2017.09.24 Sunday

早合点しないこと、立ち止まって少しだけでも考える時間を作ること。

『窓をひろげて考えよう』 下村健一・著 

かもがわ出版 2017年7月24日

 

毎日のように北朝鮮のことが報じられている。戦争になるのでは、と危機感を煽られる日々が続く。メディアはアメリカ大統領と北朝鮮の指導者の挑発合戦を報じ続けている。日本はどうなるのだろうか? ミサイル防衛システムは必要なのだろうか?

こんなことを考えているのは、子どもたちではなく、むしろニュースをよく見る大人たちだ。今、この本に書かれていることは、大人たちへのメッセージでもある。

 

本書のテーマを短くまとめるとこうだろうか。

「見聞きしたことを早合点しないこと。その早合点で他の人を間違いに巻き込んだり、傷つけたりしないこと。そして自分も守ること。そのために日頃からトレーニングをしよう。」

 

下村健一さんの新しい著書は、絵本の体裁をとっているが、幼児向けの本ではない。小学校の高学年を読者として想定しているそうだが、中・高校生でも、あるいは大人でも、あらためて気付かされることが多いだろう。われわれも、つい、情報の読み違いや、その不用意な拡散をしてしまっていることがあるはずだ。

絵本の体裁は、タイトルにもある「窓」を効果的に見せる方法でもある。「窓」を通した見え方を提示して、ページをめくると窓の外の世界が見える。切り抜かれた窓は、テレビの枠でもあり、スマートホンの表示画面でもある。こうした仕掛けは、手に取るととても楽しい。僕は個人的に絵本を楽しんでいるほうの大人だと思う。板橋区立美術館が毎年開催する「ボローニャ国際絵本展」の原画展を見に行くことがあるからだ。開催時期には絵本も多く揃えられ、それらを眺めているととても楽しい。同時に、絵本は子どもたち向けだけではないこともわかる。昔話や各地の教訓譚の類だけではなく、現代的なエピソードも巧みに取り込まれている。この『窓もひろげて考えよう』も、現実に起こった事件やエピソードをベースに8つのケースを使って、それぞれの「早合点」の起こり方を説明している。

例えば「体験3 動物園からワニがにげた!」では、窓を外したページの囲みで、2016年に熊本地震の際に広がった「ライオンが逃げた」というデマを紹介している。「体験4 両国の関係、ちょっと心配、、、」では、首脳会談やサミットでどの瞬間を捉えて伝えるかという恣意的な選択が説明されている。この種の切り取りは、現在の米朝の緊張関係を伝えるときにも、お互いの怒った顔ばかりが報じられるし、警察に捕まった犯人の顔はいつでも凶悪そうな写真が使われる。あるいは「体験8 犯人はこいつに決まってる!」では、松本サリン事件の誤報をベースにしている。この騒ぎは報道被害にも発展した。新聞やテレビが他社のスクープに反応し、情報を検証せずに即応したために過剰な報道合戦となった例だ。

 

8つのケースで共通して扱われているのは、「枠」と「スピード」の問題だ。「枠」は、具体的にはテレビやパソコン、スマートホンの「フレーム」だ。フレームは視野を枠で切り取ることで見える「枠」と、思い込みや勘違い、あるいは差別意識などの、いわば「心的な枠」も想定される。更には、メディアにとっての様々な枠は「スピード」にも関係する。テレビの番組という枠、その中でVTRが何秒以内という時間の枠、新聞や雑誌であれば、文字通りの紙面の枠であり、月刊、週刊、日刊といった出版体制の枠組みや、WEBサイトの枠でもある。「スピード」は、情報の伝達速度であり、速報性や即応性といった、情報に対する反応のスピードである。SNSの速報性には、つい受け取った側も、急いで反応して誰かに伝えようとしてしまう。即応性は必要なときもあるがとても危険なときもある。

 

「枠」と「スピード」の両方に対して、少しだけ立ち止まって考えてみること。見方を少し変えること。それは伝えた人の立場を考えたり、伝え方の視点を変えてみたり、伝えられた側の読み取り方を想定してみたりする、そんな時間をつくるということだ。「慌てないこと、見えている窓を固めないこと、その窓を少しでも広げてみる」ということを、本書は教えている。

