2005.11.30 Wednesday
あの『人質』を作った吉岡さんがTVに
閑話休題
僕らの上映会『無礼講にする2005 夏』でドキュメンタリー映画『人質』を上映させて頂いた吉岡逸夫さんが、11月28日「先端研」という番組に出演していました。本人からメイルでも知らせて頂いていたので、僕はビデオ録画し、昨日の夜観ました。海外でボランティアを志す人が増えているという話題でしたが、吉岡さんは客員教授としてコメントをするというものです。アンガールズの二人とやりとりをしている吉岡さんのマイペースな語りが印象的でした。番組を観ながら思い出したのは吉岡さんが海外青年協力隊の経験者だったということです。なるほど。
しかし、海外ボランティアのツアーにお金を出して参加したり、比較的安全なところにいって、東京に疲れた自分を見つめ直すというのは、どんなもんでしょうね。受け入れ先も徹底的に損得で受け入れるべきじゃないですかね。中には志の高い人もいるでしょうけれども、形を変えた植民地主義のようでもあります。ちょっと言いすぎですね。
はみ出し情報でした。
僕らの上映会『無礼講にする2005 夏』でドキュメンタリー映画『人質』を上映させて頂いた吉岡逸夫さんが、11月28日「先端研」という番組に出演していました。本人からメイルでも知らせて頂いていたので、僕はビデオ録画し、昨日の夜観ました。海外でボランティアを志す人が増えているという話題でしたが、吉岡さんは客員教授としてコメントをするというものです。アンガールズの二人とやりとりをしている吉岡さんのマイペースな語りが印象的でした。番組を観ながら思い出したのは吉岡さんが海外青年協力隊の経験者だったということです。なるほど。
しかし、海外ボランティアのツアーにお金を出して参加したり、比較的安全なところにいって、東京に疲れた自分を見つめ直すというのは、どんなもんでしょうね。受け入れ先も徹底的に損得で受け入れるべきじゃないですかね。中には志の高い人もいるでしょうけれども、形を変えた植民地主義のようでもあります。ちょっと言いすぎですね。
はみ出し情報でした。
2005.11.29 Tuesday
アフガニスタン映画祭
中沢あきさんによるドイツからの国際映画祭のリポートに続いて、大田区池上会館で行われた『アフガニスタン映画祭』について報告します。我ながら、中沢リポートとは素敵なコントラストをなしていると思っています。
映画祭は11月26、27日の2日間、10作品によるプログラムが両日同じ内容で上映されました。僕が観たのは26日で、この日にチケットを買うと、仮に途中で帰っても翌日もその続きを観ることができるという、2日間出入りOKの良心的チケットです。当日1200円のところを学生と一緒に20人で行ったため、さらに割引料金で入場することができました。この日だけで観てしまわないと翌日は来られないことがわかっていたのですが、2作品を残して降参しました。映画がダメだったわけではなくて、考えさせられることも多く8本が鑑賞の限界だったのです。
ちょうどひと月前の10月26日に、この映画祭の主催者NPO法人クロスアーツの幕内弘司さんと村山達哉さんが、僕のいる学校まで訪ねてこられ、映画祭のことを知らせて頂きました。「クロスアーツが大田区のNPOでもあるし、映画祭もなんとしても大田区で開催したかったのです」と、静かな口調の中にも力強い意欲を感じたのでした。池上会館というのは、本門寺というこの界隈では有名な大きなお寺のそばにあります。桜がきれいなことと力道山の腕組みをした胸像があることでも知られています。東急の池上駅から少し歩くと道路脇には和菓子屋やら、煎餅屋やら仏具屋が並んでいます。池上会館では『アフガニスタン映画祭』の他にいろんなセミナーを行っていたようです。「生き方を考える」とかそんなタイトルもあった気がします。
映画祭で上映されたのはここ数年に制作された短編映画が中心でしたが、この映画祭自体の動機となった『カブール・トライアングル』が2005年に制作された90分の長編でした。クロスアーツは天理大学と一緒にこの作品を支援し、協働制作という形をとっています。先述の村山さんは音楽家でもあり、全編の音楽を担当しています。制作機材は天理大学の提供で、編集などポストプロダクションもクロスアーツによって日本で行われたようです。ほぼ30分の3作品で構成されていて、それぞれの監督はカブール大学の先生です。この作品は3作品の構成も興味深く、見応えのある作品でした。「生計を立てる人々」は文字通り人々の生活の手段を映し出したドキュメンタリーです。市場や通りでものを売る人々、カメラを取り囲んで雇用状態の不満をぶつける労働者、パキスタン人を好んで雇用する建築会社の親方などの話の中に、収入や生活費などの具体的な数字も出てきます。映画は次第にひとりの少年にフォーカスし、貧しい生活の実態がわかる。週に50アフガニで月に200アフガニが少年の収入だったと記憶しているのだけれども、どうやら月30円くらいしかもらえないようだった。貧困に苦しむ国では小さな子供も様々な仕事をしているのですが、この映画でもそうした実態が見えてきます。少年の母親は借金の形に娘を売ってしまったと語ります。いつになったらこんなことが無くなるのでしょうか?
一方、「刻の中の女性」では、タリバンから解放された後の力強い女性達が描かれています。女性ジャーナリストも、解放後の選挙で唯一だった女性大統領候補も、次の時代への新しいエネルギーであることは間違いなく、希望の象徴として続いていくことを願うのですが、しかしここで描かれる選挙の様子や女性参加の実態が、どこか一部のプロパガンダのようにも見えてしまいました。とてもうまくいったような描写は、実は少し半信半疑で観ていました。おそらく都市部の描写だけだったからではないかと思います。
3つ目のパートは「偽装結婚の果て」というドラマで、事実に基づく再構成ドラマのような体裁でした。ジャーナリズムを専攻する女子学生と悲劇の連続で泣き続ける女性のコントラストが、映画全体の多様な問題とその解決されない部分、開かれた部分との差を象徴しているようにも思います。アフガニスタンの現在を知ると同時に、混沌とした実情が映画の構成そのものに現れていて、面白い作品でした。
他の作品についていえば、国営のアフガンフィルムは78年の解放の後の話だろうと勝手に思っていた僕にとっては、王政時代に制作された2種類(英語版、ダリ語版で撮影日や対象も別物)の『ブズカシ』(1976年)が興味深い作品でした。子山羊の死体を集団で奪い合うという伝統的な騎馬競技の記録フィルムですが、英語版では「子牛」といっていたのは、何か特別な意味があるのだろうか?
ひとまずはここまでにします。
映画祭は11月26、27日の2日間、10作品によるプログラムが両日同じ内容で上映されました。僕が観たのは26日で、この日にチケットを買うと、仮に途中で帰っても翌日もその続きを観ることができるという、2日間出入りOKの良心的チケットです。当日1200円のところを学生と一緒に20人で行ったため、さらに割引料金で入場することができました。この日だけで観てしまわないと翌日は来られないことがわかっていたのですが、2作品を残して降参しました。映画がダメだったわけではなくて、考えさせられることも多く8本が鑑賞の限界だったのです。
ちょうどひと月前の10月26日に、この映画祭の主催者NPO法人クロスアーツの幕内弘司さんと村山達哉さんが、僕のいる学校まで訪ねてこられ、映画祭のことを知らせて頂きました。「クロスアーツが大田区のNPOでもあるし、映画祭もなんとしても大田区で開催したかったのです」と、静かな口調の中にも力強い意欲を感じたのでした。池上会館というのは、本門寺というこの界隈では有名な大きなお寺のそばにあります。桜がきれいなことと力道山の腕組みをした胸像があることでも知られています。東急の池上駅から少し歩くと道路脇には和菓子屋やら、煎餅屋やら仏具屋が並んでいます。池上会館では『アフガニスタン映画祭』の他にいろんなセミナーを行っていたようです。「生き方を考える」とかそんなタイトルもあった気がします。
映画祭で上映されたのはここ数年に制作された短編映画が中心でしたが、この映画祭自体の動機となった『カブール・トライアングル』が2005年に制作された90分の長編でした。クロスアーツは天理大学と一緒にこの作品を支援し、協働制作という形をとっています。先述の村山さんは音楽家でもあり、全編の音楽を担当しています。制作機材は天理大学の提供で、編集などポストプロダクションもクロスアーツによって日本で行われたようです。ほぼ30分の3作品で構成されていて、それぞれの監督はカブール大学の先生です。この作品は3作品の構成も興味深く、見応えのある作品でした。「生計を立てる人々」は文字通り人々の生活の手段を映し出したドキュメンタリーです。市場や通りでものを売る人々、カメラを取り囲んで雇用状態の不満をぶつける労働者、パキスタン人を好んで雇用する建築会社の親方などの話の中に、収入や生活費などの具体的な数字も出てきます。映画は次第にひとりの少年にフォーカスし、貧しい生活の実態がわかる。週に50アフガニで月に200アフガニが少年の収入だったと記憶しているのだけれども、どうやら月30円くらいしかもらえないようだった。貧困に苦しむ国では小さな子供も様々な仕事をしているのですが、この映画でもそうした実態が見えてきます。少年の母親は借金の形に娘を売ってしまったと語ります。いつになったらこんなことが無くなるのでしょうか?
