2005.12.23 Friday

idfa追記ー国の外へ出てみよう!

アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭(idfa)の事務局から回答が来た。今回どれだけ日本作品の応募があったのか、という質問についての回答だが、まずはちゃんと回答が来たことに感謝。多忙の中でもこうした小さな質問にもきちんと答える態度はさすがプロフェッショナル、と思う。当たり前といえば当たり前だが、無名の相手に対しては無視を決め込む団体や会社もたくさんある中、こうした誠実さはビジネスの基本でもあるし、だからこそプロなのだ。と、所属する団体の規模だけで(相手も自分も)プロかどうかを判断する人たちに向けて言ってみました。

さてidfaの回答。
製作国が日本とクレジットされている作品65本のうち、45本が「実際の日本の作品」として考えられます、とのこと。また38本は最終締め切りになってエントリーしてきたのだとか。

回答スタッフいわく、この数は日本からのエントリー数としては少ないと思うのですが、いろいろ製作資金などの問題はあるのだとしても、もっと応募していただきたい、とのこと。

この質問を私がしたのも、私自身この映画祭のことを知らなかったのと、周りでもあまりこの名前を口にする人がいなかったので、どれだけの認知度が日本であるのかを知りたかったのだ。

近年ドキュメンタリー映画の製作は日本でも盛り上がってきているし、もちろん長編映画ともなるとなかなか数は多くないが、短編の作品も見られたし、中編くらいであればコンペティションにも応募できると思うので、心当たりのある方、挑戦してみてはいかが?

先日あるメールマガジンで、山形国際ドキュメンタリー映画祭は日本で開催されているイベントなのだから、もっと日本の作品を取り上げていくべきだという投稿があって苦笑してしまったが、山形が各国の映画を紹介するように、海外でも日本やアジアの作品を紹介してくれる機会があるのだから、国内の状況だけに頼らず、もっと外に出ていってみてもよいのでは?というか、映画祭に応募して活動を広げていくこういう機会って、もっと学校などが学生の後押しをしてもいいんじゃない?映像系の学校がこれだけじゃんじゃん増えている状況なんだから。
2005.12.23 Friday

「次々に席を立つ観客」について思うこと

ふふふ、インターナショナルな映画祭、というものについてはまた書きたいこともいろいろあるのですが、そういえばドメスティックと題する映画祭ってないですね。って、重箱の隅を突き過ぎですか?

さて、「次々に席を立つ観客」について思うことは私もあるので書いてみます。コメントとして返すには長くなりそうなので、改めてここに。

たぶんこのことは映像を見る、ということだけに限らない状況だと思う、これは。例えば純文学の売り上げが、音楽CDの売り上げが落ちてきているように。この何十年、私たちは「与えられる」ことに慣れてきた。それも充分に至れり尽くせりのサービスで、自ら考えることを忘れてしまった。なんといっても時間のスピードが違いますからね、早く物事を進めていくためにはわかりやすくなくっちゃ駄目なんです。一つの映像作品について延々と考えていたりなんかしたら、24時間数百チャンネルあるテレビ番組なんて、見てられませんよ。

ってなところだろうか。
考えなくても「見る」ことはできるから、お陰さまで想像力も衰える。知らないもの、知らない存在に対しては、わからない、理解できない、だけで済ましてやりすごしてしまう。でも、わからないからもうちょっと知ってみよう、考えてみよう、という前向きな姿勢が全てのコミュニケーションを図るのだ。わからなくてもいいじゃないか、わからないんだったらもう少し「粘ってみよう」「待ってみよう」この余裕が頭の想像力を動かし始める。

現代日本では待つことなんてしない。ものすごいスピードで進む社会の中では待つ余裕を持つことは難しい。それどころかその難しささえ感じなくなってきてしまっている。だからこそ、観客はすぐに席を立ってしまうのだ。その諦めの良さというか、素直さといえばいいか。

今ドイツにいて、この差を感じることがしばしばがある。
普段の生活からして、こちらの人はたいてい「粘り強い」。物を買うときはしっかりと時間をかけてその品質や値段についてチェックする。店のカウンターではえんえんと質問のやり取りをしている。だから駅の切符売り場にはものすごい長い列ができる。いわく、鉄道のシステムが複雑な上に対応スタッフが少ないというが、私から見ると、納得するまでその場で質問を繰り返す客にも原因はあると思う…。映画についても、金を払ったからには気に入らなくても最後まで見てみる。わからないことがあれば、しつこく訊く。こうした「粘り強さ」が、日本に比べて遅い社会の速度を生み出している気もするけど、それで大きな問題があるかといえば、むしろ迅速に物事を処理しようとする日本の方が大きな問題が発生している気がする。例えば過密ダイヤのせいで起きたといわれる福知山線の脱線事故はここでは考えられない。新幹線にあたる特急でさえ、30分遅れはよくあることだ。(ワールドカップの時が思いやられるけれども…)

もちろんこちらでもヘルツオークの映画はメジャーなものではないし、文化の貧困状況は残念ながら景気の後退とともに、日本に近付いている。それでもまだ普段の生活のスピードを思うと、日本のそれは異常に思えることがある。

物事をゆっくりと長期に渡ってみていくこと、そのことは特に戦後の復興に合わせて日本は置き去りにしてきたと思う。

さて「どうして10分で観客が席を立つのか」という問題に話を戻すとして、その作品を面白いと思うか思わないか、というのは個々の傾向もあるとは思うから、面白いと思わない人がいても当然だ。問題なのは、面白くない、と冒頭の10分のみで判断してその場を立ち去り、それ以降の体験の機会を放り捨ててしまうことだ。金を払ったんだから最後まで見てやる、というせこい思いでもまずはいい。そこからその先に展開する面白さを見つける可能性はあるし、最後まで見た時点で面白くなかったとしても、そこでは作品に対してフェアな立場で議論ができる。冒頭の10分だけで見るのを止めて、面白くなかったと文句を言うだけでは、ただの文句っ垂れで、議論にも批評にも成り得ない。さらに言えば、そこでどうして面白くなかったか、ということを考えることだって、映像に対する自身の考えを広げるためには有意義なことなのだ。私がよく学生に言ったのは、面白くないということだけで止まらないこと、なぜ面白くないのかということを考えることも、自分の映像に対する概念がどういったものなのかを知っていくためには重要だということだ。目の前の疑問、得体の知れないものに対して、なぜ?と問いを持って食い付いていくこと。それが足りない。皆諦めが良すぎやしませんか?

