博士論文以上の学術論文を対象にしているので、調査や、資料作成、作業計画。各種カードの作り方など、全体の3分の2に及ぶ準備段階の作業手順の詳細な説明で、絶望的な気持ちになること必至である。学生に「書くな」と言っているようなものだった。この本の前提はイタリアでの大学の大衆化に抗う姿勢であって、「?.7.指導教員に利用されるのを回避するには」 などという項目もわざわざ設けてあり、同業者や学者を挑発しているようにも読める。いや、そういう記述がいくつもある。それでも、学生や若い研究者たちには「君は指導教員に私信を書いたのではない。潜在的には人類宛に一冊の本を書いたのだ。」といった記述で叱咤激励している。「引用、敷衍説明、剽窃」の項目もあり、それぞれの誤りを例示しながら解説しているので解りやすいはずなのだが、その例示がまた難解だったりする。読み物として楽しめるが論文作法としては奇書の類いかも知れない。
ここ数年は、後悔と反省を踏まえて、基本的な論文作法や表記のルールについては、京都精華大学の佐藤守弘さんがweb siteで公開している「学術論文を書くために」(2012年改訂版)http://web.kyoto-inet.or.jp/people/b-monkey/howto.htmlを学生には紹介するようにしていた。それでも、こういう丁寧なサイトを予め見てくれているのかは疑わしい。「引用は多いほうがいいんですか?」などと問われると、上述のエコとは別次元で悩ましい。
そうなると、作業前に推薦するのは解りやすい文章の作法に落ち着いてしまい、本多勝一の『日本語の作文技術』をまずはクリアーしてほしいと願っていた。本多勝一が示す作文技術には、文章の構成を理解して整理すれば解りやすくなる、という基本的な姿勢が一貫していてる。主・述や修飾関係を近づける、語順を入れ替える、テンのうちかた、改行の考え方、カッコの使い方など、そのまま自分の文章の推敲に応用しやすいところが優れている。一方で、外国人の人名表記など、分かち書き(・、=、)のルールの説明は現在普及しているものとは違っているし、数字の4桁区切りを主張しているところも、本多らしいのだが、今、それを使うとかえって分かり難い。それでもこの「技術書」は現在でも学ぶところが多い。
エコの『論文作法』がそれでも十分に魅力的でカッコいいのは、第?章 むすび の次の一文が書かれているからだ。この項は「本書のむすびとして二つの考察を行いたい。論文を作成するのは楽しむことを意味するし、論文とは、何も無駄にはならない点で、豚みたいなものなのだ。」と始まる。日本人であれば、挑発的に「クジラみたいなもの」と書くだろうか? 論文を書くことの楽しさは、それが「一種のゲーム、賭け、宝探しとして体験できること」であるし、「挑戦者は君なのだ」と自覚できる瞬間の悦びに似ている。
今の学生にとっては、書くことが苦痛でしか無いか、あるいは楽勝で「処理」できる類の処世術のように誤解されていることが、何よりもひどく残念なのだ。
この『映画で実践! アカデミック・ライティング』を、論文作法の参考書に推薦することはもちろんであるが、自分自身が発見することが多かった。自分の文章を振り返ったり、これから書くものを推敲する時には必ず参照することになるだろう。
土屋武久先生、ありがとうございました。「訳者あとがき」にある危機感は僕も全く同感です。また、あのBARみたいな先生の研究室でお話させて下さい。ごちそうさまでした。
]]>『新聞記者』 監督:藤井道人 2019年 113分
公開からひと月たって、ようやく観ることが出来た。
近未来でも過去でもない、進行中の現在が見える。しかし、日々の紙面を読んでいると、現実はすでに映画を追い越しているかも知れないとさえ思う。
内閣情報調査室は、まるでサイバーテロの巨大犯罪組織のような空気で描かれているけれども、大手メディアからSNSまでチェックしているという現実の話と重ねると、この描写も過剰ではないのだろう。田中哲司が演じる内調室長は、振る舞いも台詞も、政権を守る官僚トップの心情を徹底して反映している。部下の杉原(松坂桃李)にこうつぶやく。「お前、子供が生まれるんだろう?」。ヤクザ映画の台詞で「お前、娘がいたな」などという脅し文句は、「母親が、病気なんだってな」と並んで常套句みたいなものだが、こういうえげつないやり取りも、さもありなん、と思わせる。
ラストシーンの後味の悪さは、この問題が、新聞社と政府との関係だけではないことを示唆している。誰にでも降りかかるかも知れない生き延びることへの圧力は、個人の力では抗し難い。
情報は常に操作されているとか、SNSを使っている時点で個人情報は公開されているようなものだとか、授業でもそう話す機会があると伝えてきたけれども、こうして具体的な設定で、しかも巨大な力と大量の人員を投入して組織的に行われている状況を見せられると、ドキュメンタリーでは伝わりにくい緊張感を得ることもできる。
今朝(2019.7.31)の東京新聞5面「私説 米国を守る地上イージス」では昨年5月に発表されている「太平洋の盾・巨大なイージス艦としての日本」という論考に触れている。アメリカの保守系シンクタンク「戦略国際問題研究所」によるもので、日本に配備される地上イージスが、ハワイ、グアム、東海岸などの地域を守るためであることが明言されているという。週刊金曜日でもこの事実を指摘していた記事を読んでいたが、こんな重大な事実は、選挙前にも大きく取り上げるべきだ。吉本興行の問題も、安倍政権との癒着に話が及ぶとテレビはトーンダウンし、「N国」や「れいわ」の話題にシフトしている。国民はしばらくすれば忘れてしまうのだと言わんばかりに、森友の国有地払い下げ問題は不起訴になるし、加計学園もその後の続報はすっかり聞かなくなった。下世話な話題を更新することで、忘れさせることを加速していく。
「正義」を語ることが難しくなった時代に、「事実」や「真実」さえその自律が危ぶまれる。
映画を観ながら、2017年に公開され、韓国の民主化運動を描いた『1987、ある闘いの真実』を、何度か思い出してしまった。なんとも後味の悪い反芻だったが、こうして記憶が呼び起こされるのも映画を観る意味だと思う。
]]>『立ち上がる女』
原題:Woman at War
監督:ベネディクト・エルリングソン 出演:ハルドラ・ゲイルハルズドッティル
2018年 アイスランド/フランス/ウクライナ合作 101分
観終わった後の爽快さと、奇妙な既視感はどこから来るのだろうと考えていた。愉快犯とか知能犯の見事な仕掛けを見せられたような感じか? 巨悪を翻弄するような立ち回りがそう思わせたのだろうか? いや、描かれている人物やストーリーによるものではなくて、もっと構造的な面白さだったような気もする。そう、バンクシーが街で描いた落書きを見たかのような既視感。あの「Something in The Air/Flower Thrower」と呼ばれる、石や火炎瓶ではなくて花束を投げようとしている男の姿を見た時に、器物損壊ではあるけれども、ニヤリとしてしまうあの面白さではなかったか。あるいは、もっと単純に「この文章は明朝体で書かれている」という一文のおかしさにも似ていないか。文字面には誤りがないけれども、よく考えてみると「間違っている」という感覚に、共通点がありそうだ。
だから、この映画を素晴らしいと思うのは、環境破壊に立ち向かうひとりの女性活動家の姿ではなくて、その社会的な問題意識を背景に押し込んでしまうような、まさに映画的な驚きによる。それは、描かれる空間は常に映画的でしか無いのだということを、繰り返し呼び覚ますような刺激を持っている。
その女は、おもむろに洋弓を空に向けて、ワイヤーの付いた矢を放つ。平原にそびえる鉄塔はどうやら送電のためにそこに建てらているらしい。女の矢は3本の送電線を飛び越え、ワイヤーに接触したことで火花を飛ばしている。大規模停電につながるような暴力的な行動に驚き、そこからの逃走劇が、アクション映画でも観ているような緊張感を伴う。大変なことが起こりそうだ。岩場のくぼみに身を隠す女の背後から、ヘリコプターが浮上してくる。007のような映像だと思ってみていた。実際、この女の身のこなしは、軍隊経験があるのではないかと思わせるほど見事だし、思いつきの暴挙ではないことが解る。「これで5回目だ」というのは、たどり着いた家の主である羊飼いの男だが、女がこの土地とも縁があるらしいことが解ると、車を貸して逃走を手助けする。そして次第に明らかになる女の素性や行動の真意は、グイグイと映画を牽引していく。環境破壊につながるアルミニュウムの精錬所に打撃を与え、撤退に追い込みたいという強固な意志が、女に破壊行為を繰り返させているようだ。