一方、「刻の中の女性」では、タリバンから解放された後の力強い女性達が描かれています。女性ジャーナリストも、解放後の選挙で唯一だった女性大統領候補も、次の時代への新しいエネルギーであることは間違いなく、希望の象徴として続いていくことを願うのですが、しかしここで描かれる選挙の様子や女性参加の実態が、どこか一部のプロパガンダのようにも見えてしまいました。とてもうまくいったような描写は、実は少し半信半疑で観ていました。おそらく都市部の描写だけだったからではないかと思います。
3つ目のパートは「偽装結婚の果て」というドラマで、事実に基づく再構成ドラマのような体裁でした。ジャーナリズムを専攻する女子学生と悲劇の連続で泣き続ける女性のコントラストが、映画全体の多様な問題とその解決されない部分、開かれた部分との差を象徴しているようにも思います。アフガニスタンの現在を知ると同時に、混沌とした実情が映画の構成そのものに現れていて、面白い作品でした。
他の作品についていえば、国営のアフガンフィルムは78年の解放の後の話だろうと勝手に思っていた僕にとっては、王政時代に制作された2種類(英語版、ダリ語版で撮影日や対象も別物)の『ブズカシ』(1976年)が興味深い作品でした。子山羊の死体を集団で奪い合うという伝統的な騎馬競技の記録フィルムですが、英語版では「子牛」といっていたのは、何か特別な意味があるのだろうか?
ひとまずはここまでにします。
2005.11.28 Monday
ブラウンシュウ゛ァイグ国際映画祭 その2
Internationales Filmfest Braunschweig
8. - 13. November 2005
この映画祭、いわゆる劇場長編映画から短編映画まで、様々な作品を上映するが、特徴としては音楽と映画の関係に焦点を当てたプログラムがあること。これはプログラムディレクターのVolker Kufahl氏も、今年はいいプログラムが組めたんで我々としても自慢できるところなんです、とニコニコしながら語っていた。具体的にはMusic & FilmというテーマのショートフィルムコンペティションLeoや映画「ムーラン・ルージュ」などの音楽を手掛けた作曲家のCraig Armstrongの特集、そして映画音楽の重要性と若手の映画監督や音楽監督に映画祭はどのような可能性を与えることができるかというテーマにおけるディスカッションなどなど。ちなみにこの映画祭のコンペティションについては、もうひとつフィーチャーフィルムの部門があるが、こちらはヨーロッパ映画が対象とのこと。しかし先のコンペLeoについてはどの国でも対象になるとのことで、アジアからももちろんOK。興味のある方、次回挑戦してはいかがでしょうか?
さて今回見たこのLeoプログラム、後半についてはなんとDVDの上映トラブルにて4作品が上映できなくなるというハプニングがあったものの、概して見応えのある作品が集まっていた。その中で賞を取ったのは自動車事故の記憶をテーマに描かれた抽象的なCGとエクスペリメンタルな音楽が絡み合う「_GRAU」、3つの異なる時空間がマルチで並べられ、それぞれの中で子供たちが立てる音をミックスさせた「QUIETSCH」はよくできた作品であるものの、個人的な評価としてはいまいち。賞を穫れるほどの印象はなかった。代わりに、究極を追求する芸術表現の残酷さと体制の恐怖と悲しさを見事な質感のCGアニメで描いた「Fallen Art」や、アパートの住民の人間関係を絶妙なギャグセンスで描いたこれもアニメ作品「FLAT LIFE」などは、確かにMusic & Filmという点を満たしつつもその点においては受賞作品になるほどの理由がなかったのかもしれないが、その作品が語る物語性としてはいい作品を見ることができた、と満足できたと言っておく。これはおそらくアヌシーなど、別のアニメーションフェスティバルや短編映画祭でも見ることができるのでは?その他個人的に気が付いたことといえば、「ONE YEAR IN PARADISE」。森の中の季節の移り変わりをハイスピード撮影で記録したこの作品、なんとなく覚えがあるなあと思って作者名を見たら、確かに覚えがあった。このThomas Vespermann氏は、数年前に東京ビデオフェスティバルにて、このショートバージョンで入賞していたのだった。ということはいよいよこれがその集大成版か?尺も6分ほどだったから、これも次回の東京でお目見えするかも。なにげに世界は狭いのだ。
さて賞や映画祭側のセレクションの意図とは別として、個人的なコメントを見たものに関してざっと述べていくならば、コンペとは別のショートフィルムプログラム。私自身はもともとショートフィルムやビデオアートに主に興味があるからここは必ずと思ってチェックしたのだが、残念ながらこれは?外れだった…。上映された7作品はいわゆるドラマがほとんど。様々な人間関係を短時間で表現しようと構成をまとめていく力は確かにあるものの、どうも尻切れとんぼが多すぎる。それをよしとする手法もあるのはわかるが、ここで見たものはその手法にも達していない。これはいったいどういう意図でセレクトされたんだろうと思って後でカタログを見れば、各地の映画祭で賞を穫るなどした作品を選出したとのこと。ええ!?これで賞を穫ってきただって?とするとそこから見えてくるのを今のショートフィルムの状況とするのなら、近年のショートフィルムブームに対してレベルは貧困と言えてしまうかも。とほほ。でもこれは映画表現の話だけでないのかも。どの表現ジャンルにおいてもこのところ垣間見える、ある種の諦観をよしとする感覚が漂っている。それが今の状況なんだという意見があるのもわかるけど、ほぼ同世代にいる私としてもこういうのはある種のスノビズムに思えてあまり好きではない。唯一、庭の池を境に地上と水中の世界が交差する、なんともくだらないコマ撮りアニメを見て大いに笑えたことに救われた。この行き詰まった状況をブレイクスルーするためには諦観じゃなくて、勢いのある馬鹿馬鹿しさなのかも。と、プログラムの最後はそんなことを考え始めてしまい、上映がやっと終わって腰が痛いと立ち上がって両隣りを見れば、友人とステイ先のホストがぐったりしていた。ダメ映画を見てエネルギーを奪われた、とげっそりする友人と無言のホストに私は言う。ショートフィルムを見るにはエネルギーが必要なのよねっ。いつも思うことだが、ある程度目星をつけて映画館に映画を見にいくのと、同じ映像作品でたとえ時間が短くても、何も知らない作品と対峙するのは本当に体力も気力も必要なことなのだ。だから外れの作品に当たると、尚更どっと疲れてしまう。
さてその他今回の映画祭では、旧社会主義圏のSF映画特集というのがあって、これもなかなか面白かった。残念ながらレクチャーなどは全て独語。共産主義崩壊以前にDEFAなどに代表される映画製作で作られた作品がどのような意図で作られていたのか、それがどういった表現の中で見ることができるか、など、興味深いテーマ。私が見た作品「DER SCHWEIGENDE STERN」(1959年)は、金星探索に向かうソ連の探査機に乗り込む宇宙飛行士達の話なのだが、各国の科学者が結集した国際的プロジェクトという話の流れといい、そして報道関係者の中でカメラマンがタイトスカートを履いた女性だったりと、当時の国際関係や社会状況に細かく気を配る演出は、社会主義国ならではなのかもしれないと思ってみたりする。