確かにテレビ番組やハリウッド映画の安易さに慣らされていることも原因だとは思うけれども、でもこの問題って実はもっと根本的なものだよな、と思うたび、文化の危機は深刻だ、と思ってしまう。というか、人間の知性の危機ですね。自分にも、あせらずにやっていこうぜ、と言い聞かせるこの頃です。

と言いつつ、年末の片付けにはあせってます。これから買い物に行かないと、しばらくの食べ物がなくなってしまうので…。皆様、よいクリスマスを!
2005.12.22 Thursday

ヴェルナー・ヘルツォークの『蜃気楼』をみて、なぜか10分で次々に席を立つ観客について

 中沢さんがインターナショナルな映画祭レポートを送ってくれるとき、なぜか同じタイミングで、僕は極端に地味でローカルなマイナー映像祭のことを書こうとしています。投稿しようとしたその時、中沢さんのレポートを発見し、少しタイミングをずらしてみました。またしても見事なコントラストです。専門学校映像祭が12月12、13の両日、東京ウイメンズプラザで行われました。このイベントのメインは参加11校の学生作品を順次上映していくもので、それ自体クリティカルな刺激があるわけではありません。各校の作品発表という目的は十分に完結しているのです。そのことが問題だと言えばそうかもしれませんが、今回の事件が起こるまでは事の重大さをそれほど考えていなかったのです。その事件とはヴェルナー・ヘルツォークの『蜃気楼 Fata Morgana』(1968年、71年という記述もある)が16ミリフィルムで上映されたことです。僕は初日の上映係でまさかフィルムで届くとは思わず、初めて見る作品にどきどきしていました。なぜこの作品を上映できたかと言えば、今年はドイツ年ということもあり、映像祭の実行委員長が東京ドイツ文化センターに掛け合ったそうです。その時に『蜃気楼』指定したのかどうかはわかりませんが、届いたのがその16ミリフィルム2巻です。ヘルツォークの作品自体あまり見る機会がないのですが、この『蜃気楼』は興味深かった。この作品は3部構成になっていて、1創造 Creation、2楽園 Paradise、3黄金時代 The Golden age、の三部です。冒頭に現れるのは砂漠をゆっくり横に移動していく長いカットです。そこに創造の神話が語られます。明らかに聖書ではない事は分かったのですが、どこの国のものかは解らず、後で調べたら、フィルムアーカイブにアメリカ人が書いた講評があって、それによるとマヤの創造神話だそうです。もちろん確認はしていません。こうした映像と言葉の対比は、ヘルツォークがテレビで発表した『問いかける焦土』にも共通していて、その時は湾岸戦争後の荒廃した焦土を近未来の惑星に見立て、そこにたどり着いた作者が地球の行く末を案じるというものでした。風景と言葉の対比、あるいは同化と異化、衝突と融合が見るものを引き込んでいきます。そういえば『蜃気楼』をコヤニスカッティーの原型のようだと評したものもありましたが、わかりやすく人に伝えるにはいい例えだと思います。『蜃気楼』は次々に美しい砂漠をたどりながら、唐突に現れる墜落した飛行機の残骸、捨て置かれた戦車、動物の死骸、砂漠の民へと対象を移していきます。創造の神話は映し出される画とは時に対照的に、時に見事に同化しながら、次第に植民地主義的な愚行が想起されてきます。印象に残るのは3「黄金時代」の冒頭、ラテンのような音楽をピアノとドラムで演奏する夫婦が登場します。その様子を延々と撮影し続け、しかし、夫婦はひとつも楽しそうではありません。この退屈はその後のウミガメを捕らえ、その面白さを語るダイバーや、岩山でふざけ合う男たち、ひとりは16ミリカメラ(ボレックス)をもつ、その3人の男たちの他愛もない様子に続きます。なにやら手紙のような言葉を読み上げるのはヘルツォーク本人ではないかと思います。この奇怪な映像の連鎖こそ、ヘルツオークの描いた創造神話の末路なのでしょう。
 さて、問題はこれからなのですが、この映画が始まると、なぜか10分ほどで次々に観客が席を立ちます。ほとんどは学生なのですが、そんなに気に入らなかったのでしょうか? なぜそうなのか、僕なりにいろいろと考えてみました。そしてふと、以前これと同じような光景に出くわしたことを思い出しました。それは3年前の「鉄道映像祭」という上映でのことです。JR東日本が主催で、その名のとおり鉄道と映画の深い関係を記録映像や、劇映画の変遷から見ていく、という試みです。その年が2回目で、前回は劇映画、2回目は記録映画を中心に構成されていました。たまたま、作品選考に当たった委員の先生方をお二人ともよく知っていましたので、選ばれた作品にとても興味があって見てきました。1日目に上映されたのは「ニュース映像に見る昭和の時代と鉄道『鉄路の昭和史 特別編』」と『南極から赤道まで』という1986年に作られた、イェレヴァント・ジャニキアンとアンジェラ・リッチ=ルッキという人の約100分の作品です。僕は学校の仕事の都合で『鉄路の昭和史 特別編』は見ることができなくて、それでも2本目はなんとしてでも見ようと思っていました。会場に着くと当日券は販売しないと書いてあって、前売りの時点で満員だったようです。僕は前売り券を持っていたので入れたのですが、かなり盛況でした。そして『南極から赤道まで』が始まると、やはり10分ほどしてどういう訳か、次々に人が席をたちます。ぱらぱらと席をたつ方々がいて、結構たくさんの人が帰ってしまいました。『南極から赤道まで』(本当は『極点から極点まで』の方がいいそうです)はたしかに分かりやすい映画ではありませんが、とても刺激的な試みです。簡単にいうと、映画の初期にカメラマンや宣教師たちが世界各地で撮影した膨大なフィルムを素材として、再構成した作品です。当然、誰が撮ったものか、どこで撮ったものか分からないものもあります。フィルムの状態、つまり傷の度合などもさまざまです。ファウンド・フッテージという言い方もできると思います。実際にそういう手法で映画を作る人は日本にもいます。タイトル通り南極の映像も赤道付近であろう映像も混在しているのですが、全編を通して人類のかなり愚かな姿が見えてきます。戦争、部族の争い、動物を殺害する白人とそれを手伝う現地の人間、強引な植民地的侵攻などです。
 それで、結論としてどうして人が帰ったかというと、理由は二つあります。ひとつはそれが鉄道とは直接には結び付かなかったこと。間接的には19世紀の植民地支配の歴史は鉄道などのテクノロジーと無縁ではありません。移動と速度の飛躍的な向上はこの時代の象徴です。つまりこの映画は鉄道映像がほとんど出てこないけれども、鉄道に代表される19世紀のテクノロジーが大規模な移動と西欧諸国の覇権をもたらし、それが世界多発的に同じような愚かしさをともなって起こったということが発見できます。二つ目の理由はこれが面白い映画だということを認識できなかったこと。つまり二つ目が深刻です。映画祭の翌日、作品を選んだ先生と話しをしたのですが、「こういう映像を理解できるようになるということが、映像の教育なのではないか」という結論に達しました。テレビだけが映像だと思っている人、あるいは映画を見てもアメリカ映画だけだというような人には、絶対に退屈なはずです。この映画は見る人を丁寧に誘導してくれたりはしません。あるいは、見る人が退屈しないようにとカットを短くしたりはしません。逆にカットを実時間より引き伸ばしたりして観る側に想像力を要求します。こういう映画を観るためには、テレビや、アメリカ映画は映像の表現のごく一部であるという認識が必要です。
 とはいえ大半の人が、テレビとアメリカ映画という情報環境のなかで育っています。様々な場所で行われているメディアリテラシーの取組を見ても、まずはメディアの理解というのが挙げられています。既存のメディアの制作の仕組を知ること、さらに伝える側がいかに情報を作り上げているか、伝えているか、そのバイアスを知るということです。もちろんそれはとても大切なことですが、自分で映像を組み立てて見ると、それははっきりと理解できるはずです。しかし、先の『蜃気楼』の上映は映像を作っている若者に向けて上映されたのです。僕は、『蜃気楼』が実はこの『南極から赤道まで』に似ていると思っています。なぜ彼らが席を立ったのか。その理由は推測できるのですが、僕はなすすべもなく彼らを見送りました。ああ、もったいない、と思いながら。


