2006.02.21 Tuesday
インターカレッジアニメーションフェスティバル2006
3月11日から13日にかけて、セシオン杉並にてインターカレッジアニメーションフェスティバル2006というアニメーション・フェスティバルが開催されます。
フェスティバルの詳細はhttp://www.icaf.infoをご覧ください。日本の学生作品の他、ヨーロッパや韓国の学生作品のプログラムもあります。
ちなみに私が学生のときに制作した「Griffon」は12日のCプログラムに入っておりますので是非ご覧ください。コメントもお待ちしております。
フェスティバルの詳細はhttp://www.icaf.infoをご覧ください。日本の学生作品の他、ヨーロッパや韓国の学生作品のプログラムもあります。
ちなみに私が学生のときに制作した「Griffon」は12日のCプログラムに入っておりますので是非ご覧ください。コメントもお待ちしております。
2006.02.02 Thursday
ユーモアとプライド - ナム・ジュン・パイク追悼
どきっ。ちょうどそのことを書きかけていたら佐藤さんよりバトンが。
ご無沙汰しました、中沢です。
以下、周りから聞いたパイクにまつわるエピソード。
もう会えないんじゃないかと、なんとなく思ってたんだよね
と、友人がつぶやく。
その目の先のサイト画面には、彼がデュッセルドルフで教わっていた先生、ナム・ジュン・パイク死去のニュースが流れている。
日本の新聞記事にも出ていたが、ここドイツでも、パイク死去のニュースは大きなニュースだ。夜のニュースでも取り上げられていた。
韓国出身で日本の大学出、その後西独に渡った彼は1993年のベネチアビエンナーレでドイツ館にて出品し、金獅子賞を穫っている。80年代にデュッセルドルフ芸術アカデミーで教鞭を執った彼は、ビデオアートを教える初めての教授だったと、ブレーメンクンストハレのディレクターがラジオで話していた。アカデミーで教わった前述の友人いわく、その当時はビデオアートという名のクラスはなく、彫刻コースの中での授業だったんだそうだ。そのことからもわかる通り、現代美術が盛んといわれるドイツにおいてさえ、当時それは革新的なことだったんだろう。
私にとってはパイクはある意味既に歴史の人だった。私はリアルタイムで彼の活動を知った訳ではない。90年代に学生として映像につき合い始め、「ビデオアートは死んだ」という言葉まで聞かされた私は、「ビデオアートの父、ナム・ジュン・パイク」と「学校で学んだ」ので、それはビデオアートもしくは現代美術の歴史の人だったわけだ。
パイク、すげえ、と周りの学生が言う中で、私にはモニターを積み上げた作品がなぜすごいのか、わからなかった。自分の作品の上映会で、ナム・ジュン・パイクとか好きですか?と訊いてきた映研部の学生のとんちんかんな質問も(私の作品は全然パイクみたいじゃなかったから)今にして思えば、ビデオアートの入り口で、必ずまず出会う人はナム・ジュン・パイクだったから、ビデオといえばナム・ジュン・パイク、みたいなことだったのだろう。
でも私の考えていた方向性とはまったく違ったゆえ、自分にとってのビデオアートとは何かを考える際にはなかなかややこしい存在だったのだ。ビデオといえばナム・ジュン・パイク、だけじゃない、ということで。
初めてパイクに心底興味を覚えたのはたった数年前のこと。
「ナム・ジュン・パイクのエレクトロニックスーパーハイウェイ」というドキュメンタリービデオを見たときのことだ。60年代からの彼のパフォーマンスから90年代前半にかけての作品の記録映像とインタビューを集めたこのビデオの中で彼は言う。情報インフラが整備された時代が来るって意見書をに出したんだ。そうしたらそれがクリントン大統領の演説に引用されてたよ。
あっけらかんと語る彼の先見性にすごいと思った。そして初めて少し彼のアートを理解できたような気がしたのだ。たぶん、来る時代を常に読んで批判や皮肉を含みつつ、軽やかに駆け抜けていく彼には、20世紀において革新メディアだった映像、それもビデオがぴったりだったんだ、と。
かつそのメディアに巻き込まれることなく、客観性や冷静さを保ち続けていた姿は正にクールといえるのかもしれない。そのクールさはトレンディなものではけっしてなくて、どこか緩さのあるユーモアたっぷりのもの。
そう思い始めてから、私は自分の中でパイクを認めることができたのだ。
アートにおいて需要なもの、ユーモアを持つ作家の一人として。
パイクのユーモアについての楽しいエピソードはよく耳にする。
知り合いのキュレーターいわく、若い頃は美男子だったのよ〜、とのことだが、私の知るパイクはズボンとサスペンダーの間からお腹がはみ出たぷっくり姿。お陰で彼は10年程前に倒れ、以後車椅子生活だったと聞く。
その病に倒れたしばらく後、こんな話を知り合いから聞いた。
クリントン大統領との謁見があり、大統領の前に進み出て握手を交わそうとしたそのとき、パイクのズボンがすとーんと落ちて、その下は素ざらしだったのだとか…。たくさんの報道カメラが並ぶ前での出来事、もちろん後でカットオフである。
その話を聞いた仲間うちでは、さっすがパイク!やっぱ意図的?