冒頭から驚かされるのは、映画音楽だと思っていた音が、その画面の中に演奏者や歌い手が現れ、そこにピアノやドラムセットが置いてあることが、圧倒的に不自然であるにもかかわらず、一連のカメラワークであっさりとその矛盾を回収してしまう大胆さだった。通常は映画を見ている観客は、映画音楽を誰が演奏しているのかなど見ることがない。一般的には映像の編集がほぼ終わった時点や、ラッシュ段階の映像を見ながら、音楽や効果音は付けられる。例外的に音楽を先行してつくるということはあるのだが、付けられた音楽は、完成した映画の観客だけが聴くことが出来るようになっている。つまり、撮影時の風景には、観客が聴くような音楽は流れていないし、演奏者も見当たらない。それは古典的なミュージカルでもそうで、歌ったり踊ったりしている時の音楽は、同期のためのプレイバックではあっても、その場に演奏者がいるわけではない。この映画の素朴な驚きは、女性3人の合唱隊が唐突に道路や河岸にあらわれる時にも、繰り返し呼び起こされる。そして、これは映画なのだと現実に引き戻されながらも、その非常識な空間構成に感心してしまうのだった。
ところで、アイスランドでは、どこかの合唱団に所属することは珍しいことではないらしい。女はそういう市民合唱団の指導をしている。つまり、とても正しい日常を送っているように見える。この合唱団の歌も、効果的と言うよりは異化的に作用している。女の素性とテロリストのような行動が、簡単には結びつかない。密かに女の行動を支持している官僚の男も、携帯電話をフリーザーにしまってから密談を始める周到さも、よく考えると不思議な設定が、最後まで持続する。
また、主人公の「山女」ハットラの双子の姉であるアウサが登場することで、一層話が面白くなってくる。ヨガや瞑想を楽しんでいる姉は、妹がウクライナから養女を引き取ることになった経緯を聞きながら、自分はインドに修行に行く計画があることを伝える。このディテールも、平和を愛する姉の、非戦の意志を覆す前提として面白い。何しろ、この姉妹がどちらか分からなくなるほど似ている。観ている間に混乱してしまう箇所があるのだが、ハルドラ・ゲイルハルズドッティルが二役を演じていたことは、後で知ったことだった。それがトリッキーということではなく、双子という設定もまた、映画にとっては魅力的な細部である。そして、ドローンを弓で射抜いたり、最後には爆弾まで自作して、ゲリラ兵士のような巧みな逃走を繰り返すハットらという山女は、いったい何者なのかが、実はよくわからない。姉とともに独身であり、子供がいないという事情も、何ひとつ説明されない。それでいて、とても魅力的な人物たちなのだ。もちろん、何度も事件に巻き込まれる自転車バックパッカーも、荒唐無稽な展開を生む重要な役割を担っている。
ウクライナからの帰路で、路線バスが道路に溢れた水で立ち往生し、川のような道路を歩き出す乗客の後ろ姿が、美しく思い起こされる。バスから降りる乗客の中に、何度も登場した楽団のメンバーが、バスドラや楽器を抱えながら歩いていたことを忘れずに記憶したい。彼らは映画音楽の演奏者ではなく、この映画の重要な登場人物たちだったのだ。
『馬々と人間たち』を観たのは2014年だった。アイスランドの過酷な自然環境と、馬とともに生きる地域の人々の姿を思い出す。この映画では、馬を中心としたそれぞれの生活が愉快に描かれていた。何年も何十年もこうして、少し小柄な地域の固有種の馬と暮らしてきたのだろう。葬式の時の、何ひとつ変わらない空間がその閉鎖性を伝えていて愉快だ。事故死した人がそこから欠けているだけなのだ。おそらく教会での座る場所も皆決まっていて、少しずつ、誰かが死ぬたびにポジションが変わってきたのだろう。そして何よりも馬の大きな瞳に映る人間の姿が印象的だった。場面転換で何度かこの方法が使われていた。
この映画と似ているところといえば、道に迷った乗馬体験の客を救うために、吹雪の中で馬の腹を割いて、中に潜って寒さを凌ぐシーンがある。『立ち上がる女』では、ハットらが逃走の際に、羊の死体を見つけて、それをかぶって捜索を逃れるシーンがある。生き残るための知恵と行動が、二つのシーンを結びつけていると思う。同じ監督が、新たな映画で全く別の魅力を見せながら、どこかで通底している愉快犯的な構造が嬉しい。本当に面白い映画なのだ。
]]>『カメラが捉えたキューバ』
原題:CUBA and the Cameraman 監督:ジョン・アルパート DCTV
2017年 154分 NETFLIX
友人の服部かつゆきくんが「ジョン・アルパートのキューバがNET FLIXで配信されてますよ」と言うので、早速チャックしてみたところこの映像があった。「NET FLIXオリジナル・ドキュメンタリー」ということになっているが、もちろんオリジナルはJon AlpertとDCTV(Downtown Community Terevision Center)による一連のキューバ取材がベースになっている。2017年制作で154分の長編ドキュメンタリー映画になっている。この配給関係がNETFLIXオリジナルの所以だと思う。ジョン・アルパートとDCTVの作品は、1970年代のアメリカ国内の取材から始まり、その後、国内の問題と並行して、ベトナム、フィリピン、ニカラグア、イラク、アフガニスタンなど、紛争が絶えない地域の、特に市井の人々を通じて、ごく日常的な姿を捉えた映像を残している。こうした映像は当時のケーブルテレビやパブリックテレビジョン(PBS)の番組として放送されていたもので、30分から60分といった枠の長さに対応している。制作形態としては、自主企画として制作したものが買い上げられたり、局の依頼で制作されたものもあるようだ。初期の『Chinatown:Immigrants in America』(「チャイナタウン」1976年60分)や『Helthcare:Your Money or Your Life』(「医療制度—金か命か」1977年60分)などは、アメリカ国内の移民や貧困層の問題を積極的にとりあげている。既存のテレビ局が積極的に無視していた見えない市民の層を、当時はようやく一般の人でも買えるようになったが、それでも高価であったビデオカメラで取材している。基本的な取材態度は、ベトナムでもキューバでも変わらない。このことは拙著『戦うビデオカメラ』(「4.ビデオジャーナリストの方法」)で詳しく書いた。ジョンと津野敬子さんが二人でスタートした小さな市民ビデオの活動は、やがてビデオジャーナリズムの先駆けと評され、マイケル・ムーアもジョンの手法を参考にしたらしい。もっとも、当のジョンアルパートは、そのことを気にしていたらしく、カメラ片手に、矢継ぎ早に質問し、どんどんと市民の生活に分け入っていくその取材姿勢を反省していたらしい。この映画では、小学校の授業中に、勝手に生徒たちに質問を始めて先生に迷惑がられるところがあるが、こんな取材態度も僕は憎めない。わかりやすい質問しかしないし、自分が見たものだけを率直に伝え続けるジョンの人柄なのだと思う。ちなみに津野敬子さんは初期の作品を放送した後に、フレデリック・ワイズマンの『病院』(1969年)に同じドクターが登場する場面を見つけて、「ワイズマンは常にわたしたちの前にいた」「一番気になる作家はワイズマンだった」と述懐している。(『ビデオで世界を変えよう』津野敬子・著 2003年 p64)
『カメラが捉えたキューバ』は映像を見ていると解るように、ジョンとDCTVがこれまでに何度も取材したキューバのシリーズがベースになっている。オリジナルは
『Cuba the People:Part1(1974)』、『Cuba the People:Part2(1975〜80)』、『Cuba the People:Part3(1979)』、『Cuba’80(1990)』、『Cuba : Between a Block and Hard Place(1993)』で、1995年以降の4回の取材(1995,2000,2006,2016年)映像は初めて観たものだった。2016年の映像は2回、フィデル・カストロと再会する時と、2016年11月26日にフィデルが亡くなった後の葬列を追ったものだった。何よりも素晴らしいのは、病気と引退が伝えられてから、ほとんど映像に残ることがなかったカストロの姿が、数枚の写真に残っていることだ。この時の再会ではビデオカメラは持ち込めなかったようだ。それでも、遠方からやってきた友人を迎え入れるように、カストロはジョンと会う時間を作り、二人が並んだくつろいだ雰囲気の写真が残されている。ジョン・アルパートとはこういうひとなのだな、とあらためてその人柄に触れた気がした。
ジョン・アルパートとDCTVをアメリカ国内で一気に有名にしたのは、初期のキューバ取材である。最も初期の取材は、スコット・ヘリックという平和和活動家が、フロリダから自分のヨットでキューバに楽器を届ける、という活動に同行したもので、1972年に5月にキューバを訪れ、ハバナで5日間待たされて上陸している。もちろん、当時はアメリカとキューバ国交を断絶している。撮影時の写真を見るとジョンが持っているのはソニーの「ポータパック」だから、白黒1/2インチ、オープンリールでの撮影だったようだ。この時の映像は1972年9月に『世界市民丸、平和のためにキューバに向かう』というタイトルで発表されている。会場は、ヴァスルカ夫妻が運営していたアートスペース「キッチン」だったという。