2005.12.16 Friday

idfa ーThe Wild Blue Yonder

と、ジャーナリスティックな映画に今回は絞ってみていこうかと腹を決め、いろいろと社会政治国際問題と知ることができたのはいいが、やはりこう、「ヤラレタ」と思わせる作品にまだ当たらない。
物足りない気分の私に、ああ、映画ってこうでなくっちゃ、と思わせたのが、ヴェルナー・ヘルツォークの「The Wild Blue Yonder」。

奇才といわれるだけあってファンが多いのか、ギリギリで手に入れたチケットはしまいには売り切れ。彼の初期の作品「Herakles」がまず上映されるが、これはなんというか、いわゆるExperimentalな作品。ボディービルダーの男とカーレースのクラッシュシーンなどをカットアップしながらヒーローイズムと狂気の関係性を見せるということなのだが、なんだかいまいちよくわからなかった…。

不安になりつつ、始まった「The Wild Blue Yonder」
一人の中年男が荒野を背景に振り返って語り始める。

我々は遠いところからやってきたんだ。深い青の世界。人々はそこをThe Wild Blue Yonと呼ぶ。

大仰な身振りで語りかける男の話は気違いじみた夢物語。でもそのあまりの馬鹿馬鹿しさゆえ、そこには私たちを物語の中へと強引に引きずり込んでいく力がある。微かな興奮さえかき立てられ始めた私は以前似たようなことを覚えた映画のことを思い出す。確かヨリス・イベンスの「風の物語」を見たときもこんな感じだった。風に憧れ続けた少年が本当に空を飛んでしまう突拍子もないシーンから始まるあの映画も、こんな強引さでフィクションとノンフィクションの世界を交差させた中へ私を引きずり込んだ。その強引さを嫌う人もいるだろうが、この物語が始まる瞬間はちょうど子供が想像の中へ潜っていくのに似ている。もしくは「昔むかし」といった前置き句のその先を期待して待つ子供の気分。物語とはこうであるものだし、映画、たとえそれがドキュメンタリーという事実を”語ろうとする”ものであっても、作り手が存在するという意味において物語といえるならば、こういうものであってほしい。