このブラウンシュヴァイグの映画祭、こうしたいわゆるマイナーシーンの映像作品を取り上げつつも、一方でオープニングの映画が「グッバイ!レーニン」で一躍名を揚げたダニエル・ブリューエルやいまやハリウッド女優であるダイアン・クルーガー出演の新作「Merry Christmas」であったり、インターナショナルの新作映画ではミヒャエル・ハネケやアトム・エゴヤンの作品を、またナターシャ・レニエへのオマージュ特集を組んだりと、一般公開の劇場映画も取り入れているところは、例えばオーバーハウゼンやハンブルグの映画祭とはまた違った方向性だ。映画祭としての方向性を少し曖昧に感じる一方、この手のイベントへ、いわゆる映画マニアだけでなく一般市民の興味を引き寄せて、地元に根付かせる意図もあるのではとも思う。だからとはいえ、ハリウッド系のメジャーフィルムを取り上げるのではなく(とするとCraig Armstrong特集の「ムーラン・ルージュ」はどうなのかと疑問はあるが)、そこはEUのメディアプログラムの支援を受けているから推していくのは当然欧州を主とした作品だ。このEUのメディアプログラムの映画祭に対する支援には条件があって、映画祭内で上映する作品の70%以上が欧州のものでなければならない。ゆえに、それではInternationalと呼べなくなってしまうといって反発の声も当然ある。この声についてはまた後に報告したいと思うけれど、こうした条件を与えた結果、欧州内全体での作品のレベルが下がるのは確実だ。国際映画祭を開く目的は国際交流などの為だけではない。様々な表現や視野を見せあうことによって、各国互いの作家同士が切磋琢磨される。例えある年に欧州の作家ではなく、アジアやアフリカの作家が賞を総なめにしたとしても、それが現状というものであり、それによって欧州の作家レベルもその後確実に上がるはずだ。こうした長期的展望を持った文化政策を取ってきたドイツのはずだと思うのだが、この話に代表されるよう、近年徐々に状況は変わりつつあるようで。その辺りもこれからまた探っていきたいところだ。
と、話がずれたがまとめると、今回の映画祭は映画啓蒙のためというよりは、市民のイベントといった気軽さが感じられた。良くいえばそれは地元に根付いているということでもあるし、悪くいえば、どういった映画を見せていきたいのか、「musik & film」というテーマがありながらもその辺りは少し焦点がぼけていた感があった。それでもショートフィルムのプログラムを組むこと、そしてショートフィルムをフィーチャーフィルムの前座に組み込むなど、多くの人に多様なジャンルを見せようとしている工夫や努力は確かに感じられた。そうじゃなきゃ、19年間こんな大きなイベントを毎年続けられなんてしないよね。
8. - 13. November 2005
この映画祭、いわゆる劇場長編映画から短編映画まで、様々な作品を上映するが、特徴としては音楽と映画の関係に焦点を当てたプログラムがあること。これはプログラムディレクターのVolker Kufahl氏も、今年はいいプログラムが組めたんで我々としても自慢できるところなんです、とニコニコしながら語っていた。具体的にはMusic & FilmというテーマのショートフィルムコンペティションLeoや映画「ムーラン・ルージュ」などの音楽を手掛けた作曲家のCraig Armstrongの特集、そして映画音楽の重要性と若手の映画監督や音楽監督に映画祭はどのような可能性を与えることができるかというテーマにおけるディスカッションなどなど。ちなみにこの映画祭のコンペティションについては、もうひとつフィーチャーフィルムの部門があるが、こちらはヨーロッパ映画が対象とのこと。しかし先のコンペLeoについてはどの国でも対象になるとのことで、アジアからももちろんOK。興味のある方、次回挑戦してはいかがでしょうか?
さて今回見たこのLeoプログラム、後半についてはなんとDVDの上映トラブルにて4作品が上映できなくなるというハプニングがあったものの、概して見応えのある作品が集まっていた。その中で賞を取ったのは自動車事故の記憶をテーマに描かれた抽象的なCGとエクスペリメンタルな音楽が絡み合う「_GRAU」、3つの異なる時空間がマルチで並べられ、それぞれの中で子供たちが立てる音をミックスさせた「QUIETSCH」はよくできた作品であるものの、個人的な評価としてはいまいち。賞を穫れるほどの印象はなかった。代わりに、究極を追求する芸術表現の残酷さと体制の恐怖と悲しさを見事な質感のCGアニメで描いた「Fallen Art」や、アパートの住民の人間関係を絶妙なギャグセンスで描いたこれもアニメ作品「FLAT LIFE」などは、確かにMusic & Filmという点を満たしつつもその点においては受賞作品になるほどの理由がなかったのかもしれないが、その作品が語る物語性としてはいい作品を見ることができた、と満足できたと言っておく。これはおそらくアヌシーなど、別のアニメーションフェスティバルや短編映画祭でも見ることができるのでは?その他個人的に気が付いたことといえば、「ONE YEAR IN PARADISE」。森の中の季節の移り変わりをハイスピード撮影で記録したこの作品、なんとなく覚えがあるなあと思って作者名を見たら、確かに覚えがあった。このThomas Vespermann氏は、数年前に東京ビデオフェスティバルにて、このショートバージョンで入賞していたのだった。ということはいよいよこれがその集大成版か?尺も6分ほどだったから、これも次回の東京でお目見えするかも。なにげに世界は狭いのだ。
さて賞や映画祭側のセレクションの意図とは別として、個人的なコメントを見たものに関してざっと述べていくならば、コンペとは別のショートフィルムプログラム。私自身はもともとショートフィルムやビデオアートに主に興味があるからここは必ずと思ってチェックしたのだが、残念ながらこれは?外れだった…。上映された7作品はいわゆるドラマがほとんど。様々な人間関係を短時間で表現しようと構成をまとめていく力は確かにあるものの、どうも尻切れとんぼが多すぎる。それをよしとする手法もあるのはわかるが、ここで見たものはその手法にも達していない。これはいったいどういう意図でセレクトされたんだろうと思って後でカタログを見れば、各地の映画祭で賞を穫るなどした作品を選出したとのこと。ええ!?これで賞を穫ってきただって?とするとそこから見えてくるのを今のショートフィルムの状況とするのなら、近年のショートフィルムブームに対してレベルは貧困と言えてしまうかも。とほほ。でもこれは映画表現の話だけでないのかも。どの表現ジャンルにおいてもこのところ垣間見える、ある種の諦観をよしとする感覚が漂っている。それが今の状況なんだという意見があるのもわかるけど、ほぼ同世代にいる私としてもこういうのはある種のスノビズムに思えてあまり好きではない。唯一、庭の池を境に地上と水中の世界が交差する、なんともくだらないコマ撮りアニメを見て大いに笑えたことに救われた。この行き詰まった状況をブレイクスルーするためには諦観じゃなくて、勢いのある馬鹿馬鹿しさなのかも。と、プログラムの最後はそんなことを考え始めてしまい、上映がやっと終わって腰が痛いと立ち上がって両隣りを見れば、友人とステイ先のホストがぐったりしていた。ダメ映画を見てエネルギーを奪われた、とげっそりする友人と無言のホストに私は言う。ショートフィルムを見るにはエネルギーが必要なのよねっ。いつも思うことだが、ある程度目星をつけて映画館に映画を見にいくのと、同じ映像作品でたとえ時間が短くても、何も知らない作品と対峙するのは本当に体力も気力も必要なことなのだ。だから外れの作品に当たると、尚更どっと疲れてしまう。
さてその他今回の映画祭では、旧社会主義圏のSF映画特集というのがあって、これもなかなか面白かった。残念ながらレクチャーなどは全て独語。共産主義崩壊以前にDEFAなどに代表される映画製作で作られた作品がどのような意図で作られていたのか、それがどういった表現の中で見ることができるか、など、興味深いテーマ。私が見た作品「DER SCHWEIGENDE STERN」(1959年)は、金星探索に向かうソ連の探査機に乗り込む宇宙飛行士達の話なのだが、各国の科学者が結集した国際的プロジェクトという話の流れといい、そして報道関係者の中でカメラマンがタイトスカートを履いた女性だったりと、当時の国際関係や社会状況に細かく気を配る演出は、社会主義国ならではなのかもしれないと思ってみたりする。