と騒いだもんだ。
この話を前述の友人にしたら、爆笑して、パイクだったら絶対やる、と断言していた。
その友人のエピソード。
デュッセルドルフ芸術アカデミーでの授業中、自作を見せていたパイクはそのうち壇上で、こっくりこっくり居眠りを始めてしまった。大先生が眠っちゃった、どうしよう、と学生たちはどきどきハラハラ。起こすわけにもいかないし、と戸惑ったり怖じ気づいたり。
とうとう作品が終わってしまい、学生たちが息をのむ中、しっかり目を覚ましたパイクはデッキを止めて一言。
Very nice, very nice. But it's a bit too long, maybe~ ~!
自分の作品でっせ…。
まあ学生たちとしてはのらりくらりとした先生にほっとしたらしい。
そんなパイク、学校を辞職するときも、ありがとう、お陰で僕は経済的にも助けられたよ、とお礼を言って去って行ったんだとか。この正直さと余裕。それは自信あってこそのものだ。かっこいい。
73歳での死は若過ぎると言うべきかどうか。
でもパイクだったらきっとこういうに違いない。
Very nice, very nice. But it's a bit too young, maybe ~ ~!
きっと笑ってそう言うだろう。
と、友人と言い合ったのだった。
さてパイクが指摘した情報インフラはインターネットとして今や世界に鎮座したが、実はちょっとこの情報社会の構造に変化が来てるんじゃないかと近頃思っている。かつて仮想現実ともてはやされたその構造に。
奇しくも来週に行く予定のtransmedialeの今年のテーマは「reality addicts」。
気になるなあ。
ご無沙汰しました、中沢です。
以下、周りから聞いたパイクにまつわるエピソード。
もう会えないんじゃないかと、なんとなく思ってたんだよね
と、友人がつぶやく。
その目の先のサイト画面には、彼がデュッセルドルフで教わっていた先生、ナム・ジュン・パイク死去のニュースが流れている。
日本の新聞記事にも出ていたが、ここドイツでも、パイク死去のニュースは大きなニュースだ。夜のニュースでも取り上げられていた。
韓国出身で日本の大学出、その後西独に渡った彼は1993年のベネチアビエンナーレでドイツ館にて出品し、金獅子賞を穫っている。80年代にデュッセルドルフ芸術アカデミーで教鞭を執った彼は、ビデオアートを教える初めての教授だったと、ブレーメンクンストハレのディレクターがラジオで話していた。アカデミーで教わった前述の友人いわく、その当時はビデオアートという名のクラスはなく、彫刻コースの中での授業だったんだそうだ。そのことからもわかる通り、現代美術が盛んといわれるドイツにおいてさえ、当時それは革新的なことだったんだろう。
私にとってはパイクはある意味既に歴史の人だった。私はリアルタイムで彼の活動を知った訳ではない。90年代に学生として映像につき合い始め、「ビデオアートは死んだ」という言葉まで聞かされた私は、「ビデオアートの父、ナム・ジュン・パイク」と「学校で学んだ」ので、それはビデオアートもしくは現代美術の歴史の人だったわけだ。
パイク、すげえ、と周りの学生が言う中で、私にはモニターを積み上げた作品がなぜすごいのか、わからなかった。自分の作品の上映会で、ナム・ジュン・パイクとか好きですか?と訊いてきた映研部の学生のとんちんかんな質問も(私の作品は全然パイクみたいじゃなかったから)今にして思えば、ビデオアートの入り口で、必ずまず出会う人はナム・ジュン・パイクだったから、ビデオといえばナム・ジュン・パイク、みたいなことだったのだろう。