我々はここに新たな都市を造ろうと夢見ていた。ここには大きなショッピングセンターができるはずだった。それなのにどうだ。何もできなかったんだ。

と語る男の背景には荒廃した大きな建物がぽつんと立っている。
男の話では、仲間と共に地球へ辿り着き、そして理想郷をここに建てようと思っていたのだという。そう苛立って悲しげに語るエキセントリックな科学者は「カッコーの巣の上で」のブラッド・ドーリフ。彼曰くの「本当の話」にあわせて、NASAの宇宙飛行や深海探索の記録映像などが挟まれ、なるほどそれはそのような「物語」として成り立ってくるのだ。

将来は別の惑星で仕事をし、地球でバカンスを過ごすってことだってできますよ、そのための家やらショッピングセンターなんかも立ててね。

誇らしげに語るNASAの科学者の記録映像から切り替わり、再び先の男が荒廃したショッピングセンターの前で悲しげに語る。我々の夢だったんだ、それなのにどうだ、今のこのさまは、と。

これはいったいどのように語ればいい映画だろう?
記録映像を使っていることにおいてはドキュメンタリー、しかしヘルツォークの言うとおり、Science Fictionとして語られるこの映画は、その境を行き来するというよりは、先ほど指摘した強引さによって軽々と飛び越えていってしまう。そんな境など初めからなかったかのように。その大胆さ、自由さが素晴らしい。ドキュメンタリー映画はもちろんジャーナリズムの役割を担っているけれども、本質としてはそれだけではない。かつて前衛映画と記録映画が交差したようなスリリングな時代にジャンル分けのできない映画がたくさん生まれたように、ドキュメンタリーとは実はあらゆる映像のジャンルに存在するものであると思う。しかしその記録性という概念に重きがおかれるゆえか、その面白さがあまり知られていないようにも思える。だからこそ、ヘルツォークやクリス・マルケルのような作家は奇才と呼ばれてしまうのだろうが、「ドキュメンタリーは”作り手”が語る事実の物語」ということを考えれば、彼等の映画はまっとうと言える。

上映終了後、映画祭スタッフの一人とヘルツォークの話をした。彼自身はヘルツォークには興味はないと言うが、この映画祭関係者にはヘルツォークのファンがたくさんいるという。それはきっとヘルツォークがドキュメンタリーというジャンルの可能性を自由に探っていることへの憧れと尊敬ではないかと思う。この映画祭のコンペティションの名前にもなっているヨリス・イベンスだってそんな作家であるから。

ヘルツォークの作品への評価は賛否両論だ。ふざけている、と笑う人もいれば、いや彼は全くシリアスだと言う人もいる。私は両方だと思う。くだらないとわかっている夢物語を本気で作り上げることは映画のことだけではない。虚実を真実として信じることは、ありえないような軽い文明の理想を本気で信じて突き進んできた人間の悲しさと同じことだ。だからこそ、ヘルツォークは全くシリアスにこのSF映画を作ったのだ。その可笑しさと悲しさが同居することもちゃんと見通して。

厳しくみていけば、この「The Wild Blue Yonder」は、集めているフッテージも足りない気もしたし、途中ダレるような間があったのも否めない。それでも私自身はこの強引なるSF物語の世界に引き込まれて堪能した。氷下の海中の映像は、確かにWild Blueでそれは美しい世界だった。地球のどこかの海の記録映像だとわかってはいても、それは別世界だとこの虚実物語を堪能できた。その強引な物語は虚実であっても、例えば「私はその状況をただ見せただけ」と語る作家よりも、まったくもって自身の表現したことについての責任をきちんと引き受けている。その潔さがあるからこそ、この物語は力強い。

ヘルツォークは日本でもファンが多いので、おそらくこの「The Wild Blue Yonder」も公開されるでしょう。機会があればぜひ御一見を!
2005.12.16 Friday

idfa ー The Journey of Vaan Nguyen

というわけで前記事の続きです。

作品の内容はもちろん、監督の手法や姿勢に共感できた作品として印象に残った2作品のうち、まずひとつめ。
「The Journey of Vaan Nguyen」は、ボートピープルとしてイスラエルに流れ着き、市民権を得て20年も在住したものの、再びベトナムへかつての住処を訪ねていく家族を追った作品である。イスラエル人の監督によるこの作品は、他の作品がイスラエル/パレスチナ問題を扱う中で、イスラエルのまた違う面を見せていて興味深かった。だいたいイスラエルにボートピープルが亡命していたなんて話は初めて聞いたし、同じことは質疑応答でも質問があがったからこちらでも皆知らなかったんだろうな。

さてその流れ着いた人々にイスラエル政府は市民権を得るための教育を施し、彼等はそこで職も得て子供たちはイスラエルのパスポートを持ち、兵役にもつく。イスラエル建国の歴史や言語を教えているシーンにくすくすと笑い声が上がったのはなぜだろう。それは国家の成立に必死になっていた当時の(そして今も)イスラエルと重なるからかもしれない。それは悲しさと可笑しさが絡む複雑な笑いだ。しかし実際のところ、この国の複雑さはこのベトナム難民の生活とは関わりがないようにみえる。つまり彼等にとってイスラエルは避難先であり、自分たちの複雑な状況が存在するのはあくまで故郷のベトナムなのだ。それは家族のうちの一人が亡くなった際、ユダヤ教墓地にもキリスト教墓地にも埋葬を拒否され、唯一受け入れてくれたイスラム教墓地に埋めるしかなかったんだとあっけらかんと笑う彼等の言葉からもわかる。だからこそ、父と母はどうしたってベトナムへ帰っていこうとするのだ。かつて家族が所有していた土地は他人にものになってしまい、自分たちの痕跡は消えているというのに。