2017.09.19 Tuesday

沖縄の現代史を、まずは「面白い」から始めてもいい。カメジローは面白いのだ。

『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』
監督:佐古忠彦 撮影:福田安美 配給:彩プロ 著作・製作 TBSテレビ 2017年 107分

 

 

 沖縄現代史の複雑さを改めて知る。「面白い」から始めてもいい。まずは知ること。

 観終わった後には「痛快なカメジローの人物像」が何度も反復される気がした。佐古監督が「週刊金曜日(2017.8.25)」で言うように、現在のオール沖縄の熱気は、この映画で描かれる亀治郎の演説風景に近いかもしれない。「亀次郎さんが言っていたことの一つが『小異を捨てずに大同につく』でした(笑)。みんな考えは違っていても、ここぞという時には一つになろうぜ、と。まさに今が、そうなんだと思います。つまり決して『瀬長亀次郎=翁長雄志』ではないんですが、3年前の知事選(2014年11月)で、沖縄保革の構図が崩れた。その前の仲井眞弘多さんが13年12月に辺野古移設に向けた埋め立てを承認し、市民に怒りがあふれ、それが翌年秋の県知事選挙へつながっていった。このときの熱気あふれる『空気』を、私は現場で直接感じていました。」

 沖縄が置かれた現在の状況は、これまで、「米軍の事故や暴行に抗議して、何回県民大会やっても、何も変わらない」「どうせ、日本政府が決めた通りなってしまう」という絶望的な諦念の意識から、「もう、我慢の限界を超えた」という大きな怒りのエネルギーに変わっているように思われる。それでも、相変わらずの無関心を装う本土の、同じ日本国民に対して、この映画は一つの道筋を示しているようのも思われる。亀治郎のようなリーダが必要だ、と。

 

 沖縄については、映画や文献である程度のことは知っていたつもりだったけれども、瀬長亀次郎のことは知らなかった。恥ずかしい。瀬長亀次郎は戦中と戦後の米軍統治下での県民の自治を訴え、米軍傀儡の琉球政府にあって内部から抵抗した。映画でも使われた、1952年4月1日の写真は、抵抗の象徴として印象に残る。「琉球政府」の設立は、アメリカの占領政策の一環でもあり、傀儡政府の容認でもある。その式典の最後、宣誓文の読み上げの際に、最後尾の席で一人、起立も脱帽も拒んだ亀治郎の姿だ。「占領された市民は、占領軍に忠誠を誓うことを強制されない」(ハーグ陸戦条約の条文)を、法的な根拠に、米軍に対して忠誠を誓うどころか、演説では、「一粒の砂も米軍のものではない」と、市民を煽り、米軍を挑発した。復帰前の沖縄では共産党に党籍があることは隠して、返還前の沖縄立法議員や那覇市長に当選している。1950年代の米軍統治下の沖縄では、レッドパージを恐れて共産党籍を隠すことはあったであろうし、沖縄人民党も共産党との関係は強かったはずだ。それは、米軍にとっては公職追放の切り札であったし、逮捕・拘留の根拠でもあった。

 1956年に那覇市長に出馬し、当選した後に、那覇市への水道供給を止められるなど、米軍の露骨な嫌がらせにあったエピソードは、亀治郎の政治的な力に対する恐れの現れだったのだろう。亀治郎を応援する市民が税金を収めに殺到し、納税率が97%に登ったというウソのようなエピソードも紹介されている。

 

 佐古監督が語るように、亀治郎は対米軍という意味では「反体制」であり、左翼であるといえる。しかし、本土復帰や沖縄県民の自治を訴えた愛国者・愛郷者であり、保守的な政治家であったとも言える。対日本国的にはどうだったのか?1970年の国政参加選挙で当選以来、7期連続当選しているが、衆議院議員として日本共産党に所属し、党副委員長(1973年〜)などを歴任した。この頃の亀治郎に対する沖縄県民の評価には、もしかすると温度差があったのではないか? 政府自民党と対立するよりも、内部から沖縄の立場を好転させるという政策を望んだ人たちはいなかっただろうか? 現在も続く共産党へのアレルギーは、当時の沖縄ではどうだったのだろうか? 沖縄選出の議員や県知事が、基地負担に対する迷惑料のような「沖縄振興予算」を引き出した功罪は、経済的な自立の足枷になっていた事実もある。沖縄現代史に詳しくないので、そのあたりは自分への課題とするしかない。