その2年後にキューバ政府の取材許可を得て撮影されたのが、『Cuba the People:Part1(1974)』である。国交のない国から許可が出た理由が、キューバ大使館のチームと毎週のように野球をしていたからだ、というエピソードが面白い。カストロの単独インタビューは、当時発売されたばかりのJVCのカラーカメラで撮影されている。映画の中に乳母車に機材を載せて移動する姿をカストロが面白がっているシーンがあるが、当時のカメラはもちろんVTR部がセパレートだし、プロ用でなくても相当な重量だった。
ジョンたちの取材が印象的なのは、同じ人物を時間を経て何度も撮影していることだ。農夫の兄弟、グレゴリオとクリストバルは、ジョンと腕相撲をする姿が何度も出てくるし、クリストバルが咽頭がんになった時の映像や、二人が亡くなった後も、その妻を訪ねている。街でブラックマーケットの仕事をしていたルイスも何度も登場し、そのたびに別の仕事をしていたり、刑務所に服役していたりするから面白い。子供の頃にインタビューをしたカリーダは、その後二人のこの母となり、最後に訪ねたときはフロリダに移住していて、残された息子と再会している。こうした取材の厚みは、ジョンとDCTVの特徴でもあり、それはベトナムでも同じようなシーンを見たことがある。キューバの情勢が変化し続け、国交断絶の冷戦期や、経済封鎖による困窮の時期、やがて観光客が訪れるようになると、観光業者は次々に豊かになり、街は一変する。そんな中で変わらない姿を見せるルイスは、職業を変えながら、したたかに生き続けている。映画には出てこないが、あのバナナ園の女達はどうしているだろうか、などとこれまでに見た映像を勝手に思い出していた。
この映画はビデオジャーナリストの活動記録としても、ビデオジャーナリズムの歴史としてみても面白い。もちろん、キューバ史の一つの側面としても。彼らの取材が先駆的であったことは、この映像を見れば解る。そして、娘のタミを一緒に連れていた時、カストロにタミの学校のクリンスキー先生あての欠席届にサインしてもらうシーンがあるが、こうしたユーモアが、取材対象の印象にも残っているのだろうし、カストロと最後まで繋がっていたのも納得ができる。クリンスキー先生は、カストロの直筆の届けを見てどれだけ驚いたことだろう。「クリンスキー先生、欠席してごめんなさい。フィデル・カストロ」と署名されているのだから。
DCTVのサイトは
『ビデオで世界を変えよう』津野敬子・著 平野共余子・構成 2003年 草思社
『戦うビデオカメラ』佐藤博昭・著 2008年 フィルムアート社
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『グリーンブック Green Book』
監督:ピーター・ファレリー 出演:ビゴ・モーテンセン/マハーシャラ・アリ
2018年 アメリカ 130分
『ファーストマン FIRST MAN』
監督:デイミアン・チャゼル 出演:ライアン・ゴズリング
2018年 アメリカ 141分
『ファーストマン FIRST MAN』と『グリーンブック Green Book』を同じ日に続けて観た後で、「史実に基づいた映画」とか「本当にあった話」という言葉が気にかかってしまった。1960年代の半ばから後半のアメリカで起こった「月面着陸」という世界的な出来事と、1962年のアメリカ南部を巡る誰も知らない旅の映画は、僕が生まれて間もない時の出来事であることで、それぞれとても興味深かった。そしてどちらも、「本当の話」だった。「本当の話」ってなんだろう? 少し前にたまたま予告編を観た『小さな独裁者』という映画には「これは、尋常ならざるサスペンスに満ちた、驚愕の実話!」と言う宣伝文がついていた。もちろん、『グリーンブック』のHPにも「〜痛快で爽快、驚きと感動の実話」と書いてある。もちろん僕はドキュメンタリー映画が好きだ。劇映画も気になった映画は、出来るだけ映画館で観るようにしている。だからこそ「事実に基づいた映画」があらためて気になってしまった。
史実とか実話には確かに魅力があるのだが、実は「知られざる〜」とか「驚愕の〜」とか言う言葉が、人を惹きつけているのではないかと思う。知っているつもりだった話の知らなかった部分は、知的な好奇心をくすぐる。ニール・アームストロングの月面着陸は、僕らの世代であれば、誰でもが知っていることだし、僕は記念切手も持っていた。しかし、その妻や子どもたちがどんな暮らしをしていたのかも知らないし、隣人が月面着陸のテスト過程で事故死していたことも知らない。「史実に基づいている」わけだから、映画で観たことを安心して自分の知識に加えることができるし、知人に話すこともできる。それは、それで面白い。同じことは『ボヘミアン・ラプソディー』でも言えるし、『1987,ある戦いの真実』でも『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』でも、『否定と肯定 DENIAL』でも言える。
こうした史実に基づいた映画は、これまでにもたくさん作られているし、テレビドラマでも「社会派」と呼ばれるような実録シリーズはある。金嬉老事件も、大久保清も三億円犯人も、そうした実録で描かれたし、最近ではNHKスペシャルが映画化された『返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す』にも「知られざる真実の物語」という宣伝文句がついている。そうなると、僕らはこれまで、そんなに真実と違うことを学んでいたのだろうか? 「知られざる真実」ってなんだろう? 最近になって新たな資料が発見された、ということは時々新聞でも目にする。そういう新事実ならば、これまで知られなかったのは当たり前だから、それはそれでいいと思う。そうなると「新たな解釈」はどうだろうか? これまで一般的に常識だと思われていたことが、見方や視点を変えることで、新しい解釈ができたとする。それを表現として披露することも、知られざる真実の一面なのかもしれない。
しかし厄介なことに、例えばポール・シュレイダーの『MISHIMA : A Life in Four Chapters』のように、実在の人物が描かれ、主人公の三島由紀夫の原作を元にしたものであると、家族や遺族や知人からさまざまな注文がつく事がある。「本当はこうではなかった」とか「この写真撮影のシーンは事実とは違う」とか、「本当のことだけれども、本人や家族の名誉のために削除してほしい」とか、監督の解釈で描くと、大きなリスクを負うことにもなる。公開が先送りになるとか中止になるとか、とても厄介なことにもなりかねない。出演した役者が、薬物とか暴行とかで逮捕されるとそういうこともあるのだが、「史実〜」の場合は、予めリスクを承知で挑んでいるようにも見える。炎上商法のような姑息な目論見ではないにしろ、物議を狙っているように見えることもある。
『グリーンブック』も、アカデミー賞を受賞したために、賛否の両論が幾つもあったようだ。「黒人差別の実態はこんなものじゃあない」とか「教養のない白人移民が、教養のある黒人音楽家と交流することで、差別の実態を知り、気持ちが変化するのは、白人社会のご都合主義だ」とか。運転手のトニー・リップとピアニストのドクター・シャーリーが実在の人物でなかったらどうだったのか? 少なくともピアニストの家族から「誤解を受ける」という指摘はされないだろう。黒人差別の描かれ方については、たまたま出会った黒人ピアニストに共感したひとりの白人男性がいたとしても、その人物が架空の誰かであれば、そこまで差別の総体を矮小化していると批判されたのだろうか?
史実や実際に起った事件を題材に翻案された小説や演劇や映画はたくさんある。登場人物の名前はもちろん、事件や事故が起こった場所や時代や背景、人物や家族の設定も事実とは異なるものがある。そしてもちろん、それが、事実に照らし合わせて批判の対象になることもある。思い起こせば『ディア・ハンター』をめぐって、ベトコンはロシアンルーレットをした記録はない、という本多勝一の批判は、「殺人を描いた映画は、本当は人を殺していない」といった程度の映画的な虚構を前提とすれば、歴史的な事実を背景にした映画が、もっともらしく事件や人物を描いたからと言って、それが本当のことである必要は無いのであって、その事に潔癖であれと言われれば映画などつくることはできない。『ナイトミュージアム2』を観た観客が、スミソニアン博物館ではそんなことは起こっていないと批判しただろうか? その批評の線はどこに引かれているのだろうか?