しかしイスラエルで生まれ育った娘たちはこれまた別の複雑さを抱えている。ユダヤ人でもアラブ人でもなく、パスポートも持つものの、イスラエル人でもない。かといってベトナムに行ったところで、自分が溶け込める環境はそこにはないのだ。この物語を語る次女はフラストレーションの余り叫ぶ。どうして髪が黒いのかって?でも私は韓国人でも中国人でも日本人でもないわ。イスラエルで生まれ育っているのよ。さああなたが訊きたいことは全部答えてあげたわよ、これでいい?
そして里帰りした父親についてベトナムに行った彼女は、そこでも感じる違和感と、そして出発前はかつて所有していた土地を取り返すといって意気込んでいたのに、着いてみればそこに住み着いている人々とすんなり打ち解けあっている父に苛立ちを覚えて涙をこぼすのだ。

このともすれば政治的な側面だけ見られがちな問題を、一つの家族を通して根底からの状況を見せたこの作品は、国家の問題がいかに人の人生を変えていくかを現実的に教えてくれる。こうした一人一人の人生を見て、私たちは共感を覚え、初めてその問題を理解し始めるのだ。声高に批判や主張を叫ぶのはそう難しいことではない。でもインパクトの強いものは大抵その後、すぐ記憶の彼方へ消えてしまう。例えば受賞までした「Our Daily Bread」はとてもわかりやすい作品だけれども、それがどれくらい見る者の内部に響いて実際に残るか、私には疑問だ。本当に私たちが知りたいのはむしろ、その現場にいる人々が何を思って生きているのか、ということではないだろうか。

「The Journey of Vaan Nguyen」にはそうした派手なシーンはなかったものの、じんわり心に響いてくる作品だったのだ。この家族や周りの人々の会話にすんなりと入っていき、寄り添うようなカメラワークがとてもよかった。それはこの対象に愛を込め、時間をかけて接している監督の手腕と人柄まで表していたように思う。訊けばこの84minの作品について、撮影時間は40時間程。その場に常に同行し、会話のポイントになったところでこのお父さんがそっと出す合図でカメラを回したのだとか。つまりはそれだけ被写体の彼等との信用関係があったということだ。

終わりが予想できるドキュメンタリーをいくつか見た後のこの作品は、私にとって「正にドキュメンタリー映画」というものだった。会場にも来ていた、クールできっぷのいい21歳の次女の前途にも幸運を!
2005.12.16 Friday

アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭にて- 作り手の腹の括り方


さて中沢です。
先月末に行ってきたのは、アムステルダムは世界最大のドキュメンタリー映画祭、International Documentary Film Festival(idfa)。先日のブラウンシュヴァイグの後にもう一つドイツの映画祭に行っているのですが、その話はまた後で。

恥ずかしながら私、この映画祭のことを知らなかった。オランダといえばロッテルダム国際映画祭やアニメーション映画祭などは知っていたものの、こんな規模のドキュメンタリー映画祭があるとは。でも思えば私の好きなドキュメンタリー映画作家、ヨリス・イベンスやヨハン・デル・ファン・コイケン、そして先日見た「オランダの光」のデクルーン兄弟など、皆オランダ出身なのだった。実際idfaのメインコンペティションは、ヨリス・イベンス・コンペティションと彼の名前がついている。

本来だったら映画祭の運営のことも含め、いろいろ突っ込んで訊くべきだったんだろうが、ともかくこの映画祭、規模が大きい。コンペティションがまず3つあり、その他テーマを持ったプログラムが4つ、キッズプログラムや学生プログラム、レトロスペクティブあり、更に戦争のニューズリールやその他の特集プログラムやらワークショップやディスカッション、ともう満載なのだ。この規模なので誰がスタッフなのかもわからず、(スタッフに訊いてもわからなかった…)、とりあえず「ParaDocs」というマイナー系の作品に焦点を当てたプログラムの担当者からいくつかの情報を得たけれども、それもどこまで正確な情報かよくわからなかった。(だってこの映画祭が来年はロッテルダムに移るという噂があると彼は言うのだが、そんな話は他のスタッフからは聞こえてこなかった…)実際どれくらいの作品が日本から応募されているのかも知りたく、対応してくれたプレスオフィスのスタッフの言う通りに質問をメールにて送ったのだけど返答なし…。
というわけで、今回は映画祭そのものというよりは、そこで見ることができた作品や、そこから思ったことなどを綴ります。

本当にこの映画祭、規模が大きくて、9つの上映会場で朝から晩までプログラムがあるので、もちろん全ての作品を見ることはできないが、だからといって目当ての作品が必ず見られるかと言うと、これがなかなか…。夜のプログラムのチケットは大抵売り切れか品薄になる。映画関係者がたくさん来ているだけではなく、一般の観客の関心も高いのだ。上記のスタッフいわく、この映画祭の重要性は一般市民に対して、ジャーナリスティックに様々な状況を見せることができることにある、とのこと。とするとそこから見えてくるのは、現在世界で重要な問題として扱われているのは何か、ということだ。

先々月の山形国際ドキュメンタリー映画祭でもそうだったが、idfaでもイスラエル/パレスチナ紛争、食産業の問題に作品が重なった。先の記事でも書いた「ダーウィンの悪夢」が印象的だったこともあって、私はこの食産業についての作品をいくつか選んで観たのだが、おもしろいことにうち2つ「Our Daily Bread」「We feed the world」両作品ともに監督は「ダーウィンの悪夢」と同じオーストリア出身。オーストリアでは特に関心高い話題なんだろうか?(ちなみにプログラムの合間に立ち寄った近くの写真ギャラリーではオランダ出身の写真家による、同じテーマの写真展が開催されていたから、今の欧州では旬の論争のようだ)
両作品とも、私たちの食生活を支える食産業の実態を見せていくものだが、その見せ方、姿勢は明らかに違った。
例えば両作品に出てきた似たようなシーンを比べてみる。