このブラウンシュヴァイグの映画祭、こうしたいわゆるマイナーシーンの映像作品を取り上げつつも、一方でオープニングの映画が「グッバイ!レーニン」で一躍名を揚げたダニエル・ブリューエルやいまやハリウッド女優であるダイアン・クルーガー出演の新作「Merry Christmas」であったり、インターナショナルの新作映画ではミヒャエル・ハネケやアトム・エゴヤンの作品を、またナターシャ・レニエへのオマージュ特集を組んだりと、一般公開の劇場映画も取り入れているところは、例えばオーバーハウゼンやハンブルグの映画祭とはまた違った方向性だ。映画祭としての方向性を少し曖昧に感じる一方、この手のイベントへ、いわゆる映画マニアだけでなく一般市民の興味を引き寄せて、地元に根付かせる意図もあるのではとも思う。だからとはいえ、ハリウッド系のメジャーフィルムを取り上げるのではなく(とするとCraig Armstrong特集の「ムーラン・ルージュ」はどうなのかと疑問はあるが)、そこはEUのメディアプログラムの支援を受けているから推していくのは当然欧州を主とした作品だ。このEUのメディアプログラムの映画祭に対する支援には条件があって、映画祭内で上映する作品の70%以上が欧州のものでなければならない。ゆえに、それではInternationalと呼べなくなってしまうといって反発の声も当然ある。この声についてはまた後に報告したいと思うけれど、こうした条件を与えた結果、欧州内全体での作品のレベルが下がるのは確実だ。国際映画祭を開く目的は国際交流などの為だけではない。様々な表現や視野を見せあうことによって、各国互いの作家同士が切磋琢磨される。例えある年に欧州の作家ではなく、アジアやアフリカの作家が賞を総なめにしたとしても、それが現状というものであり、それによって欧州の作家レベルもその後確実に上がるはずだ。こうした長期的展望を持った文化政策を取ってきたドイツのはずだと思うのだが、この話に代表されるよう、近年徐々に状況は変わりつつあるようで。その辺りもこれからまた探っていきたいところだ。
と、話がずれたがまとめると、今回の映画祭は映画啓蒙のためというよりは、市民のイベントといった気軽さが感じられた。良くいえばそれは地元に根付いているということでもあるし、悪くいえば、どういった映画を見せていきたいのか、「musik & film」というテーマがありながらもその辺りは少し焦点がぼけていた感があった。それでもショートフィルムのプログラムを組むこと、そしてショートフィルムをフィーチャーフィルムの前座に組み込むなど、多くの人に多様なジャンルを見せようとしている工夫や努力は確かに感じられた。そうじゃなきゃ、19年間こんな大きなイベントを毎年続けられなんてしないよね。
2005.11.28 Monday
ブラウンシュウ゛ァイグ国際映画祭 その1
Internationales Filmfest Braunschweig
8. - 13. November 2005
ドイツにはかの有名なベルリン国際映画祭を始めとして、その他大小の規模やジャンルを問わなければ、実に多くの映画祭が各地にある。そのことに私が興味を持ったのはもう何年も前、オーバーハウゼン国際短編映画祭に応募して落選したことから始まるのだが、そのエピソードはまたいずれとして、ともかくなんでこんなにたくさんの映画祭があるのだ、という素朴な疑問の裏に広がる様々な状況を知りたいがためについにはドイツまで来てしまった私。せっかくなので、自分の研究のまとめにもなるよう、そのレポートをここではしていこうと思い付いた。どこまでその根気が続くやら、どうぞお付き合いを。
その第一回は、Braunschweig(ブラウンシュヴァイグ)という、ベルリンとほぼ同緯度に位置する北の町で開催された映画祭のお話。
実は私、この映画祭に行くまではこの町の名前さえ知らなかった。日本ではあまり知られていない小都市だが、第二次大戦中はナチスドイツの重要な拠点でもあったそうで、他の都市と同じく爆撃の被害で半分以上が破壊された場所ではあるものの、一部にはまだ戦前にナチスが建てた住宅なども残る。現在この町には映画学校もあり、その関係もあるのか、実はなかなかこの映画祭、大きなイベントであった。
今年で第19回の開催となるこの映画祭、このNiedersachsen(ニーダーザクセン)州一帯の地域への文化貢献を目的として1986年に創設され、以来非営利団体として運営されてきた。聞けば、プログラムディレクター、経理、広報担当の3人が常勤する運営事務局がある他は、ボランティアスタッフが動いているのだという。
着いた際にアテンドしてくれたスタッフの一人は、コンピュータエンジニアが本業とのこと。映画祭期間中を中心にボランティアスタッフとして動くのだそうで、映画祭のウェブサイトは彼が作ったんだとか。いつも思うことだけど、デジタルメディアがフル活用されるこの時代、彼のようなエンジニアってとても重要な役割だと思う。私のこれまでの経験上、なぜか文化施設とか文化団体ってその辺りを別の業種として切り離す傾向があるように思うのだが、実は絶対必要なポジションなはずだ。
さて辺りを見回せば、IDパスを首から下げたスタッフたちがカウンター周りを忙しそうに動き回っている。この人たちも皆ボランティアスタッフだ。映画祭会場はこのメイン会場である大きなシネコンの9つあるスクリーン(約300席)のうち4つと、ここから歩いて5分ほどの所にある小さめの映画館のスクリーン(約100席)2つの計6室で、映写係や会場の仕切りも可能な限りボランティアスタッフが担当している。館内ロビーのカフェスタンドの一部は映画祭担当らしく、ここだけは客が来ると映画祭スタッフがさっと入ってコーヒーを作ってくれるのは素早い対応で好感が持てるのだが、普通に人が入ってコーヒーを持ってちゃってもわからなさそうだな…。
コーヒーの他にも当然フェスティバルカタログやバッジ、バッグなどのオフィシャルアイテムも販売されていて、チケットの売り上げと合わせてこれらも当然収入となるが、運営資金は当然これだけで賄えるはずはなく、市の財政援助とその他フォルクスワーゲンのような企業からのスポンサーシップも当てられる。それでもいわゆる給与が出るのは常勤スタッフのみ。つまり他のボランティアスタッフはその熱意のみで、参加しているのだ。観客動員数は平均して1万8千人程。かなり大きな規模のイベントである。それが市内外のボランティアで動いているというのはなかなかすごい。加えて夜のプログラムで会場がいっぱいになる様子を見ていると、市内からの一般客がかなり多そうで、つまりそれだけ市民からも期待されているイベントであるということは、地域参加型のイベントとしては成功しているのではないかと思われる。実際皆楽しそうに動いているもの。
ボランティアが動くのは映画祭の会場だけではない。今回私たちが泊めていただいたのは、事務局が紹介してくれた地元のお家。自家ハーブ栽培を手掛けるハイナーさんは既に3人のお子さんは全員独立していて、その空いた部屋に泊めてくださった。数年前にこの映画祭に関わる近所の知り合いから頼まれて、映画祭ゲストを泊めたことが始まりで、今回も私たちを泊めてくださったのだった。ゲストの宿泊の世話と引き換えにもらうチケットで、毎日映画祭を見に来ていたハイナーさんだが、話をするうちにどうやら元々映画を始めとしていろいろなアートに興味のある人らしい。私の狭い私見では、農業に携わる人がアート?と思ってしまったのだが、ドイツに来るたび思うのは、アートは一部の人のための特別なものではなく、家に好きな絵や作品を飾ることはスノッブなことでもなんでもなく、実に当たり前のことだということだ。学校で数学を教える奥さんはさすがに夜は早くに寝ていらしたが、ハイナーさんは翌朝奥さんとの朝食につきあうために早起きをしなければならないにも関わらず、遅くまで私たちにつき合ってくださり、とても甘くてみずみずしい自家製のパプリカ、パンとチーズにビールをいただきながら、さっき見た映画や農業の話など、さまざまな話を楽しんだ。居心地のよい部屋を貸してくださり、朝寝坊の私たちに、自分の家みたいに適当にやってねと言ってくださったハイナーさん夫婦に感謝!