そもそも事実や真実などというものは、刑事裁判であっても恣意的に決定された「事実らしき前例」になっていくわけだから、解釈の入り込む余地のある事象に関しては、無数の事実があると言ってもいい。だから、事実や史実に基づいた映画でも「解釈」ができるし、その解釈を面白がっているのだと思うのだ。そうすると、上記の批判は当然、映画監督なりが解釈した現象についての、その解釈の態度や、われわれが見ることになった表現・表明に対する批判でなけれならない。アメリカ兵がベトナム戦争中にサーフォンをしようが、ベトコンが捕虜を使ってロシアンルーレットで賭けをしようが、それが事実ではないからという批判ではなく、なぜそのように描くことを選択したのかという解釈と表明の問題だと思う。
『グリーンブック』は1962年当時のアメリカを描いたひとつの解釈として、僕は面白い映画だと思ったので、それでいいのだと思うけれども、事実や史実にこだわって、そうすることで忠実な再現部分に注意を払うことも必要だっただろうし、それが、この映画に絶対に必要な細部であったのかは疑問だ。また、例えば最近観た映画で言えば、日向寺太郎監督の『こどもしょくどう』は、現在、日本の各地で展開されている「子ども食堂」の活動につながっている。事実、企画を聞いた当初はドキュメンタリー映画の依頼かと思った、と監督は言っている。「子ども食堂」の実態や活動が描かれたわけではないこの映画は、「こども」と「食堂」が描かれる。子供の貧困と、その背後にある親の貧困、社会保障制度の不備や、その狭間で戸惑うごく普通の親子、そして、子どもたちの不器用で衝動的な行動が描かれる。社会の現実には基づいているけれども、実在の家族や子どもたちではない。そのことがどう表現されているのか? 実在の地域や家族であったならばどうなのか? そうでなかった表現上の特異点は何だったのか? なぜ、監督は様々な映画的な細部を、このように描いたのか? そうしたことを考えることが、映画を観るということなのだと思う。
]]>『MISHIMA : A Life in Four Chapters』
監督:ポール・シュレイダー 原作:三島由紀夫
出演:緒形拳 坂東八十助 佐藤浩市 沢田研二 永島敏行
1985年 アメリカ/日本 120分
昨日(2019.2.24)は、以前購入していたポール・シュレイダー監督の『MISHIMA』を観てしまった。気になって買ってまま、なかなか観る時間がなかったものをこの時期には少し整理できる。観終わって、TV番組に画面が戻ると天皇陛下の在位30年式典が行われていた。別に他意はないのだが、『MISHIMA』のチャプター4は、1970年11月25日の市ヶ谷自衛隊駐屯地での三島由紀夫の演説と、その後の割腹自殺に及ぶ再現部分があって、「天皇陛下、バンザイ!」と叫ぶ、緒形拳の姿が、何度も脳裏に蘇った。三島は本当に「天皇陛下、バンザイ!」と叫んだのだが、腹を切った時には、その目には何が見えていたのだろうか?
三島の文学については熱心な読者ではないので、この映画については様々な批評があっても、どこか遠い作品世界だと思っていたのだが、学生時代に登川直樹先生の解説で『炎上』(1958年)を観たことを思い出し、市川雷蔵の姿を思い出すと、ふと仲代達矢の姿も思い浮かんだ。学生時代の記憶というのは恐ろしいものだと思う。
映画は体験である、というのは、観ることと記憶することの相関には、確実に付帯する体験の細部がまとわりついていて、それが映画の記憶を邪魔するわけではなく、もっぱら映画の細部を連鎖的に喚起することに役立っている。困ったことに、その体験の記憶は時々間違っていて、どこか別の映画と結びついてしまうこともあるのだが、その混乱もまた面白い。こうしてメモをしているのも、証拠を残すという無粋かもしれないけれども、何年か先に読み返してゆっくり楽しもうと思っている。
演出の細部については、三島とポール・シュレイダーがどこまで納得していたのかはわからないけれども、移動する「鏡子の部屋」でのセットの背景や、回転する舞台の中心にある屋台で、倉田保昭と横尾忠則が、沢田研二を挟んで論争(と言うほどの論議ではないけれど)する場面など、半ば暴力的に連続される場面の演出がとても革新的だと思ってしまう。ATG的な暴走を、美学で囲い込もうという力技に感心するのだ。
三島の国粋の美意識をむしろ滑稽な形で体現した私設の軍隊「楯の会」は、一般的には歪んだ愛国主義の象徴のように理解された。それでも、この反乱を本来の保守の野望と見るならば、笑っているのは、その後に無残な歴史の残滓となる事に無頓着な「左翼」であることが解る。どうやら三島の美学は、この時代の徒花であるように映るけれども、それは、階段教室の席から、一点突破の論理で嘲笑している学生たちとは格が違うようにも見えてしまうのだ。
映画は4つのチャプターで構成されていて、それぞれに三島の原作が反映され、独自の演出でその作品世界に分け入っていく。
1.「美(beauty)」 『金閣寺』
2.「芸術(art)」 『鏡子の家』
3.「行動(action)」 『奔馬』
4.「文武両道(harmony of pen and sword)」
映画『憂国』(1966年 原作1961年)の割腹シーン
原作と映画の詳細な関連を論じる力は僕にはないけれども、「散る」という言葉が、少なくとも能動的な意志であることは理解できる。散らされるでも、死なされるでもない命の終い方に、人の営みの美意識を感じることは禁じ得ない。
現在の劣化した保守や、エセ愛国者たちが三島固有の「愛国の美学」を論じることは、もはやないのだろう。
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『マザーズ 2018 僕には、3人の母がいる』
監督:谷口正晃 中京テレビ 2018年 71分
2018年12月14日は、大学時代の恩師・波多野哲朗先生のお誘いで「無名庵シネクラブ」の上映会に参加した。この日は日向寺太郎監督の『誰がために』を観た後、日向寺監督と彼の大学の同級生である谷口正晃監督、そして彼らの飲み友達枠で僕がトークに参加することになっていた。3人とも波多野哲朗ゼミで学んだゼミ同窓生でもある。僕は彼らよりも4つ学年が上だったが、僕は卒業後に研究室の仕事をしていたので、彼らが3年生までは学校でよく会っていた。そして、そういうつながりで波多野先生を囲んで、年に1〜2度飲み会を続けている。
谷口くん(ずっと日向寺くん、谷口くんと呼んでいるので監督と呼ぶのはこちらが照れくさい)は、その会の打ち合わせをしている時に、「最近作ったドラマなんです、よかったら観てください」と言って、お茶菓子を食べながらディスクを渡してくれた。ディスクには赤みがかった肌色に赤ん坊の横顔がプリントしてあり、『マザーズ 2018 僕には、3人の母がいる』と少し細い書体で書いてあった。実は以前も同じように「最近作ったドラマんですよ、よかったら観てください」と、居酒屋の狭いテーブルを挟んでディスクを渡された事がある。『人質の朗読会』と『マザーズ』と書かれた2枚だった。『マザーズ』というタイトルに覚えがあったので、「あれ、これは前にもこのタイトルで〜」と言ったら、「シリーズの新作なんです」と、せんべいを食べながらぼそっと話した。彼は、あまり作品のことを多くは語らなかったが、僕が「これ、中京テレビのドキュメンタリーがなかった?」と訊くと「それがベースになっているドラマなんです」と話してくれた。
後で調べていてわかったことなのだが、中京テレビはドラマ「マザーズ」を2014年から定期的に製作していて、2018年が5作目にあたる。すべてに谷口正晃監督の名があった。僕が以前にもらった「マザーズ」は、2014年10月18日に放送された『中京テレビ開局45周年記念 マザーズ』だった。このときの主人公・山瀬健太は、岐阜のパン屋で両親に育てられ、成人が間近な浪人生活を送っている時に、特別養子縁組で養子として引き取られたことを知る。携帯電話の家族割引契約のために、戸籍謄本を取りにったことでそのことが発覚する。家族の証明書で養子であった事実がわかるという設定も皮肉であるが、谷口監督はこの作品の冒頭で、ラブホテルに彼女を誘い込んだ健太ののんきな性格を描いている。健太は戸籍を起点にして、「NPOスマイルベイビー」を訪ねて、代表の奥田貴子に会う。少しづつ自分の出自に関わる事実を理解し始める健太は、貴子に半ば強引に誘われて「スマイルベイビー」の雑事を手伝うことになる。そして、そこに暮らす妊婦たちや、新たに保護された城田紗衣と接するうちに奥田とスタッフの活動を理解していく。2018年の『マザーズ』では、健太は就職が決まったという設定で、岐阜の両親が奥田とスタッフのところに報告に来る。
2018の『マザーズ』は、若い母親・村上友を中心に展開する。子供の頃に母親に逃げられ、アル中の父親と暮らし、結婚はするが妊娠したことが解ると夫には逃げられ、再婚した夫は他人の子を育てる気がないと言い、早く養子に出せと急かす。自分で子供を育てたい気持ちはあるのだが、このままでは働けない。男は働きもせず、ふらりと帰ってきてはダラダラと過ごし、村上友が働くことを当たり前だと思っている。八方塞がりの状況を自分では抱えきれずに「スマイルベイビー」に相談をする。
何という典型的な設定か、とはじめは思った。ニュースで伝わる育児放棄の若い夫婦や、ドキュメンタリーで何度も観たような家族の暴力。シングルマザーのような生活は、片付かない部屋に少し派手な服、メイクだけは怠らないような、だらしない生活の風景がそこには伺い知れる。壁には塞がれた穴。水商売か風俗で知り合ったに違いない男は、だらしなく酒を飲み、暴力的な言葉を浴びせる。いかにも居そうな若いカップルが描かれていることに、僕は嫌悪感さえ覚えた。しかし、考えてみれば、どれだけのこうしたステレオタイプを見聞きしてきたことだろうか?と思う。いかにも育児放棄や虐待をしそうな男や女は、どうしてこうも似ているのだろうか? 彼女、彼らだけが招いたわけではない連続した不幸な家族関係が、あるいはそれを取り巻く社会環境が、福祉環境が、こうした抜け出せない連鎖を生んでいるのではないか? その中にいる人達は、いつでも同じような渦に巻き込まれる、よく似た境遇の人たちではないか? そう思った時に、こうした典型的な設定は、それが誰にでも心当たりがある情景だけに恐ろしくなる。「この女なら、相手の男がこれなら、こんなことしそうだな」と悲惨なニュースを見ながら言い捨ててはいなかったか?