ブロイラーの生産工場(「工場」と表現していい場所だ)で、ベルトコンベアーに乗って送られてくる無数のひよこ。ボロボロと転がってくるひよこを白衣を着たスタッフが次の箱へ詰めていく。既に死んでいるひよこはぽいっと放り投げられて別の箱へ捨てられる。ただっぴろい屋内養鶏場で身動きもままならないほどの無数の鶏たちが蠢いている中、捕獲トラックは大きなゴムべらのようなもので鶏をざっざっと掻き込んでは、運送用の箱へ詰めていく。そうして捉えられたブロイラーは足をフックにかけられて逆さまにつるされ、これまたコンベアーで運ばれながら首を落とされ、羽をむしられていく。笑い事ではないのだが、丸裸になったブロイラーが足からつるされたままずらりと並んで工場内を巡っていく様は正にブラックジョークだ。でも心から笑えないほどブラックなのは、それが現実のことで私たちの胃へ繋がっているから。そうした状況を「Our Daily Bread」は、固定カメラでしっかりと、アップショットを繰り返しつつ、凄惨にも見える様相をたんたんと捉えていく。そしてひよこを選り分けていた女性スタッフが一人食堂でパンを齧る様子を真正面からこれまた固定でじっと捉える。無言でもじもじと居心地の悪そうな彼女の様子は、いましがた自分が行った仕事に対して悪びれているようにもみえる。

この固定カメラでの捉え方のみでまとめた手法は悪くはなかった。なかったが、一方で牛や豚を屠殺し、解体していくそのシーンの選び方、また上記のような工員の撮影の仕方は明らかにその悪を訴えている。しかし上映後の質疑応答で監督は、「この映画の製作の後、あなたの食生活は変わったか?」との質問に対してこう答えた。たしかに影響を受けたこともあるにはあるが、私はこの状況を見せていくだけの立場にあり、この正義性を公に訴える立場にはない、と。また別の質問で「こうしたシーンを撮影するための許可を出さなかった企業もあったのではないか?」とあったが、原案では食産業の実状況を見せるということだけであったため、許可取りの難しさはそれほどなかったとのこと。しかし考えてみればそれは当然のことだ。この映画でははっきりした批判は”言われていない”。ただ状況を見せていく、ということであれば確かに企業も工員たちも拒否はしないだろう。自分たちのことが”紹介”されるだけなのだから。こうした答えを自信たっぷりに語る監督に少なからず違和感を覚えたのは否めない。

対照的な手法で同じテーマを語ったのは「We feed the world」だった。この映画でも同様のシーンが現れる。工場で生産されるブロイラーやビニールハウスの中のトマトたち。しかし「Our Daily Bread」ほどそうしたシーンの惨めさをアピールしていかない代わりに、この産業に関わる当事者たちの言葉を取り上げていく。見た目も美しいりっぱな茄子を遺伝子改良で生産していく農場のオーナーは、味が変わっていくことも、時代の変化としては仕方ないことなのだと語る。天晴れだったのは、世界最大のフード企業、ネスレの会長がインタビューに答えるシーンだ。この大企業がいかに労働者を大切にし、業績を上げているかを自信たっぷりに語る彼は、本社ビルのギャラリーに流れる日本支社工場の映像を見て声を上げる。見て下さい、この最新の施設、素晴らしい、無人の工場ですよ!たった今、我々は何万というスタッフを大切に養ってるんです、という彼の言葉を聞いたばかりの観客は、その矛盾した言動に爆笑する。
比べてみれば、「We feed the world」の方が圧倒的に訴えていることが強烈だ。
しかし上映後の質疑応答ではやはりこの監督も同じようなことを口にする。「この映画の製作の後、あなたの食生活は変わったか?この映画をもっと広めて食産業の矛盾を訴えていかないのか?」との問いかけに、私は映画作家という立場にあって、活動家ではないから、と。

この「私は映画作家」という言葉は理解できないわけではない。確かにそうだ、映画作家には映画作家としての役割だとか可能性があって、それは映画というメディアを通してこうした問題を提示していくことが最も重要であり、確かに活動家である必要はない。しかしそれでもこの両監督の返答にどことなくずるさというか、弱さを感じてしまい納得がいかなかった。

「We feed the world」の上映後の質疑応答で、司会者が監督に対し、「最近、やはり食産業をテーマにした別の映画を見て、グローバリゼーションとの関係について考えさせられたが、それについてはどうか?」と質問したが、これについても監督は怪訝な顔で、グローバリゼーションのことなど語っていません、これはあくまで食産業のことで、と返したところで私自身は司会者の質問に共感を持っていたので、この作品のテーマの掬い方に浅さを感じた。司会者が引き合いに出した映画はもしかして「ダーウィンの悪夢」のことではないかと思ったのだが、同じようなテーマを扱いつつあの映画が面白かったのは、食産業の矛盾から始めて、実は切り離せない問題であるグローバリゼーションや問題の多義性を監督自身の視点で体当たりで捉えていったからである。(体当たりでありながらもかつ冷静さを保つところもまたいい)

この両監督に感じた私の違和感はたぶん、作った者としてどこまでその映像が語るものへ責任を持つか、という腹の括り方が見えなかったことにあるのだと思う。いったいその作り手が一個人としてどうその状況を見て何を思ったか、それが映像からはっきりと監督の姿勢として見えてこなければ、それはTVで流れるお決まりの筋書きに沿ったドキュメンタリー番組と変わりない。「映画」である以上、もっと監督自身(の意志)がそこに現れるべきだ、それが見たいのに!と思う私に満足させた映画もちゃんとこの映画祭で見ることができたのは幸い。
そうこの「映画」としての表現と、「ジャーナリズム」としての視線の両方を得るのはなかなか難しい。その作品がジャーナリスティックなものとして素晴らしくても、かつ映画としての素晴らしさがあるかどうかはまた別の問題であって、それは山形などでもよく議論になっていたと思う。そうした意味で印象に残った映画とは…。
2005.12.07 Wednesday