さて次は、この映画祭のプログラムについて…。
8. - 13. November 2005
ドイツにはかの有名なベルリン国際映画祭を始めとして、その他大小の規模やジャンルを問わなければ、実に多くの映画祭が各地にある。そのことに私が興味を持ったのはもう何年も前、オーバーハウゼン国際短編映画祭に応募して落選したことから始まるのだが、そのエピソードはまたいずれとして、ともかくなんでこんなにたくさんの映画祭があるのだ、という素朴な疑問の裏に広がる様々な状況を知りたいがためについにはドイツまで来てしまった私。せっかくなので、自分の研究のまとめにもなるよう、そのレポートをここではしていこうと思い付いた。どこまでその根気が続くやら、どうぞお付き合いを。
その第一回は、Braunschweig(ブラウンシュヴァイグ)という、ベルリンとほぼ同緯度に位置する北の町で開催された映画祭のお話。
実は私、この映画祭に行くまではこの町の名前さえ知らなかった。日本ではあまり知られていない小都市だが、第二次大戦中はナチスドイツの重要な拠点でもあったそうで、他の都市と同じく爆撃の被害で半分以上が破壊された場所ではあるものの、一部にはまだ戦前にナチスが建てた住宅なども残る。現在この町には映画学校もあり、その関係もあるのか、実はなかなかこの映画祭、大きなイベントであった。
今年で第19回の開催となるこの映画祭、このNiedersachsen(ニーダーザクセン)州一帯の地域への文化貢献を目的として1986年に創設され、以来非営利団体として運営されてきた。聞けば、プログラムディレクター、経理、広報担当の3人が常勤する運営事務局がある他は、ボランティアスタッフが動いているのだという。
着いた際にアテンドしてくれたスタッフの一人は、コンピュータエンジニアが本業とのこと。映画祭期間中を中心にボランティアスタッフとして動くのだそうで、映画祭のウェブサイトは彼が作ったんだとか。いつも思うことだけど、デジタルメディアがフル活用されるこの時代、彼のようなエンジニアってとても重要な役割だと思う。私のこれまでの経験上、なぜか文化施設とか文化団体ってその辺りを別の業種として切り離す傾向があるように思うのだが、実は絶対必要なポジションなはずだ。
さて辺りを見回せば、IDパスを首から下げたスタッフたちがカウンター周りを忙しそうに動き回っている。この人たちも皆ボランティアスタッフだ。映画祭会場はこのメイン会場である大きなシネコンの9つあるスクリーン(約300席)のうち4つと、ここから歩いて5分ほどの所にある小さめの映画館のスクリーン(約100席)2つの計6室で、映写係や会場の仕切りも可能な限りボランティアスタッフが担当している。館内ロビーのカフェスタンドの一部は映画祭担当らしく、ここだけは客が来ると映画祭スタッフがさっと入ってコーヒーを作ってくれるのは素早い対応で好感が持てるのだが、普通に人が入ってコーヒーを持ってちゃってもわからなさそうだな…。
コーヒーの他にも当然フェスティバルカタログやバッジ、バッグなどのオフィシャルアイテムも販売されていて、チケットの売り上げと合わせてこれらも当然収入となるが、運営資金は当然これだけで賄えるはずはなく、市の財政援助とその他フォルクスワーゲンのような企業からのスポンサーシップも当てられる。それでもいわゆる給与が出るのは常勤スタッフのみ。つまり他のボランティアスタッフはその熱意のみで、参加しているのだ。観客動員数は平均して1万8千人程。かなり大きな規模のイベントである。それが市内外のボランティアで動いているというのはなかなかすごい。加えて夜のプログラムで会場がいっぱいになる様子を見ていると、市内からの一般客がかなり多そうで、つまりそれだけ市民からも期待されているイベントであるということは、地域参加型のイベントとしては成功しているのではないかと思われる。実際皆楽しそうに動いているもの。
ボランティアが動くのは映画祭の会場だけではない。今回私たちが泊めていただいたのは、事務局が紹介してくれた地元のお家。自家ハーブ栽培を手掛けるハイナーさんは既に3人のお子さんは全員独立していて、その空いた部屋に泊めてくださった。数年前にこの映画祭に関わる近所の知り合いから頼まれて、映画祭ゲストを泊めたことが始まりで、今回も私たちを泊めてくださったのだった。ゲストの宿泊の世話と引き換えにもらうチケットで、毎日映画祭を見に来ていたハイナーさんだが、話をするうちにどうやら元々映画を始めとしていろいろなアートに興味のある人らしい。私の狭い私見では、農業に携わる人がアート?と思ってしまったのだが、ドイツに来るたび思うのは、アートは一部の人のための特別なものではなく、家に好きな絵や作品を飾ることはスノッブなことでもなんでもなく、実に当たり前のことだということだ。学校で数学を教える奥さんはさすがに夜は早くに寝ていらしたが、ハイナーさんは翌朝奥さんとの朝食につきあうために早起きをしなければならないにも関わらず、遅くまで私たちにつき合ってくださり、とても甘くてみずみずしい自家製のパプリカ、パンとチーズにビールをいただきながら、さっき見た映画や農業の話など、さまざまな話を楽しんだ。居心地のよい部屋を貸してくださり、朝寝坊の私たちに、自分の家みたいに適当にやってねと言ってくださったハイナーさん夫婦に感謝!