村上友が生んだ子供は7ヶ月を超えているので、一般的にできるだけ早い時期に引き取りたいと望んでいる養子縁組の希望者とは、うまくマッチングしない。一方で足に障害があり、車椅子で生活をしている川畑健二と妻の真希は、不妊治療を続けているがうまくは行かず、産院で「スマイルベイビー」の活動を知らされ、養子を考えるようになる。車椅子の父親が養子を引き受けることができるのか? 子供が可愛そうな目に合わないか、など夫婦の不安もあり、なかなか踏み切れない。そんな時に2014年の『マザーズ』で描かれた岐阜のパン屋山瀬が、息子の就職の報告と御礼に「スマイルベイビー」を訪ねてくる。奥田はその後、車椅子の夫が養子縁組で子供を育てている家族を紹介し、その家族と接することで川畑は気持ちを決める。村上友は養子に出した後は二度と会うことはないと言い、7ヶ月を過ぎた悟を奥田を通じて川畑に託す。しばらくして友を訪ねた奥田は、スーパーの駐車場で車の整理をしている警備員姿の友に会う。友は奥田に、今の正直な気持ちを伝える。
「3人の母」とは、産みの母と育ての母、そして「スマイルベイビー」の奥田貴子のことだ。このシリーズでは3人の母を持つ子供が、何人も描かれてきた。谷口くんが描き続けるのは、典型的な境遇から抜け出していく母親と、それを支えていくあと二人の母親、そして家族の姿を問い続けることになる、3人の母を持つ「僕」の姿だ。
ドキュメンタリー版については2018年4月23日の深夜に日本テレビ系列のNNNドキュメントで『マザーズ 特定妊婦 オンナだけが悪いのか。』(55分枠 撮影:安川克己/P:板谷学 中京テレビ)が放送され、後日、録画を観ていた。中京テレビでは10月13日にも『マザーズ “縁組家族“ 君がくれた幸せ』が放送されたようだ。2011年のはじめての取材から続いている、引き取った家族の側の物語だという。東京にいると、このシリーズを見る機会は限られている。僕が観た『マザーズ』は「NPO:Babyぽけっと」の岡田卓子代表とスタッフの活動の記録であった。一軒家を三件運営して、妊娠してもまともな状況で出産できない女性や、出産後も保護が必要な母親(特定妊婦)を、「Babyぽけっと」で預かって共同生活をしている。いわゆる母子シェルター活動であった。生まれた子供を自分では育てる事ができない母親は、岡田さんを通じて「特別養子縁組」の手続きをする。引き取り手となる両親も、事情は理解していて、成長記録を実母に送ったり、育ての親との交流会も行われている。ここに来る母親は、未婚の母であったり、相手から暴力を受けたり、風俗で働いていたりと、多様ではあるがよく耳にするようなよく似た環境を経験している。つまり、全国的にこういうケースはとても良く似た環境で起こっているということが解る。
例えばたまたま『マザーズ』と同じ日の早朝に、テレビ朝日系列のテレメンタリーで放送された『ボンドの家〜女性保護シェルターの半年』(30分枠 D:押田幸/P:東卓男、新津聡子 テレビ朝日)でも、東京で「ボンドの家」を運営する橘ジュンさんの保護活動の記録が描かれていた。「ボンドの家」は、妊婦を対象としているわけではなく、様々な事情で家に帰ることができず、街を徘徊しているような女性から電話を受ける。一緒に食卓を囲みながら、彼女たちの話を聞き、自立への方法を一緒に探っている。
あるいはその翌週4月30日のNNNで放送されたのは、『ゆりかごから届く声〜赤ちゃんポスト11年〜』(D:吉村沙耶/P:大木真実、後藤宏一郎 熊本県民テレビ 30分枠)だった。日本で初めて、唯一の「赤ちゃんポスト・こうのとりのゆりかご」を設置した慈恵病院の11年後の現在を描いていた。ドイツの「ベビークラッペ」というシステムをモデルにしたというこの病院には、「乳児遺棄を助長する」など、非難も相次いだ。人目につかないように設置された「赤ちゃんポスト」は、そこに子供が置かれると瞬時にナースステーションに知らされ、速やかに保護される。手紙などが添えられていることもあるが、身元がわからないこともある。そもそもの設置の動機は、隠された妊娠と自宅出産の危険性から内密出産の相談を受けたことだった。命の危険は乳児だけではなく、かくして自宅出産を試みた母親にも及んでいた。番組の後半に、この病院では、かつてこのポストに子供を追いた母親が、後年自立して引き取りに来たという話も紹介されている。こうして録りためたドキュメンタリーを見ていて気がつくことは、女性ディレクターやカメラマンの活躍が、優れた取材を可能にしているということだ。デリケートな話題であるだけに、男性のスタッフでは尋ねにくいことや、撮影し難い状況もあるのだと思う。
ドキュメンタリーで知ることができるこうした活動は、その多くがNPOなどの民間の事業である。『ボンドの家』の中で、その理由が語られていたが、自治体が運営する同様の施設がないわけではないが、入所の手続きが多かったり、入所後の規則などが厳しかったりと、必要とする側の緊急性に対応できていないという。今すぐに連れてこないと危ない女性をそのまま帰す訳にはいかない、という橘さんの言葉が映像を見れば理解できる。当たり前のことだが、書類や数字ではわからない緊急で厳しい現実が、現在も進行している。
映像にできることは、限られているけれども、気づかないよりは気がついたほうがいいに決まっている小さな危機感を喚起するくらいのことはできる。
谷口くんが演出したドラマを観て、いくつかの映像が繋がった。
ありがとう谷口くん、本当に立派な仕事をしていると、ただの飲み友達の僕は誇らしく思います。
]]>『世界で一番ゴッホを描いた男』
原題:China’s Van Goghs
監督:ユイ・ハイボー/キキ・ティンチー・ユイ
出演:趙 小勇(チャオ・シャオヨン) 2016年 中国・オランダ 84分
この映画が面白いのは、工房の絵描きの親方が極めて真面目に複製画を制作している、その職人気質とゴッホへの敬意に素朴に感動するからだ。
予備知識も入れずに、スチルカットとタイトルから想像していたのは、贋作の組織的な制作と流通なのだろうか、という浅はかなものだった。『人間機械』でみたインドの染色工場のように、劣悪な労働環境と低賃金を告発するような映像が続くのではないかとも思った。そしてそれは心地よく裏切られるのだが、その心地よさの正体は、工房の親方の職人気質とゴッホへの純粋な敬意なのだと思う。
中国深圳市大芬(ダーフェン)は、今では観光地と知られるほどの世界最大の「油画村」だという。この事をそもそも知らなかった。そんな村があったのか、素朴に驚いた。