アート&テクノロジーの過去と未来

これで終わりなのだろうか・・・
これが終わりなのだろうか・・・
そんなことを思いながらICCで行われている展示を見ていた。
周知の通り映画は静止している映像を連続して見ることによって
動きを知覚することができるのだが、歴史もあるトピックを連ねていくことによって
ある種の流れを捉えることができると言えるだろう。
今回の展示のパンフレットには「複数の潮流をたどりながら現在から未来へと向かっていることを概観できる」との記載があるが、私の見る限り過去から未来への流れはあまりにも断続している、と言わねばならない。
唯一その継ぎ目となっていたのは岩井俊雄だろうか。
映画前史のテクノロジーとブラウン管から放たれる電子によって運動の連続性を見せる展示は、
まさしく歴史の連続性を示すのにふさわしい作品と言える。
タイトルにある「過去と未来」と謳ったときに、過去と未来の二元論ではなく、過去から未来への連続性を見せなければならないし、当然それを意図しているはずなのだが、
過去と未来が分断された展示を見た私が「これで終わりなのだろうか」と思ったのは、今回の展示が過去と未来というよりは「過去と現在」に思えてならなかったからであり、その連続性が見てとれなかったからであろう。
2005.12.07 Wednesday

アフガニスタン映画祭について お詫びと訂正

アフガニスタン映画祭についての記述に対して、この映画祭の主催者クロスアーツの方からご指摘を受けました。お詫びして訂正いたします。
ご指摘いただいたのは「アフガニスタン版ニューシネマパラダイス」という紹介について、僕が「違和感を感じた」という箇所で、その紹介文を書いた方からの指摘です。僕はその後の文章で、映画自体がニューシネマパラダイスのような意図を持って描かれているような書き方をしています。これは映画の作者に聞いたわけではなく、紹介文に導かれて、僕が勝手に感じたことでした。確かに誤解を与えるように記述しています。このことをお詫びします。また、僕の文章は、今回のアフガニスタン映画祭のあり方や、主催者を批判するためのものでは決してありません。映画に描かれた状況と作者の意識を問題にしたかった、という点を重ねて強調しておきます。ブログという発表の形態は、自分のノートを公開しているような感覚で、気楽にできるのですが、不特定の対象に公開している以上、不用意な言葉遣いには気をつけなければなりませんね。反省しています。しかし、ここまでに、主催者の方とは何度かのメイルをやりとりし、ご指摘いただいたことについては、すでに理解して頂いているものと思っています。僕の文章の本意もお伝えしたつもりです。このやりとり自体が大変意義のあるものだったのですが、私信でありここに掲載するべきことなのかどうかは解りません。こうしたやりとりがあったことも責任を持ってまとめられればいいのですが。
2005.12.04 Sunday

山田太一のドラマ

 テレビドラマをきちんと見ることからずいぶんと遠ざかっていたのですが、山田太一の脚本であれば、僕は世代的に反応してしまいます。何かあるのではないかという期待は、やはり昨今、話題のドラマを、数分見ただけで退屈してしまう世代の、わずかな希望でもあるのでしょう。『終わりに見た街』を見終えて思い出すことは、20代のぼくらが見てきた山田太一は、常に「エッジ」を描いてきたはずであったし、それは言葉の比喩としてのエッジもあり、実際の舞台としての多摩川河岸や、三流大学の学生たちや、社会の中で時代遅れになる初老の戦中世代の男というエッジであったはずです。山田太一がこの『終わりに見た街』のように、エッジではなくど真ん中を描かなければならなかったのはなぜか? この国の事態はドラマで描かれたように、歴史の悲劇と併走しつつあり、わかりやすいテレビドラマにしなければならないほど深刻なのだと思いました。
 柄谷行人が明治・昭和平行説ということ言っていると、僕は大澤真幸の『戦後の思想空間』の中で知りました。明治と大正を足せば約60年、そこから昭和が始まり約60年周期で同じようなことが繰り返されているというわけです。明治10年に起こったことと、昭和10年に起こったことが似ていると言うことだけでなく、60年という大きなうねりは世界的にも根拠ある周期であるらしい。沖縄復帰の1972年を60年さかのぼると明治の不平等条約改正に重なるとか、1973年の浅間山荘事件の約60年前には大逆事件が起こっているとか、オウム真理教の地下鉄サリン事件は60年さかのぼると大本教のクーデター計画という冤罪が重なるとか、偶然にしては気持ち悪い類似は確かにあります。2001年のアメリカの同時多発テロは、しきりにパールハーバーという言葉を持ち出しましたが、60年前の1941年はまさにパールハーバーの年、開戦の年です。1945年、敗戦の60年後は2005年です。
 山田太一が今、この時代を1944年に重ねたのは、時代の流れを見れば解ります。しかし、このドラマが、ある家族と友人とのタイムリスリップという、一見唐突な物語を語りながら、実は誰ひとりタイムスリップなどしていないことに、僕は嘘でも動揺しなければなりません。前半の正直言って陳腐とも思われる物語の展開は、まさしく時代錯誤の『YAMATO』や、何とかのイージスという映画が国策映画のように作られていることや、『戦国自衛隊』などをまじめにリメイクしてしまう狂った感性を、同じ土俵で皮肉っているように思います。もちろん、このドラマを見て、いったんタイムスリップした家族が、空襲の衝撃で再び現代に戻ってきたなどと誤解することがあれば、見事な失敗作だと言ってしまえばいいことです。その程度のリテラシーしか育ててこなかったテレビドラマに、もう何も言うことはありません。しかし、残念なのは、山田太一がこの程度の話を作らなければならないほど、日本は愚かな国なのだと言うことです。
2005.12.01 Thursday