さて次は、この映画祭のプログラムについて…。
2005.11.08 Tuesday
悪夢は気がつかないうちに見ているものだ「ダーウィンの悪夢」
渋谷においしい魚の定食屋があって、近くで仕事をしていた頃、よくそこでお昼を食べた。好きだったのは銀むつ定食で、あっさり醤油味の大きな白身の煮付けと一緒にご飯を口に入れると食が進んでしまい、どんぶりご飯も簡単に平らげられたのだけど、午後の勤務中には満腹後に襲ってくる眠気と戦わねばならないのが唯一の難点だった。むつはときどき家でも煮付けなどにして食べていたけど、崩れそうにやわらかい身が好きで、だから外食でも銀むつを頼んでいたのだった。スーパーなどで見るむつと銀むつの違いはよくわからなかったけど、どちらもおいしいから違いなんて気にしなかった。その後、魚の原産地と元の名前の表示が販売者に求められるようになったというニュースをテレビや新聞で見た時に知ったのだ。銀むつは実はむつの仲間ではない。南米産のパタゴニア・ツースフィッシュという輸入魚で、日本で流通に乗る前に、その見た目がむつに似ているということで別の命名がされていたのだった。そのことで食べるのを止めようと思ったわけではなかったが、以来銀むつが店頭から消え、そして他にもかなりの魚が輸入されては別の名前で店頭に並んでいたことを知り、なんだかそれは消費者から情報を隠すような気もして、気持ち悪さが残ったのだった。
先月の山形国際ドキュメンタリー映画祭で審査員特別賞を受賞した「ダーウィンの悪夢(原題:Darwin's Nightmare)/監督:フーベルト・ザウパー(Hubert Sauper)」は、決して遠い国の悪夢のお話ではない。それは気が付けば、日本の私たちの日常にも実によく浸透している事柄なのだ。いつのまにか銀むつ、という魚が現れるように。
かつて「ダーウィンの箱庭」と呼ばれた程豊かな生態系を持っていたアフリカのビクトリア湖に、1960年代、肉食魚であるバーチが放たれる。それはまたたくまに他の魚を食い尽くして自らの種を増やし、ビクトリアが誇った生態系を破壊した。そしてその後、湖岸の村にはこのバーチの漁業と加工業が欧州機関の援助によって成り立つ。この一大産業をタンザニアにもたらしたバーチは、その静かで平かな社会と生活を複雑なものに変えていく。
近代的で清潔な工場で、白い作業服に身を包んだ地元の工員たちは、手際良くバーチを切り開いて切り身にする。この白いバーチフィレは冷凍されて、東欧などからやってきた輸送飛行機でヨーロッパや日本へと運ばれていく。その量たるや、あまりの重さに耐えきれず離陸に失敗して墜落し、空港に脇に転がされたままの飛行機の残骸が語っている。
大量の魚に対して同じ数だけ余る魚の頭は捨てられることなどない。トラックに無造作に積み上げられた魚の頭が運ばれていく先は、地べたに大きな揚げ鍋が置かれ、丸太で組まれた魚の干し台がいくつも並んだ、その様は全く違えどこれもまた加工工場だ。ウジ虫がこぼれる程にわいた魚の頭は油で揚げられた後、地元の市場に運ばれていく。映像からはその臭いを嗅ぎ取ることはもちろんできない。しかしそこで働く一人の女性は、まだ潰れていない片方の目をかばいながらインタビューに答える。近いうち眼の手術を受けなければならないの、と。おそらくその腐敗した魚が放つ有毒ガスのせいなのだろう。その場にいる人々の服が体から落ちそうなほどボロボロなのも、単に古びているわけではなく、このガスによるもののようだ。ハエが飛び交い、ところどころの揚げ鍋から湯気が上がる。そしてびっしりと蠢くウジのわいた魚を干し台に並べていく、ボロきれをまとった人々。まるで地獄絵図のように壮絶な光景だ。そんな中でも笑って歩き回る子供たちを収めるカメラは、たとえ地獄だろうが彼等にとっての日常はこれなのだ、と言いたいかのようだ。
湖岸の町へ割のよい出稼ぎ業を求めてやってくる男たちと、彼等に見捨てられて荒れ果てた農村。湖岸の町では、職を得るためにこの男たちを出迎える娼婦たちが集まる。そしてそこから一気に拡がっていくエイズ。HIVに感染した出稼ぎ中の夫からさらに伝染した農村の妻たち。人口が350人ほどの小さな村で、一か月に10〜15人がエイズで死亡していく絶望的な状況を語る地元の牧師。しかしもっと絶望的なのは、彼が神の意志に反する、といってコンドームの使用を認めないことだ。目の前の人間の命か、それとも尊い神の思し召しか、どちらが彼にとって、もしくは彼の信ずる西洋宗教にとっての正義であるか。もしも後者とするならば、大きな口を開いてこの国ごと飲み込まんばかりの貪欲な肉食魚と神は、同等だ。そして、エイズで死んでいく農村の妻たちも、客の外国人パイロットに殺された娼婦も飲み込んで肥え太った魚がヨーロッパの食卓に上っていくこの流れを、資本主義の下によるグローバリゼーションと呼ぶのだ。
欧州機関による経済援助策は皮肉なことに(でももしかしたらそれは皮肉でも何でもなく、元からそういう構造のものなのだとも言える)、途上国の社会を複雑なものにした。そしてその経済支援の実態には、魚の代わりに武器を輸出するというビジネスも潜んでいた。東欧から来た輸送機のパイロットは言葉少なに語る。我々はただ運んでいるだけなんだ、と。湖岸の加工工場長も言うだろう。需要のあるものを売って何が悪いのか、アフリカの産業を支えているのだから。やせ細った余命いくばくかの農村の妻はもう何も語らない。ただただ全てに疲れて諦めたように座り込む。監督であるフーベルト・ザウパーは、何が正しいかなどは一切言及しない。ただただ、自分が接した人々の話に耳を傾けて、カメラを回していくことに努めていく。でもそれで十分だ。何かおかしいのか、何がなされるべきなのか、その答えを出すのは観客である我々自身だからだ。さあ考えてみよう、何がいったい「そうあるべき」なのか?グローバリゼーションという名の下に広がっていく資本主義や民主主義、そしてその流れに押し流されていくその地の尊厳は、本来どうあるべきだったのか?援助というのは余計なお世話に過ぎないのではないか?アフリカだけではない、イラクやミャンマーの日常を思う時、フィリピンのエビ養殖を思う時、私はいつも疑問を抱く。実はグローバリゼーションなどこの世界には必要なかったのではないだろうか?
「フードマイレージ」という言葉があるが、それはまさにこの状況の一端を示すだろう。スーパーの店頭で食材を買う時、それがどこから来たものか、そのマイレージを気にかけてみるといかにこの状況がいかに日常に浸透しているかがよくわかる。
晩ご飯に並ぶエビや魚のフライを見て、フィリピンやアフリカの日常を思うことはないだろう。でもこの映画を見て以来、私は魚の切り身をスーパーで見るたび、あの地獄のような魚の頭の加工場を思い出す。奇しくも私は今ドイツにいて、広場の魚屋でこの切り身を見てしまった。白身にピンクがかった銀色の皮がついた大きな切り身は、なかなか美味だとドイツの友人は言う。ショーケースに積み重なった切り身の前に置かれたプレートにはたしかに、Victoriaseebarschfilet タンザニア産とあった。悪夢はビクトリア湖だけのことではなく、確実に我々の日常にも入ってきている。グローバリゼーションとは、高い所から低い所へ水が流れていくように経済が動く状況であるが、その後両方の水が混ざり合うように、利害も浸透し合うのだ。でもそれは実にゆっくりと底部で行われていくので、私たちは気が付かない。そのことがおそろしい、そう思う。私たちの無知さが一番おそろしい、と。
しかしいったん混じり合ってしまったこの状況を元に戻すことなんて到底無理な話であり、だからこそ監督は安易にその正義性を語らない。簡単に語ってしまえば、それもまた現在のアフリカの状況に対して押し付けになりかねないからだ。既にそれで生活を支えている地元民たちの生活が成り立ってしまっている。このアフリカで起きているグローバリゼーションの一端を、声高に訴えるのではなく、そこに立つ人々に接しながら状況を見つめていったのはおそらくそういうことだ。冷徹なまでのまなざしを保つべく努める監督は、目の前でストリートチルドレンがドラッグを吸おうと、獣のようにつかみ合いをしようと、ただただカメラを回す。
唯一、戦争が起きたら人を殺す、それが当然だ、と微笑んでいう警備員の男に、本当に?と彼が解せぬ様に質問を繰り返したのは、冷静な客観に徹しきれない感情のほころびか。あくまでクールに状況を捉えてみせていく中で、殺された娼婦のエリザが長い指を振って歌をうたう姿を見つめる視線がやさしく、あたたかった。ターンザニーア、タンザニーア、とゆったり歌う彼女の声が頭から離れない。
*フードマイレージのことについては、以下に記事があります。
http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/food/kaisyoku/20050815gr01.htm