 

 沖縄には、仕事で頻繁に行った時期があったが、謝花昇の話題になったことはあったが、瀬長亀次郎のことを聞いたことが無い。少なくとも記憶にはなかった。謝花は、沖縄初の農学士で明治の自由民権運動に刺激を受けた社会運動家、沖縄の農政改革運動に関わった。沖縄県庁在職時には奈良原繁県知事と対立し、沖縄を追われた謝花は不遇な晩年を送り43歳で狂死したと言われている。謝花昇に続いて、瀬長亀治郎の名前を覚えた。

 瀬長亀次郎のような強い指導者を望むのは、沖縄だけではない。それは、佐古監督のメッセージでもあると思う。真に強い指導者とは誰か? 自分よりも強い物の側に立ち、富める者の主張を優先し、弱者の言葉を切り捨て、学問を軽視し、保身のために解散選挙を強行するような輩でないことだけは確かだ。

2017.09.18 Monday

スウェーデンの歴史など、実は何も知らなかったのだ。

 

『サーミの血 Sameblod』 2016年 スウェーデン、ノルウェー、デンマーク 108

 

 何故かこのところ、北欧の劇映画を観ている。予告編の連鎖に、つい「良さそうだな」と思ってしまい、まんまとハマってしまったこともあるかもしれないけど、ハマったにしてもとても心地よくハマった。

 スウェーデンと言えば、日本がモデルにすべき社会主義・民主主義・福祉国家(*社会主義と民主主義は矛盾しない。社会主義の対概念は民主主義ではなく、民主主義の対概念は唯神あるいは独裁主義だ。資本主義の対概念が共産主義である。)と言われ、税金は高いけれども福祉が充実している国だという認識がある。北欧の家具などが人気があるが、この国についての無知を痛感する。何も知らなかった。

 ラップランド人、サーミ族のことを今まで目にすることがなかった。映画では1930年代、スウェーデンの先住民族差別の歴史を描いている。サーミ族は、ユーラシア大陸中部から移動してきた民族の末裔だと思うのだが、小柄で体型や顔つきにも特徴がある。大柄な北欧の現代人から見れば、明らかに別の民族であることがわかる。トナカイの放牧などを行っていた移動民族は、かつて劣性の種族であると差別され、「脳が文明に対応できない」という科学的(?)論文もあったという。

 主人公の少女エレは、サーミ族の置かれた立場に絶望する。勉強ができて進学を希望しても、民族として無理だと、憧れていた教師に宣告される。その根拠が、科学的研究成果であり、サーミ族が生きるためには、民族の暮らしと・伝統を守ることだ、と諭される。エレたちサーミ族の子どもたちが、研究のためか身体の特徴を計測されて写真を撮られるシーンが有る。

 スウェーデンの人種差別は、現在ではなくなっているのか? 上映後のトークで、北欧の研究者の大学教授は「現在の問題としては、他国からの移民の課題が重要で、サーミ族は元々のスェーデン人であるという認識になっている。相対的に差別意識は薄れている。」という微妙な発言をしていた。そうなのだろうか、とふと思う。現在的な課題からすれば、サーミ族を源スウェーデン人のひとつ、先住民族として認めてもいいけどね、というニュアンスに聞こえた。実際はどうなのかはわからない。身体的な特徴に対する差別を、教育で乗り越えることは難しいだろうと思う。現にアメリカでは、いまだに黒人差別は消えていないし、日本の朝鮮・中国にたいする差別も同様だ。

 第二次世界大戦で、スェーデンは「中立」という立場を取っていたが、それは、他国がナチスの勢力拡大に巻き込まれる中で、半分はナチスに加担していたようなものだと説明され、複雑な歴史を抱えた国だということを改めて気付かされた。大戦当時、隣接する他国を裏切ったことの後悔が、現在の意識につながっているのだろうか?

 いずれにしても、自国の恥部の向き合った映画であることは間違いない。自国の差別の歴史をきちんと描くことは、日本の事情からは遠い理想のように思われた。

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