アフガニスタン映画祭 続き

 実はこの「アフガニスタン映画祭」の上映作品を見て、少し複雑な気持ちになったことを告白しておきます。というのは、この映画祭に出かける直前の午前中に土本典昭さんの『もうひとつのアフガニスタン カーブル日記1985年』を僕のクラスで観ていたからです。この映画はアフガニスタンの歴史の概略を把握する絶好の資料だと思います。もちろん描かれている中心は、タイトルにあるとおり1985年のカーブル、つまり都市部の描写です。しかしその年のその場所に描かれている状況から、この国の歴史の前後を推察することができます。この映画を観たときの思いと、その後の映画祭でみたアフガニスタン発の新作たちとのコントラストが、僕を複雑な気持ちにさせました。
 1973年に国王ザーヒル・シャーが追放され、1919年に成立したアフガニスタン王国は事実上崩壊します。王国自体もイギリスの侵攻やロシアの牽制などを経た、植民地政策の駆け引きの上の成立でした。1978年にはクーデターで親ソ連・社会主義政権が誕生します。79年にはソ連が軍事侵攻し、89年のソ連軍撤退までアフガン紛争が続きます。つまり映画は一方で紛争が継続しているさなか、ソ連庇護下の比較的治安の安定した都市部が描かれています。土本氏の語りにもあるとおり、周辺部はゲリラ戦の影響で取材許可がでないということですが、幾分か都市部を離れた映像だけでも、随分と生活の落差があることがわかります。社会主義政権に反対し、その後のアルカイダ、タリバンへと続くイスラム原理主義武装組織を支援したのは、社会主義による民主化で土地を奪われた地主やお金持ちです。アメリカの武器供与によって、武装組織が強大化したのは周知の通りです。因みに学生と話をしているとその誤解に気がつくのですが、社会主義と民主主義は矛盾しません。辞書を引くとわかりますが民主主義は主権を問題にしているわけですから、対立概念は唯神主義、絶対主義,あるいは王政です。社会主義の対立概念は資本主義です。この時代のアフガニスタンは、少なくともカーブルでは、映画に映し出される女性や子供たちが、あるいは労働者が解放を祝い、かつてよりも豊かな生活が約束されているかのように見えます。しかし、現実にはこの時代を含めて、アメリカの空爆以前に大量の市民が死んでいます。
 以前学生にも話したのですが、イランの映画監督モフセン・マフマルバフは『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室)の中で次のように書いています。「あれほどの威厳を持ちながら、この悲劇の壮絶さに自分の身の卑小さを感じ、恥じて崩れ落ちたのだ。仏陀の清貧と安寧の哲学は、パンを求める国民の前に恥じ入り、力尽き、砕け散った。仏陀は世界に、このすべての貧困、無知、抑圧、大量死を伝えるために崩れ落ちた。しかし、怠惰な人類は、仏像が崩れ落ちたことしか耳に入らない。こんな中国の諺がある。“あなたが月を指差せば、愚か者はその指を見ている”」。もちろんこれは9.11以前に書かれたものです。我々はどうして今まで、ここ20〜30年間(軍事報復攻撃以前まで)に250万人(人口の約10%)の国民が死んだといわれる国を無視してきたのでしょうか?
 土本さんの映画に描かれたのは確かに解放された市民でした。おそらくその映像だけではある種の社会主義プロパガンダになるであろうことは、土本さん自身が十分承知していることだと思います。北朝鮮を描いた『パレード』がそうであったように、観客はその背景にあるものを推察する必要があります。それにしても、植民地〜王政〜クーデター〜社会主義政権〜内戦〜軍事政権〜クーデター〜民主化という一連の典型的な連鎖はアフガニスタンに限ったことではもちろんありません。それぞれの時期の内戦や混乱で多くの市民が死んでいく。こんなことが、世界中でどれだけ繰り返されてきたでしょう?
 僕は、アフガンフィルムの支援による新作がダメだったとは思いません。しかし、映画を愛する少年を描いた短編が「アフガニスタン版ニューシネマパラダイスです」と紹介されることには違和感がありました。確かに小気味よい短編で、少年の愛した映画は内戦のさなか焼けようよしています。フィルムを持ち出して、次作の手押しカートに映写機を乗せ、あたかも映画の初期のキネトスコープのような、のぞき式映画館を造って「カブールシネマ」と名付けるあたりは、物語として美しい設定です。実際のアフガンフィルムも大量のフィルムを消失したそうですから、そういう比喩でもあるのでしょう。しかし、ある国の文化的な遺産が失われた悲劇を、ニューシネマ・パラダイスのように描き、イスラム原理主義組織に捕らえられる少年に背負わせていいものでしょうか?
 つまり、戦災による少女孤児を描いた『シャブナム』も、山間部の古い習俗の矛盾に言及する『サクリファイス』も、アフガンフィルム所長による『石打ち刑』も、大衆化された映画の手法を踏襲しています。多くの観客に知らせるための方法として、わかりやすい映画をというならば、もちろんそれでいいのですが、あえて批判的に観れば、西側受けしそうな映画なのです。西側は、もう死語ですね。遜色ないとかクオレィティーが高いといういいかもできるでしょうが、それも既に乗り越えられた壁ではないかと思います。むしろ我々は、王政時代の記録映画にも民族の誇りを発見するべきではないでしょうか?
 長々と、雑感でした。
 
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