http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/food/kaisyoku/20050829gr0e.htm
*写真はまた別の日にデパートの魚売り場で見つけたビクトリア湖のバーチフィレ。ただしこの日のフィレはウガンダ産でした。売り場のおじさん曰く、このVictoriaseebarschfiletはウガンダ、ケニア、タンザニアから輸入されてくるとのこと。毎日は店頭に並ばないようで、この写真を撮るまで数日毎日探しに来ていたのですが、私が写真を撮っている横で、さっそく女性の買い物客が、このフィレを購入していました。友人のお母さんに聞けば、数年前にはビクトリア湖の水質汚染が問題になり、一時輸入が止まったそうですが、現在は再開されて人気の高い魚でもあるそう。「ダーウィンの悪夢」はドイツのTV局、WDRとARTEの名前が共同企画者としてクレジットにありましたが、これがどちらかの局で放送されたとき、どんな反響を生むのか…、興味深いところです。
先月の山形国際ドキュメンタリー映画祭で審査員特別賞を受賞した「ダーウィンの悪夢(原題:Darwin's Nightmare)/監督:フーベルト・ザウパー(Hubert Sauper)」は、決して遠い国の悪夢のお話ではない。それは気が付けば、日本の私たちの日常にも実によく浸透している事柄なのだ。いつのまにか銀むつ、という魚が現れるように。
かつて「ダーウィンの箱庭」と呼ばれた程豊かな生態系を持っていたアフリカのビクトリア湖に、1960年代、肉食魚であるバーチが放たれる。それはまたたくまに他の魚を食い尽くして自らの種を増やし、ビクトリアが誇った生態系を破壊した。そしてその後、湖岸の村にはこのバーチの漁業と加工業が欧州機関の援助によって成り立つ。この一大産業をタンザニアにもたらしたバーチは、その静かで平かな社会と生活を複雑なものに変えていく。
近代的で清潔な工場で、白い作業服に身を包んだ地元の工員たちは、手際良くバーチを切り開いて切り身にする。この白いバーチフィレは冷凍されて、東欧などからやってきた輸送飛行機でヨーロッパや日本へと運ばれていく。その量たるや、あまりの重さに耐えきれず離陸に失敗して墜落し、空港に脇に転がされたままの飛行機の残骸が語っている。
大量の魚に対して同じ数だけ余る魚の頭は捨てられることなどない。トラックに無造作に積み上げられた魚の頭が運ばれていく先は、地べたに大きな揚げ鍋が置かれ、丸太で組まれた魚の干し台がいくつも並んだ、その様は全く違えどこれもまた加工工場だ。ウジ虫がこぼれる程にわいた魚の頭は油で揚げられた後、地元の市場に運ばれていく。映像からはその臭いを嗅ぎ取ることはもちろんできない。しかしそこで働く一人の女性は、まだ潰れていない片方の目をかばいながらインタビューに答える。近いうち眼の手術を受けなければならないの、と。おそらくその腐敗した魚が放つ有毒ガスのせいなのだろう。その場にいる人々の服が体から落ちそうなほどボロボロなのも、単に古びているわけではなく、このガスによるもののようだ。ハエが飛び交い、ところどころの揚げ鍋から湯気が上がる。そしてびっしりと蠢くウジのわいた魚を干し台に並べていく、ボロきれをまとった人々。まるで地獄絵図のように壮絶な光景だ。そんな中でも笑って歩き回る子供たちを収めるカメラは、たとえ地獄だろうが彼等にとっての日常はこれなのだ、と言いたいかのようだ。
湖岸の町へ割のよい出稼ぎ業を求めてやってくる男たちと、彼等に見捨てられて荒れ果てた農村。湖岸の町では、職を得るためにこの男たちを出迎える娼婦たちが集まる。そしてそこから一気に拡がっていくエイズ。HIVに感染した出稼ぎ中の夫からさらに伝染した農村の妻たち。人口が350人ほどの小さな村で、一か月に10〜15人がエイズで死亡していく絶望的な状況を語る地元の牧師。しかしもっと絶望的なのは、彼が神の意志に反する、といってコンドームの使用を認めないことだ。目の前の人間の命か、それとも尊い神の思し召しか、どちらが彼にとって、もしくは彼の信ずる西洋宗教にとっての正義であるか。もしも後者とするならば、大きな口を開いてこの国ごと飲み込まんばかりの貪欲な肉食魚と神は、同等だ。そして、エイズで死んでいく農村の妻たちも、客の外国人パイロットに殺された娼婦も飲み込んで肥え太った魚がヨーロッパの食卓に上っていくこの流れを、資本主義の下によるグローバリゼーションと呼ぶのだ。
欧州機関による経済援助策は皮肉なことに(でももしかしたらそれは皮肉でも何でもなく、元からそういう構造のものなのだとも言える)、途上国の社会を複雑なものにした。そしてその経済支援の実態には、魚の代わりに武器を輸出するというビジネスも潜んでいた。東欧から来た輸送機のパイロットは言葉少なに語る。我々はただ運んでいるだけなんだ、と。湖岸の加工工場長も言うだろう。需要のあるものを売って何が悪いのか、アフリカの産業を支えているのだから。やせ細った余命いくばくかの農村の妻はもう何も語らない。ただただ全てに疲れて諦めたように座り込む。監督であるフーベルト・ザウパーは、何が正しいかなどは一切言及しない。ただただ、自分が接した人々の話に耳を傾けて、カメラを回していくことに努めていく。でもそれで十分だ。何かおかしいのか、何がなされるべきなのか、その答えを出すのは観客である我々自身だからだ。さあ考えてみよう、何がいったい「そうあるべき」なのか?グローバリゼーションという名の下に広がっていく資本主義や民主主義、そしてその流れに押し流されていくその地の尊厳は、本来どうあるべきだったのか?援助というのは余計なお世話に過ぎないのではないか?アフリカだけではない、イラクやミャンマーの日常を思う時、フィリピンのエビ養殖を思う時、私はいつも疑問を抱く。実はグローバリゼーションなどこの世界には必要なかったのではないだろうか?
「フードマイレージ」という言葉があるが、それはまさにこの状況の一端を示すだろう。スーパーの店頭で食材を買う時、それがどこから来たものか、そのマイレージを気にかけてみるといかにこの状況がいかに日常に浸透しているかがよくわかる。
晩ご飯に並ぶエビや魚のフライを見て、フィリピンやアフリカの日常を思うことはないだろう。でもこの映画を見て以来、私は魚の切り身をスーパーで見るたび、あの地獄のような魚の頭の加工場を思い出す。奇しくも私は今ドイツにいて、広場の魚屋でこの切り身を見てしまった。白身にピンクがかった銀色の皮がついた大きな切り身は、なかなか美味だとドイツの友人は言う。ショーケースに積み重なった切り身の前に置かれたプレートにはたしかに、Victoriaseebarschfilet タンザニア産とあった。悪夢はビクトリア湖だけのことではなく、確実に我々の日常にも入ってきている。グローバリゼーションとは、高い所から低い所へ水が流れていくように経済が動く状況であるが、その後両方の水が混ざり合うように、利害も浸透し合うのだ。でもそれは実にゆっくりと底部で行われていくので、私たちは気が付かない。そのことがおそろしい、そう思う。私たちの無知さが一番おそろしい、と。
しかしいったん混じり合ってしまったこの状況を元に戻すことなんて到底無理な話であり、だからこそ監督は安易にその正義性を語らない。簡単に語ってしまえば、それもまた現在のアフリカの状況に対して押し付けになりかねないからだ。既にそれで生活を支えている地元民たちの生活が成り立ってしまっている。このアフリカで起きているグローバリゼーションの一端を、声高に訴えるのではなく、そこに立つ人々に接しながら状況を見つめていったのはおそらくそういうことだ。冷徹なまでのまなざしを保つべく努める監督は、目の前でストリートチルドレンがドラッグを吸おうと、獣のようにつかみ合いをしようと、ただただカメラを回す。
唯一、戦争が起きたら人を殺す、それが当然だ、と微笑んでいう警備員の男に、本当に?と彼が解せぬ様に質問を繰り返したのは、冷静な客観に徹しきれない感情のほころびか。あくまでクールに状況を捉えてみせていく中で、殺された娼婦のエリザが長い指を振って歌をうたう姿を見つめる視線がやさしく、あたたかった。ターンザニーア、タンザニーア、とゆったり歌う彼女の声が頭から離れない。
*フードマイレージのことについては、以下に記事があります。
http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/food/kaisyoku/20050815gr01.htm
http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/food/kaisyoku/20050829gr0e.htm