この街には約1万人の画工がいるらしい。しかし始まりは古いわけではなく、1989年香港の画商が20人の画工を連れてきたのが始まりらしい。
その中でもゴッホの複製画を専門としている工房の親方・趙 小勇(チャオ・シャオヨン)は、これまでに独学でゴッホの複製画を10万点以上制作したという。その制作は家族と職人たちで分業して行う工房スタイルで行われている。注文が入れば、膨大な枚数をそれぞれが仕上げる方法と、その下絵を描く者、黄色のパーツを塗り進める者などと、流れ作業での制作もあるようだ。親方は全体の仕上がりを管理しているし、まだ若い職人を「バランスが悪い。はじめからからやり直せ」と厳しく叱っている。毎月600〜700枚の複製画を作り、その多くはアムステルダムなどの土産物屋に輸出している。
何よりも感動的なのは、工房の親方が「本物のゴッホが見たい」と、アムステルダムへと向かうその旅のプロセスだ。ゴッホ美術館の前では自分が描いた油彩の複製画が売られている。もちろん卸値の何十倍の値段だ。土産物屋の店主は親方の一行を歓迎するが、親方は画廊で売られているものだと思いこんでいたので、少しがっかりする。それでも、自分の絵を前にした親方は、遠くアムステルダムの店で自分の絵が売られていることを少し誇りに思ったようだ。
そして、ゴッホ美術館では、初めて本物と対面し「色が違う、、、」などと呟く。その少ないコトバが、また切ないのだ。そしてゴッホの墓参りに行く。ここでの振る舞いは、すべてが師匠を敬う態度にほかならない。マニアでもコレクターでも絵画ファンでもない。10万枚も油絵で模写し続けた職人が、その本物を描いた人を敬っているのだ。そしてゴッホは「魂で描いていた」と、悟りのような言葉を口にする。
帰国後に工房の仲間や他の店主に語る土産話もいい。本物は何が違ったのかを本気で伝えているではないか。そして、禁断の「オリジナル」を描くことを決断する。複製画の職人ではなく、画家としての自分の絵を描きたいと願う親方の決断は美しい。
そして描き始めたオリジナルのモチーフは、お世話になった叔母の肖像画や生まれ育った路地の風景だった。
その画風が、ゴッホそのものであったことは言うまでもない。
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『ボヘミアン・ラプソディ』
原題:Bohemian Rhapsody
監督:ブライアン・シンガー
音楽プロデューサー:ブライアン・メイ ロジャー・テイラー
2018年 アメリカ 135分
僕にとってのQueenは真似やコピーができるバンドではなかった。カラオケで「キラー・クイーン」を歌うことはあっても。
TOHOシネマズ日比谷のDolby ATMOSは、こういう映画のためにあるのではないかと思ってしまった。ラストのライブエイドのシーンは、思わず熱いものが込み上げる。それほど熱心なQueenファンでもなかったけれども、自分に起こった不思議な気持ちに、これは一体どうしたことかと思った。年を重ねれば涙もろくなるとはよく言われるが、どうやらそういうことではなさそうだ。何かムズムズするような、言葉にし難い不思議な感覚だった。ロック映画はたくさんある。1970年代に活躍したロックスターたちは、その生涯がドラマティックだったりすれば、映画の格好の材料になった。『ドアーズ』『ジャニス』も『ストーンズに消された男』もそうだし、早逝のスターたちは神話になった。もちろん、いくつものドキュメンタリー映画もある。この映画もそんな映画のひとつだったのか?
Queenを初めて聴いたのは多分中学1年の頃、次兄が持っていた『Sheer Heart Attack』だったと思う。「キラークイーン」を聴いた福岡の野球少年は、美しい高音のハーモニーが「ロック」というジャンルとは結びつかなかった。その頃、家にあったレコードはビートルズと井上陽水、トランペットを吹いていた次兄のチェイスだったか。もちろん「ブラス・ロック」などというコトバも知らない少年は、「黒い炎」で4チャンネルで小さなスピーカーから、グルグル回るように聞こえる音が素朴に好きだった。思えばこの頃、どれだけの「ロックバンド」が生まれたのだろう。そして、その中で、いくつもの「ロックバンド」らしからぬ特異なバンドが生まれていた。映画のセリフでもあったように「Queen」はロックバンドではなく「Queen」だった。
「ロック」が自由と同義だった頃、それはエンターティメント・ビジネスの最も期待されるジャンルだった。ロックは。冴えない若者が成功を手に入れる近道だったし、安易な縮小再生産が始まるのもその頃だった。パンクもそうだった。それでも3つのコードがあれば自分たちの歌を作り歌うことができた。勢いもロックと同義だったし、反体制とか反抗も、主張が稚拙であってもそれは紛れもなく若者の言葉だった。そしてそんな若者の音楽を同じ境遇の若者は歓迎した。ロックはクラブやライブハウスから大きなホールやスタジアムでかいさいされる巨大なイベントになっていった。
それでも、ロックは音楽だった。だから音が僕らを捉える。耳が痛くなるほどの爆音も、思想を反映したような複雑な変拍子も、それはロックであったし、「おれたちの音楽」だった。
Queenをそんなロックの中に組み込んでしまうのはどういう訳か躊躇する。簡単には真似できないような音楽が、ロックを纏っているようだった。もちろんビッグなバンドだったし、日本公演も大成功した。僕は一度も生では観ていない。好きなバンドではなかったけれども、ずっと並走していたようなバンドだった。フレディーが死んで、ポール・ロジャースが歌ったこともあった。でも、それはもうQueenではなかった。フレディーがQueenだったのか? そうかもしれないし、ブライアン・メイがギターを弾かないQueenも、多分、ジム・モリソンのいないドアーズみたいだったんだろう。
バンドってなんだろう? 子供みたいな疑問が頭を巡る。ビジネスでロックを演じることも才能だろうと、今のバンド達を見ていて思うことがある。ちょっと変わった、でも、それほど大きな逸脱ではない無難な抵抗を、ロックだと思い込ませるのも才能かもしれない。でも、そんな事をしたかった訳ではないのは、早逝のロッカーを見ていれば解る。彼らが身を滅ぼすほどに引き裂かれたのは、ロックという魔物がとてつもない許容力で彼らを包み、這い出すこともできないような足枷を誰もが嫌がり、それでも自分たちの「何か」を生み出すことを要求され、苦悩というにはあまりにもリスクの大きな苦難があり、あるものは死に、あるものは逃げ、あるものは無難な老後を目指した。僕らは何故、ロックに惹かれるのか?