でも私の考えていた方向性とはまったく違ったゆえ、自分にとってのビデオアートとは何かを考える際にはなかなかややこしい存在だったのだ。ビデオといえばナム・ジュン・パイク、だけじゃない、ということで。
初めてパイクに心底興味を覚えたのはたった数年前のこと。
「ナム・ジュン・パイクのエレクトロニックスーパーハイウェイ」というドキュメンタリービデオを見たときのことだ。60年代からの彼のパフォーマンスから90年代前半にかけての作品の記録映像とインタビューを集めたこのビデオの中で彼は言う。情報インフラが整備された時代が来るって意見書をに出したんだ。そうしたらそれがクリントン大統領の演説に引用されてたよ。
あっけらかんと語る彼の先見性にすごいと思った。そして初めて少し彼のアートを理解できたような気がしたのだ。たぶん、来る時代を常に読んで批判や皮肉を含みつつ、軽やかに駆け抜けていく彼には、20世紀において革新メディアだった映像、それもビデオがぴったりだったんだ、と。
かつそのメディアに巻き込まれることなく、客観性や冷静さを保ち続けていた姿は正にクールといえるのかもしれない。そのクールさはトレンディなものではけっしてなくて、どこか緩さのあるユーモアたっぷりのもの。
そう思い始めてから、私は自分の中でパイクを認めることができたのだ。
アートにおいて需要なもの、ユーモアを持つ作家の一人として。
パイクのユーモアについての楽しいエピソードはよく耳にする。
知り合いのキュレーターいわく、若い頃は美男子だったのよ〜、とのことだが、私の知るパイクはズボンとサスペンダーの間からお腹がはみ出たぷっくり姿。お陰で彼は10年程前に倒れ、以後車椅子生活だったと聞く。
その病に倒れたしばらく後、こんな話を知り合いから聞いた。
クリントン大統領との謁見があり、大統領の前に進み出て握手を交わそうとしたそのとき、パイクのズボンがすとーんと落ちて、その下は素ざらしだったのだとか…。たくさんの報道カメラが並ぶ前での出来事、もちろん後でカットオフである。
その話を聞いた仲間うちでは、さっすがパイク!やっぱ意図的?
と騒いだもんだ。
この話を前述の友人にしたら、爆笑して、パイクだったら絶対やる、と断言していた。
その友人のエピソード。
デュッセルドルフ芸術アカデミーでの授業中、自作を見せていたパイクはそのうち壇上で、こっくりこっくり居眠りを始めてしまった。大先生が眠っちゃった、どうしよう、と学生たちはどきどきハラハラ。起こすわけにもいかないし、と戸惑ったり怖じ気づいたり。
とうとう作品が終わってしまい、学生たちが息をのむ中、しっかり目を覚ましたパイクはデッキを止めて一言。
Very nice, very nice. But it's a bit too long, maybe~ ~!
自分の作品でっせ…。
まあ学生たちとしてはのらりくらりとした先生にほっとしたらしい。
そんなパイク、学校を辞職するときも、ありがとう、お陰で僕は経済的にも助けられたよ、とお礼を言って去って行ったんだとか。この正直さと余裕。それは自信あってこそのものだ。かっこいい。
73歳での死は若過ぎると言うべきかどうか。
でもパイクだったらきっとこういうに違いない。
Very nice, very nice. But it's a bit too young, maybe ~ ~!
きっと笑ってそう言うだろう。
と、友人と言い合ったのだった。
さてパイクが指摘した情報インフラはインターネットとして今や世界に鎮座したが、実はちょっとこの情報社会の構造に変化が来てるんじゃないかと近頃思っている。かつて仮想現実ともてはやされたその構造に。
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