*写真はまた別の日にデパートの魚売り場で見つけたビクトリア湖のバーチフィレ。ただしこの日のフィレはウガンダ産でした。売り場のおじさん曰く、このVictoriaseebarschfiletはウガンダ、ケニア、タンザニアから輸入されてくるとのこと。毎日は店頭に並ばないようで、この写真を撮るまで数日毎日探しに来ていたのですが、私が写真を撮っている横で、さっそく女性の買い物客が、このフィレを購入していました。友人のお母さんに聞けば、数年前にはビクトリア湖の水質汚染が問題になり、一時輸入が止まったそうですが、現在は再開されて人気の高い魚でもあるそう。「ダーウィンの悪夢」はドイツのTV局、WDRとARTEの名前が共同企画者としてクレジットにありましたが、これがどちらかの局で放送されたとき、どんな反響を生むのか…、興味深いところです。
2005.11.07 Monday
人と人が巡り会う場所-山形国際ドキュメンタリー映画祭2005
山形に行くのも今回で4度目になった。2年が経つのはけっこう早いもので、さあ今年は山形があるなあ、と年明けに思い、春を過ぎた頃にはもうすぐ山形がやってくるなあと思い、夏が終わる頃にはあれもうすぐかと慌てて宿の手配なんかをする。YIDFF(山形国際ドキュメンタリー映画祭)は私にとって、初めての映画祭体験だった。学生の頃、お金も時間も余裕がなかった私は先輩たちが連れ立って出かけていくのを少し寂しい思いで見ていた。だからその2年後に初めて出かけたときは、もう嬉しくてたまらかなったのだ。大人の世界に少し踏み込んだような、そんな気分だったのだ。でもそれは序の口。朝から晩まで会場間を駆け回り、夜は香味庵で人々と出会い、そしてその後は知り合いたちとじっくり飲んだ。学生時代、体育会系とは全く縁を持とうとしなかった私が、ある種の映画合宿体験にここではまってしまったのだ。
そう、映画の合宿。ここで私は毎回たくさんのことを学ぶ。
ドキュメンタリーというジャンルの幅の広さ、刺激的な表現、そしてそういった様々な試みを受け入れるこの映画祭の懐の深さ。映画そのものについて、または映画を通して見える様々な世界について知る。そしてそこに集まる人々を知る。この映画祭に来ると私はいつも勇気づけられる。互いの表現やテーマは違えど、ここに集まってくる人々、作家も観客も、皆似たような境遇にいて、そして皆それぞれ、様々な方法で映画というものに関わりながら生きているそのことに、私は励まされる。
それから山形という土地のこと。
山形以外の場所でも映画祭はもちろん開催できる。でも私は山形にこの映画祭があってよかったとつくづく思う。
知り合いたちと映画から政治経済、社会情勢や恋愛まで語り合う場には、おいしい酒と芋煮が必要だ。ずっしりと重い映画に向き合って疲れたら、温泉へ行くのもいい。会場間を駆け回ってお腹が空いたら、山盛りの板蕎麦とゲソ天を頼む。せっかくだから土産でも、と、町中のデパートに入って味噌の紫蘇巻きを買えば、どっからきたの?来年は来ないの?とおばさんが声をかけてくれる。そう、土産にはゆべしなんかも名物だけど、地元のスーパーで買う地物の舞茸やら菊やら山菜やらは東京ではお目にかかれない。友人や家族へと持ち帰れば、それらを料ってつつきながら映画の話もできるだろう。映画を含め芸術には、日常の事柄を楽しむ余裕も必要なのだ。個人的見解として常々、食について関心がない人は感性が鈍いと思っている。私の知る限り、山形に集まる人々は、皆この豊かな風土を映画とともに味わっている。だから、ぜひ山形市にはこの映画祭を止めようなんていうことはしていただきたくない。一部の映画好きのためのイベントに財政を投入する必要はないといった声があるようだが、この映画祭から山形の風土や文化は確実に伝わっていることを知っていただきたい。
映画祭はまず第一に映画を紹介するものだ。それは確かに作家たちへのチャンスとなるだろう。けれども忘れてはいけないのは、同等に重要な存在として観客がいることで、それは観客にとって新たな映画との出会いを作る場でもある。そしてやはり同等に、いやもしかしたらこれが一番なのかもしれない。映画祭は単なる上映の場所ではない。映画というものを通して、人と人が出会うための場であるのだ。
YIDFFはドキュメンタリー、もしくは映画という領域において、日本のみならず、世界においても大きな功績を残し続けてきていると思うけれど、その規模だけではなく、語られなければならないのはその作家と観客へ同時に機会を与えることであり、そうした意味では日本各地にも大小様々な映画祭があれど、YIDFFがそれらの映画祭と確実に違うのは、作り手に機会を与えるためと明言する映画祭ではなく、人と人が映画を通して出会う場だと言っていることである。だからこそ、作家本人またはその知り合いだけが集まる映画祭ではなく、市内外一般の人も、投票券を握って会場を埋めていくのだ。
どんなジャンルでも映画好きなら、一度は旅行でも兼ねるつもりでYIDFFに足を運んでみるといい。
病みつきになること請け合いだ。様々な人たちと巡り会えることに。私自身はこの数年間で、山形で様々な人々に、映画に出会えたことに心底感謝している。そういえば、YIDFFが近付く頃、出会う人々とはいつもこんな言葉を交わす。それじゃあ次は、山形で!
そうまた2年後、山形で!
そう、映画の合宿。ここで私は毎回たくさんのことを学ぶ。
ドキュメンタリーというジャンルの幅の広さ、刺激的な表現、そしてそういった様々な試みを受け入れるこの映画祭の懐の深さ。映画そのものについて、または映画を通して見える様々な世界について知る。そしてそこに集まる人々を知る。この映画祭に来ると私はいつも勇気づけられる。互いの表現やテーマは違えど、ここに集まってくる人々、作家も観客も、皆似たような境遇にいて、そして皆それぞれ、様々な方法で映画というものに関わりながら生きているそのことに、私は励まされる。
それから山形という土地のこと。
山形以外の場所でも映画祭はもちろん開催できる。でも私は山形にこの映画祭があってよかったとつくづく思う。
知り合いたちと映画から政治経済、社会情勢や恋愛まで語り合う場には、おいしい酒と芋煮が必要だ。ずっしりと重い映画に向き合って疲れたら、温泉へ行くのもいい。会場間を駆け回ってお腹が空いたら、山盛りの板蕎麦とゲソ天を頼む。せっかくだから土産でも、と、町中のデパートに入って味噌の紫蘇巻きを買えば、どっからきたの?来年は来ないの?とおばさんが声をかけてくれる。そう、土産にはゆべしなんかも名物だけど、地元のスーパーで買う地物の舞茸やら菊やら山菜やらは東京ではお目にかかれない。友人や家族へと持ち帰れば、それらを料ってつつきながら映画の話もできるだろう。映画を含め芸術には、日常の事柄を楽しむ余裕も必要なのだ。個人的見解として常々、食について関心がない人は感性が鈍いと思っている。私の知る限り、山形に集まる人々は、皆この豊かな風土を映画とともに味わっている。だから、ぜひ山形市にはこの映画祭を止めようなんていうことはしていただきたくない。一部の映画好きのためのイベントに財政を投入する必要はないといった声があるようだが、この映画祭から山形の風土や文化は確実に伝わっていることを知っていただきたい。
映画祭はまず第一に映画を紹介するものだ。それは確かに作家たちへのチャンスとなるだろう。けれども忘れてはいけないのは、同等に重要な存在として観客がいることで、それは観客にとって新たな映画との出会いを作る場でもある。そしてやはり同等に、いやもしかしたらこれが一番なのかもしれない。映画祭は単なる上映の場所ではない。映画というものを通して、人と人が出会うための場であるのだ。
YIDFFはドキュメンタリー、もしくは映画という領域において、日本のみならず、世界においても大きな功績を残し続けてきていると思うけれど、その規模だけではなく、語られなければならないのはその作家と観客へ同時に機会を与えることであり、そうした意味では日本各地にも大小様々な映画祭があれど、YIDFFがそれらの映画祭と確実に違うのは、作り手に機会を与えるためと明言する映画祭ではなく、人と人が映画を通して出会う場だと言っていることである。だからこそ、作家本人またはその知り合いだけが集まる映画祭ではなく、市内外一般の人も、投票券を握って会場を埋めていくのだ。
どんなジャンルでも映画好きなら、一度は旅行でも兼ねるつもりでYIDFFに足を運んでみるといい。
病みつきになること請け合いだ。様々な人たちと巡り会えることに。私自身はこの数年間で、山形で様々な人々に、映画に出会えたことに心底感謝している。そういえば、YIDFFが近付く頃、出会う人々とはいつもこんな言葉を交わす。それじゃあ次は、山形で!
そうまた2年後、山形で!
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