そんな事を走馬灯のように思い巡らされる映画だった。
]]>『軍中楽園』
監督・脚本:ニウ・チェンザー 編集協力:ホウ・シャオシェン 2014年 台湾 DCP 133分
『軍中楽園』といういかにも男性的なその名称が、戦時下の娼館であることは想像できたけれども、舞台が1969年というのを予告編では見落としていた。何かの理由があって娼館に勾留されていた女たちの凄惨な悲劇かとも思っていた。おそらく幾度も繰り返し戦争犯罪として報じられてきた旧日本軍の従軍慰安婦問題と重なり、予告編に現れる言葉に、反射的にストーリーを妄想していたのだろう。
予想は見事に裏切られた。
そして、観終わった後に不思議な爽快感を覚えたことが、自分に対して何故か不愉快になり、その理由が気になっていた。映画はとても美しい細部で溢れていた。困難な状況下での複雑なラブストーリーであり、映画の魅力を再発見したなどと言えば納得できただろうか? いや、そういう言葉の短絡が嫌だったのか? いや、この背景と設定で、純粋と不貞と暴力と理不尽が入り交じる聖的な喜劇に昇華させた映画としての力量に感心したのだろうか? いや、それでも、戦争=暴力装置としての重要な「部隊」である娼館が、「美しく」描かれていた細部への抵抗だろうか? 娼婦たちは皆、強かで、それぞれに秘密を抱え魅力的にさえ描かれている。バオタイとニーニーが娼館を抜け出し月下美人を見に行くというシーンも、この刹那的な純愛の結末を予見させながら、少し滑稽で楽しい。 そんな映画的な寓話にも、いつの間にかすんなりと納得させられている。この映画は、やはりとても良く出来ているのだ。
1969年という時代に違和感を覚えたことは間違いない。台湾と中国の歴史を知らなさすぎた自分を恥じた。第二次大戦終了までの日本統治下や、その後の蒋介石の国民党軍に翻弄されるという常識的な知識だけはあったものの、その後に長く続いた中国との内戦状態の最先端が「金門島」であることは知らなかった。要塞化された金門島にある施設は、「戦後40年にわたり公然の秘密であった」と書かれている。我々が知る術はなかったのか? それにしても緊張しているの弛緩しているのかわからない小康状態のような金門島の描写は滑稽ですらある。映画の冒頭、体格はいいがおとなしそうな青年ルオ・バオタイは、友人と共に唐突にこの島に配属される。島の特殊部隊に配属され、厳しく理不尽な訓練が続いた様子が描かれる。老兵の隊長ラオジャンとの関係も、この時点では絶対的な服従でしか無い。しかし、滑稽なのはこの特殊部隊「龍海蛙人」の兵士が、なぜか赤い海パン一枚で銃弾ベルトを肩にかけて、街の中心部を闊歩する様子だ。誇りに思っているのかどうかはわからないが、その姿の滑稽さが喜劇を予見させる。ラオジャンが質屋で時計を換金するのを見て、バオタイは娼館の存在を知る。バオタイは泳げないために「龍海蛙人」から、「軍中特約茶室」(通称831)に配属される。831は電話番号からの由来らしい。配属とは言っても、仕事は娼館の管理人であり、兵役は特殊部隊の訓練からはずいぶんと隔たりがある。1969年当時の街や娼館の様子を忠実に再現したという背景は見応えがある。この「軍中特約茶室」は1992年まで実在したというのも驚きだった。
台湾が中華民国となり、徴兵制度は戦後に中国との緊張関係から1949年に法制化された。中国軍と対峙する最前線の金門島には、最大で10万人の兵士が配属されていたらしい。兵役は1年とあるが、この映画では、バオタイの従軍は数年間に及んでいる。除隊を申請しなければ、いくらでも延長できたのだろうか? 隊長ラオジャンは故郷をいつも気にしながら、831に意中の女がいるためか、ずいぶんと長い間この島に従軍しているようだ。そうした緩さが、凄惨な悲劇を生むことになるのだが、その事件も戦時下の狂気とは言い難い。娼館での日常は、軍の管轄下とはいえ、激しい暴力の支配下ではない。だから、思い通りにいかない軍人は、娼婦に翻弄される。
この映画が史実に忠実であったかどうかは、制作者の倫理の問題だと思う。事実をもとに検証され、選択され、排除され、誇張された独自のストーリーであったとしても、それは映画に委ねられた表現の範疇である。例えばニーニーは夫殺しの刑期が軽減されるという理由でこの娼館にいる志願者だと言える。こういう制度が本当にあったのだろうか? 他国の慰安所と比較して、この描かれた「緩さ」に苦言を呈することは意味がないだろう。豊かな映画体験であったことは間違いないが、後味の悪さはしばらく尾を引きそうだ。
]]>『万引き家族』 英語題:Shoplifters
監督・脚本・編集:是枝裕和 音楽:細野晴臣 2018年 120分
東京ミッドタウン日比谷は、オープンしてまだ2ヶ月と少しで、『万引き家族』を観るために、人で賑わう土曜のこの日に来たのはやはり場違いだったなとは思った。中央に大きな吹き抜けのスペースが有る巨大なショッピングモールは、この映画にはふさわしくなかったかもしれないが、TOHOシネマズ日比谷は大きな劇場の真新しいシートで、夫婦50割だから二人で2200円で映画が観られるという環境は、多少の居心地の悪さはあっても、それでも総じて快適なものだった。
映画の公開が、実在の事件と重なって公開が延期になったり、奇妙な「忖度」で公開ができなくなったりということは過去にもあったが、『万引き家族』で描かれた5歳の少女の虐待の痕跡が、まさか見事に、ここ数週間に渡って世間を騒がしている事件と重なり、現実の鏡のように見えるとは思わなかった。子どもは親を選ぶことができないという当たり前の現実は、親が子に最大限の幸せを約束しようと努力する、という既に夢のように空虚な願いを、文字通り鏡のように反映している。子どもの幸せを願わない親はいないと、どこかで信じていることは、現実には無残に打ち砕かれ、映画の中で夢のように再生される。この逆転をどう考えたらいいのか?
過去に犯罪を犯し、身を隠している男が、ひとりの少女が「寒そう」にしていることを気の毒に思い、「かわいそうだ」とか「ひもじそうだ」という、手を差し伸べるには十分な動機でその少女を匿う。それを特別なことだと思わない不思議な家族がいる。「返してきたほうがいい」という常識的な反応は、もちろんその通りではあっても、ひもじそうな女の子を見ている女は、既にどこかで「ここにいてもいい」と思っている。血の繋がりよりも、人としての当たり前の感情で「家族」に迎え入れることは、この奇妙な家族にとってはそれほど大きな事件ではなかった。傷ついた小さな子供の腕の傷を心配し、後ろから抱きかかえてあげることが、ごく自然な振る舞いであってほしいと願う。他人である大人に女に、母のような自然な言葉をかけられた子どもは、それを人としての当たり前であると思って欲しい。この貧しくて特別な「家族」に、その自然さを映し出すことが、この映画の課題であったと言ってもいい。
突然紛れ込んできた小さな子供は、その年令では当然であるかのように、おねしょをするのだが、ごく普通に叱られ、ごく普通に「ごめんなさいは?」と言わされる。それが特別なことではなかったかのように、貧しい一家は、狭い部屋の布団を仕方ないかのように干しに行く。そして、おねしょの対策を考える。「寝る前に塩を少し舐めるといい」という婆さんの迷信のような助言を真に受けるだけの優しさがここにはある。服がない子供のために、婆さんは縫い物を始める。突然紛れ込んできた子どもは、少し年上の少年と、いくらかの距離と、恥じらいと、戸惑いを保ちながら、兄妹のように居始める。ルールを守ったり、秘密を守ったりしながら、少しづつごく普通の少女になっていく。
『万引き家族』を観て思うことは、映画は細部の描写の積み重ねだという当たり前の事実だった。映画に描かれた細部は、それが細かな部分にも執着した描写だということだけで、人を感動させる。かつては地域の再開発で地上げ屋の責めにあったらしい都市部の古い一軒家は、マンションが立ち並ぶ地域に取り残されたかのように、ただの捨て置かれた木造家屋のように描かれる。映画では、かつて地上げの交渉をしていた男の登場でその事がわかる。その家の内部は、誰のものなのかも判らないようなモノが雑然と置かれ、台所らしき場所は、食べ物をつくるというよりは、かろうじて食器を上げ下げしたり洗ったりするような、僅かな水場のように見える。居間とは言っても、5人が入り混じり、そこ以外にどこにけばいいのだ、という雑然とした「場」が中心にあるだけだ。そこに、唐突に子どもが増えるのだ。それぞれがごく僅かな自分の居場所を線引しているような空間は、一定のルールが有るように見える。この光景は、僕には見覚えがある。小学校5年生(1973年頃)の時に父親の転勤で行った奄美大島の友人の家は、8畳くらいのひとまに、家族が8人くらい暮らしていた。その時の自分の家である官舎は、4畳半と6畳が二間の小さな家だったが、その友人の家族の家を見たときの驚きは忘れられない。祖父母と両親と子どもたちが、雑然と同居する小さな空間にも、一定のルールが有るようだった。貧しいのだとか、そういう驚きではなくて、こういう家族がいるのだという素朴な驚きだった。
もちろん、家が小さくて、家族が多いということで、『万引き家族』の細部が面白いわけではない。例えば、台所にある冷蔵庫の扉は、飛び散った醤油の跡がこびりついたように汚い。よくもこれだけ飛び散ったなと、幾分か大げさな描写だなと思っていると、信代と女の子が風呂に入るシーンでは、その浴槽の小ささと汚れ具合に驚く。もう何年も掃除などしていないような風呂場は、その「家族」のいち面をきちんと言い当てているし、一方でその細部は、もっと大切なこと、いや、結果的に欠くことのできない重要なことを浮かび上がらせる。汚くしててもいいということではなくて、そこをきれいに掃除をすることを当分の間後回しにしてきたことが、この家族の特徴でもあるからだ。切迫した日々がそうさせたのかもしれないし、今さら部屋の一部を掃除したからといって、何かが変化するわけではない。そうして生きてきた「家族」の風呂場はこれでいいのだという信念の描写が見える。
あるいは、際立った細部として印象に残るのは、クリーニング屋をクビになった信代が、治と一緒にそうめんを食べるシーンであり、透けて見える下着姿の信代には、エロティックというよりは生臭いほどの猥褻さを感じずにはいられない。そして突然の夕立と大雨が、鬱陶しく蒸し暑いだけの夕暮れに、唐突に狂気のような衝動を運び込む。信代の透けて見える下着姿が、治を誘うのではなく、夕立によって二人が現実をはみ出していく衝動的で小さな狂気が愛おしい。ちゃぶ台には食べ残したそうめんがこぼれてはみ出していて、その白くて水が滴る生々しさは、この映画のためだけにある細部であって、どんな言葉でも説明のしようがない余韻だけを残している。
あるいは、祥太と治とりんが、練習して一緒に盗んだ数本の高級な釣り竿は、売られて換金されることがなく、祥太との再会の場面で使われる。この慎ましい家族の共同作業の成果を、父親であろうとする治が売り払わなかったのはなぜか? リリー・フランキーが演じる治が素晴らしいのは、徹底したカッコ悪さである。もしかすると若い頃はそれなりに粗暴であったかもしれない中年の男は、この映画の時点では徹頭徹尾かっこ悪い。日雇いの仕事も、建設現場ではそろそろ戦力外通知を受けそうな年齢であるし、怪我をして家に戻っても何の補償も得られない。万引きの仕方を子どもたちに教えるとは言っても、そこには素早さや熟練した技があるわけでもなく、普通の万引きが家族連れで行われるといった程度の組織力を見せるだけである。カッコ悪さといえば、信代と久しぶりで交わった夕立の日には、「俺もまだできただろう?」と情けない同意を求める。裸の後ろ姿は、年齢を示すには十分な垂れ方と出方をしているし、家族で行った海水浴場では、今どき、ステテコで海に入る親父はいないだろうという、時代錯誤な見苦しさを見せる。それは、ひとときの道化の姿のようでもあり、幼い子供を喜ばせるには十分な姿だ。だからこそ、信代に誘われたときの生々しい戸惑いが印象に残る。
あるいは、祥太が妹をかばうために、わざと万引きで見つかろうとした時に、とっさに掴んだものは数個の玉ねぎが入ったネットだった。オレンジ色のネットに入ったそれは、スーパーで買えば不揃いの玉であれば百数十円からせいぜい二数百円程度の品物だ。入口付近で、安売りされている設定であっても、それが蜜柑やグレープフルーツであってもいいし、じゃがいもや里芋であってもいい。あるいは、少量でも値段が高く、持って逃げるならばもっと軽いものでも良かったはずだ。
なぜ玉ねぎだったのか? 祥太が追いかけてきた店員に捉えらるその時、道路に散らばるのは球形の玉ねぎでなければならなかったからだろう。その円形で安価な庶民的な野菜は、ラストシーンで、団地の通路で一人あそぶ「りん」が、散らばったビー玉を拾い集める仕草で回収されなければならないし、彼女のこの先に起こるかもしれない、何かを示していたはずなのだ。象徴や記号といった暗示のゲームではなくて、現物が想起させる痛々しい何ものかが、確かに確実な細部としてこの映画にはあると思った。
この映画が海外で評価されたことは素晴らしいし、何の異論もないのだが、このくらいの映画を、もっと創造できる潜在的な力を、日本の映画は持っているのだと思う。だから、このくらいの映画がアベレージであってほしいと願う。是枝監督のインタビュー記事にもあるように、社会問題や政治的な課題に映画が向かい合っているのかという「問題意識」の有無だと思う。インディペンデントな映画やドキュメンタリーは、痛いほど向かい合っているのだから。
残念ながら、この日の予告編を見ていると、荒唐無稽だとさえ思うキャステイングの劇映画が堂々と広告され、ジャニーズとアイドルの組み合わせは、当分終わりそうにはないのだけれど。
]]>『馬を放つ CENTAUR』
監督・脚本・主演:アクタン・アリム・クバト 2017年 キルギス/オランダ/フランス/ドイツ/日本 89分
「馬を放つ」とは馬を逃がすこと。邦題はとてもわかり易いけれども、中身をそのまま言い当てているような気もして、少し味気ない。原題のCENTAURはケンタウルスだから、ギリシャ神話上の半人半馬の種族の名である。映画のスチールを見るとむしろこの原題のイメージを大切にしている感じだ。
村人からケンタウロスと呼ばれる男は、なぜ、馬泥棒をしてまでひとの持ち馬を放つのか? 映画の冒頭で放たれる馬は、レース馬として高価で取引された馬らしい。この地のレースとは何なのだろうか? レースのシーンは現れない。男の親戚はこの馬の持ち主で、レース馬を育てることで富を得ているらしい。夜中に馬を盗んで、その馬で夜の野を走る。そして馬を放つ。男の行為には、何の利益もない。このシーンを観ながら、「ポトラッチ」を思い起こしていた。「ポトラッチ」は象徴交換といい、富を得るのではなく、儀式的に価値を交換する。むしろ積極的に損をすることで、その価値を認め合う。未開の部族などで認められた人間独自の経済活動だ。カール・ポランニーやその紹介者でもある栗本慎一郎の著作で知った。例えば、ある部族で婚礼が成立すると、娘を送り出した一族は「娘がいなくなる」という損失をする。娘を迎えた家族はその損失に見合うように自分の家畜を殺す、といった行為だ。無駄な損失を自らすることでその価値を認めあうという、前近代的な、むしろ野蛮な行為のように思われる。これが実質的な価値交換であれば、家畜は殺されずに娘の両親に贈られる。象徴だから、お互いに勢力を同じにするという、損失した側に合わせる行為だ。これは日本でもあったらしい。例えばこんな話だ。あるとき道でばったりと幼馴染が出会った。ひとりは酒を、もうひとりは素焼きの器を売っている。出会ったことで、酒売りは自分が持っていた酒を飲もうと言い、二人は酒を飲んだ。別れ際に素焼き売りは、「お前は売り物の酒を飲ましてくれたから、自分も売り物の素焼きの器をそれに見合うだけ割る」と言って売り物の器を壊したという。お互いに損をするだけの行為は、何故か微笑ましく、豊かな気持ちにさせる。そんなことを、この映画を観ながら思い出していた。もちろん、男の馬泥棒は犯罪であり、馬の持ち主にとっては巨額な損失だから事件となる。だけど、この馬を放つという行為は、今の金の価値では測れない、長い時間の流れに呼びかけるような豊かさを孕んではいないか? 馬が馬らしくあるように、あるいはヒトと共存(馬にとっては従属かも知れないが)していた頃の馬らしさを取り戻すこと、それができないのであれば、せめて、自由に野を駈ける時間を与えること。それが男の望みだったのではないだろうか?
外国の映画を観ると、いつもたくさんのわからないことを突きつけられる。映画が教えてくれるわけではない。だから考える。そして、答えが出ないことに自分の無知を悔やむ。いや、知っていたからといって出てくる答えではないかもしれない。だから、また、考える。その連鎖が面白い。
キルギスのことなど、ほとんど何も知らないことにあらためて気がつく。人々のルーツも、生活も、宗教も言語も、食も。馬と人との生活が、かつては今よりもよほど密接だったのだろうと想像する。さらにもっと昔には、騎馬民族としての誇りある歴史があったのだろう。
この映画の主人公が、自らの血の中に抱いているその末裔としての誇りは、現代のキルギスの地では相容れないのだろう。大工として生計を立てる男は、地味な夫であり、父親であり、時代遅れな血筋をひきついでいる土地の記憶でもある。明らかなモンゴリアンの風貌は、彼の妻とも、親類とも、村人の何人かとも違い、最もその地の男にふさわしい顔つきを持っている。カザフスタンなどの隣接する中央アジアの映画を観ると、登場人物の顔つきの豊かさに驚く。明らかなアジア系と、ヨーロッパ人のような人たちが混在している。かつては国境など無かったこれらの土地では、人は自由に行き来し、土地に執着することも、人種にこだわることもなかったのだろう。宗教も言語(公用語)も、後づけの文化でしか無いのだ。だから、この映画の主人公の男の顔は、その土地の歴史や記憶を継承していることが見ていて分かる。
馬をめぐる映画は魅力的だと思う。アイスランドの『馬馬と人間たち』(2013年)を思い出した。この映画もとても美しい映画だった。
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